(あらすじ)※Amazonより
お別れの言葉は、言っても言っても言い足りない―。急逝した作家の闘病記。
これを書くことをお別れの挨拶とさせて下さい―。
思いがけない大波にさらわれ、夫とふたりだけで無人島に流されてしまったかのように、ある日突然にがんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった。58歳で余命宣告を受け、それでも書くことを手放さなかった作家が、最期まで綴っていた日記。
※後半、だいぶ内容に触れています。そして引用も多少あります。
日記なのでネタバレ注意・・というものでもないが、できれば本作を読んでからの方がいいと思います。
◇◆
2021年10月13日、作家の山本文緒さんがガンで亡くなった。
というニュースを読み、多少なりともショックを受けた私。
彼女のことをよく知っていたわけでもないし、作品を多く読んできたわけではないし、いやなんなら数作くらいしか読んでないが
え〜!?まだそんな亡くなるような年齢じゃなかったよね?
と思えるくらいには知っていた。
58歳没。
私が今、48歳なのであと10年かと思うとやっぱり早い。
色々やりたいこともあっただろうし、もっともっと書きたかっただろうなあ。
山本文緒さんが亡くなる直前まで書き続けた日記がこの作品である。
「2021年4月、私は突然膵臓がんと診断され、その時既にステージは4bだった。治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせる今年か手立てはなかった。
昔と違って副作用は軽くなっていると聞いて臨んだ抗がん剤治療は地獄だった。がんで死ぬより先に抗がん剤で死んでしまうと思ったほどだ。医師やカウンセラー、そして夫と話し合い、私は緩和ケアへ進むことを決めた。
そんな2021年、5月からの日記です。」
との記述から日記は始まる。
最初からショックは大きいのだが、ドラマティックに書き進めるわけでもなく、だからと言って自由気ままに書き殴ったものでもなく(出版する前提で書いている)、小説と日記の間のような感覚で読んだ。
それでもやはり日記だから、途中途中で山本さんの素直な気持ちやら苦しい胸のうち、辛い病気のことが書いてあって読んでいるこちらも、悲しくなるのだが、それ以上にこの透明感は一体なんなんだろう、と不思議に感じるほど、本当にだんだんと文章が透き通ってきている。
どんどん透明になっていく。
もともとのものすごく透明感のある文章が、どんどん透けていく。
軽さと幼さと強さが同時に存在する一方で、どんどんシンプルになっていく。
赤裸々に書いているわけでもない。
だからといって虚飾でもない。日々の出来事を書き、心のうちを吐露している日記である。
でもちゃんと見られる意識を持って、作品としての日記の体裁を整えているので全く飾り気がないわけでもない。本当にちゃんとした作品として成立している日記。
透明感のある文章に加え、山本さんの心や体までもが透き通って見える。
何度読んでも飽きない。ずっと読んでいる。
何度も何度も読んでいる。
泣いてしまうかも・・・と思ったが、泣くことはなかった。
ただベッドに横たわる山本さんに寄り添って日記を書く手を握って一緒に読んでいる気分。
(途中までは山本さん自身が手書きで書き、それをパソコンで清書していた。次第にその作業が辛くなり、スマホで音声入力からテキスト化、それをご主人が手直し、山本さんと確認していた模様。最終的にはご主人が聞き取って書いていた模様。)
泣けるわけではない。
ただただ読みたい。本当によくできている。そういう作品。
緩和ケアのことなども書いていて、スゥ〜っと楽に死ねるのかと思ったら(そんなわけない)、そりゃ抗がん剤よりは苦しくないのかもしれないが、なんだか本当に大変そうだった・・・
ケロケロケロと嘔吐したり(ケロケロという表現が私のお気に入り。そういう言葉選びも山本さんは念入りである。)、死ぬのもいちいち辛そうだな・・と思うのであった。
「ちょっと前までは重病患者は大きな病院の主治医の先生に頼り切りの印象だったけれど、今は様々な相談先があるようで有り難い。うまく死ねますように。」(12ページ)
うまく死ぬ。
本当に難しいと思う。
そんな中、最後まで作家として筆を持ち、しかも世に出したこの作品は極上のもので、まだまだ長生きしてたくさん作品を書きたかっただろうけれど、うまく死ねますように、という山本さんの願いは叶ったんじゃないかと思う。
(そりゃ日記には書いていない色々なことがあったとは思いますけれど)
6月1日の日記に
「金原ひとみさんの『アンソーシャル ディスタンス』、死ぬことを忘れるほど面白い。」(28ページ)
と書いてあり、死ぬことを少しでも忘れることができてよかったな・・と思った。
そして金原さんは作家冥利に尽きるであろう。
ちなみに山本さんから「死ぬことを忘れるほど面白い」と評されたこの作品、私も
「なんで今までこの人の作品読んでこなかったのか。」
と叫びたくなるほど面白く読みました。超絶オススメ!!!!!
