『時代を動かした天皇の言葉』は上皇陛下に始まり、昭和天皇、大正天皇、と時代を遡っていきます。そしてその最後は桃園天皇で終わっています。これは、歴史を観る上では直近の歴史を観ることが現在を知る上で重要であることから、理解しやすい構成です。なぜ桃園天皇が最後であったのかといえば、桃園天皇の時代に宝暦事件が起きているからです。宝暦事件とは、若き桃園天皇とその近習である公家衆が竹内式部から垂加神道の講義を受けたり、武芸稽古を行うのを中止させ、処分された事件をいいます。この垂加神道の学問の流れは、王政復古の流れ、つまり幕末へと向かうその始まりの事件です。

 

この宝暦事件の渦中、17歳の桃園天皇が関白の近衛内前(うちさき)に問いただしたのが「垂加流神道に関して近衛内前に質(たし)し給へる御沙汰書」で、宝暦八年六月十三日(1758年)のことでした。旧暦では本日は6月13日ですから、265年前の本日のことです。

※単純に旧暦にあてはめています。

 

その内容は垂加神道を学ぶことを摂家から止められた天皇が、心底納得できず、改めてその理由を尋ね、書面にて提出するよう求めたものです。そこには「神道というのは、わが皇室の太祖である瓊瓊杵尊と爾ら藤原氏の太祖の天児屋命とが、萬世のために心を合わせて、立ておかせられたわが国独自の大道であり、私はもちろんのこと、政治を行う人は必ず学ぶべき能き道だ」と書かれていました。

 

瓊瓊杵尊とは天照大神の孫で天孫降臨された皇室の祖です。この瓊瓊杵尊の三代後の神武天皇が初代天皇として即位され、萬世一系として皇統が連綿と続いて今に至っています。そしてその瓊瓊杵尊の天孫降臨に伴った天児屋命を太祖とするのが藤原氏であり、やはり子孫繁栄し五摂家を中心に数多くの家々が朝廷に仕え天皇を支えてきました。近衛家はその五摂家の一つです。そして桃園天皇が垂加神道を学ぶことを止めた勢力の中には藤原氏の者が大勢いたからこそ天皇は「私の祖先とお前たちの祖先が立ておかせられた神道こそ、わが国の大道として皆が学ぶべき良き道ではないか。なぜそれを止めるのか。」と詰問されたわけです。

 

天児屋命とは、日本神話の天岩戸の際に祝詞を読んだ神様で、大祓詞は別名「中臣祓詞」とも呼ばれる祝詞です。後に中臣鎌足が藤原の名を天皇から頂いた、藤原氏とはそれほど皇室と繋がりの深い家柄であるわけだからこその御言葉です。そしてこうした言葉が出てくるのは、天皇が日本書紀を学ばれていたからこそです。

 

垂加神道とは、江戸時代初期に山崎闇斎が唱えた神道説ですが、闇斎は元々朱子学を学び儒学者となりました。その後吉川惟足や伊勢の外宮神主渡会延佳の神道説を学び独自の神道説を確立していきます。それは儒学者の立場から君臣や父子の関係を重んじる大義名分論を基礎に置いたもので、そこに「日本書紀」や「中臣祓」から「道は則ち大日孁貴の道」と説きました。大日孁貴とは天照大神のことで、それがすなわち天皇の道であるということ、君臣の関係は不変で古来連綿と続いてきた道であると説いています。垂加とは惟足が山崎闇斎に送った号であり、つまり垂加神道とは山崎闇斎風神道というわけです。

 

桃園天皇が講義を受けた竹内式部は垂加神道を山崎闇斎の弟子である松岡仲良(ちゅうりょう)、若林強斎(きょうさい)、玉木葦斎(いさい)などから学び、自ら塾を開き公家衆をはじめ様々な人々にその説を講じました。その講義に用いられたのは「日本書紀」の他に、「保建大記」、「靖献遺言」だったといいます。

 

「保建大記」とは、保元より建久に至る三十年余りの時勢を論じ武家に政権が遷ってゆく事情を記したもので「王朝の古に復さんとするならば、その原点を修めなければならない」と説いたものです。保元とは、後白河天皇の御代で保元元年に起きたのが崇徳上皇と対立した保元の乱であり、武士台頭の時代の始まりでもありました。そして建久とは後鳥羽天皇の御代であり、この時代に鎌倉幕府が開かれ武家政権の時代となっていきます。

 

「靖献遺言」とは、志那の忠臣八人の行状を記したもので、立派な事績を残した八人の忠臣を選びその大義を明らかにして、君に忠臣を尽くすために遺した末期の言葉、つまり遺言をまとめたもので、後世に尊皇思想書として大きな影響を与えました。

 

「日本書紀」では、天皇統治の原点と皇統が萬世一系として発展を重ねてきた歴史を知ることができます。神代以来日本を知食(しろしめ)す天皇が最も貴い存在として浮かび上がってきます。

 

当時武家政権に頭を抑えられていた状況下でこうしたことを学ぶことは、桃園天皇を始め若い公家衆に誇りを取り戻させ歓びを感じさせ、より深く知りたいという魅力を感じたことが想像できます。

 

しかし朝廷の政治を担っていた摂家の人々はこれを警戒したのです。なぜかといえば、彼らは自らの出自よりも幕府に対する遠慮の方が大きかったからです。武家は朱子学を正学としていたため、幕府の在り方を否定し、朝幕関係をも否定する危険性をはらんでいたからです。

