昔の日々 | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

平成26年6月14日(土)、『昔の日々』(in 日生劇場)を観に行く。

私の好きな女優、
麻実れいさん(→参考記事『おそるべき親たち』『かもめ』)、
若村麻由美さん(→参考記事『鉈切り丸』)、
が出る作品である。

しかもしかも、
デヴィット・ルヴォー(→参考記事『人形の家』)
が演出をするというではないか。

(はー、どうでもいいけど、そろそろ役者別とか演出家別で索引を作ったほうがいいかも。
 星ほどある演劇記事の中から(←うそ!大げさ!まぎらわしい!)、
 記憶に頼って該当記事を探すのが大変になってきた・・・でもめんどくさ・・)

上記作品、いずれもすんばらしかった~。
あもちゃん、度肝を抜かれたもん。
そんな彼らが一堂に会すとあらば、ぜひこのあもちゃんのくりくりお目目で見てみたい。

私「よーし、うきうきわくわく、張り切って行っちゃお!れっつらごー!」
夫「ごー!!!」

おい、なぜ、そこにいる。

夫「あもちゃんが観に行くなら、一緒に麻実れいとか観に行くぞい!」
私「えーーーーーーー。」←心の底から嫌がる声。

というわけで、梅雨の晴れ間の土曜日、日比谷まで出かけてきたのであった。



私「はい、ちーずー」
夫「うまく撮れたよ!!4人目の役者みたい!!!」←妻褒め選手権12連覇中。
私「逆側に立てばもっと一体感があってよかったかもー」←お世辞を真に受ける人。

開演時間が迫ってきた。
4人目の俳優あもちゃん、着席です。

◇◆



言葉の洪水に飲み込まれ、記憶の森で迷子。

【作】 ハロルド・ピンター
【演出】デヴィッド・ルヴォー
【キャスト】ディーリィ:堀部圭亮
      ケイト:若村麻由美
      アンナ:麻実れい

(あらすじ)※プログラムより
ディーリィとケイト夫婦は、静かな海辺の片田舎に暮らしている。
そこへケイトの旧友アンナが訪ねてくることになった。
20年ぶりに会うアンナのことをケイトは「唯一の友達」だと夫に説明するが、
久々の再会にもかかわらず心躍らせる様子もなく、過去のことは思いだせないとも言う。
ディーリィには妻の胸の内が汲み取れない。
どうやらケイトとアンナは若い頃にルームメイトだったようだ。
2人の前に現れたアンナは、
大都会ロンドンでケイトと過ごした娘時代の日々のことを饒舌に語る。
その話を聞くうち、ディーリィもケイトと出会った頃の記憶を呼び覚まされ、
結婚に至った道のりを話し出す。
それぞれの記憶はケイトというひとつの「点」で結ばれたかのようにも思えたが、
たわいもない思い出話から、やがて思いがけない過去の情景が浮かび上がってくる。
出会ったはずのないディーリィとアンナには接点があったのか。
あいまいな記憶の中をただようケイト。
果たしてそこに「真実」の姿は見えるのだろうかー。

◇◆

最初から最後まで、ものすごい言葉の量と官能的な世界に圧倒された。
内容は難し過ぎて、よくわからなかったんですがね・・・トホホ。
それはともかく、もう、とにかく女優さんたちが美しかった。
なにせ前から2列目で中央ど真ん中というものすごい席だったため、
みなさんを舐めるように見ることができたのだ。

特に若村麻由美がすごかった。
とにかく美しい・・。
これが本当に50歳近い人の姿なのか!?
世の中には40代でもおばあちゃんみたいな人がいるのに、
まるで少女のような肌、そしてオーラ、そしてかわいらしい声や仕草。
テレビで見るよりかーなーり!美しかった。

作品前半は、そんな若村麻由美演じる純真無垢なかわいいケイトを、
旧友アンナと夫ディーリィが互いを意識しながら、取り合う感じですすんでいく。
私のほうが彼女のことを昔からよく知ってるのよ。
いやいや僕は亭主ですからね、彼女のことはよく知ってるんだ。
ケイトの幸せを一番に思いながら、そのケイトを取り合う2人。
しかしそのやりとりにどこか言いようのない違和感がついてまわる。
観客は、ふわふわとしたあまりの実体のなさに、何か変だと思いながらずるずると見続ける。
物語は進めど進めど、全く観客の疑問は晴れることはなく、
むしろどんどん深い霧に包まれた森の中をさまよっていく。
その間も大量の言葉が津波のように押し寄せ、観客の魂を海の底へ引きずりこんでいくのだ。

