昭和3年(1928年)11月10日は昭和天皇の即位の大礼があった日です。昭和天皇は今上陛下の御祖父、上皇陛下の御父にあらせられます。以下に当時の貴重な映像があります。

 

このような映像を拝見すると、私はこうした儀式を生で拝見できる時代に居合わせたことを幸せに感じます。まだ幼かったりしていたら、せっかくの令和の御代替わり儀式もわかりませんでした。それなのにこうした儀式を平成と2回も拝見することができました。その前の昭和天皇の御代はとても長かったため、平成の御代替わりの時はこうした儀式を目の当たりに出来る機会は久しぶりの事だったのです。そしてその前の時代は映像等が貴重な時代ですから、御代替わり行事を拝見することが出来るのはほんの一部の人達でした。私達はこうした行事を、映像で全て生で観ることが出来る幸運な時代に居合わせた最初の国民であり、これを伝えることが出来る最初の人達であるということを自覚したほうがいいかもしれません。

 

 

昭和天皇は即位の大礼の為11月6日、東京を出立され、11月7日に京都に入られました。上皇陛下の時は初めて東京で即位の大礼が行われましたが、昭和天皇までは京都で行われていました。上記はその模様が記録された貴重な映像です。(ただし解説にはところどころ悪意が感じられます。)即位の大礼には、各国の使節も参列されており昭和初期の皇室外交が垣間見れます。またこれを機に、ラジオの中継放送が始まりました。ラジオに聞き入る人々の様子や、映像に映る影の濃さから、この日が暑さが感じられるほどの晴天であったことがわかります。太陽王と言われた昭和天皇は、実は皇太子時代には雨の行事が多かったともいいますが、流石、即位の儀式は晴天だったんですね。

 

こちらは記録映画、ニュース映画として上映されたものではないかと思います。

昭和3年(1928年)11月に執り行われた昭和天皇即位大礼を収めた記録映画9.5mm版。古いフィルムのため一部見苦しい個所が含まれています、ご了承下さい。 

 

冒頭一分ほどは静止画で、文官と武官用の纓(えい)二種(垂纓と巻纓)、小直衣(このうし)、萬歳旗など大礼に使用される調度品・装束が紹介されていきます。 

 

11月6日、御所を出発し京都へと出発。神鏡を収めた御羽車、昭和天皇が乗車した6頭立ての馬車(「鳳輦」)、皇后の乗る4頭立ての馬車、皇族の乗る2頭立ての馬車…と続いていきます。

 

 東京駅を発つ御召列車が映し出されると、その後すぐに名古屋へ風景が切り変わります。名古屋離宮(名古屋城本丸)で一泊、翌7日に京都着。京都駅前広場から御所へと向かう長い行列と、それを歓迎する観衆の映像で一巻目が終了。

 

 後編では大嘗祭の一環として11月19日に執り行われた大饗の儀が紹介されています。その後伊勢神宮に行幸、さらに奈良の神武天皇陵、京都で孝明天皇陵、仁孝天皇陵、明治天皇陵への親謁の儀。11月25日に京都伏見桃山の明治天皇陵を訪れた天皇・皇后両陛下の姿で映像は幕を閉じました。翌日東京に戻り一連の儀式が終了します。

 

 

大正天皇の崩御は、大正15年12月25日、その日からただちに践祚され年号が昭和に変わりました。御大葬が昭和2年2月7日にあり新年の歌会始は服喪期間で行われず、昭和天皇初の歌会始が行われたのは昭和3年のことです。その時の歌のお題は「山色新」。

 

山山のいろはあらたにみゆれども

わがまつりごといかにかあるらむ

 

即位の覚悟が表れた御製となっています。

 

即位された時の昭和天皇は25歳、しかしその前に大正天皇の摂政としての時代がありました。摂生になられたのが大正10年の11月25日。歌会始の歌は前年に作られますから、大正12年の歌が摂生になられてから初めての歌ではないかといいます。

 

大正11年の歌会始のお題は「旭光照波」。

世のなかもかくあらまほしおだやかに

朝日にほへる大海の原

 

大正12年の歌会始のお題は「暁山雲」。

あかつきに駒をとどめて見わたせば

讃岐の富士に雲ぞかかれる

 

大正13年の歌会始のお題は「新年言志」。

あらたまの年をむかへていやますは

民をあはれむこころなりけり

 

この前年の大正12年9月1日に関東大震災が起きており、皇太子だった昭和天皇は視察をされましたので、その心情が表れた歌ともいわれています。この頃から摂生官としての御覚悟が歌にも表れたのだともいいます。

 

大正14年の歌会始のお題は「山色連天」。

立山の空に聳ゆるををしさに

ならへとぞ思ふみよのすがたも

 

大正15年の歌会始のお題は「河水清」。

広き野ながれゆけども最上川

海に入るまでにごらざりけり

 

