最近、後輩Kとよくデートしている。

2年ほど前、第一次「熱心口説かれ期」の際、数回外で会ったことがあったが、
そのときは、彼の車で人気のないところに行き、
そこでひたすらおしゃべりするという、半軟禁状態デートであった。
無論向こうも少なからず接触を求めてくるし、
けれどこちらにその気はないし、逃げようにも逃げ場もないしで、
会った後は非常に疲労した。
それに、当時私には付き合っている人が2人もいた。
面倒な思いをしてまでKと会うメリットはどこにもなかった。
そういうわけで、Kと外で会うことは、その後しばらく封印していた。

しかし、時間は流れ、私はパパと付き合うことをやめ、
Sさんと過ごす時間もなくした。
いつの間にか、私は1人だった。

別れた直後は、1人でいることに特に苦痛を感じなかった。
いや、悲しい気持ちが強すぎて、
「1人が苦痛」
などという感覚自体がない状態だったのだ。
当時私が一緒に過ごしたい人は、たった1人しかいなかったし、
誰もその代わりにはなれなかった。
なれるとすれば、チアキだけだった。

さらに時間が流れ、私は傷心から大分立ち直った。
いや。
記憶が薄れてきただけかもしれない。
いずれにせよ、
なにかを思い出して急に涙ぐんだりするようなことはなくなった。
それと同時に、なんとなく1人で過ごすことに対する
所在なさ感が芽生えてきたのだ。
チアキと好きなときに会えるのが最善の策だが、
住んでいるところも離れていて、お互いに忙しい今、
それを実現することは不可能だ。
先日までの「一緒に過ごしたい人」はむしろ除外されている今、
私の「一緒に過ごす人」に、特に制限はない。
もちろん「御免こうむりたい」人がいないわけではないが。

そんな私にちょうどよくあてがわれるのが、Kなのである。
彼は小さい子供がいる父親としては、かなり自由な暮らしをしていると思う。
なぜなら、私が遊びに誘って、断られた試しがないからだ。
普通ならば
「いや、今日はちょっと予定が・・・。」
というのが必ずあるはずである。
しかし急な誘いでも大概は応じてくる。
よほど女房「が」ホレていて夫の自由を許しているか、
子供一辺倒になっているかのどちらかであろう。
まぁ、それは正直私には関係のない話だ。

Kとはデートはするが、やはりそれだけだ。
しかし、彼は策士である。
少しずつではあるが、私の領空を侵犯してきている。
最初は抱きしめ、順を追うようにキスするようになった。
今では、デートの別れ際には必ずキスをするという流れを作ってしまった。

Kはもともと私の好みのタイプではない。
しかし、その心配りはなかなかのものだ。
職場においても、またプライベートで一緒にいるときでも、
私の動きを細やかに観察し、手を差し伸べる。
それは決して「でしゃばった」行為ではなく、
あくまで絶妙なサポートなのだ。
心憎い男である。
私も既婚者との付き合いに関しては熟練している方だと自負しているが、
この細やかさに近頃参り気味である。
少しずつだが、Kにホレ始めている。
作戦に乗せられている。

しかし、まだ
「彼に本気になっていない。なってはいけない。」
私がいる。
全てを明け渡していいとは思っていない。

先日、職場の中で、たまたまKと2人きりになった。
「ねぇ。
また2人でどこか行こうよ。仲良くデートしてさ。」
Kは私をデートに誘った。

私は軽く苦笑いして言った。
「そうねぇ・・・・。いいけど。
・・・はぁ。私って不幸だわ。」
「どうして?何が不幸?」
Kは質問してきた。
それはそうだろう。普通に考えたら、脈絡がない。

「だってそうでしょ。
自分のことを『好きだ』って言ってくれる男がいるのに、
その人とは結ばれない運命なのよ。
これが不幸じゃないって言える?」
それは、私が既婚者と付き合ってみて学んだ真実だった。

「確かにオレはあなたを幸せにはできないかもしれないよ。
でも、そういう『雰囲気』を作ってあげることはできるよ。」
彼は言った。
よくわかる。
私は「そういう雰囲気」を以前しばしば味わっていたのだから。

「そうね。でも『雰囲気』だけじゃイヤなの。」
「そう?
でもいいんじゃない?そういう方が。」
悪気はないのだろうが、Kはそう言った。
既婚者の素直な気持ちなのだろう。

確かにそういう方がいい場合もある。
実際私も
「それも悪くない」
と思っていた。
しかし、今の私は、それがイヤなのだ。
「確実に私だけのものである」1人の男がほしいのだ。

「最初はね、それでもいいのよ。
でもね、段々辛くなってくるの。」
私は、Kの前で初めて確信めいたことを口にした。
一般論を語っているようにも聞こえるだろうが、経験談にも聞こえる。
もちろん、私にとっては「一般論を装った」「経験談」だ。
しかし、Kにはどう聞こえているだろうか?

