ある日、カフェでシナリオ雑誌を読んでいると、衝撃的な文面が目に飛び込んできた!!
「いじめ、差別をテーマに書いた、素人のシナリオは、正直、懲り懲りですね!(笑)」
毎年、大規模なシナリオコンクールの審査員をしている、有名な脚本家のコメントだった
「えっ!なんで?」
僕は持っていたマグカップを持ち上げたまま、固まってしまった。
今、まさに、いじめを題材に、シナリオを書いている真っ最中だったからだ。
いじめを扱った小説やドラマはとても多い。たとえば、重松清の「ナイフ」、「きみの友だち」、東野圭吾の「殺人の門」、「手紙」。
テレビドラマでは、「ライフ」、「わたしたちの教科書」など、すぐ思いつくものだけでも、けっこう出て来る。
それにも関わらず、この有名なベテラン脚本家は、虐めを題材にしたシナリオにバツ印をつけると言うのか?
「訳を聞かしてくれ!訳を!」と心の中で叫び、続きを読んだ!
すると、その脚本家の真意が解かって来た!つまり、たくさん、つくられているからこそ、どれも似たような作品になってしまうという事らしいのだ。
なるほど、実に説得力がある。考えてみれば、そうかもしれない!!
自分のようなシナリオライター志望者は、虐めや犯罪、差別などの題材を扱ってシナリオを書くと、どうしても、肯定するか?反対するかという、二分化の方程式を使う事になると思う
だからこそ、どこかで観たような、誰かがすでに書いたような作品になってしまうのだろうけど、でも、その二分化の方程式はシナリオを書く上で、悪いアプローチではない
かつて、あの野沢尚先生もインタビューで言っている。
「家族にしろ夫婦関係や恋人関係にしろ、やはり疑問を持たないとシナリオはつくれないんじゃないですか。
テーゼとアンチテーゼを用意して、その価値観の闘争を描くわけですから。
家族がいいものだと思っている人間と、よくないものだと思っている人間がぶつかることで、ドラマが出来るわけです。
つまり相反するテーマというものを常に用意するんですよ、シナリオライターは」
この野沢先生の言葉にもあるように、僕も今、テーゼとアンチテーゼの方程式を使って書いている。
ただ、シンプルに、虐めはあって仕方が無いという人物と、虐めは無くさなきゃいけないんだという人物の価値観の闘争を描いているわけではない。
それだと、たくさんある、よくある作品の一つとして、まさに、「もう懲り懲り!」と言われてしまうだろう
そこで、今、僕が挑戦しているのが、一人の人間の中に、価値観の闘争をつくるというやり方だ
これは、本当に難しく、なかなか上手く書けないが、なんとか最後まで書きたいと思っている