納豆二パック、穏やかなる一夜。 | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

私に、そして日本全国に衝撃が走ってからもう2ヶ月が経った。

 

 

>芥川賞作家の西村賢太さんが5日、東京都内の病院で死去した。54歳だった。

 

長生きするタイプではないと思っていたが、流石に54歳は早すぎるよなあ。

色々思うところがあって私も記事を書いた。↓

 

 

思えば作家さんの訃報に触れて、こうして心身にショックを受けたのって社会人一年目で星新一の訃報を聞いた時以来かもしれない。

(いや、もしかしたら他にもあったかもしれないけど、思い出す限り・・・。あ〜、山本文緒が亡くなった時も衝撃ではあったが西村賢太ほどではなかった。)

 

そんなこんなで「本の雑誌」という雑誌に毎月西村賢太は原稿を載せていたのだが(「一私小説書きの日乗」という日記)、3月号が最後ということで早速読んだ。

内容は令和3年12月14日〜令和4年1月7日までの日記で、この時は当然自分があと1ヶ月後に亡くなるなんて思ってもいなかっただろうに、と思うと、白飯代わりの納豆2パックすらも愛おしく・・・感じない。

毎回毎回納豆二パック食すとか、納豆多すぎるやろ笑

 

それはともかく、西村賢太の作品って本当に難しい日本語が多く出てくるのだが、こちらの日記も作品に比べれば多少分かりやすい日本語が使われているものの、時々むむ!?っと立ち止まってしまう単語が使われていたりする。

 

「夕方、池袋の東武デパートに入っている鳩居堂へゆき、御布施袋を十二枚購める。」

(「本の雑誌」3月号76頁)

 

購める・・・あ、もとめる、ね。

ルビも親切に振ってあるので読めるが、西村賢太単語集の中ではこんなもん序の口であります。

 

「本の雑誌」4月号では西村賢太の特集をするかも!?と再び読んでみたが特になかった笑

しかし編集後記で、

 

「西村賢太さんの突然の訃報にうなだれる2月。毎月FAXでごんごん流れてきた手書きの文字がもう読めなくなるなんて。「深更」「結句」「購める」など山のように辞書登録した単語集が寂しい。(略)」(「本の雑誌」4月号136頁)

 

とあり、編集者も単語登録するほどの特殊な日本語をお使いになっていた西村賢太。

日記ですらそうなのだから、西村氏の作品を扱っていた出版社の編集者の単語集はどえらいことになっていそうである。

またFAXで手書きの原稿ってのが西村賢太そのものでいいわ〜。

 

ちょっと話は逸れるが、「ごんごん」って擬音、FAXに使うもんなんですかね?

東京五輪のスケボーのゴン攻めからの流れでしょうか笑?

言葉ってやっぱり生きているんだな。

 

話は戻って、その西村賢太について特集はされていなかったが、「黒い昼食会」という業界事情通の5人が匿名で出版界の黒い噂についてあれこれ語るという座談会で西村賢太について少し触れていた。

 

石原慎太郎が亡くなってから幻冬舎の既刊本の配本数が異常に多くて動きがものすごく速かったのに比べ(事前に知っていたんじゃないかって話もチラッと)、西村賢太の本は各社品切れだらけで、版元に電話してももうないって言われて・・・

 

という話をしており、高騰してるのはメルカリだけだ、とプンスコしていた。

私の手元にある大量の西村賢太本もメルカリに出せば高値で売れていたのだろうか!?

でも売る気は全くないからな〜。

この座談会でも言っていたが、本は一生もののように見えて市場の寿命は短い。

私のように古本とか苦手な人間は、新刊を一度手放しちゃうと二度と手に入らないこともある〜と覚悟して要らん本はどんどん売ってます!

←じゃないと部屋の床が抜ける。ピアノも置いてあるからさ・・・

 

笑ったのは、

司馬遼太郎が亡くなった時が凄くて、取次の倉庫で流血の奪い合いが起きたという伝説がある

という話。

一冊の本をめぐって取っ組み合いの殴る蹴るの大乱闘だったのだろうか・・・こわっっっ笑

 

そんな話を読みながら、西村賢太の「一私小説書きの日乗」の最後の令和4年1月7日は、藤澤清造(西村賢太の文筆、そして人生の師匠。一方的に笑)の月命日の掃苔に行き、藤澤家の方々と交流した一日であった模様。

 

それが最後の日記だったのも奇縁といや奇縁なのかも。

あちらで師匠ととことんお話しできてるといいですね。

納豆二パック食しながら・・・って、納豆の量が多すぎる!!!!

 

 

 

 

本の雑誌4月号はスポーツ本の特集が組まれていて、なかなか面白かったです。