平成の天皇の一人娘であり、今上天皇陛下やA宮の妹である、清子(さやこ)さん=サーヤ。
>サーヤ特集 衣装さんから内部情報 御宿かわせみ<
というサムネイルで、篠原常一郎さん夫妻から配信が出ています:
令和の天皇皇后両陛下が平成時代に受けた、ひどいバッシング。
あの頃、今の上皇夫妻・サーヤさん・A宮殿下がどういう役割を果たしていたかが、だいぶ見えてきていると。
バッシングはbash(叩く)の動名詞です。
雅子さまたちをたたく上皇夫妻の手、サーヤの手
、A宮夫婦の手
・・・
怖ッ!!
配信の聞きどころは
2:10ー
当時の皇太子夫妻が一番つらい時期、つまり流産された前後。
まるで公務をやっていないかのような見かけの中で、実際はとんでもない頻度で、今のA宮家も及ばないほど多くの公務をこなされていた。
拙ブロでも紹介したアレですね:
>このkk子づくり支援とは逆に、雅子さまがお世継ぎ出産の圧力にさらされていた時には外国へ行かせず国内の公務で忙殺し、妊娠を妨害していた。<
>(報道はされなかったがA宮の公務はずっと少なく、A宮は一年に二度もの静養、私的にタイ旅行()までしていた)。<
サーヤ特集配信に戻りまして、
3:00ー
一方、今から見ると正当な批判に対し、上皇后は「悲しみのあまり倒れ言葉を失われた」と報道させ、批判を止めさせた。
この、ミテコさんが”倒れてみせた”
批判は何かというと:
>平成の即位式での衣装代が数十億円とは仰天<
>陛下と美智子さまの住まう赤坂御所を「クリーニング店」と揶揄<
>「美智子さまの衣装代で最も仰天したのは、ただ記念撮影のためだけにマント・ド・クール(18世紀フランスの宮廷服)を発注されたこと (中略) 美智子さまはフランスの老舗メゾンにマント・ド・クールを発注され、およそ2000万円ほど。こういった不必要な衣装代も平成皇室の特徴でしょう」<
>元宮内庁職員で、美智子さまの傍に仕えた経験もある小内誠一さん<
>いかに平成皇室がバブリーで、令和皇室が質素であるのかがよくわかる。<
という、
見てミテお衣装中毒と浪費への至極まっとうな批判でした。
このように、事実にもとづかない平成の皇太子夫妻叩きと、事実にもとづくミテコ批判封じの時代。
妹であり娘であるサーヤさんは、雅子さまイジメの側にいてどのような役割を演じたのか?
サーヤ特集の聞きどころ
4:10ー
36歳の誕生日(この後結婚するので、皇族としては最後)の回答文書が・・
36歳とは思えない立派な=本人が書いたんじゃないのがバレバレ文章。
しかも、聞かれもしないのにミテコさんが声を失われた時のことまでくっちゃべってる。
とのことで・・・
篠原さんの奥さんもですが、私が検索しても宮内庁HPでは見つけられなかった(汗)ので、こちらのサイトから:
この質問のところですね
>三.皇太子妃雅子さまの静養が続いています。皇太子さまは昨年五月、雅子さまの病状に関連して、いわゆる「人格否定発言」をされ、さまざまな論議を呼びました。その後、秋篠宮さまや天皇陛下からも考えが示されました。一連の経過をどのように受けとめられましたか?<
で、サーヤさんの回答がこちら
>このことを発端として、多くの事実に基づかない憶測や言論が展開されたことは、大変残念なことでした。殊に、これまで皇太子同妃両殿下のご相談に一生懸命耳を傾けられ、新しい世代の行く末を見守り支えようとしてこられた両陛下に対して、いわれのない批判がなされ、海外における日本の皇室観にまで影響を与えたことについては、本当に悲しく思っております。妃殿下のご健康を家族皆が心配しておりますが、両陛下のご健康も守られることを願わずにはいられません。<
これつまり、
今から見ると「嘘っぱち」。
さらにさらに、サーヤさんの回答文書にはミテコさん賛美が塗り重ねられます。
篠原さんが読み上げた箇所はこちら:
