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森に眠る魚/角田 光代



この5人の愚かな関係性を馬鹿にすることは誰もできない。

彼女らの狂気は常に万人の心に宿る。



年末帰省中の新幹線で読んだ作品なのだが、

これを今年のベスト3に入れてもいいかもしれない、と思える作品であった。

(そういや年末に2008年のベスト・ワーストを選んでないなあ・・・)



特にあの不平等すぎる結末なんて、完璧じゃなかろうか。

本当に私は気に入った。



あらすじを少々・・・(ネタバレします。)


東京の文教地区の町で出会った5人の母親。

5人それぞれが、経済的・教育的環境が違うものの、

育児、そしてお受験、という共通した悩みを通じ、

次第に心を許しあう関係になっていた。

しかし、その良好な関係は、いつしか変容していく。ゆっくりと、そして確実に。

何が原因だったのかわからない。

そもそも出会ったことが原因だったのかもしれない。

変わっていく関係に歯止めをかけることも出来なければ、

変わっていく自分に歯止めをかけることもできない。

そんな自分にも気づかない。

そして5人はそれぞれの結末を迎えることとなる。




この作品は「育児・お受験」をテーマに据え、

5人の母親同士がひそかに心に隠し持つコンプレックス

(例:子供の優劣・夫の経済的優劣・自分の優劣)をうまくあぶりだしている。


お金持ちの母親や標準的家庭の母親、そしてちょっとヤンキー崩れの母親が登場し、

5人が出会った当初は、

お互いの違いをおもしろがり、個性を大切にし、出会えた奇跡を幸運にさえ思い、

5人の仲を温めていこうとする。

それは本当にほほえましく、温かで、春の河原のようなナチュラルさなのである。


それが1mmにも満たないような異物(それは異物とさえ感じられない)が

5人の間にいつの間にか入り込み、

5人は自分たちの中に異物が入り込まれたことにすら気づかないまま、

ゆっくりとゆっくりと着実に亀裂が入っていくのである。


この亀裂の入り方に、私はため息しか出てこなかった。

うますぎる。

漆黒の闇を書かせたら、この人の右に出る者はいないんじゃなかろうか。

角田光代は作家という職人である。


読むのがつらかった。

でも私は本を閉じることはなかった。

休ませないのだ、角田光代という人は。

とにかく前へ前へ。



1度入った亀裂は二度と修復することはできない。

同じ台詞でも、

良好な関係のときには、アドバイスとして聞けるが、

関係が悪化してしまった今となっては、ただのやっかみとしか聞こえない。

そんな経験、誰しもあるだろう。

そういう小さな出来事が雪だるま式に大きくなり、怒濤のラストを遂げるのだ。



この5人が織りあげる世界はまるで私たちが小さい頃やった遊びのようである。

5人の視点がクルクルとめまぐるしく変わり、

それはあたかもかごめかごめをしながらスピードをあげていく少女たちのように感じるのである。

(子供の笑い声は、明るくも聞こえるが、

視点を変えると(たとえばこわいシーンなど)、恐怖に感じることがあるだろう。)



鬼(ストーリー)を囲んで、5人の少女たち(母親たち)が手をつなぎ、

グルグル楽しく歌いながら、回っているのだが、

いつしかその歌は狂気となり、回転するスピードはグングン増していく。


そのスピードに振り落とされまいとする少女、

手を離したくても怖くて離せない少女、

そのスピードにすら気づかないうちに自分でスピードを挙げている少女・・


5人それぞれ感じることは違うが、共通しているのはただ一つ。


「おそろしいほどの視野狭窄」


そもそもこのゲーム(人生)は、鬼という現実と対峙して成立するものである。

なのに、彼女たちには、自分たちの子供と手をつなぐ仲間だけしか見えていないのである。


そこでこの本の帯に書かれていたあの言葉が不気味に響く・・・


「あの人たちと離れればいい。

なぜ私を置いてゆくの。

そうだ、終わらせなきゃ。

心の声は幾重にもせめぎあい、壊れた日々の亀裂へと追いつめられてゆく。」



かごめかごめの手を離して、

一歩離れるだけで違う世界が見えるはずなのに

皆、必死にその手を離すまいとするのである。

そしてとうとう5人の手が離れたとき、5人の未来にはどんな世界が待っているのか。


さて。

文教地区、お受験、ママ友・・・

だれもが思うのは、あの音羽で起きたお受験殺人事件である。

※「 文京区幼女殺人事件(通称:音羽・お受験殺人事件) 」(Wikiより)



そしておもしろいのは、

この作品の後半部分にこの事件がぼんやりと数ページにわたって描かれていること。

それはあまりにぼんやりとしていて、幻のように書かれていて、

例のお受験殺人事件のことではないかもしれない。

この作品に出てくる5人のうちの誰かのことかもしれない、と思わせもする。

主語は「彼女」であり、その彼女は幻につつまれながら、

ママ友である「誰か」の子供の首をゆっくりとしめていくシーンは圧巻である。

(そのシーンは寺の境内のトイレで首をしめている描写であることから、

ここで初めてこの「彼女」が「音羽殺人事件の山田光子」であることがほぼ断言できる。)



私が気に入った不平等な結末というのは・・・


身の丈にあった生活を選択した人が幸福になっている


ということである。



お金持ちでちょっと「ん?」と思われる母親や

ヤンキーでちょっと「ん?」と思われる母親など

読者に好感を持たれにくい人物でも,身の丈にあった生活を選んだ母親は

最終的には他人を気にせず、自分を自分として見ることができ,その結果,

ひとすじの光が差してくるような未来が描かれているのである。

そう、かごめかごめの手を自ら離して、現実という鬼を直視し、

自分の足で立とうとしたのである。


一方,わりと標準的な家庭で、

少し神経質で、くよくよしがちな性格だが、それを頑張って克服しようとしている母親の未来は

ワンランク上(経済的に)の受験に子供が成功し、名誉は得たものの,

この先の生活(経済的に)をどうすればいいの・・・

とへたりこみそうな現実で終わる。

それは、かごめかごめの手を振り放されてしまい、立ちすくんでいる少女のようである。


そして精神的に少し病んでしまった(もともとそういう素養があった)母親は

第一子も少し病み、受験にも失敗するが、とうとう念願の第二子を妊娠し、喜びにひたる。

その喜びは明るいものではなく、

ここでも背景に子供の童歌の声(コワイバージョン)が聞こえそうな描写なのである。


その母親に宿る赤ちゃんは、

深い深い森の奧の

暗い暗い池にひそやかに眠る魚、なのであろうか。