子供の頃、西洋の本ばかり読んでいたので興味が湧いて通ったことがあるのが教会です。日曜学校に毎週通って、その時教会から聖書をもらったので聖書もちょっと読みました。その聖書ですが、途中から確か各章の始まりが御先祖様の名前をずらっと挙げてから始まるようになっていました。私はあまりにもその個所が長くて確か面倒くさくて飛ばして読んでいたと思います。

 

でも、自分が御先祖様に興味を持った時、これって凄いことなんだなあと思い出した覚えがあります。それがわかるのが天皇陛下の御先祖様です。現在の天皇陛下は126代目となられますので、天皇陛下以前に上皇陛下をはじめとする125代の天皇がいらっしゃいました。そうした名前を挙げた時、日本の凄さを感じるのと同時にこの御歴代の天皇に日本は見守られているのだ!と感じたのです。

 

そしてこれは誰にでも当てはまります。御先祖様がいない人は存在しないからです。

 

10代遡っただけで、御先祖様は2046人います。30代遡ると10億を越えます。125代遡ったらどうなるのか?

 

つまり私は、親をはじめとするたくさんのご先祖様の未来、たくさんのご先祖様の結晶ということです。

 

これって凄いことじゃないですか?

 

歴史をみればいろんな出来事が起きました。自然災害や疫病や戦争などもありましたが、そうしたことを乗り越えて、繋がれた命が今、自分自身となっている。しかも誕生前にはおよそ2億の精子が生き残りをかけて戦って赤ちゃんになるといいます。私は2億の精子の勝者として誕生しました。

 

これって凄い奇跡です。

 

つまり、私は奇跡の子として生まれてきたのです。

 

そうして生まれた私が初めてもらったプレゼントが名前です。

 

誰しもが名前がどうやって選ばれたか親などから聞いたことがあるかと思いますが、私も子供の頃聞いたことがあります。最初は別の名前を付けて、一晩その名前を呼んだそうですが、その字の意味が良くないと全く違う名前に変え、今の名前を選んだと聞いたことがあります。同音異字語の多い名前ですが、私は音も漢字も凄く気にっている名前です。

 

そしてこの命名は、親、あるいは祖父母が選んだ名前かもしれませんが、そこに御先祖様全ての命が籠ると言います。なぜなら、御先祖様全ての結晶に名前がついたわけですから、誰が命名したかは関係ないのです。

 

 

 

さて、以前上記ブログで書きましたが、私たちは名前の音感に影響され、それが性格などにも関わっているといいます。ところが、だんだん大人になってくると下の名前は呼ばれなくなってきます。大人は名字で呼び合うほうが多いからです。また、結婚して子供ができると、家庭内でもお父さん、お母さんなどと呼ばれる方が多くなっていきます。年を取れば、おじいちゃん、おばあちゃんです。

 

つまり個としての存在が薄くなってしまいます。

 

そんな時は、下の名前を呼んでもらうように変えていくと何かが変わるかもしれません。名前にはそれだけの力があるといいます。なぜなら、そこに御先祖様全てが宿っているからです。

 

もしかしたら、親との関係がうまくいっていないとか、出生に関して色々あるという場合があったとしても、それまでのご先祖様の存在に違いはないわけです。だとしたらその名前に宿る御先祖様の存在にも違いはありません。

 

だから、なにか危機に陥った時、励ましてもらいたいとき、あるいは元気が欲しいとき、なにか願いがあるときは、自分の名前を呪文、あるいは祝詞としてして唱えるのです。一回でもいいし、数回、あるいは何度でも気が済むまで。

 

呼んでもらうのは誰かに頼まないとできませんが、自分の名前を自分で言うのは自分がしたいと思えばいつだってできます。

 

名前を唱えたからといって、それですぐ何かが変わることはないでしょう。でも、きっと自分の名前を言うことで、だんだん落ち着けたり、不安が消えたり、希望が持てるようになっていくと思います。なぜなら、名前の中に過去のご先祖様全ての未来が込められているからです。あるいは、御先祖様の思い、希望が入っているからです。だって、私は御先祖様の結晶、今時点でのご先祖様の最新の未来なんですから。

 

ただ名前を言うだけで、私たちは自分が幸せになれるよう呪文をかけることができる。あるいは祝詞として予祝することもできるのです。なぜなら、全てのご先祖様が私の後ろにいるからです。

自分は何も信じていない、神様も仏様も関係ない!という人でも、自分が多くのご先祖様の結晶であることは信じられるでしょう。なぜなら、それは紛れもない事実だから。

だから、何か起きた時は騙されたと思って自分の名前を言ってみる、唱えてみるのです。

 

名前は下の名前だけでも、フルネームでもかまいません。なぜなら、下の名前だけだろうが、フルネームだろうが御先祖様の結晶であることに変わりはないからです。また、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、わかる名前全てを全部唱えてもいいです。つまり聖書が御先祖様の名前を全て唱えたようにわかる名前全てを唱えるのです。その名前の続く時間も大切だと思います。それだけ長く言えるということは、それだけのご先祖様に見守られていると強く感じられる時間だからです。

 

おじいちゃん、おばあちゃんの先のご先祖様の名前がわからなくても、その分自分の名前を唱えればいいのです。それが三代前、四代前のご先祖様です。一回でも全てのご先祖様が含まれますが、回数を増やせばより強く感じられるからです。

 

唱えているうちに、お父さんや、お母さん、おじいちゃんや、おばあちゃんの顔が浮かぶこともあるかもしれません。あるいは、無心に唱えて何も頭に浮かばないということもあるでしょう。それはその時の心境・状況で違うでしょうが、どんな感じでもいいから、やってみると、なにかが変わってくると思います。目に見えてはわからないとしても、です。

 

自分の名前は自分だけのもの、宝物です。その宝物をもっと活用しようじゃありませんか。

 

苦しい時、悲しい時、寂しい時、悔しい時、怒りがこみ上げる時、むなしい時、絶体絶命と思った時、どんな時でも名前は関係なく自分とともにあります。その自分の名前の音に励まされるということもあるはずです。だって名前は自分だけのものなんだから。

 

「言霊の幸(さき)わう国、言霊の扶(たす)くる国」という言葉が「万葉集」にあります。私たちは一音一音の言葉に言霊が宿る国に生まれたのです。

 

追加:21:30

これは私が、たまにやっている呪文であり、祝詞です。古神道や名前についていろいろ調べるようになってから、栃木の古い社で一日過ごしたときに閃いたものです。もしかしたら昔は名前が最強の呪として秘されていたことや、各国の昔話などにも名前が呪文であったりすることから、本来はこうだったのでは?と私の脳内でニューロンが結合して出た答えなのかもしれませんが、私の中では閃きと感じたのです。でも、現在わかっている科学と総合してもあながち間違いではないと思うのです。

 

色々考えるところがあって、今日はここに書くことにしました。これが私の呪文として励みになっているからです。

 

また、書き漏らしたましたが、寝る前に自分の名前に感謝して眠るのもお薦めです。つまり自分のご先祖様全てに今日一日を感謝して眠るのです。

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

言霊の籠る最強の和歌、君が代