>両陛下のお姿から学んだことは、悲しみの折にもありました。事実に基づかない多くの批判にさらされ、平成五年ご誕辰(しん)の朝、皇后さまは耐え難いお疲れとお悲しみの中で倒れられ、言葉を失われました。言葉が出ないというどれほどにかつらく不安な状態の中で、皇后さまはご公務を続けられ、変わらずに人々と接しておられました。当時のことは私にとり、まだ言葉でまとめられない思いがございますが、振り返ると、暗い井戸の中にいたようなあの日々のこと自体よりも、誰を責めることなくご自分の弱さを省みられながら、ひたすらに生きておられた皇后さまのご様子が浮かび、胸が痛みます。<
これを篠原さんがまた嘘っぱちだと言うのは、ミテコさんのお針子さんからの直情報で、あの「失声症」当時、たった3ミリの袖付け直しのことは言えて呼び出し、日に四度も縫い直させたこと。
そして、サーヤとも会話はできた。
おまけにこの「失声症」診断をしたのが、mコさんを「複雑性PTSD」診断したのと同じ病院の医師~
篠原さんの奥さんは
「サーヤさんの誕生日文書は、雅子さまへの最大の攻撃。ミテコさんが人から言ってほしいことを、ミテコさんの側近が延々と書いたんでしょう。」
とも。
とはいえ、雅子さまへのイジメは絶対に許せないけれど、サーヤさんについてはいろいろ考えるようになった、と。
うん、こんなに下女扱いされてる内親王もいない、と篠原さん。
ゲジョ!!!
これに関する配信画像の見どころは
14:26ー
>どう見ても侍女<
>お母さんはキメキメに決めてるのに<
14:52-
>朝見の儀の時のスーツ。これが<
15:10-
>前の年の大学卒業式のスーツと同じ。
友だちはみんな袴で可愛くして、一人だけこんなに地味なおばさま臭いスーツだよ<
たしかに女子大生たちの保護者に見える!!
袴着て、大きなリボンや髪飾りも着けたかったろうな・・・かわいそう・・
という証拠画像を見るまでもなく、私の世代にとって
「サーヤさんのチョー地味な格好」
は、素直に不思議だったんです。
高度経済成長につづくバブル時代。アイドル黄金期もあった。
子どもや若者の服装はどんどん明るく派手になるのに、この紀宮さまだけ時代に取り残されたよう。
これが、最上流女子というものなのか???
でもヘン。ダサい。
私の友達が
「サーヤは小さい頃は可愛かったのに・・」
と残念がっていたのを、今でも覚えています。
これ、真実を知らないほとんどの国民がいだくもののあえて突きつめてはみなかった、長年の日本のドでかい不思議なのではないでしょうか。
あと「御宿かわせみ」というのはこれですね。
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1233620427913.jpg
(『週刊文春』2005年12月29日号)
カワセミの研究をしているサーヤは早朝に観察するため、当時の東宮御所(皇太子と雅子さまの家)に泊めてもらった。
が、二、三回ののち、「今回は・・」と断られてしまい、サーヤは「もう頼まない」と大ショック。
それならということでA宮夫妻に頼むと、いつでも気前よく泊めてくれるので、感激したサーヤはもっぱらA宮邸に行くようになった。
じつはサーヤは「皇太子夫妻の寝室をスパイせよ」とのミテコ密命を帯びていた、というウワサもありますケド、、、
このようにして、親に冷たくされて寂しかった子、最愛のお兄ちゃんを雅子さんにとられた子は闇堕ちしてイジメ側につき、結婚もA宮の”お付き”を”あてがわれた”・・・
>初等科時代からの学友であり、高等科時代は写真部・地理研究会、大学時代も自然文化研究会で行動をともにした。大学時代のサークル仲間には、後に文仁親王妃となる川嶋紀子もいた。<
(ウィキペディア 黒田 慶樹より)
この結婚が災害や皇族がたの逝去により二年も延期になったのは、やはり神からのメッセージなのでしょうか?
