パリ初観光の初日。
パリのパの字どころかフランスのフの字すら無知なジャポネーズのわたくしがボブから丸投げされてブチ上げた計画は
10-15時すぎ
・時差ボケでルーヴル美術館を5時間歩き回りクタクタ
↓
16-18時
・休憩がてらにバスツアー
↓
19時
・降りたバス停近くでディナー
(やがてわかってくるのですが、フランスのレストランってば「ディナーは午後7時からだかんね絶対」ルールがあるみたいなんですよ
)
というわけで今は足休めのバスツアー
またの名を敬脚バスツアーでございまあす。
ではでは皆様、
シャンゼリゼ大通りの突き当り、凱旋門を囲むラウンドアバウトを回ってゆきまあす。
↓たまたま座れた二階席最前列からのド正面ビュー
正しくは「エトワール凱旋門」ですが、パリだけでもたくさんあるナントカ凱旋門の中でたんに「凱旋門」と言えばこれ。
>1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まった。
ルイ・フィリップの7月王政時代、1836年に完成した<
>ナポレオンは凱旋門が完成する前に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時だった。<
>エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓や多くの祈念のプレートが埋め込まれ、フランスのために亡くなった兵士たちを祈念している。
(ウィキペディアより)
この門が建つ円形のシャルルドゴール広場から、放射状に12本の通りが伸びています。
以前の名前はエトワール広場で、真ん中の円と放射線が輝く星みたいに見えるからエトワール(星)だったんですね。
凱旋門の裏側というかシャンゼリゼ通りの反対側、グランド・アルメ通りから見た凱旋門。
ちなみに今日の記事は
の続きとなっておりまする。
広場を回って帰ってきたシャンゼリゼ大通りを下っていきまあす。
翌日開催されるツール・ド・フランス観覧用に・・
こんな特別席もご用意されていました。
シャンゼリゼから南方向に曲がったら見えたプティ・パレ。
パリ市立の美術館で、元々は1900年のパリ万博用に建てられました。
上の動画にも遠景で映ってますが、その向こうにはこちら、アレクサンドル三世橋。
セーヌ川にかかるこの橋は、やはり1900年のパリ万博に合わせ、ロシアの(最後の皇帝)ニコライ二世から寄贈されました。
父であるロシア皇帝アレクサンドル三世とフランス大統領カルノーとの友好の証なので、「アレクサンドル三世橋」という名前です。
橋の上にドレス姿の美女・・
この橋は華麗な装飾で有名だそうで、こちらはほんの一例っす。
ア三橋(もう略したよ日本人!)を渡ってまっすぐ突き当りには、アンヴァリッド廃兵院。(ズームで撮ってます)
昔の軍病院で、1671年にルイ14世が傷病兵を看護するために計画したもの。
地下墓所にはナポレオン(一世)の棺が中央に置かれ、それを囲むように親族、著名な将軍の廟(霊を祭る建物)がございまあす。
そしてそして、どういうふうに廻ったのかまたまたセーヌ川にかかる橋(イエナ橋)を渡り
じつは今までのプティパレやらアレクサンドル三世橋やら廃兵院やら何が何やら全くわかっていなかったこのわたくしでもわかる・・・
えっへん
エッフェル塔でいっ!!
ド正面===
おおおお 近すぎて画面に入らんわ
フウ・・・
の後、こちらの
なんかちっこいの
すいません!!
そしてガルニエ宮。
歌劇場、バレエ・ホール。
「オペラ座」と言われた方が耳なじみがありますね。
の周りをぐるっと回りまあす。
どこから見ても盛り盛り豪華ですな。
そしてバスは先へと進む。
パリの中心部はオフィスビルもアパートもルーヴルの続きみたいな「この感じ」です。
↓あ、同じバス会社のバスですよ。
お尻の広告がシャレとう。
いくつかバス会社がある中で、私は(適当に)このBigBusを選びました。
主な観光名所を巡るルートを何台ものバスで運行していて、時間内(9時半~17時)ならどの停留所でも乗り降りできます。
セーヌ川クルーズやエッフェル塔入場(売り切れ早し)とセットになっているのもあるよ。
ウチは、二日間使える48Hour PremiumTicket というのを買いました。
(これが翌日ツールドフランスでワヤクチャになる話はまた後日・・・)
そんなこんなで、とにかくいっさいバスを降りずに二時間ほど乗り(座り)続け、リスキチはけっこな時間寝てたし私も意識が無いひと時がたしかにあったのだが隣にボブがいるのでダイジョブだったバスツアー
戻って来ましたルーヴル美術館。
>じゃあねルーちゃん!! また遊びに来るからあんたも元気にしてるんだよ〜<
と親戚のおばちゃん気取りで別れを告げたった二時間でまた来ちゃったよおばちゃんは!!