「そう・・・?」
量りかねているような返答だった。
私の発言が、一般論なのか、
それとも経験に基づいた、苦いセリフなのか。

その話はそこで終わりになった。


Kにホレてはいけない。
自分が辛くなる。
でも、都合よくデートに付き合ってくれる存在は、実際重宝しているのだ。
しかしそうやって一緒に過ごす時間をもてばもつほど、
私の情は少なからず彼に移っていく。

気を緩めてはいけない。
以前の「カレ」たちと違って、
Kは同じ町に住む、同じ職場の後輩なのだ。
いつ誰にどう見られ、ウワサされるかもわからない。
しかし、今の
「ちょっと寂しい」
気持ちの私に、彼の存在はうってつけなのだ。

危険なにおいがしている。
私は、
今こそ自分を律しないといけないときなのかもしれない。
私は、男に好意を伝えるとき
「あなたのこと好きよ。」
「そんなあなたが好きよ。」
と言う。


そして、本当に好きな男に気持ちを伝えるときには
「好き。」
「(その人の名前)が好きよ。」
と言う。


とてもシンプルだ。
御託を並べることはしないのだった。
最近、よくないのである。
既婚後輩Kへの依存度が高まっているのだ。

Kから初めて告白されたのは約2年前、
その頃私は「Sさん」と「パパ」という2人の既婚カレがいた。
当時の私は、今よりも革新的?であった。
2人に奥さんがいることは重々承知していたが、
恋を告白してきたのはどちらも向こうの方だという自負があった。
2人のカレを同じように好きだったし、
会えたときに楽しくて、相手からの愛情を感じられれば、それでよかった。
家庭のことさえそれぞれうまくやってくれれば、何も問題なかった。

そんなときに後輩Kからの告白である。
さすがに「年下」の「後輩」からの告白は初めてのことで、
その事実に少なからず私は驚いたが、「告白」自体には特に衝撃はなかった。
「若いけれど、また既婚者か。」
私は思った。

Kは正直私の好みではない。
顔は整っているが、少々涼やかすぎる。
頭は切れるが、やせすぎているし、性格も非常にクールだ。
私は知的な男も嫌いではないが、
どちらかと言うと少しガッチリ目のホットな男が好みだ。
生来の好みではない。

しかし不思議なことに、そのような涼しげな印象からか
これまで熱心に口説かれても、
Kのことを
「あぁ、ウザイ。もう放っておいて。」
と思ったことはあまりない。
引き際をわきまえているのだ。
そういう意味ではプレイボーイなのだと思う。
単純な繰り返し接触を嫌悪に変えさせないのだ。

まぁともかく、私はその後しばらく2人のカレと付き合い続けたし、
「パパ」と別れた後も、約半年間「Sさん」と付き合っていた。
その間はKに口説かれても気持ちが動くことはなかった。

しかしだ。
今年の初めに、本意ならずも私はSさんと別れた。
涙が止まらなかった。
「これが失恋なのだ。」
と初めて感じたのではないか、というほどの悲しみだった。
30を越しての失恋は辛い。
私は表に出さずに、しかし前の恋愛をしっかり引きずっていた。

そして夏。
急に仕事が忙しくなった。
ネットサーフィンをしながら仕事をするのがスタイルの私も、
そんな暇もなくなった。
そんな私を支えたのがKだ。

こう言ってはなんだが、生来の頭の出来は、
きっとKよりも私の方がいいと思う。
しかし私は勉強熱心ではない。
元々の頭の良さに甘えている部分がある。
おまけに要領もいい。
だから、全てを理解しなくてもなんとか70点を取れた。
しかし、常に70点の状態なのだ。100点はない。

Kは勉強熱心だ。仕事に関する造詣も深い。
いわゆる秀才タイプである。
大人になればこういうタイプには敵わない。
結果、私は仕事で彼に頼ることになる。

「きちんと勉強すればいい」と思う。
そうすれば、私だってKのように技術で自立できるのだ。
しかし、言い訳をするようだが、私は今の職業にあまり向いていない。
その事実に「この仕事に就いてから」気づいてしまった。
もちろん今から人生を大きく変える気もないし、
今の職業に「全く向かない」ということではない。
続けてはいくつもりだ。いや、続けていくしかないであろう。
しかし、熱心に勉強する気にはなれない。

Kは、
「私を好き」だと言う。
そして
「たとえつまらないこと(仕事も含む)でも、私の力になりたい。」
と言う。
そこに利害が一致してしまうのだ。

始めはある種「利用する」ような形でKにサポートを頼んでいた私であるが、
そのうち苦しくなってきた。
自分の無力さが苦しい。なぜ1人で仕事できないのか。
なぜ、知識を身に着けないのか?

