もう一つのマセラッティの思い出です。
前回の「マセラッティをもらい損ねた話」の続きです。
もらい損ねたというよりは、お断りしたんですが。笑
若い頃から今に至るまで、僕はクルマを買い替えるサイクルが尋常ではない速度でして、誰に教わったわけでもないのに、半年に1台くらいのピッチで車を物色し始めては買い替えるという数奇な癖があるのです。
このブログにたどり着く方の何%かは理解できると深く頷くか、全く同種の癖の持ち主だと確信しています。
あの頃は僕は何に乗っていたかな?
クラウンバン風にしていたクラウンワゴンだったかもしれません。
とにかく、再びクルマを買い換えなければいけないという焦燥感に襲われ始めたのです。
クラウンワゴンは気に入っていました。
かっこいいし、壊れないし、荷物はたくさん積めるし、言うことなしです。
でも、買い換えなければいけないのです。
そこで思い出したのは、前回の専務が乗っていたマセラッティでした。
「マセラッティに乗ってみたいかも」
専務が呉れると言ったときには、全然そんなことは思いませんでした。
その時はクラウンワゴンがまだ気に入っていたせいもあります。
それだけではない、こればっかりは自分のタイミングとしか言いようのない「何か」があるんですね。
とにかく、突然マセラッティが欲しくなってしまった。
当時は練馬区に住んでいた僕は毎週末に中古車屋を回っていたが、マセラッティを売っているようなクルマ屋は僕の守備範囲にはなかったのです。
インターネットもなかった時代である。いや、あるにはあったが、まだそこまで普及はしていなかった時代。
定期購読していたカーマガジン誌かカーグラフィック誌かTIPO誌の広告欄で見かけた「マセラッティ専門店」の文字。
住所は我が家からクルマで20分足らずの場所にありました。
店名は敢えて明記しませんが、マセラッティ専門店ってそれほどありませんから、調べればすぐにわかるはずです。
もちろん、今でも頑張って営業されていますよ。
仕事が終わって、雑誌で調べた住所をカーナビゴリラに入力してたどり着いたのは、もう夕暮れ時でした。
想像とは違うこじんまりとしたショップにぎっしりとマセラッティが2台詰め込まれていました。
お店まで来たら、少し怖気付いてしまった僕はウィンドウの外から店内に留めてある222のボンネットを眺めて帰ろうと思いました。
マセラッティの実車を見たら、それだけで満足してしまった自分がいました。
夕暮れの住宅街にあるショップは、そこだけがキラキラとライトアップされていて、その中にピカピカに磨きこまれたマセラッティが留まっているのを見ただけでお腹一杯になってしまったのでしょう。
しかし、そうは問屋が卸してはくれませんでした。
222を眺めていた僕は全く気づかぬうちに二人の男性に左右を挟まれていたのです。
「綺麗ですねぇ」ショップの店員だと悟った僕はおもわず口から言葉が出ました。
偽らざる本心でした。当時ですら222は「ちょっと旧いクルマ」だったにも拘らず、展示されていた222は「今工場からラインオフして来たばかり」というような状態に仕上げられていたのです。
「そうでしょう?マセラッティをお探しですか?」
「いえ、通りすがりです・・・」思わず嘘をつきました。
「そうなんですね。お時間はありますか?今日仕上がったクルマの試乗に行くので、一緒にどうですか?」
本当なのか、嘘なのか、そういうセールストーク常套句なのか、僕はわからないまま「はい」と答えていました。
「じゃあ、おクルマを用意しますね」と言うが早いか彼は目の前のガラスの扉を開け始めました。
今僕たちが眺めていた綺麗な222が試乗車だったのです。
こんな綺麗なクルマに乗っていいのか?
僕は思ったが、だいぶ日も沈んで来た住宅街に新車のような222はその姿を露わにした。
専務が乗っていたザガート・スパイダーとは比較にならないような良好な状態の222でしたが、目の前で見るとやはり中古車であることがわかる歴史を感じる個体で、しかしその歴史を隠さずに良い点はそのまま磨き込み、ウィークポイントだけを修理しブラッシュアップしたと言う愛着を持って接された機械だけが持つオーラを放っていました。
「さ、乗ってください」と僕に即すと、もう一人の男性に「じゃ店番をお願いします」と言って彼もドライバーズシートに身を沈めました。
クローズドの222の室内には「色香」と言う以外に形容し難い芳香が立ち込めていました。
眼前と背後には上質なウッドとレザーの洪水。
手に触れるものは全て柔らかく、目には艶やかな金属と木と革。嗅いだこともない異国の香水。
「じゃ、エンジンに点火しま~す」
軽い口調でそう言うと、彼はイグニッションキーをひねりました。
前方遥か遠くから官能的(官能的としか形容できない)エンジン音と、遥か後方からどう猛な排気音が聞こえて来ました。
数度のブリッピングを終えると彼はスルスルとクラッチを繋ぎ発進しながらこう言いました。
「ここじゃ離陸できませんから、ちょっと離れますね」
「離陸?」内心不思議に思ったが、言わんとすることもなんとなくは理解できました。
道中の彼は饒舌だった。マセラッティの歴史や彼がいかにマセラッティを愛しているかを切々と語ってくれました。
僕はそこまでマセラッティに思い入れがないことを申し訳なく思ったが、彼の名調子にはもちろん僕を責める響きがないどころか、いつでも誰でもマセラティ道に入門すること大歓迎と言う感じが含まれていて好印象でした。
さて、クルマは滑走路に到着したようです。
どこかの公園の脇に隣接する直線の道路でした。
光が丘公園でしょうか?
「離陸します!」彼は宣言すると、アクセルを一気に開けました。
「背中がシートに押し付けられる」と言う形容はあるんですが、本当に飛行機の離陸時のようなGが全身にかかって来ました。
エンジン音とターボの加給音がさっきよりは大きく室内に侵入して来ます。
怖さはありません。
直線の終わりかける頃に減速し、彼は「どうですか?」と言って来ました。
「いやぁ、本当に離陸しそうでしたね」と凡庸に返したが、正にそんな感じだったんですね。
そこからのことはあまり記憶がないんです。
気がつけば自宅でカーセンサーを読んでいました。
マセラッティは少し探したとは思うが、結局クラウンの次に僕が選んだのはW460のゲレンデヴァーゲンでした。
僕はスピード信者ではないと言うことがわかった日だったのかもしれません。