羽生結弦さん「今ある命を幸せに生きて」。 | 4コマ漫画「アメリカは今日もアレだった」

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こんな記事が出ています。

 

>フィギュアスケートの羽生結弦さん(28)が座長を務めるアイスショー「羽生結弦 notte stellata」の第2日目は東日本大震災発生から12年の11日、宮城・セキスイハイムスーパーアリーナで行われた。<

 

羽生さんは

 

>2時間に渡るアイスショーの間、何度も氷に触れた。何度も目を潤ませた。<

 

そして最後のあいさつで、

 

>「ここは、宮城県民、そして仙台市民、すべての人々にとって、本当に特別な場所です」。震える声で言った。「ここは…ここは、遺体安置所だったんです」  

だから本当に、こうやって、たくさんの今ある命が、ここの場所に集まって、その中で僕がこんな演技をしてしまって、3月11日という日に、この演技をして、ここに氷を張っていいのだろうかという戸惑いは、すごくすごくありました。<

 

 

そしてリンクから上がった後、もう一度マイクを握った羽生さん

>今日ある命は明日もあるとは限りません。

今日の今の幸せは明日もあるとは限りません。

そうやって地震は起きました。

だから、みんな真剣に、今ある命を、今の時間を、幸せに生きてください」<

 

 

今日ある命が、明日もあるとは限らない。

 

 

私も、最愛の犬ピピが一歳という若さでとつぜん命を絶たれてしまった時、嫌というほどそれを思い知りました。

 

その「傷」は、何十年経っても消えることはなく、このブログの「犬のピピの話」はあの黒い影が登場する前で中断しています。

 

 

でも書いていますが、

 

>その原稿は、ピピが死んだ二ヶ月後くらいに書き始め、最後まで書いてプリントアウトしたものがあるので、最低それを機械的に書き写せば済む。

 

でも、あの凄惨な時間を再びたどるのはつらく、恐ろしい。

 

いや、私自身の苦痛ならまだしも、ピピのあのひどい、悲しい姿をさらすのをためらうのです。

私が苦しむのはいいよ,。

でも、ピピは?

 

 

じつは、この一年、ブログのピピの話を読みやすく、情景がより伝わるように書き直していました。

 

ピピとの楽しく美しい日々をこまごまと書き、読み返す時、私はしみじみとした幸せに浸れます。

・・ああ。

この「物語」の中だけでも、ピピが永遠に元気で幸せなままにしておけないだろうか?

 

 

これから、ピピの悲しい最期を「書く」という選択と、「書かない」選択があって。

もし、「書かない」道を選んでしまったら、「書く」道もあったのに私は後悔しないのだろうか?

 

ひどいけれど、大事なこと。

愛するものの大切さ。

私は、あれからずっと、ピピに恥じないよう生きようとしてきたはず・・

 

そんな、静かにのたうち回る自分の、ぐるぐるともつれた思いで、私はピピのお墓に祈りました。

ピピの話を、最後まで書けますように。

 

ピピに話しかけ、そしてやってきたあのあたたかい、丸いものは

「うん、書けるよ」

という、ピピの肯定の返事。

 

その時、素直にそう感じたのです。<

 

 

>もしあのあたたかいものがピピの魂だったとしたら、違う世界や次元からそれを私に伝えることは、とてもとても難しいことだったのではないだろうか。

 

ピピが、全力で返事をしてくれた。

のだとしたら。

 

私はあれほど感じながら、受け取りながら、それを無視してしまうのか?

全力で答えてくれたピピを。<

 

 

 

それで、私はnoteの文字通り新しいノートで、ピピの話をまた推敲し

 

それをこちらのアメブロの何年も前の記事に写して更新する、という地味な作業をじつはやっています。

 

noteとアメブロが同期したら、いよいよピピの最期と、その後の私なりの苦闘を書くつもりです。

 

 

その時を思うといつも恐怖に身がすくむのですが、「ちょっとずつ、できる分量ずつでいいから、書いていこう」と、自分で自分を励ましています。

 

 

 

そして、羽生さんが昨日言われた

 

「だから、みんな真剣に、今ある命を、今の時間を、幸せに生きてください」。

 

 

ピピを亡くした後、私は何年も「宙に浮いた」ままだったのですが、このブログを読まれた方はごぞんじのように、私の家族は昔から心がバラバラで、そんな私の遠いあこがれはいつも、「ごく普通の家族をもつこと。暴力の無い家庭を」でした。

 

それが、かなった。

 

 

父が亡くなる前もたいへんでしたが、母の認知症発症と訪販被害では悲しみの中で母の生活を整え、裁判で戦うという重すぎる荷を背負うことになった私。

 

ボブとリスキチという「まともな家族」がいて、笑いあえる日々があるからこそ乗り越えられたと思っています。

 

 

そして、

 

でも書きましたように、母の話を読み、応援してくださった皆様にも本当に感謝しています。

 

 

今も家事など、こまごまとつまらないことでイライラすることはあるけれど、家族のためにこうして働けるのは「今」だけ。

 

そう考えるとハッとして、ありがたく思ったり、寂しく思ったりする昨今だった。

 

 

今ある命を、真剣に、幸せに生きて。

 

 

羽生さんの言葉、真理ですね。

 

 

 

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