最初に、三笠宮寛仁親王殿下の薨去に哀悼の意を申し上げます。



こんな時にこんな話題をするのはよくないと思いましたが、こんな時だからこそしっかり考える必要があると考えました。


それは昨日の悲報に際してのマスコミの言葉使いです。早速ネットではまとめられていましたが、「薨去」という言葉を使わず「逝去」を使用しています。天皇陛下及びご皇室の方々には、特別な言葉使いがありますから、それを使用するべきでした。言霊の国ですから忌言葉をわざわざ習うよりも、こういう時に普段使用しない言葉を国民が学ぶいい機会でした。しかし、それをマスコミは奪ったことになるのです。つまり日常的に国語を学ぶ機会です。



国語がなぜ重要かといえば、思考回路に深く関わっているからです。人が考えたことや感情を出したりするときは、頭のなかでその表現を整理するものですが、その場合使われるのは言葉なのです。


だから、まだ言葉を知らない小さい子よりも、語彙が増える大人の方が考えや感情に深みが増す。そして、その言葉の特色が、その思考や情緒に顕在的にも潜在的にも影響を与えていく。そしてその思考回路が、あらゆることに影響を与えています。


よく日本的なもの、日本的特色といわれるものがあるが、突き詰めていけば、そこに至った思考回路には言葉が深く関わっていることが多いのです。


バイリンガルの方の本などに、その使う言葉で思考が変わると書かれているのを読んだことがないだろうか。日本語しかしらないから理解できない?いやなかなかマスターできなくても、長年習っていることの多い言語の英語について考えてみればよい。あの単刀直入の表現法が日本人的思考にはついていきづらいものなのだと、理解しやすいのではないだろうか。文法的な構成では、日本語は世界でも少ない部類の言葉が日本語です。その構成が日本語の曖昧な表現を可能にしているといってもいい。いや曖昧にしたいから、このような構成になったのかもしれない。(専門的な話は置いておきます。)またその曖昧さが、日本人が論理的でないといわれる要因で、その言葉の影響が大きいともいいます。だから、本来はその特色を生かした論理方を学び、或いは教えるのが本来のその国のありかただと思います。


そして、よくいわれるのが日本語の尊敬語・謙譲語などの語彙の多さである。しかし、森羅万象を神として敬い、己を小さいものとしてきた国ならではの語彙でもある。回りを敬えば、自ずと謙譲するものなのです。


現代イギリスの著名作家に、日本生まれのカズオ・イシグロがいますが、顔が日本人と変わらない彼よりも、白人に近いハーフ顔のウエンツ瑛士の方が、より日本人的なのは日本語が母国語だからです。同様に日本で生まれ育った外国籍でも日本語を母国語としている方達もいつの間にか日本的な考え方、感情の有りかたが身についているといいます。しかし、そのような場所にいて、自然に身についたものを否定していたらどうなるのでしょう?それはアイデンティティの喪失にも繋がる重大な問題ではないでしょうか?言葉はその国にあわせてできあがってきているものなのです。大和言葉に始まる日本語は、先人達が生きていくうえでの叡智の結晶となってできたものです。漢字が入っても、英語が入っても、あるいは他の言語が入ってきても融合はさせても、延々とあったもの。それが日本人の言葉です。日本人はその国語をちゃんと学ばないといけないのです。
 
 
国語の教育はとても重要なものなのです。しっかり学べば、似た言葉によるごまかしや、意図的な言いかえにも強くなるでしょう。そして、それと同時に忘れてならないのが、国史を学ぶことです。最近世界史がブームとなりベストセラーが出ているようですが、日本人が学ぶべきは日本人視線の世界史であり国史です。歴史はその当事者の視線でみなければ意味がないのです。日本人が見るべきは、過去の日本人の目線による歴史なのです。そしてそのためには、言葉が重要なのです。日本史というのは、外から学ぶものです。日本人は国語を学び外国人が日本語を学ぶように、日本人が学ぶのは国史であり、日本史ではないのです。その国史を学ばないから、外交もできないのです。そして、こういう言い換えを許してしまうのは、国語をちゃんとやらないからです。


英語がペラペラで日本のことを知らない日本人よりも、例え英語ができなくとも日本のことをしっかりしている日本人のほうが尊敬できないだろうか?英語に限らず言語を知るのは重要です。しかし、自分の国のことを知ることはそれ以上に重要なのです。
 
グローバルというのは足元がしっかりしてこそであり、またグローバルになればなるほどその人の出身である国や言葉や伝統が注目されるものです。人に過去がないことのないように、国にも歴史がある。それをないがしろにするような人は、この国際社会のなかで、どこの国へ行っても信用されないのだ。それは反対に考えてみればわかりやすい。あなたがどこかの国の人と知り合いになったとして、その人が例えばアメリカ人だとして、英語やアメリカ史を馬鹿にし大統領を罵倒し、国の利益を損なうような事業を考えているとしたら、その人をあなたは信用できるだろうか?
 

祖国とは国語である、とは最近なにかに書かれていてはっとしたのであるけれども、私はそこに国史も加えました。これもとても重要だからです。



今回のマスコミの表現例