なんでもないことである。
勉強すればいいのだ。そして、身に着ければいい。
しかし、仕事は際限なくやってくる。
のん気に本を1ページずつ開いてはいられない。
私はKに頼らざるを得ない。

つまらない自尊心である。
ある意味、女の部分を利用してKを使っておきながら、
そんな自分が嫌なのだ。

私は、自分の役割が技術者ではないと人に言うとき、
「私は頭で売ってるわけじゃないから。」
と説明する。
しかし、
少なからず技術者の1人であるとアピールするときには
「私は色気で売ってるわけじゃないから。」
と説明するのだった。
愚かな女である。どちらにもなれない。

Kといると、そんな自分を感じて、自己嫌悪に陥るのであった。
一方で、Kへの依存心の高まりは、恋にも似た感情を揺さぶる。

勝手な女。
頭でも色気でも勝負できない。
中途半端な。

こんな自分をダメだと思いつつ、
結局はKの好意にあぐらをかいているのが今の私なのだ。
そして、あれほど
「好みじゃない。」
と言っていたKを、
少なからず意識して、頼りにしているのだ。


もう誰かの旦那とは恋しない。

そう思っていた。
やはり自分1人のものになる人と付き合いたい。
勝手だが、Sさんと別れて、私がみつけた1つの真実だった。

それなのに、また誰かの男を頼りにしようとしている。

自分に呆れる一方、この流れを今は止める術がないのだ。
先日、部署内で飲み会があった。

職場内で、私の属しているグループは15人程度だが、
部署全体で見ると100人近い人数がいる。
組織が大きすぎるため、
普段は飲み会をすると言っても、グループ内だけのことになる。
しかし先日は部署全体での飲み会で、久しぶりに大掛かりなものであった。

同じ部署内でも、グループが違うと仕事を一緒にする機会がない。
たまに立ち話をする程度、もしくはほとんど話したことすらない人もいる。
大して飲めない私であるが、飲み会は決して嫌いではない。
普段からよく話す人や、そうでない人ともほどほどに話して
楽しんでいた。

飲み会も終わりに近づいてきた頃、
普段ほとんど話したことのない後輩が歩み寄ってきた。
彼は2つくらい年下の、わりと感じのいい人である。
「マキさんて、モテるでしょう。」

彼とは給湯室で会ったときに言葉を交わす程度だったので
正直そんなことを話しかけられるとは思わなかった。
少し驚きつつも、
「いやー。そうでもないよ。大してモテないのよ、これが。」
私はおどけて答えた。
すると
「いや、そんなことないでしょう。
モテすぎちゃって、困ってるんじゃないですか?」
と食い下がってきた。

いつの間にかもう1人、仕事上では言葉を交わすが、
プライベートの話をしたことがない後輩が会話に加わっていた。
「いやいや・・・モテませんって。」
私も引き下がらない。

マジメな話、ここ2年くらいまともに男性に誘われたためしがない。
別に「恋人一筋」だったつもりはないのだが、
周囲にもなんとなくそういうオーラが伝わっていたのだろうか。
私がここしばらく付き合ったり、告白されたりした人は
かなりの確率で既婚者だった。
別にそんな状況を恨めしく思ったり、後悔しているわけではないが、
正直「モテている」とは言い難い。

「それはマキさんの理想が高いからじゃないんですか。
『私って違うのよ』っていう感じですもんね。
『高嶺の花モード』っていうか。」
彼はそう言った。
ちなみに彼も既婚者である。
「えぇぇ?
 私って、そんなに感じ悪い??」
とすかさず私は答えたが、
正直、そんなところもあるのかもしれない、と思った。

私の在籍する部署は女性の人数が少ない。
独身男性が周囲にウジャウジャいる。
だから、その気になれば、男など選びたい放題なのだ。
ただし、残っているのは正直大した男ではない。
そんな中でも私はデートに誘われたことがない。
声をかけてくるのは既婚のKだけだ。

負け惜しみで言うわけではないが、
私は「その気になれない男」にいい顔をする趣味はないので、
相手に勘違いをさせるようなことはしたことがない。
(「意図的には」だ。勝手に勘違いされたことはある。)
そのせいで誘いがないのだとしても、全く異存はない。

