アメリカ車を語る上で重要な出来事の一つに、1960年代後半からの
マッスルカーブームがあるが、真に初のマッスルカーとしてあげられ
るクルマが、このポンティアック・GTO。(⇒マッスルカーの起源
)
GTOの誕生に至るには、1960年代頃にレース用ハイチューンエンジ
ン「389SD」、そしてその発展型である「421SD」のドラッグレース
やNASCARへの導入の流れが影響している。こういったレース用エンジ
ンを積んだ市販車が開発されないまま、1964年にGM全体として、モー
タースポーツへの参入を取り止める社内命令が下りた。
ポンティアックとしては、それまでのスポーツカーのイメージを
市販車にも反映させることが難しくなり、421SDエンジンのデチュー
ンした市販化も出来なくなった。これにより、それまでにスポーツ
カーモデルを持っておらず、それまでのモータースポーツで培った
ノウハウを市販車に反映させようとしていたポンティアックにとっ
ての販売戦略にかげりが出てしまった。
その後は、後にデロリアンという稀代の名車を生み出すエンジニア
ジョン・デロリアンらにより、コンパクトカーとしてフルモデルチェ
ンジを行った直後のポンティアック・テンペストの上級スポーツモデ
ルとして「ル・マン」のスペシャルパッケージとして、「GTO」を導入
するとされた。
GTOのラインナップとしては、2ドアセダン、クーペ、コンバーチブ
ルを揃え、そのパワーユニットには、標準モデルには、325馬力、V8
389CIエンジンが導入することとなり、60年代後期のマッスルカーブ
ームの本流を作る「ミッドサイズボディにレース用フルサイズエンジ
ン」といったクルマが誕生した。元々389CIエンジンは、上述の389SD
や421SDエンジンのベースとなったエンジンで、当時としては、他の
ハイパフォーマンスエンジンよりも排気量が少ないが、よりパワーが
高い完成度の高いものであった。全盛期の1966年には、年間9万6千台
を売り上げるポンティアック、そしてマッスルカーを代表するモデル
となる。
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