もずくスープね -15ページ目

The Lamb Lies Down on Broadway

今回のNY旅行中、ブロードウェイでの観劇本数は5本。前回も述べたように、我が主目的は『Monty Python's SPAMALOT』を観ることでした。でも、それだけではもったいないので、あたくしの場合、ブルック・シールズ主演『シカゴ』、2004年トニー賞の『アヴェニューQ』、そして同僚の塩谷由記枝女史に「観ろ」と奨められた『レノン』と『ALTARBOYS』を観たのです。


シューバート劇場の『Monty Python's SPAMALOT』は期待通り、噂に違わぬ、実に面白い作品でした。音楽も最高です。今年のトニー賞に輝いた傑作だけに、チケットのほうも相当に入手困難だったんですが、今回たまさか最前列の上手(かみて)側、端っこの見切れ席がとれたので、とりあえず主演のティム・カリーやデビット・ハイド・ピアースなど名優たちを間近で見ることができました(ただ、湖の淑女役はオリジナルのサラ・ラミレスではなく、ロゼナ・M・ヒルという女優でした)。しかし、あまりにも素晴らし過ぎて、あと4・5回は見てみたいと思ったほどです。この作品については、まだまだ語りたいことがいっぱいあるので、また機を改めて詳しく紹介しましょう。
http://www.montypythonsspamalot.com/



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブルック・シールズ主演『シカゴ』(アンバサダー劇場)も、超人気作品なのに、どういうわけか、1階2列目のど真ん中という凄い席を押さえることができ、スターさんを間近に堪能できました。シールズは映画でレニー・ゼルウィガーが演じたロキシー・ハートを、彼女なりの魅力で演じておりました。『シカゴ』はもともと作品自体も好きですし、贅沢感を味わえたなあと。
http://www.chicagothemusical.com/


 

 

ジョン・ゴールデン劇場の『アヴェニューQ』は、セサミストリートの体裁を借りた、辛口ユーモアたっぷりの人形ミュージカルですが、これは内容・音楽ともに、かなりイケテるなあと感心しました。2004年トニー賞もだてではないと。ただ、これを見てる時、体調が良くなくて、不本意ながら何度も睡魔に襲われてしまったのが残念。これも、あと2・3回は見たいです。別の機会に改めて紹介します。

http://www.avenueq.com/




 

ブロードハースト劇場の『レノン』は、あまりに評判が悪く、開幕6週間目にして早くも打ち切り。買ったチケットがなんと、その打ち切りの最終日にあたっていたのです。この舞台を見て思ったのは、「オフブロードウェイ」っぽいなあと。もっと言うと、作りが宮本亜門の『アイ・ガット・マーマン』ぽいなあとも。そういう意味では、もすこしだけフリンジなかんじの劇場でやれば、よかったんじゃないかなあと思いました。使用されてる曲は、ジョン・レノンのソロ以降の曲が多く、そういうのが好きな私には退屈ではなかったのですが、もっとビートルズナンバーを期待していた向きもあるかもしれません。語り部の人がジョン・レノンにクリソツなのは、好感がもてましたが、物語自体は、淡々として、いささか薄い感じがありました。最終ステージのカーテンコールには、この舞台の制作にも係わったという、ヨーコ・オノも登場しておりました。
http://www.lennonthemusical.com/

 




オフブロードウェイ作品にあたる、ドジャーステージの『オルターボーイズ』は、ハンサム青年5人組による布教ショーといった風情のポップな仕上がり。“小劇場ミュージカル”と呼ぶにふさわしいものでしたが、客席は老若男女様々で、しかもやたらとウケまくりでした。しかし、個人的に体調の悪さと英語力の貧困さが重なって、よくわからないまま約90分の上演時間を過ごしてしまいました。(ジョビジョバ+コンボイショー)÷2ってか? それにしても、ドジャーステージは面白いホールでした。公園の地下に、300程度の小劇場空間を4つ有する複合演劇施設なのです。東京にも、こういうのあるといいのになぁって思いました。
http://www.altarboyz.com/




一緒に行った旅行仲間は、別々に『ヘアスプレー』『ウイキッド』『プロデューサーズ』『オペラ座の怪人』『スイートチャリティ』『ライト・イン・ザ・ピアッツァ』などを見て、それぞれ良かったと言っていました。次回は、この旅行期間中にブロードウェイで偶然に遭遇したフリーマーケットのことなどを紹介しましょう。

 

 

 

Whatever happened to my blog?