しかし、最近の話であるが、
つい先日結婚したばかりの同じ部署の女性が、
配属されたばかりの頃、
「とてもとてもモテていた」
ということを聞いて、大変驚いた。
こんなことを言うのもなんだが、
実に大したことのない女性なのである。

背は小さく、コロコロしていて、
顔もパッと見は可愛く見えないこともないものの、
よくよく見ると、とても「綺麗」とは言えない。
性格は「とても」女性らしくて、
確かに男性から見れば可愛いらしいのかもしれないが、
給湯室でマグカップを割ってしまったら、
「やだ。どうしよう。どうしよう。」
と誰かが来るまでオロオロするような、浮世離れした「可愛らしさ」である。
これを彼女が「計算でしているわけではない」という点が
唯一の救いと言えば救いであるが、
いずれにしても40を間近にした女の正常な振舞いではないと私は思う。

「そんなところまで見えない」のかもしれない、
という点を差し引いて考えても、
とても男性からモテるような女性ではないと思うのだが、
(事実彼女は、この職場に来るまで30数年、
「彼」というものが出来たことがなかったらしい。
それがまともな感覚だろう。)
当時はモテモテで、
事務長のイイジマさんは、
相談に来る男たちの交通整理に大変だったそうなのだ。

そして彼女は、
「一番最初に告白する機会を得た」
男性となんとなく付き合いだして、みんなが忘れた頃に籍を入れた。
さらには、式を挙げてから入籍まで、
なんと2ヶ月あまりも時間が流れた、というのんびりぶりである。
私には「到底」信じられない。
私が男ならば、この間に絶対に別れているであろう。
女も女だが、それを許す男も男である。

余談だが、先日新郎にも会ったが、
やはり社会性ゼロの(私から見れば)「ダメ人間」であった。
私には「絶対に」付き合えないタイプである。
まさしく
「この妻にして、この夫有り」
である。
その意味ではとてもお似合いなのであろう。
周囲に迷惑をかけつつ、マイペースで勝手に幸せになってほしい。


ともかく。
そんな女がモテモテになるような職場なのだ。
言ってみれば、
「女性に対する評価が過剰に高い」
空間であるということだろう。

となれば、だ。
イヤな女を承知で言わせてもらえば、
私は
「この職場においては」
雲の上の人すぎて、男は誰も声をかけられないのだ。
綺麗すぎるのだ。
頭が良すぎるのだ。
なんでもできすぎるのだ。
高嶺の花なのだ。

後輩の男子が言った言葉は、ある意味至極まともで、
「オレたちレベルの男では相手にしてくれないんでしょう。」
ということなのである。
決してそんなつもりはないのだが、
私は自分から積極的に異性にアプローチをするタイプではないし
(そもそも「アプローチしたい」男も1人しかいなかった)、
チアキという親友もいて、1人で過ごすのも苦痛でないと来れば、
わざわざ職場の「得体の知れない」男性に
自らデートの誘いをするなどということは、するはずがないのである。
結果、
私は傍目には「縁遠い」女になる。

・・・別に全然いいんだけどね。
でも、やはりずっとこんな調子ではいけないのかしら。
雲の上から降りてきてあげないと、
私はいつまでも1人、雲の上で霞を食べる仙人になってしまうのかしら。

そんなことを思いつつ、
「『モテる』というのは、
何を持って証明されることなのだろうなぁ。」
と、ふと感じ入った私なのであった。
本当にあるとは思わなかった。
でも、実際そうなのかもしれない。

なにしろ、去年の秋くらいからいいことがない。
付き合っていた人とのバランスが崩れ、別れることになったし、
少し「ステキかもしれない」と思った男たちは相次いで結婚した。

仕事面も充実しているとは言いがたい。
というか、周囲からはどうやら認められているようなのだが、
当人としては、実態から遊離している感が否めず、
そのギャップが落ち着かないのである。
「大した仕事もしていないのに認められているなんて、いいじゃない。」
と言われればそれまでのことなのであるが。

とは言え、「大不孝」があったわけではない。
「小不幸」
もしくはさらに小さい「プチ不幸」クラスではあるが、
それの連続なのだ。

先日、
私は不注意から、日頃同じフロアで働く女性の車に、
自分の車をぶつけてしまった。
もちろん、私の不注意で起こしたことなので、
弁解の余地は全くないし、平謝りした。
「車を直してください。」
と頼んだ。
しかし、彼女は
「大したキズではないので、うちのダンナが直すから大丈夫。
どうか気にしないで。」
と、寛大に許してくれた。
大変ありがたかったが、その善意に
「あら、ありがとう。」
などと甘えるわけにはいかない。
私は食い下がったが、結局彼女は特別修理はしない、という方針を変えることはなかった。