さて・・
バスツアーを一周しても、ルーヴル美術館近くのレストランで予約したディナー(開店同時の午後7時)にはまだ一時間も時間があった。
レストラン方向に近づきつつ、ポンデザール(Pont des Arts 芸術の橋)を渡ってみました。
もともとはナポレオンの命令で1804年にかけられた歩道橋ですが、二度の世界大戦の爆撃と戦後の船の衝突でもろくなり、閉鎖から二年後の1979年には三度目の船の衝突で60メートルにわたって崩壊。
今の橋は1984年に完成したものです。
でこちら、「愛の南京錠」。
>2008年頃より、恋人同士が永遠の愛を誓い、南京錠に二人の名前を書いて欄干の金網に取り付けて鍵をかけ、その鍵をセーヌ川に投げ込む「カデナ ダムール(愛の南京錠)」が流行した。
錠前の重さは橋全体で50トンを超えるとの試算もあり、2014年6月には欄干の金網の一部が崩れて橋が一時閉鎖される事態になった。<
砲弾や船がぶつからなくなったと思ったら今度は愛の重荷かよッ!!
>このため、パリ市当局は、南京錠が取り付けられないように、2015年6月1日より南京錠付の金網を撤去し、グラフィティアートが描かれたアクリル板に置き換えられ、2015年秋頃にはガラス板が設置される。<
(ウィキペディアより)
ガラス板?そうだっけ?
(↑疲れと眠気で注意散漫)
ていうかどうしても錠を付けたい恋人たち、嫌がる橋にどうやって無理ムリ付けてるの?
なんかグルグル巻かれた黒いひもが見えるような気がしますが・・
ここまでして本当に永遠の愛を貫いているかどうか、ぜひ追跡調査してあげてほしいデス
ポンデザールから東にシテ島が見える。
(シテ島にはあのノートルダム大聖堂も建っています。)
そのシテ島の先端へ降りてみることにして、ポンデザールを渡って向こう岸を歩きました。
下町の路地みたいな鉢植えがいっぱい・・
↑これ「庭」だよね?
船のお家に住んでるの!?
シテ島の先端を横目にテクテク歩き
ポンヌフ(ヌフ橋)の中ほどで下へ降りて
はいこちらヴェール・ギャラン広場でございます。
憩いの場~
その先端(近く)からルーヴル美術館をのぞむ。
ここまでしてもまだ三十分も時間があり、でももういい!!
レストランへ行くよ!!
ってことで行ったら席に案内してくれましたが時間にキビシクお食事はまだ。
飲み物だけでしばらく過ごしました。
↑16歳のリスキチ、アメリカで飲酒はできませんが、フランスでは16歳はもう「大人」。
ウエイトレスさんが「ちょっとだけ」と言って注いでくれた白ワインです。
酒嫌いのリスキチは飲みませんでしたけどね。
そしてようやくやってきた午後7時。
ディナー・タイム
リスキチのオーダー、タコのなんとか。
味つけが濃く、こればかり食べるのは飽きる気がした。
わたくしのオーダー、サーモンのレモンソースがけ。
美味しゅうごさいました。
ボブのオーダー、ビーフの赤ワインなんとか。
繰り返しになりますがリスキチのタコさんはでかかった。
てかこれ絶対ワインと合わせるチョイスだよう。
デザート。
ご馳走様で外に出たところ。
このレストランは
ただいま臨時休業ちうですが
Fumoirを英語に翻訳したらsmoking room ・・・
って
喫煙室!??
タバコ吸いが多いフランス人にはウケてもわたしってばタバコの煙アレルギーなんですけど?!!
ご安心くださいませ。
現在のフランスは屋内禁煙となっておりますのでまったくタバコ臭はなく、100%お料理のお味を楽しめました。
↓応援のおたっぷをいただけると幸せます
↓noteで犬のピピの話を書きとげようとしています