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新人ライター奮闘記

自分は今、制作会社に企画要因、プロットライターとして参加しています。

ブログには、プロデューサーとの打ち合わせや企画書の書き方についても書いていきたいと思います。


また、「文章の書き方」、「企画の見つけ方」なども書いて行きたいと思います

僕は子供の頃から、文章を書くのが好きだった!


普段、自分の心の中にある本音を、書く事によって吐き出す事が出来る!!


なんて、素晴らしいんだろうと思っていた


だが、どんどん歳を取って、中学校、高校になると、文章には、どうやら上手い下手がある事に嫌でも気付いて行く


僕の文章は、読んでみると解かると思うが、下手だ!!


特に、今まで書いたものを読んでみると、ちょっと自分の気持ちを劇的に書き過ぎている


子供ニュースで有名な池上彰さんが自身の著書である「伝える力」の中で、

こんな事を言っている!!


「物事を誰かに伝える場合は、独りよがりにならないようにする事です。

そのためには、『もう一人の自分』を持って、それを育てて行くと良いでしょう

(中略)書いたあなたが『なかなかいい出来じゃないか』と思ってしまったら、『

もう一人の自分』がいるとは言えません」


本当にその通りだ!!僕の「もう一人の自分」はまだまだ甘い!!


池上さんは、「もう一人の自分」を持つ事を、一人ツッコミ(または一人プレーンストーミング)と呼んでいるらしい


この一人ツッコミは、文章だけでなくシナリオの世界でも重要な直しというやつになると思う!!


文章を上手くなって行くという事は、シナリオを書くうえでも必ず役に立つのだ!!そもそも、シナリオを書く前にプロデューサーに送る企画書の中には、プロットという地の文を使った小説風のものを書かなければいけないのだ!!


日々、勉強するのみだ!!これからも、よろしくどうぞ!!

「やめろ!何するんだ!!」


高校の頃、同じクラスだったM君の口癖だ


もちろん、言いたくて言っていたわけではない

言わなくてはやりきれない、言わずにはいられい理由があったのだ



M君は、虐められっ子だった!!


授業が終わってM君が帰ろうと下駄箱に行くと、必ず靴が隠されていていたり、

机が知らない間に、水でビチョビチョにされていたり、サンドバックになれと命令されたり、そんな、ありとあらゆる嫌がらせをM君は受けていた


M君は、それでも「やめろ!何するんだ!!」と叫び続けた、叫んでもどうにもならないと知りながら



M君を見るクラスメイトの反応は、冷ややかなものだった

M君を虐めるグループと見て見ぬふりするグループに見事に分かれたのだ


僕はと言えば、一応、たった一人M君を助けるグループに属していた


あえて一応と書いたのは、テレビドラマや小説で出てきそうな虐めっ子と戦って

虐められっ子を助けるという、弱きを助け強きを挫くヒーローとは似ても似つかぬ存在だったからだ



僕がやった事と言えば、M君がやられている時に、猫なで声で「まぁまぁ、そのへんにしときなよ」と柔らかく止めに入ったり、靴が隠されると一緒になって捜す

事ぐらいだった


強い口調で虐めっ子達に挑む事によって、自分も虐められる事を恐れたんだと思う。M君をはじめて助ける時に、自分も虐められるかもしれないという覚悟はしたつもりだ。


しかし、僕は当時、映像研究部と吹奏楽部を掛け持ちしていて、吹奏楽で部長を務め、映像研究部でも部長を務めるという立場で、つねに部員の事に気を掛けるように、それぞれの顧問の先生から言われていた


正直、毎日が忙しくいっぱい、いっぱいで、M君の事を助けるにしても、気力を他の事に取っておきたかった


ある日、M君は、そんな僕の気持ちを踏みにじる発言をする!!


「なんで、俺だけなんだ!!他の奴でもいいだろう!!」


M君のこの発言は、27歳になった今の僕なら理解する事が出来る


でも、17歳の当時は、まったく理解できず、そんな発言をすること自体が信じられなかった!!


「他の奴でもいいだろう!!」という事は、自分以外の奴なら虐められてもいいと言う事だ!!


M君は、あくまで、自分が虐められる事に反対で、虐めには賛成だったのだ。


それが、17歳の僕には、大ショックだった。


今まで、クラスから虐めが無くなればいいと思い、自分も虐めにあうかもしれない恐怖を感じながら止めていたのに、自分は何のために頑張ってきたのか解からなくなった!!


僕はそれ以来、M君を助けるのをやめてしまった!!


M君は、さっそく「なんで止めてくれないんだ、なんで助けてくれないんだ!!」と僕に訴えて来たが、無視した。


僕の気持ちを、まったく理解していない事が解かったからだ!!僕の気持ちを少しでも解かっているのなら、そんな事は言わない


M君を助けない毎日は充実していた、部活や勉強に集中する事が出来た!!