決していいわけをするつもりはないが、ここにも厄年を感じずにはいられなかった。
もちろん、主原因は私の不注意である。
それを大前提の上で、
なおかつ、
「どうも『運』が良くないぞ。」
と感じてしまうのである。
ここしばらくぶつけることがなかった車を、
私は数年ぶりにぶつけてしまったのだ。
「いつぶつけたっておかしくない運転をしていたじゃない。」
と言われれば、もしかしたらそうなのかもしれないが、
それでも私は、これまでぶつけずに済んできた。
だとすれば、私は「運が良かった」のだ。
厄年で、その運も費えたか。

ところがそこから10日も経たぬ間に、
今度は私が原付バイクに追突された。
「あぁ、これも厄年の流れか。」
瞬間、私は思ったが、
すぐに
「もしかしたら、これはラッキーなのかもしれない。」
と考え直した。
「自分のお金を使わずに、バンパーを交換できる」
かもしれないのだ。

幸いにして、
私も、追突してきたバイクの少年も、怪我はなかった。
私は彼を怒らなかった。
私だって若い頃は散々ぶつけた。
人に衝突して迷惑をかけたこともある。
「免許を取って間もないし、まだ慣れていないのだから仕方がない。
お互い怪我がなかったのが不幸中の幸い。
車を直してくれされすればいいので、気にしすぎるな。」
と私は言った。
彼は新聞社で配達をしている少年で、バイクも会社のものだった。
対応してくれた営業所の責任者なる人も、まぁまぁ紳士的な対応だった。

そして昨日、保険会社から電話がかかってきた。
「全面的にこちらに過失があるということで、修理させていただきます。」
私は内心
「よし!車がキレイになる!」
とガッツポーズだった。


先日私は、パワーストーンを買った。
以前から気になっていた「ゴールドストーン」である。
別に本当に「パワーストーン」の効能を頼っているわけではない。
それにこの石は人工石らしい。
しかし、実際に石を見ていると落ち着く。
いい波動が伝わってくる気がする。
いいことが起こりそうな予感がするのだ。

この「衝撃」が、
悪い流れの最後となり、
また、いい流れのきっかけになればいいのだが。

そして近いうちに
「この人って、ステキかも。」
と思えるような男性が現れればいいのだが。

なんだか男のことばかり書いているような気がするが、
ともかく、好感を抱けるような男性が身近にいないのである。
災厄期間の短期化を望むばかりである。
3日前、あるSNSにつないでみた。
最初は、特別違和感は覚えなかったのだが、
ふと、
「あれ・・?なんだかいつもとちょっと違う。」
と感じた。
少し注意深く見てみたところ、
友人の枠から、彼が消えていた。

ザザザーッと、寒気に近い感覚が走った。
「ここまでするか!」
私は気色ばんだ。

フォトアルバムに続いて、SNSの友人枠からの離脱。
彼は徹底的に私から離れるつもりなのだ。

おそらく「退会」したのだろうな、と想像しつつ、
私は一応彼の所在を調べてみた。
彼を「お気に入り」に登録してあった。
仮に、彼が私と「友人」のつながりを絶ったとしても、
在籍さえしているのならば、追うことができる。

案の定、「お気に入り」にも彼の存在はなかった。
代わりに「彼であったであろう」無記載の人物がいた。
私はそこをクリックしてみた。
表示されたのは
「このユーザーは既に退会しています」
という文字だった。
やはり。
彼は、SNS自体から消えていたのだ。

彼と連絡を取らなくなって、約4ヶ月、
また明確に別れてから、約1ヶ月。

辛くて辛くて大変だったが、なんとか乗り越えた。
それは、
「別れても、友人として付き合えるだろう。」
という希望があったからだ。
そのよすがとして、
フォトアルバムがあり、SNSがあった。
そこでは、彼と私は確かににつながっていたのだ。

しかし、相次ぐ私からの「逃避」。
本人にそのつもりはないのかもしれないが、
今の私にはそのようにしか映らない。


ショックではあったが、冷静に受け止めた。
しかし、どうしても一言言ってやりたくなった。
私は彼にメールを打った。


フォトアルバム消したんだね。
SNSからも退会したみたいだし。
やっぱり写真を送ってくれる気はないみたいね。

「ここまでする?」というのが正直な感想。
以前Sさんは、私に
「女性は、別れたらそれっきりにしたがるよね。」
と言ったけど、自分こそがそういう人だったのね。

どうやら
今の私は、Sさんにとって煩わしいだけの存在のようですね。
私も、疎まれてまでSさんとコンタクトを取ろうとは思いません。
勝手ながら、
別れても良い付き合いができる友人だと信じていたのですが、
ガッカリです。
別れた男を憎むという経験を初めてできそう。
嫌なものだね。