天皇はその心情を語りませんし語っても強く言いません。それは他への影響を考えての事といいいますが、唯一その心情が表れるのが御製といいます。歴史の先から振り返っている私達には、この後の昭和の流れが見えていますが、20代の若者がこれからの御世を背負って行こうと覚悟されていらっしゃる姿に涙が出てきてしまいます。現在の日本があるのは、昭和天皇の御覚悟があってこそ。ただ感謝することしかできません。

 

昭和7年の歌会始のお題は「暁鶏聲(あかつきのけいせい)」

ゆめさめて我世をおもふあかつきに

長なきどりの聲(こえ)ぞきこゆる

 

この年には五一五事件が起きるなど不穏な情勢が続いていた時期ですが、御代の平安を祈られていたことがわかります。この後激動の時代になることはご存知の通りです。昭和天皇は記録が明確に残る時代になってからの天皇の中で一番御在位期間が長い天皇ですが、その間の御製も、その長い御代を物語っています。先日発売された『歴代天皇の御製集』では、基本2首掲載されている天皇が多い中、13首掲載されています。

 

 

昭和天皇がいつも気にかけていらっしゃったのは収穫のことですが、病床の時におかれてもお天気を心配されていたことが知られています。

 

収穫の後にはいつの時代も、御歴代の天皇の祈りの集大成の時、新嘗祭があります。

 

そして天皇が即位した後、一世一代の新嘗祭である大嘗祭が行われます。

 

昭和天皇の大嘗祭は、この即位礼の直後である13日に鎮魂の儀、翌14日~15日に大嘗祭が行われ、16日~17日大饗の儀が行われています。上記映画にもでてきましたように、大嘗祭そして大饗の儀まで京都で行われました。

 

昭和天皇はその後19日に伊勢に行幸され、さらに奈良の神武天皇陵、京都で孝明天皇陵、仁孝天皇陵、明治天皇陵への親謁の儀を行われてから、26日東京に還幸、27日に賢所・温明殿に還御の儀、30日に皇霊殿・神殿に親謁の儀をされてらっしゃいます。

 

令和の、天皇陛下の大嘗祭が行われたのは記憶に新しいところです。

 

 

今年ももうすぐ新嘗祭が行われます。(大嘗祭は新天皇一世一代限りの新嘗祭)

 

ありがたいことです。

 

昭和天皇については、知るほどにその有難さを強く感じられるお方でした。私は昭和生まれながら、全く昭和天皇について知らず、たまにテレビに出る特別な称号を持つおじいちゃんぐらいに思っていました。同時代に生きていながら本当に惜しいことをしたと感じています。それは、そういう風にGHQが教育させるよう仕向けたからでした。

 

だからこそ、今の若者たちにこそ、本当の天皇・皇室の姿を知ってほしいと思います。

 

現在、なにかというと天皇、皇室に対しての不必要な取り上げ方のニュースや本当なの?と疑問に思うような取り上げ方の記事が多くありますし、SNSでは眉唾物の書き込みが多くあります。別に私は天皇や皇室が完璧なものだと考えているわけではありませんが、それは我々一般人も同じです。むしろ、我々からすれば多くの義務が課せられ、多くの人に注視される中、日本と日本人のため、そしてその日本と大きく関わる世界のため日々祈られ、普段から努力されているお姿には感謝しかありません。しかし、そうした天皇と皇室が国民との紐帯を持つことを恐れる人達がいて、そうした紐帯を壊そうと虎視眈々とそうした機会を狙っている輩の活動が活発化しているのが現在の状況です。つまり皇室解体を目論んでいる輩です。

 

これに対抗できるのは、私達が皇室に対して知ることのみです。メディアは偏向報道や、報道しない自由ばかり駆使していますので、自ら探求し知ることのみと考えています。またSNS等も信頼にたる所が少ないことも意識する必要があります。動画やブログなど皇室を称えるかのようなタイトルで見てみると、実際は貶めているものがたくさんあります。何度も言いますが、天皇・皇室が完璧な存在であるというつもりは毛頭ありません。普通の人と変わらない家族であるということ、そうした人達が日本のため、日本人のため、そしてその日本に影響を与え合う世界のために日々祈りを捧げているということが尊く、有難さしかないと思うのです。そうしたことを考えれば、そのような方々をあげつらう気持ちにはならないと、普通の日本人なら考えるはずだと私は考えています。

 

このところ、ずっとSNSや週刊誌などの見出しなども酷いものが続いています。せっかくの皇室のニュースがあっても酷いものがその裏にあったりするのは見るに堪えません。また、安倍さん亡き後の政治の流れも異様に思えます。皇室を守ることが出来るのは、我々日本人だけであり、その日本人をお守りできるのも天皇だけであることを私たちは今一度きちんと知る必要があると、それを目に見えて体現されたの昭和天皇即位大礼のこの日に改めて考えさせられるのです。

 

 

 

 

 

 

本日は大政奉還を勅許し天皇に政権が復した日でもあります。このことにちなみ、戦前は天皇に関する行事が11月10日に実施されることが多く、昭和天皇の即位の大礼(昭和3年)も、皇紀2600年の式典(昭和15年)も同じ日になっているといいます。 

 

 

 

 

 

 

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