近ごろブログはどうなったのか、と。このところちぃとも更新されていないじゃないか、と。もはや、あんどうは死んだか?と。

……実を申せば、あたくしあんどうみつおは、1週間ほど休暇をいただき、ニューヨーク旅行に行ってまいりました。つまり、blog「突撃!あひる日記」の藤本真由さんに続けとばかりに、こちらもNYCネタでGO!GO!ってな次第です。

NYC滞在中は温かい毎日でしたから、「I'm not dead yet」と胸に書かれた半袖Tシャツ1枚で帰路につきましたところ、なんと東京に到着するや、めっきり涼しくなっている。これにはプチ浦島太郎的な“時の流れ”を肌で感じてしまいました。Whatever happened to my country?この1週間のうちに、わが祖国・日本で何があったのだろう?さぞや色んな出来事があったのだろうと、気になってしまいます。そこで過去1週間の日本のニュースを調べてみましたが、目に付くのは、衆議院議員・杉村太蔵の“放言”くらいですかね。バカまるだし! ま、概ね平和で良かった。しかし……。

今回の旅行の主目的の一つは、モンティ・パイソンのミュージカル『SPAMALOT』を観ることにありました。で、その目的は無事に果たして来たのですが、今回一緒に旅した仲間の一人である、劇団自己批判ショーのダメベ君が、帰りの東京行きの飛行機の中で、「『SPAMALOT』を観て帰国すると、今度は自分宛のメールボックスが“SPAM A LOT”状態になっていそうだ」などとウマイことを言っておったのですが、それはまさにあたくしにも当てはまることでした。帰宅後、自分のEメールボックスにはSPAMメールが2500通あまりも溜まってました。『SPAMALOT』を笑うものは、“SPAM A LOT”に泣くってか!

さて、今回初NYだったあたくしならではの、今更ながらのシロウトっぽい感想を幾つか書き並べてみましょう。英語が早口でわからん、とか、硬貨がなかなか数えられんとか、チップが面倒とか、そういうベーシックなことは置いておくとして……。

【1】エアトレイン(空港から地下鉄駅までの繋ぎの電車)や地下鉄乗車の際には「MTA Metro Card」というものを購入し、これをゲートでセンサーに認識させないと通過できない。ところが、これの認識がなかなかうまくゆかない。するとゲートがピーピー鳴る。日本だと、こういう時に駅員が出てきて対処してくれたりするが、NYには駅員がほとんどいず、ピーピー鳴りっぱなしである。現地の人もうまくゆかずにやたらとピーピー言わしてる。うまく認識して「GO」サインがでても、うまく通り抜けないと、18分間は再入場が不可となる。駅に入るのは超緊張する。

【2】飲み物の自動販売機がない(自販機ごと盗まれるからだそうだ)。よって、ノドの渇きを癒すには、DELIを探さねばならないのだが、これも東京のコンビニほどには、なかなか見つからないのである。

【3】日本ではかなり普及化してるウォッシュレット型トイレだが、NYには皆無(もともとトイレ自体が少ない)。ならば、汚れた尻穴はホテルのシャワーを使って洗い流せばよいと思った。しかし、今回泊まった安ホテルのシャワーは、海水浴場のソレのごとく、天井からお湯が降り注ぐタイプのもの。しかも水量が実に弱い。これでは、とても尻の穴の中まで洗い流せない。そこで、飲料水ペットボトルに水をためて、尻穴を洗うことを考えた。いいアイデアかと思ったが、実際やってみると、なかなかうまく使えない。しかし、いいものを見つけた。NY市内で流行の飲料水ペットボトル「ポーランド・スプリング」の空き瓶である。これは飲み口のところが、小さな穴になっていて、内部の水を(肛門に向けて)ピュッと噴射させることができるのだ。安ホテルのシャワー室では、そんな工夫の積み重ねで、尻穴の清潔を維持したのだった。昔の人から見たら、贅沢な話だと思われるかもしれないのだが、ウォッシュレットに慣れてしまった21世紀東京人には、切実な問題なのである。




