コロナを書く。 | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。


この記事で思わぬいいものを買ったと喜んだ『オール讀物』2月号掲載の短編をいくつか読み、

 

ああ、いよいよコロナが小説に出てくるのか。

 

と意味不明な感慨にふけった。

(もっと以前から書かれていただろうが、単行本派のあもちゃん、活字で読むのは多分初めてだったから。)

 

コロナ騒動が起きて1年が経ち、そして10年前の今日、あの3.11。

思えば前回の直木賞受賞作の『少年と犬』では3.11のことが書かれていた。

 

 

 

くろちゃんこと黒川博行氏の疫病神シリーズでは「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」(通称:暴対法)の施行により、登場人物の1人である桑原(暴力団員)の行動がシリーズ開始時と比べてだいぶ制限されているし、小説はその時代を映す鏡なのだと改めて思う。

(時代小説&歴史小説ならその時流に翻弄されることなく書けるのでは?!と思うが、これはこれでまた違う問題もあり・・という話はまた後日。)

 

ざっと読んだ中でコロナの事が書かれていたのが

 

窪美澄「真夜中のアボカド」

芦沢央「投了図」

 

でありました。

 

いずれも直木賞候補作でお会いした方でありますが(窪美澄さんはそれ以前に読んでいるが)、窪美澄さんの受賞は近い。そう強く思いました。

この作品で獲るかどうかはともかく、ますます筆力を磨いていて魅力的。

早くまた直木賞候補作で会いたいなあ。

マスク越しにたどたどしくキスをする表現なんてなんかいいなあ・・と思う。

(ときめくシーンでもあるのだが、無邪気にときめく雰囲気でもない、不穏感も漂わせるあたりがうまい)

この作品で窪美澄さんは既婚男性に嘘つかれて付き合う独身女性を描いていて、しかもそれだけじゃなくて、それがまた相変わらず上手だなあ、と感心するのであります。

窪美澄さんにはずっとずっと男女の恋模様を書いていってほしい。ずっと読んでいたい。

 

一方の芦沢央さんは今回の第164回の直木賞候補であり、「コロナ」と「将棋」をテーマに書いていたが(「将棋」は「オール讀物2月号」の特集)、こちらはまだまだもう少し、といった感じ。

候補作を読んだ際はあともう一歩二歩、という感想を書いたがその印象はそのまま、さらに言うと候補作では芦沢さんならではの世界観みたいなものがあり、匿名であっても読んだら芦沢さんの作品だとわかる!!とまで思ったのだが、今回はそのオリジナル感がなくなっていて残念であった。

コロナと将棋、で縛りがありすぎたのかもしれん。

コロナが書かれているから最近の小説と分かるのだが、コロナがなかったらいつの作品?と思ったかもしれん、って感じの手垢まみれ感が・・・。

これが高村薫氏のいう「令和小説は再生産の時代」とか思いました。

 →参考記事「たたかい終えて(第164回直木賞)。

 

 

今回は雑誌で読んだが、これからいよいよコロナを書いた小説が単行本で登場してくるのだなあ。

もう登場してるのかもしれんけど。←おばちゃん、いろいろと遅いもんで笑

 

 

そして雑誌のだいぶ後半、満を持して恩田陸御大の短編(というか掌編といってもいい小ささ)のご登場であります。(コロナは関係ない作品)

 

恩田陸「風を除ける」

 

うーん、やっぱりベテランの書く短編はすごい。

言葉を失うとはこのことですわな。

上記お二方とは格が違うと言うか、ちょっとしたミステリーを忍ばせた作品であるのだが、背筋の寒さといい、冒頭の書き出しといい、王者の風格すら漂う。

 

どれだけ書けばここのレベルまで到達できるのか。

しをんちゃん(三浦しをん氏)が

マナーはいらない 小説の書きかた講座

で、とにかく書いて書いて書く、と言っていたが、恩田さんもそれはもうすごい量を書いたんだろうなあ・・・。

量だけでこのレベルになれるとも思えないが、それでもたくさん書いてきたのは間違いない。

 

追いつけ、追い越せ、私もどんどん読んでいくぞ!←書くんじゃないんかーい笑

 

 

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