↓
山本さんは最期まで気遣いの人で、ご主人にも気遣い(ご主人もよくできた人でねえ・・)、そして自分を見舞う人を気遣い、自分の病気のことを知らない人とメールで
「また今度一緒に仕事しましょう!」
という言葉に、「そうですね!」と返すことに申し訳ないと思う山本さん。
うーん、辛いよね・・
本当のことを言えばいいってものではないけれど、言ったところで相手を困らせるだけだけど、だからといって「今度」がないことをお伝えできないこと、お別れのご挨拶ができないことを本当に申し訳ない、と思ってしまう山本さんの気持ちが痛いほどわかる。
そういう山本さんの思いがこの日記を読んでもらって少しでも山本さんと関わった人たちに伝わればいいな。と全く関係ない私が思う。
私はうまく死ねるかなあ・・・・
(とりあえず山本さんとこのご主人みたいにうちの汗かき夫はよくできた人ではないので、そこからしてまずだいぶハンデがあるぞ><)
緩和ケアと言っても体調不良や生きるのも辛く思う日があるわけで、そんな時に私、汗かき夫に当たり散らしちゃうんじゃないかしら・・・
そうならないとは言い切れないなあ。
生理痛の頭痛ですら、ヒ〜ン、って泣いちゃうくらいなのに。
(当たり散らしたりしないだけマシだがひたすら寝てる・・そして寝たら寝たで体調悪化。)
この作品が終わるときが、山本さんの最期なのだと思うと読み進めるにつれだんだん残りの頁が少なくなってくると、ぐっとそのことの重みが増してくる。
山本さんの命のともしびがページをめくるごとに消えようとしていく。
いつ書けなくなるかわからないから、とりあえずここで一旦終了させてください、と記して、第一部が終了。
そこからの第二部は体調次第・・・と、1日1日自分の様子を見ながら記録を残していく。
明日また書けましたら、明日。
と1日ごとに締めくくる。
そして明日が来れば(体調が良ければ)書く。
1日1分1秒を刻んで生きている。
最後はそんな感じ。
10月4日(月)の日記の最後にも「明日また書けましたら、明日。」と書かれ、それが最後の日記となった。
それから約10日後の10月13日に亡くなったそうです。
嘔吐や眩暈や辛い体調不良などなどから解放されたこと、それだけはよかった、とは思う。
それでもやっぱりもっと書きたかっただろうな・・・と思うとひたすら辛い。
↓さてこちらの山本さんの「自転しながら公転する」は好評だったそう。ぜひ読んでみなければ。
山本さんが生きているうちに中央公論文芸賞受賞の知らせが届いてよかった!
と思うも、山本さんの体調がすこぶる悪くて受賞をもっと素直に喜びたかった、と読んでいるこちらが辛かった><
↓自分が生きているうちに本になったところを見たい、と出版してもらった経緯が日記には書かれている。
これとかこれも読んでみたいな。