A MAN IN SUSTAINABLE SOCIETY -16ページ目

ブルーマングループ

昨年末くらいからいつ行くか伺っていたのですが、
前売券は、少なくとも土日だと結構取れなかったので、
当日券狙いで本日行ってきました。
ブルーマングループ。

顔を青く塗った3人組の男が、無言でやる色んな芸で、
アート×ミュージック×コメディなステージを見せてくれる、
新感覚なショーとでも言うんでしょうか。
どういうジャンルに入るのかよく分からないので、
理解するには、見に行くのが手っ取り早いかと思います。

様々な仕掛けが用意されていて、
観客参加型のステージでありました。
単純にとっても面白かった。


と同時に、
複雑化する現代の情報社会を皮肉っているかのような一幕もあり、
楽しみつつも、考えさせられるショーでもありました。

「自分はさながら光ケーブルに繋がれたネット社会の飼い犬か」
なんて言葉が頭に浮かんだり。


自分はこれまで、
こういう風に、言葉以外で伝えたいメッセージを伝えた経験がないので、
メッセージ性をもったものを提供できる才能というか、
提供するために彼らがやってきたであろう努力というか、
そういったものは、本当に尊敬に値するなと。


人によって感じ方は違うと思いますが、
みんなにオススメできる素晴らしい舞台でした。
楽しいショーをありがとう!

独立性って言ったってねぇ

我々の職業では、
クライアントからの独立性を強く求められます。
受験勉強で監査論の1テーマとして勉強もしましたし、
研修で何度も強調して言われました。

まだ業務に入る前のイメージでは、
「クライアントの株主だったり、
あるいは従業員が親族にいたりすると、
どうしてもそのクライアントの利益を考えてしまうから、
独立性は当然保たなきゃダメだろ」
くらいの感じでした。

しかし、実際に入ってみると、かなり違いますね。
我々が独立性を保つ上で一番キツいのは、
毎日クライアントの所に行くという事実です。
この基本的で当然のことが一番キツい。

監査人と被監査会社という立場ではあれど、
所詮それは人と人との関係であって、
どうしても感情が芽生えてしまいます。

今自分が行っているクライアントさんの経理の方々は、
本当に優しい方々で、
資料を依頼すると、常に早めに対応してくれるんですよね。
なので、本当にありがたい反面、
余計に自分が保つべき独立性に影が差しそうになります。


結局、公務員としてやろうが、民間人としてやろうが、
この気持ちの葛藤という部分は変わらない訳で、
この問題に関して言えば、
監査人がクライアント自身から金を貰っている構造が悪いという批判は、
全く当たらないような気がします。
誰から金貰っていても、人間としての感情は変わらない訳ですし。


最終的な解決策としては、
会計人としての実力を高めていくことしかないのかなと思います。
監査は確かに投資家のためという意味合いが強いけれど、
会社の行為の適正性をも見ていくことになるので、
会社にとって良い試金石になるだろうし、会社にとっても有用になりうる。

しかし、それも良い監査があってこその話で、
時間と手間ばかりかけさせられて、
内部統制とかの助言を全く貰えなかったってなると、
会社にとって有用ではないし。

クライアント自身にとっての監査の価値を堂々と言えて、
その価値というものを自らの行動で示せる、
そういう会計人を目指して頑張っていくことこそが、
独立性を保つために一番必要なことなのかなと思っています。

日々、研鑽を積み重ねていきます。

貧困の克服

貧困の克服―アジア発展の鍵は何か (集英社新書)/アマルティア セン
¥672
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アマルティア・セン氏はインドの経済学者なんですが、
同時に哲学者的側面もあり、
両学問の橋渡しを行った方とされています。

今回の本は講演論文集みたいなものです。
これを読んで、
彼の最も根本的主張である、
「基本的潜在能力の平等」にとても共感しました。


そもそも、潜在能力とは、
「人が善い生活や善い人生を生きるために
どのような状態にありたいのか、
そしてどのような行動をとりたいのか
を結びつけることから生じる機能の集合」
と彼は言います。

…って意味分からなくないですか?
彼の言葉が難解なのか、それとも訳者が悪いのか、
はたまた自分の頭が悪いのか(この可能性が最も高い。。)、
よく分からないですが、
とにかく自分には理解できませんでした。

ただ、彼が言いたいことは何となくつかめました。
まあ、「何となく」しかつかんでいないのに、
こういう公共の場で堂々と「共感しました!」なんて
嬉々として書く馬鹿は自分以外にそうそういないと思いますが。


話が逸れすぎたので元に戻すと、潜在能力ですね。
まあ一般的に言うポテンシャルみたいな意味合いではなく、
本来なら有するべき機能・チャンスみたいなイメージでしょうか。

例えば、大金を貰ったとします。
日本にいれば、液晶テレビ買ったり、株に投資したり、美味しいもの食べたり、
色々なことができます。
しかし、本当に貧しいと言われる国々にいた場合、
大金を貰って何するか?と言われても、
買うものがなかったり、
そもそも、金というものが通用しない文化である可能性すらあるわけです。
はたまた、貰ってもすぐに国に全てもっていかれる国だってあるかもしれない。

こういう状況において、
ただ募金とか寄付とかして金をばら撒くこと、つまり財の平等を図ることで、
状況は抜本的に良くなるのでしょうか?ならなくないですか?
というのが筆者の主張だと私は捉えています。


人によって幸せの概念は違うので、一概に言うことはできないですが、
幸せになれるだけの素材があっても、
そもそも幸せになれる仕組み・環境がなければ、
その素材を活かすことができない。
一方で素材を与えている側は、与えたことに満足してしまうから余計に質が悪い。


やっぱり、世の中を変えられるのは、
物自体ではなく、様々なものから成り立つ仕組みなんですよね。
広い視点から、社会的に有用な「仕組み」を作れるくらいの人間になりたいと改めて思います。