ところが、それからしばらくして、事件が起きる!!


M君が、虐めっ子達の暴力によって、気絶したのだ!!


救急車が呼ばれる大騒ぎになり、M君は入院して脳の精密検査を受ける事態にまで発展した!!


いつものように止めに入っていたら、M君は気絶しなかったかもしれない、

倒れなかったかもしれない、やっぱり止めるべきだったのか?


そんなふうに、自問自答したけれど、結局、日々の忙しさに紛れ、月日は流れて行き、答えは出ないままだった



不幸中の幸いで、M君は一週間入院して、元気に戻ってきた


だが、何週間か虐められなかっただけで、M君はまた虐められるようになってしまった!!


僕も、二度と虐めを止める事はなかった、はっきり言って疲れてしまったのだ


これを読んでいる皆さんはどう思っただろうか?僕は偽善者だろうか?

途中で助けるのを止めるなら、最初から助けるべきではなかったのか?


人は人を助ける事はできないのか?

いろいろな命題が頭の中をグルグル回ってしまう


そんな中、最近、ある事を思い出した


高校の卒業式の日、M君が僕に近づいて来て


「いろいろ、ありがとうな!!」と僕に言って、去って行ったのだ!!


なんで、今まで忘れていたのだろうか?なぜ今思い出すのか?


また頭の中をいろいろな命題がグルグル回ってしまうけれど、風呂の中でM君の「いろいろ、ありがとうな!!」を思い出した時、僕はなぜか泣いてしまった!!


M君へ


M君、元気にしていますか?

僕は今、プロのシナリオライターを目指して、勉強中です!!


僕もあの時の君と同じように、仕事の先輩に理不尽な説教をされ、嫌がらせを受けています!!

でも、高校の頃、君に偉そうな事を言ったわけだから、逃げないで嫌がらせを糧にして成長したいと思います!!


あと、今、あの時の経験を活かして、虐めをテーマにしたシナリオを書いています!!


もし、今度、会ったら飲みましょう!!

ある日、カフェでシナリオ雑誌を読んでいると、衝撃的な文面が目に飛び込んできた!!


「いじめ、差別をテーマに書いた、素人のシナリオは、正直、懲り懲りですね!(笑)」


毎年、大規模なシナリオコンクールの審査員をしている、有名な脚本家のコメントだった


「えっ!なんで?」


僕は持っていたマグカップを持ち上げたまま、固まってしまった。


今、まさに、いじめを題材に、シナリオを書いている真っ最中だったからだ。


いじめを扱った小説やドラマはとても多い。たとえば、重松清の「ナイフ」、「きみの友だち」、東野圭吾の「殺人の門」、「手紙」。


テレビドラマでは、「ライフ」、「わたしたちの教科書」など、すぐ思いつくものだけでも、けっこう出て来る。


それにも関わらず、この有名なベテラン脚本家は、虐めを題材にしたシナリオにバツ印をつけると言うのか?


「訳を聞かしてくれ!訳を!」と心の中で叫び、続きを読んだ!



すると、その脚本家の真意が解かって来た!つまり、たくさん、つくられているからこそ、どれも似たような作品になってしまうという事らしいのだ。



なるほど、実に説得力がある。考えてみれば、そうかもしれない!!


自分のようなシナリオライター志望者は、虐めや犯罪、差別などの題材を扱ってシナリオを書くと、どうしても、肯定するか?反対するかという、二分化の方程式を使う事になると思う


だからこそ、どこかで観たような、誰かがすでに書いたような作品になってしまうのだろうけど、でも、その二分化の方程式はシナリオを書く上で、悪いアプローチではない


かつて、あの野沢尚先生もインタビューで言っている。


「家族にしろ夫婦関係や恋人関係にしろ、やはり疑問を持たないとシナリオはつくれないんじゃないですか。

テーゼとアンチテーゼを用意して、その価値観の闘争を描くわけですから。

家族がいいものだと思っている人間と、よくないものだと思っている人間がぶつかることで、ドラマが出来るわけです。

つまり相反するテーマというものを常に用意するんですよ、シナリオライターは」



この野沢先生の言葉にもあるように、僕も今、テーゼとアンチテーゼの方程式を使って書いている。

ただ、シンプルに、虐めはあって仕方が無いという人物と、虐めは無くさなきゃいけないんだという人物の価値観の闘争を描いているわけではない。


それだと、たくさんある、よくある作品の一つとして、まさに、「もう懲り懲り!」と言われてしまうだろう


そこで、今、僕が挑戦しているのが、一人の人間の中に、価値観の闘争をつくるというやり方だ


これは、本当に難しく、なかなか上手く書けないが、なんとか最後まで書きたいと思っている