本日は春分の日、お彼岸の中日です。

 

お彼岸の中日である春分の日と秋分の日は、日付で決まっているわけではなくお彼岸の時期も日付で確定しているわけではありません。春分の日・秋分の日とも太陽が春分点・秋分点に達した日の事をいい、太陽はこの日赤道上にあって真東から登り真西に沈みます。そしてこの日は 国立天文台が歴象年表によって決めています。春分の日・秋分の日を真ん中(中日)に前後3日間、計7日間がお彼岸となります。

 

 

「日本後紀」の記録によると桓武天皇の遺言に、崇道天皇のために諸国の国分寺僧に、春と秋の二回、七日間にわたって金剛般若経を読ませることがありました。

崇道天皇とは桓武天皇の同母弟の早良親王で皇太子でした。しかし桓武天皇の子に皇位を継がせるためか無実と思われる罪で廃太子となり流刑となる途上で亡くなっています。その後早良親王の怨霊によると思われる怪異や不幸が続いたため、早良親王は追号され崇道天皇となっていたのです。

 

 

桓武天皇は延歴二十五年(806年)年三月十七日に崩御されましたが、遺言通り翌日から七日間諸国の国分寺で怨霊を慰める読経の声が上がりました。そしてこの法要が彼岸の起源であるという説があります。崇道天皇の法要が契機になり、春分の日と秋分の日を中日に各七日間、先立った人々に思いを巡らせるという趣旨に変化し彼岸会として定着し継承されたというのです。

 

一方で日本では元々祖先を敬い祀る習慣があったので仏教的なお彼岸会も定着したともいいます。その仏教は元々は輪廻転生の考え方でしたが、日本に渡ってきて祖先崇拝と結びついて日本風仏教に変わって定着していきました。

 

先祖代々のお墓があるような方は、お墓参りの際に自身のお名前に感謝するといいかもしれません。

 

 

 

いずれにしましても日本の伝統・しきたりとなったものは古来からのものと宮中のしきたりが結びついているものばかりということが知れば知るほど理解できるようになります。宮中と民間の融合がよく表れているしきたりの一つがお彼岸なのです。

 

戦後制定された「国民の祝日に関する法律」には、春分の日…自然をたたえ、生物をいつくしむ。秋分の日…祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ。と定めていますが、本来は両方とも祖先を敬い、亡くなった人を偲んできた日なのです。


そして宮中祭祀では、春分の日と秋分の日には、春季と秋季の皇霊祭と神殿祭という大祭が行われています。大祭は天皇陛下自ら行うお祭りです。本日は天皇陛下が春季皇霊祭をなさる日です。

 

神武天皇と先帝、その前三代の天皇、先后を除くすべての天皇・皇族を一緒に祀るのが皇霊祭です。八神と八百万の神様をお祭りするのが神殿祭です。


ご先祖様があって、今の自分がいます。日本人は古来から祖先を敬いお彼岸やお盆にお墓参りをし、また神様としてご先祖を祀ってきました。氏神神社とはもともとはご先祖様であったといいます。だからこそ氏神社である神社が全国にあるわけです。そして、そううしたことをきちんと守ってお祭りを行ってきた代表が天皇陛下のなさるお祭りです。戦前はこうしたことがきちんと教えられていましたが、現在こうしたことを知っている人が少なくなっているかと思います。

 

 

 

 

 

このお彼岸期間中にお墓参りに行きたいものです。あるいはお墓参りに行けない場合でも遥拝、遠くからその方角に向かって祈るということもできます。

 

参照:「怨霊になった天皇」
「天皇の『まつりごと』」

 

 

神主さんの解説、春分の日、なぜ祝日なの?

 

 

お彼岸といえば「ぼたもち」。秋は萩の花の時期のため、「おはぎ」といいますが、実は春の場合も「ぼたもち」ではなく、「牡丹餅」が正しいようです。ただし、花の開花時期を調べてみたら3月をはずしているので、開花時期で「牡丹餅」と呼ばれたわけではないようです。牡丹は2回開花時期があり、春牡丹、冬牡丹といわれますが、2月3月には咲かないからです。この呼び名は、形状や餡の違いとする説もあり、丸い粒餡が「牡丹餅」で長細いこし餡を「おはぎ」とする見方もあるようです。ちなみに、ことわざには「ぼたもち」や「牡丹餅」を使ったものが30ほどあるそうですが、「おはぎ」を使ったことわざはないそうです。

 

 

 

 

 

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