もうどう思われてもいいや、と思った。
返事も来なくてよかった。いや、おそらく来ないだろう。
とにかく今の正直な心境だけは伝えてやりたかった。
「あなたは、
私に憎まれてもしょうがないようなことをしているんだよ。」
と。

すると、予想に反して15分ほどで返事が返ってきた。
そこにはこう書いてあった。


相変わらずだね。
人の気持ち考えないのはお互い様って感じ。
勝手に憎んで。
さよなら。


これを読んで、
「この人なりに、何か他意があったのだろうな。」
という気持ちは感じた。
単なる「逃避」ではない、彼なりの辛さがにじんでいるような気がした。
しかし、彼はそれを説明しない。
「説明したくない」のかはわからないが。

考えてみれば、
結局「なぜ」私たちが別れなければならなかったのか、
その理由すら、最後まで彼は説明しなかった。


反射的に、私は、彼に返事をしようかと思った。
来ないだろうと思っていた彼からの返事に、若干驚いていた。
しかし、何を書いていいものか。


「人の気持ち考えない」と言われても、
そもそも私は、Sさんの気持ちを聞いていないよ。
私は、Sさんに自分の気持ちを説明してきた。
別れた直後は取り乱したし、重い内容のメールを送ったかもしれない。
それは反省するけど、でもあれはあのときの正直な気持ちだったし、
そういう風にしかできなかった。
今はもう立ち直ったし、友人としてやはり大事な人だから
これからも仲良くしていきたかったのに。
それが迷惑なら、ちゃんと伝えてほしかった。
逃げるように、私との関係を絶つのではなくて、
「今の俺には無理。」という風に、自分の気持ちとして伝えてほしかった。
それをしないで
「人の気持ち考えない」というのは、あまりに身勝手なのでは?



・・・しかし、何を言い返しても、泥仕合になる予感がした。
私は書くのをやめた。
向こうも、私のメール文のあまりの内容に
「着信拒否」しているかもしれない。
送っても届くかわからないのだ。


そして、私は思った。

好きだから、
理解したかった。
理解してほしかった。
説明してほしかった。
でも、無理だった。


結局、私は彼を美化していたのだ。
思えば、付き合っているときから似たようなことを繰り返していた。
言葉は足りていなかった。

一緒にいれば、満ち足りた。
喧嘩をしても、抱きしめてもらえれば幸せだった。
彼は、自分の言葉の未熟なところを、
実際に私に触れることで補っていたのだ。


多すぎる言葉は重要なものを見えにくくするが、
少なすぎる言葉は、誤解や邪推を生む。
彼は、必要なところでこそ、言葉が足りなくなる。
そういう人だった。

衝突したこともあった。
別れようと決心したこともあった。
・・・それでも好きだった。
喧嘩をしても、
会いに来てくれるのを待っていた。
会えば、仲直りできることを知っていたから。
早く謝ってほしかった。抱きしめてほしかった。
しかし、
顔を合わせることのできない彼とは、誤解を解くことができない。


私は、やっとそれを理解できた。

「諦めるしかないんだな。」

「そういうこと」を全部含めて
やはり彼とは合わなかったのだ。
「私は、言葉の足りない人とは、うまく付き合えないんだ。」
切ないけれど、それが目の前にあることだった。
ずいぶん時間を費やしたが、やっとやっとわかったのだ。


スッキリした。
これまで何度も何度も書いてきた、「スッキリした」が、
本当はスッキリしていなかったこともわかった。
今私は、
本当に解放されたのだ。

もう彼にメールすることはないだろう。
それは「友人として」も含めてだ。
彼と私の人生は、ほんの一時期交差しただけだったのだ。


もしかしたら、
何年か後に彼にメールをする日が来るかもしれない。
「私、結婚することになったの。」
そのときは、
「良かったね。おめでとう。」
彼もそういうメールを送ってくれるだろうか。

そんな日が来ることを夢見て、
私は生きていこうと思う。
さっき、彼のフォトアルバムにアクセスしてみた。

「このアルバムには現在、何も入っていません。」

ショックだった。
ついに来るべきときが来たか、と感じた。

およそ10日前のやりとりから、
「近いうちに削除しますね。」
という意思は伝えられていたが、
それからほぼ毎日アクセスしてみたところ、
実際には私の画像は残っていた。
いずれ消されるのだろうな、と漠然と思ってはいたが、
本当に消去されているのを目の当たりにすると、少なからず衝撃を覚えた。
確か、昨日までは残っていたはずなのだ。