3人の登場人物がそれぞれ過去について語っていくのだが、
その語られた記憶には少しずつズレや違いがあり、
何が何だかわからず、深い霧の中を手探り状態のまま、
私たち観客はラストまで役者の声がする方向にひたすら歩いて行くのだ。

旧友アンナが語る、忘れていた過去のケイトの姿。
よびさまされるケイトの曖昧な記憶と、夫ディーリィの“ある記憶”
覚醒と忘却、過去そして現在、実在するのかしないのか。
・・・交差する3つの記憶の中で、真実はいずれも霧の中。

そんな不思議な記憶の交差から、時々薫ってくる死の匂い。
この人たちはもしかしたら死んでいるのだろうか。
死者の語らい?
それとも誰かは生きているの?
死者と生者の交差?
何が何だかさっぱりわからん。
ただ、ただ、美しかった。
何がなんだかさっぱりわからなかったが、ただ一つわかったのは、役者は美しいということ。

めちゃくちゃきれいでした。
言葉を発する唇一つとっても、官能的で美しい。
手をあげる所作も、涙を流す演技も、一人の女性を男女でとりあう姿も、何もかもが美しく、
自然と頭で考えることをやめてしまう。
頭で考えても、難しくてわからないんだもん。
この舞台上から発せられる美しさだけを、身体と心で受け止めるのが正しい(?)鑑賞なのだ。
きっと。うむうむ。

こちらの作品、原作者である故ハロルド・ピンターが、
在りし日に、是非ルヴォーに演出して欲しいと、直接ルヴォー本人に話していたという
ゆかりのある作品だそうである。
なかなか手応えのある、いやいや、ない?作品をまかされちゃったねえ。

そして、この作品、おそらく役者は楽しくやってると思いますでー。
あの役者全員から発せられる、ほとばしるエネルギーがすごい。
一方の観客は置いてきぼり感がハンパないが。
それは作品終了後のまばらだった拍手でよくわかる。

全員が
「えーっと・・・結局どういうことだったんだろう・・・?」
と理解は霧の中、心は海の底に沈んだまま、ぼんやりしながらパチパチパチ・・・

アンコールが出ることもなく(皆が茫然自失(笑))、
ぼんやりした表情のまま、日生劇場を去って行く私たちなのであった。。。

◇◆



近くのイタリアンでレモンチェッロを軽く一杯ひっかける。

夫「何が何だかさっぱりわかんなかったけど、若村麻由美のかわいさに驚いた。」
私「かわいかったよねえ。」
夫「女優ってやっぱりきれいなんだなあ」
私「ああ、ずっといやらしい目で見てたもんね。きもーい。」

ま、嘘ですが。隣に座ってた男の視線なんぞ全く興味なし。

夫「妙なこと大きな声で言うな!!!誤解される!!!」

私「でも、そんなかわいい若村麻由美と私、唯一共通点があったよ!」
夫「・・・・」←また始まった、的な。
私「足首がサリーちゃん。ってとこ。そこだけは同じー。」



サリーちゃんを知らない若い世代のお嬢さんたちのために、
念のため、サリーちゃんの画像です。

足首を刮目せよ!!!
足首のくびれ、ゼ~ロ~。



私「それ以外は全く共通点はありませんな!きりっ!!!」

きっと若村麻由美さんは、足首はサリーちゃんでも、
こうして大口開けてもしゃもしゃ食べたりもしないのでありましょう。

作品の意味がちーっともわからなかったし、
そもそも意味なんてないのかもしれないし、
人間の記憶なんて案外こんなもんかもしれないし、
死後の世界が案内こういうもんなのかもしれないし、
登場人物が同じ空間にいなかったのかもしれないし、
全てが全て、真相は薮の中なのだが、
それでもルヴォー氏の演出は今後も見て行きたいという欲求にかられた。
そんな作品なのでありました。