神に対抗したA宮の闇メッセ:
誕生日会見での言葉
>最初二人が会うきっかけを作ったのは私でありますし,それから,二人が会ったうちの何回か,場所を提供したのも事実であります<
>結婚式が終わった後に,二人に言った言葉は,二人それぞれというよりも両方にですけれども,「おめでとう」という一言と,「またよろしくお願いいたします」ということです。<
何を「またよろしく」頼んだんですか。。。
そしてこの
平成17年といえば、コウノトリを放鳥し、男子産み分けプロジェクトを始動させていた頃。明けて正月の歌に「笑みさかえくる」とその成果をうたい上げ、つい先日、そのコウノトリが電車にひかれて亡くなったアレ
ですよ。
さてさて、サーヤのお兄ちゃんラブぶりについては21:06-
昭和49年、かっこいい浩宮さま(今上陛下)に抱きつくサーヤ。
それから10年後、中学3年生の時に「一人旅」でイギリス留学中のお兄ちゃんに会いに行ったサーヤがこちらです。
髪型も服もいつもよりカワイイ。
なにより弾ける笑顔がずっとカワイイ
・・・そのぶん普段は自分の意思を主張しない、意志をもたされない、かわいそうな子だったのかな・・・・
でもってその総仕上げ?が
29:55-
2005年、サーヤさんの結婚式で、下衆( ゲス)の極みの大イジメ。
他皇族女性は和服なのに、雅子さまだけがドレスコードを知らされずに洋装だった。
この後、宮家の方々だけの食事会があったが、雅子さまだけ具合が悪くなって出席されなかったそうです
ついでにサーヤさん自身もその結婚披露宴での着物が
34:05-
ミテコさんのお下がりという!!
サーヤのお着物についてはこのページがお詳しいです:
↑だいぶ下になりますが
>披露宴での皇族女性方の装い。<
として、ずらりと並ぶ和服の皇族女性の写真の中、雅子さまたった一人、洋装写真です
そして、サーヤの「お下がり」着物の記事には、
>紀宮様たってのお願いで、お母さまの皇后さまが好んで着用されていたもので<
と、自分の意思だったことが強調してあります。
けどでもサーヤさん、日本舞踊を続けて舞台姿は派手派手だし、大人になってからの着物姿はけっこう華やかですよ。
あ、サーヤさんの婚約ですが、2月からA宮邸に家族が集まって相談を始め、8月に決まり、11月に発表だったが、その11月まで当時の皇太子夫妻にはこのことが知らされてなかった。
と篠原奥さま。
これは大事な事。
A宮家が、兄である当時の皇太子とどういう付き合いをしていたかがわかる。
と篠原さん。
そして、
洋服ひとつへの向き合い方で、その人の生き方、考え方が見えてくる。
ミテコさんは天皇陛下を添え物にしている。
と、言われています。
ですよね、
一人娘も夫である天皇陛下も、ヒロインあたくしのモブか舞台背景。
一人娘の結婚披露宴衣装代で自分のキメキメドレスがもう一着つくれるじゃん?
てな自己愛&自己中人生がまざまざと見えてきますよ。
大血税を投じた一回きり使用の高額衣装。
中身を偽装する高下駄、箔付けの、これが原点です。
というところでお口直しに我が家の大阪旅、大阪城のお堀クルーズ。
説明しません、画像&動画だけどうぞ
「こんなところで芽を出して、しがみついて、枝を伸ばして・・」と、そのひたむきさに思わず写真に撮ってしまった。
帰り道。
船着き場には・・
こんな英語の説明板も立ててありました。
↓応援のおたっぷをいただけると幸せます
↓noteで犬のピピの話を書きとげようとしています