【4】(とくに地下鉄駅などに)エスカレータがほとんどない。1段1段の幅の大きい階段ばかりであり、駅内の移動が結構疲れます。

【5】当然のごとく、食堂には爪楊枝がおいてありません。あっちの食べ物って、けっこう歯にはさまるのにね。

【6】食堂の食べ物、いちいち量は多いです。多過ぎってなくらいにね。

【7】うちらの泊まった安ホテルは、スリッパがありません。あちらの人って、ホテルの室内は、靴か裸足でいるのが普通らしいんです。しかたがないので、室内では裸足で過ごしてました。

【8】NYはカード社会と言われてますが、キャッシュしか使えないところも多く、そのためATMから現金をおろす必要が何度かありました。ATMは色んなところにあるのですが、あたくしの郵貯セゾンカードが使えないATMが不運にも結構多かったです。

【9】滞在していたイーストヴィレッジやブロードウェイ劇場街界隈で手紙を出そうと青い郵便ポストを探したのですが、これがちっとも見当たらなかった。自分の探し方が悪かったのかなあ。JHK空港内にも、見当たらなかった。

【10】地下鉄の車両内には、乗客に向かって何事か演説を始める奴とか、いきなりパフォーマンスをおこなう連中とか、ただ金を乞う人などと、毎回遭遇した。駅のホームで普通にエレキギターをかきならしている男もいた。なんて自由というか、無法というか、こちとらそのつどドキドキしておりました。

「小泉劇場」についての一考察

今回の総選挙、自民党圧勝については、「まさに“小泉劇場”のポリティックな演出の勝利だ」と、演劇人・唐十郎氏も朝日新聞(9/12夕刊)にコメントしている。そして「今後別の面白い演出が登場すれば(大衆は小泉首相のもとを)すぐ去ってしまうだろう」とも述べている。同感である。

しかし、「別の面白い演出」のできる政治家が今の政界にどれほどいるのだろうかとも思う。小泉“任期延長論”の背景の一部分には、そうした不安要素というものもあるのだろう。政治改革を断行するには、それなりの政治力が必要である。そして、その政治力には「演劇的な力」というものも重要な要素たりうるのだ。「演劇的な力」とは、作・演出の力であったり、演技の力であったりする。

今回、民主党が惨敗したのは、党首・岡田克也氏にそういう能力が乏しかったからである。さらに幹事長・川端達夫氏に至っては、役者としてのオーラがゼロであったことを、誰も否定できまい。その反対に、東京10区で刺客と言われた小池百合子環境相などは、選挙運動において、実に華麗にオーラを放ちながら、観客=有権者たちに“魅せて”いた。ひょっとして、もし彼女が仮に「民営化反対」の立場にあったとしても、それなりに票を集め得たのではないか、とさえ思ってしまう。 岐阜1区の野田聖子氏がよい例だ。

彼女(野田聖子氏)は悲劇のヒロインを演じる「演劇的力」を有していたと思う。これに対して“刺客”佐藤ゆかり氏は「演劇的力」の欠如が顕著であった。たとえば週刊文春が流した醜聞を逆手にとって利用し、相当な悪女を演じても良かったのではないか。この場合、もちろん主婦票は捨てる。小泉首相が郵便局長会の票を潔く捨てたように。その代り、悪女にたぶらかされることを夢見る男性票を一票残らず拾い上げる。さらには、世の不倫中の女性たちの票も集めてしまえばいい。「演劇的力」とは、そうした突飛な作戦を有効たらしめる。