 

関白一条道香は京都所司代に竹内式部が公家へ講義することを禁止するよう提言し、京都所司代により朝廷への出入りを差し控えるように注意されています。こうした中で、それまで間接的に竹内式部から学ばれていた桃園天皇に直接御進講が実現したことにより若い公家たちの勢いが増しました。そこで関白近衛内前は御進講を中止させ、京都所司代に竹内式部の処分を依頼するとともに、一派の中心的人物であった天皇近習の正親町三条公積と徳大寺公城を永蟄居とし、関わった公家衆27名の処分も実行したのです。

 

こうした中、御沙汰書は摂家一列に示されたものだったのです。

 

この処分により、桃園天皇は幼少の頃からの側近を失い、摂家との対立が生じこれは桃園天皇が若くして崩御されるまで続くこととなります。

 

なお竹内式部は公家衆処分の二年後の宝暦九年に五畿内、関東八国、東海道筋、木曽路、甲斐、近江、丹波、越後、肥前の諸国から追放という処分が下されました。

 

この宝暦事件が起きた当初、幕府は相談もなく処置を行った朝廷に苦言を呈し、また竹内式部の処分も保留にしていたことから、この件に関して重大性を感じていなかったことがわかります。つまり、この事件は朝廷側の行き過ぎた幕府への忖度が引き起こした事件であったわけです。

 

しかしこれがゆっくりとした王政復古への道の流れであったことは歴史が語っています。

 

そして今改めてこの流れを観た時、なんと現代と似通ったことであることか。まさに歴史は繰り返します。

 

戦後、日本での学問は西洋目線が主流となりました。それは幕府ならぬGHQによる日本弱体化計画として、神道や天皇について学ぶ機会が奪われたことによります。そして、戦後70年を過ぎてもまだそこに忖度している人達に対し、歴史の学び直しが増え、日本神話教育の復活も起きています。長い不況が続く中、そのような歪な世の中にしたものを正すためには、まず日本を日本として学びなおす必要があるからでしょう。日本が日本として立ち直る時、そこには必ず日本を知る流れが生まれています。

 

それは私達が日本人であるからこそ生まれる自然な流れであるといえます。

 

平成二十四(2012年)年は古事記編纂1300年の年であり、その翌年は伊勢の式年遷宮と出雲の遷宮が重なるという珍しい年となり注目されました。令和二年(2020年)は日本書紀編纂1300年の年となっており、その間に神武天皇2600年祭もありましたし上皇陛下の譲位と天皇陛下の即位により、昭和から平成の御代替わりよりも皇室が注目されたように思います。これはネット普及により、多くの知識が得られるようになったことと、ビジュアルの影響も大きいと考えています。日本書紀編纂に関しては、思ったほどの注目はありませんでしたが、それでもこうした繰り返しの中で私のような全く興味を持っていなかった者が探求しようという風に興味を持った。そしてそういう人は少ないかもしれませんが今着実に増えていると感じています。

 

自分の国の歴史を知ること、神話を知ることは古今東西の人々が教えられてきたものです。それはそうすることが、生きる上で役に立つからであり、精神的にも強くなれることが分かっているからです。人は大なり小なり必ず挫折を味わい、また困難なことに立ち向かうことになります。そうした時、自分の歴史、家族の歴史、そして国の歴史を知る人のほうが強くなれるのです。日本が自殺大国と言われ久しい時間が経ちますが、それは我が国の歴史をきちんと教えなくなったことも要因にあると考えています。そこに捏造の歴史はいりませんし、幼いものに残虐な歴史もいりません。その年齢に見合ったきちんとした歴史を教えなくてはなりません。

 

そうした必要性を、江戸時代中期の若き天皇も訴えていたのです。神道を知るということは、わが国の歴史を知ることでもあるからです。

 

宝暦事件のさなかに桃園天皇が詠まれた御製

 

もろ臣の朕(われ)をあふぐも天てらす

皇御神のひかりとぞおもふ

 

神代より世々にかはらで君と臣の

道すなほなる國はわが國

 

天(あま)の戸のあくる光ものどかにて

神代かはらぬはるは来にけり

 

 

冲方丁氏の傑作小説『天地明察』を読むと、山崎闇斎も登場するのですが、江戸期の学問を語る上で国学の流れが理解しやすくなります。私はちょうどこの本を読んだあとに神社検定を受けようと考えテキストも読んだのですが、神社の歴史には垂加神道の創始者として山崎闇斎が登場しなにか天地明察の世界にのめりこむ様な心地がしたのを覚えています。私は基本歴史小説は読まないようにしているのですが、この本は読んで本当に良かったと思っています。

 

 

映画「天地明察」では白石晃さんが山崎闇斎役です。以下の動画では暦の講義をしているところで岡田准一さんの後ろにいます。

 

歴史を伝えることの大切さを科学的に解き明かした『FULL POWER』

 

もしかしたら現代版宝暦事件の変形ではないかと思える三浦春馬さんの死。そして、安倍元首相の暗殺事件。日本を想っている、考えている、真の日本人が短命になるような国であってはならない、日本が本当の日本の姿になることを願ってやみません。

 

なお、冲方氏も不可解な事件に巻き込まれたことがあります↓

 

 

 

 

本日は明治天皇の祭日です↓

 

 

 

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