「写真を送ろうか?」
のメールに対して、私は
「消したいの?どうか残してくれない?」
と返答した。
それに対して彼は怒ったのか、
「消したいのか否か」の質問には答えず、
「では、近いうちに削除しますね。」
との返事だった。
翌日私は
「やっぱりもったいないので、写真を送ってもらえませんか。」
とメールを送ってみたのだが、
その願いは聞き入れられたのだろうか。

私は自宅ではほとんどメールチェックをしないのであるが、
さっき確認してみた。

・・・彼からのメールはなかった。
これから送ってくれるつもりがあるのかわからないが、
少なくとも今の時点でメールはない。

本当に、送ってくれないつもりだろうか。

普通に考えたら、
彼は人から頼まれたことには、できるかぎり力を尽くしてくれる人である。
それが叶わないということなのか。
私は、彼にとって「依頼に応えたい」人間ではないのだろうか。

私は、彼に「本当に」憎まれているのだろうか。

だから、写真を送ってもらえないのだろうか。


男女の仲ではなくなっても、友人ではいたいと思っていた。
別れた直後は、私も感情の整理ができなくて、
彼にとっては「重たいであろう」感情をぶつけたりした。
それについては、良くなかったのかもしれないと反省もある。
しかし、そんなに酷いことをしたか?
憎まれるほどのことか?
「その他大勢の」友人たちと比較して、
それを下回るほどの軽んじられ方をされるほどの?
可愛さあまって憎さ100倍ということなのか?

なんだか本当に幻滅しそうである。
そんな小さな男だったのだろうか。

1週間、待ってみる。
写真を送るのに、手間取っているのかもしれないから。
しかし、この1週間の間に何の連絡もなかった場合、
私はおそらく彼を憎むことになるだろう。

煩わしく思われるかもしれない。
しかし、1度はっきり意思確認をしたい。
「私を、嫌っているのか。憎んでいるのか。
もう連絡すら取りたくないのか。」

いっそ「yes」の返答がほしいと思う。
これまで1度もないが、
別れた男を憎むという経験が、
初めてできるのかもしれない。
昨日は珍しく、仕事が忙しかった。
普段はやらないような作業もたくさんやった。
そのせいもあって、今日の私は調子が悪かった。
胃が重いのだ。
そして、やたらとダルイ。

午前中パパがメッセンジャーで話しかけてきた。
「仕事が忙しそうだね。」
に対し、
「昨日の仕事のせいで、今日は胃が重いよ。」
と返答する私。
「どうして?」の質問に、簡単に事情を説明した。
それをわかっているのか、いないのか、
「最近出張はあるの?」
と聞くパパ。
「本当に美味しいものが食べられればいいのにね。」

これに私はプチキレした。
「今そんな気分じゃない。」
「???」
「調子が悪いの。」

それに対し、
「胃腸薬は飲んだ?」
と返答が来たが、もう私には煩わしいとしか思えない。
無視してしまった。
「また後で連絡するね。」
とメッセージが入ったが、
『今日は、もうこれ以上はたくさん。』
と、私はパパをまた「禁止」にしてしまった。

・・・薄情な女だろうか?

やはり私は、
1度「要らない」と思った男は
2度と「要らない」のだな、と思った。
ましてや、
パパの場合は、その「過干渉」がきつくて嫌になってしまったのだ。
ラブラブの頃は嬉しかった「少々過剰な」触れ合いも
ある時期を過ぎればうるさいだけである。
やはり彼とはもう戻れない。

「近いうちに会いたい」に応えることもできそうにない。
そんなことをしたら、ますます嫌いになってしまうだろう。

・・・このままパパを「禁止」にし続けるのか?

と思う一方で、
「『彼』も私のことを、そんな風に思っているのだろうか?」
と考えてしまった。

以前は積極的だったやり取りも、今は全くない。
波を乗り越えた私には、それはもう心の傷にならないが、
やはり気にはなる。

・・・私は「煩わしい」と思われているのだろうか?