北海道の比例で当選した新党大地の鈴木宗男氏などは、娘を利用して、泣きの「演劇的力」を発揮したと思う。広島6区・亀井静香氏の勝利もまあ似たようなものだ(この選挙区は、ホリエモンの演劇力の弱さも亀井を助けている)。ただ、鈴木氏や亀井氏のような「演劇的力」は、はっきりいって、都市部の若い観客=有権者には、いまいち伝わりにくい古いタイプのものだ。

もちろん私は「演劇的力」しか取り柄のないような政治家はよろしくないと思っている。一歩あやまれば、ナチスになってしまう。ヒトラーやゲッペルス、その「演劇的力」は相当なものであった。だが、もちろん私は、ヒトラーの愛したワーグナーを(あるいは狂王ルードヴィッヒ2世の愛したワーグナーを)小泉首相も好きだから(「官邸ではよくワーグナーのオペラが流れている」と山崎拓氏も証言している)、小泉もとんでもない独裁者になるだろう、などと短絡的なことを述べるつもりはない。ただ、ワーグナーによって彼の、なにがしかの「演劇的力」が養われていることは確かであろう。

とはいえ、小泉首相の「演劇的力」を養っているものは、もちろんワーグナーのオペラだけではない。歌舞伎、ミュージカル、映画、さらに歴史小説などもあるという。そのような趣味・素養が、今回の選挙戦を勝利に導いたとするならば、他の政治家もこれを見習うべきであろう。音楽を語れる政治家なら、他にも何人かいる。民主党の羽田孜元首相、日本共産党の志位和夫委員長。しかし、演劇的なるものを愛好し、しかもそれが政治的手法に直結している政治家というのは、あまり聞かない。

昨日、テレビ朝日の選挙報道番組で田原総一朗氏が小泉首相に対して、「今回の圧倒的得票に応えるために、任期を延長すると言え」的なことをヒステリックに迫っていたのだが、さすがにそれは違うんじゃないかと私は思ってしまった。そんな超ルールを認めたら、それこそ、ナチス党や大政翼賛会の危険性に近づいてしまうではないか。しかしマスコミ側のそういう声に対して、首相以下、自民党幹部陣たちは至って冷静に“任期延長”を否定していて、そのことは、ちょっとばかし好感が持てた(もっとも、それすらも巧妙な演出なのかもしれないのだが)。

いずれにしても、小泉純一郎氏しか当てに出来ないような政界は、健全ではない。よって、小泉後を担う政治家たちを、私達国民が育ててゆかねばならない。そのためには、いろいろな政治家に「演劇的力」を養っていただきたいと思う。オペラ、演劇、ミュージカル。いや、政治家ばかりではない。ちょっとした「演劇的力」に流されてしまうようなヤワな感受性を鍛えるために、国民もまた、政治家以上にしたたかな「演劇的力」を身に付けるべきだ。そのためには、沢山の観劇を体験していただく必要がある。メジャーな大衆娯楽作品だけに満足していてはいけない。様々なタイプの演劇を勉強し、「小泉劇場」なるシアターを相対化して見れるようにして頂きたい。

一方で、新国立劇場のオペラ劇場、あるいは国立劇場の歌舞伎用大ホールでは、それぞれ年に一回程度でよいから、その名もズバリ「小泉劇場」というシリーズをやればいい。演目選定やキャスティングを小泉首相自らがおこなうのだ。「演劇的力」を養いたい客で満員御礼間違いなしだ。それでこそ“国立”の芸術施設も、“国立”ならではのコンテンツを用意でき、またそれを国民が有効活用できるというものなのだ。芸術文化の振興に熱心な公明党も、そこに改めて連立の意義を見出すことであろう。また、その企画を通じて、アジア諸国とのこじれた状況を打開する術も何か、ないだろうか。

そしたら、民主党はどんな演劇政策をマニフェストに掲げる?共産党はもしやプロレタリア演劇を復活させる?田中康夫の新党日本は?社民党は、劇団ニュースペーパーと、昔のように再び仲良くする?