本日は旧暦の2月21日ですが、寛政十二年二月二十一日(1800年3月16日)光格天皇の第六皇子として恵仁(あやひと)親王が誕生されました。後の仁孝天皇、幕末の天皇として有名な孝明天皇の父君です。

 

 

令和の御代替わりが決まってから注目されるようになってきた光格天皇が譲位されたのが仁考天皇でした。令和の御代替わりがある前は、最後の譲位で即位された天皇でした。光格天皇と孝明天皇の間にいらっしゃって目立ちませんが、仁考天皇は御在位が二十九年と一定期間あり、また幕末に繋がる数々の事件は実は仁考天皇の時代に起きていることが多くあり、仁考天皇の時代は既に幕末に向かう激動の時代に突入しているといっても過言ではない、そんな時代の天皇です。


シーボルト事件、大塩平八郎の乱、清でのアヘン戦争等、みなこの期間に起きたことです。そして、孝明天皇をはじめ幕末の志士達の多くが誕生したのは仁孝天皇の時代でした。

 

幕末の激動の時代に16歳という年齢で父帝の崩御により即位された孝明天皇が、わずか20年の御在位であのような存在感を出せたというのは、やはりその前の仁考天皇が光格天皇の御意思を継がれて朝儀復興に尽力され、また皇族や公家の子弟のための教育機関を設置するよう働いたことも大きいかと思います。


明治天皇についての本が多くありますが、そこには必ず明治天皇が孝明天皇からいかに和歌の手ほどきを受けたかが書かれています。奇しくも明治天皇も16歳で父帝の崩御により即位されましたが、その教育をされた孝明天皇の描写から、仁考天皇の教育も見えてくるといつも思うのです。


教育やしつけが重要である事はいつの時代も変わりません。だからこそ子供のために、親や国を良くしようとする人は教育をしっかりさせようとしますし、国を破壊したい人は教育機関を破壊し教育者を攻撃します。歴史的にもそうしたことが行われてきました。カンボジアでは教育を受けた人達が虐殺されたのは有名です。その昔植民地が世界中にあった時、植民地の原住民達が教育をされることはありませんでした。教育により人々が賢くなって独立されては困るからです。


併合政策等を行った我が国が、朝鮮や台湾またパラオなどで教育機関を整え教育を行い、自立自営を教えたのと、人々の教育を奪った植民地とは大きな違いがあります。


そして教育が重要だからこそ、危うくしようとするそれが顕著に表れたのが、終戦後の日本で行われたウォーギルドインフォメーションプログラムでのGHQの政策です。我が国では今でも教育をちゃんとしようとすると、それが全うできない、あるいは教育機関に変な輩が入り込み、教科書が子供達の自尊心を奪ったり誇りを失うような記述が多いような異様な状態となっていることからも現在の日本の状況がわかりやすいかと思います。

 

 

仁考天皇が計画され、孝明天皇時代に設置され講義が始まった学問所は「学習院」との名前が下賜されました。現在ある学習院大学は一貫教育を行う機関として日本では知られていますが、これは明治天皇が東京に遷られた後開設された学問所に、京都時代から継承して同じ名前をつけられたところから始まったものです。


この学問所には、光格天皇の御意思を継続された仁考天皇、そしてそれを実行された孝明天皇、そしてそれを引き継がれた明治天皇の教育への想いが込められているのです。


そして仁考天皇の皇孫であられる明治天皇が、国民のために下賜されたのが教育勅語です。全て繋がっています。

 

明治天皇は、急激な世の中の変化による人々の心の荒廃に心を痛め、それを少しでも修正できるような教育ができないかと指示して生まれたのが教育勅語です。また同時期に、幕末に藩や町の立て直しをして、その教えを大勢の人が請われたことで有名になった二宮尊徳の教えから修身教育が生まれていきます。教育勅語を基本に、修身教育を何度も修正して完成形となってきたのは大正時代の頃といいます。その時代に育った人達が、先の大戦では闘い、また戦後復興の中心となっていきました。

 

ベンジャミン・ハーディ著書『FULL POWER』には、教育環境が子供の将来に与える影響についても書かれています。つまり教育がきちんと受けられる環境で育つ子供と、そうでない子どもの未来は大きく違ってくるということです。そして、これこそ上記植民地政策を行われた国やウオーギルドインフォメーションプログラムが実証してきたことです。

 

 

 

学習院も最近の教育環境は良くないと聞いています。幕末の御歴代の天皇の御意思によってできた教育機関がどうしてしまったんだ?とは思いますが、そういう学校だからこそ、変な人達に狙われ入り込まれているとしか思えません。しかしそれでも安全面では、他の学校よりも保障されているかと思います。敬宮内親王殿下が先日卒業されましたが、これからも悪い影響が少しでもないように本来の学習院らしい教育が受けられることを祈っております。

 

思考を形作り物事を知るためのツールでもある国語と自己認識を確定させ現在と未来への展望を予測させる歴史が学びの基本であり、これは古今東西変わることのない普遍的なものです。しかし、だからこそその国を滅ぼそうとする時まず狙われるのが、国語教育と歴史教育です。我が国は、国語教育と歴史教育の破壊が相当進んでいます。わかりやすい例の第一が、「我が国」を「この国」ということや、天皇陛下の後に出てくるのは皇后陛下であるはずなのに、皇后さまというようなアンバランスでも平気になってしまっている国語感覚です。そして第二は、我国のことを恥ずかしいというような自虐史観です。自国に誇りを持てないことは悲劇ですし、それが間違った認識であったならなおさらです。我が国の歴史は探求してみれば「玉手箱」のように素晴らしい話が出てきます。もし自虐史観で我が国のことが嫌いだというのなら、あるいはこの歴史って本当なの?と疑問があるのなら、自ら探求していくべきではないかと思います。しかしそんな中、探求教育が義務教育で始められているのは救いでもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

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