それとも彼も私と同じで、
「1度終わった場所にはもう戻れない」人間なのだろうか。
まあ、私の場合は、
「嫌いになって終わった場合」と限定されるのであるが。

彼は
「嫌いになったわけでなくても」戻れないのか
「やはり私を嫌いになってしまった」のか。

1ヶ月前の私は、それを彼に聞きたくて聞きたくてしょうがなかった。
しかし、今の私はどちらでもいいと思えるようになっている。

・・・私は嫌われているのだろうか。
確かに、
最後は嫌われてもしょうがないような態度を取ってしまった一面はある。
しかし、私たちの本質はほかにあると
彼も理解してくれていると思っていたのに。

それは、惚れた弱みの単なる幻想なのかもしれない。
美化なのかもしれない。


あぁ、いい男はいないだろうか。
一緒に年を取っていきたいと思えるような、
魅力ある男性は。
一昨日の連絡によって、昨日からパパとメッセンジャーを再開した。

予想できていたことであるが、パパは積極的に話しかけてくる。
が、私はその都度答えてはいない。
パパもそれをわかっているのか、以前のようにしつこくは話しかけて来ない。
やはり学習しているのだろう。
しかし、これが今後どう変わっていくのかはわからない。
私としては、冷たいようだが、
「うるさいな。」
と思ったら、またすぐ禁止にするつもりだ。
男の人と付き合って、楽しかったり癒されたりするのならばいいが、
ストレスが倍増しては意味がない。
私は、やっとそういう生活から脱したのだ。

一方で昨夜、先週録画した番組を、DVDで見ていたら、
「彼」が以前飲みたがっていた酒が出てきた。
珍しい種類のものだったので、すぐにわかった。
「余計なおせっかいかな。」
とも思ったのだが、
「○○で売っているみたいよ。テレビで見ました。」
とメールしておいた。
向こうにとっては迷惑だろうか。
返事は来るだろうか。

いずれにしても、穏やかで、すがすがしい時間は本当に短い。
初夏のさわやかな期間は短く、すぐ梅雨に突入してしまう
今の季節のようだ。

毎日少しずつだが、私の日常は変化している。
明日は何が待っているのか。

良い方向に進むことを祈るばかりである。
最近になって
「私は元気になった。」
と日記に書けるようになった。
昨日などは、帰宅した際に
「すがすがしい」気持ちすらしたものだ。

これまで私は毎日のように
「今日は連絡があるだろうか。明日は会えるだろうか。」
と気をもみ、
実際に会えたときには
嬉しさや楽しさと同時に、嫉妬心や、離れる切なさなどを感じ、
休む間もなく感情を揺らしてきた。
連絡が取れなくなってからは、
寂しさを感じる一方、結果的には辛抱強く「待ち」、
いずれなんとかなると自分の慰めた。
そんな3年間を私は過ごしてきたのだ。

しかし、昨日の私。
とても穏やかな気持ちだった。
何も心配することがない。
何にも縛られることがない。
私は自由で、安らかだった。
こんな気持ちは何年ぶりなのだろうと
本当にすがすがしく思った。

26歳や27歳の頃、きっと私はこれに近い感情で暮らしていた。
安定して付き合っている彼がいて、平穏な日々だった。
細々とした問題はあっても、
自分の身の上について、本質的に悩むことなどなかった。
しかし「穏やか」と「退屈」は表裏一体だ。
私は変化が欲しかった。日常に刺激を望んだ。
そして、それは叶えられた。

そこからはあっという間だった。
私はそれに慣れてしまっていたのだ。

私は空を仰ぎ見た。
数年ぶりに感じた平穏さ。
26歳や27歳のときと似た感情だろうと書いたが、おそらく同じではない。
あのときは当時の彼のことで、それなりにストレスも感じていた。
きっと、無意識に別れたかったのだ。
そういうことまで考慮すれば、今の私は「本当に」自由なのだと感じた。
本当に解放され、本当に安らかなのだ。
私はこんな気持ちを味わせてくれた背中の人に感謝した。

・・・と、それから1時間もしないうちに、携帯電話が鳴った。
それはレイコママからであった。
「どうやー。マキちゃん、元気か?」
と、数ヶ月ぶりのママは、変わらぬ調子で聞いてきた。

「それがママ、変わったわ。私、別れたんや。」
「え?」
「別れたんや。付き合っとった人と。」
「ええ?ホントか。」

私はママに簡単に事情を説明した。
ママは黙って聞いていたが、
「そうか。それはなんか寂しい話やな。」
と言った。
「ママ、でももう私、元気になったんや。
今はスッキリ、すがすがしい気持ちや。
これからええオトコ探すぞ~。」
と、おどけて私は言った。
しかし、それは本心だった。

「そうか。それならええけど。
ごめん、お客さんおるし、今日は切るぞ。またメールすっし。」
「はーい。またね、ママ。」
と言って、私たちは電話を切った。

この時期に電話をもらった奇遇さを感じた。
これが1ヶ月前だったら、
と思うと、私は不思議な感情にとらわれた。
・・・きっと私は、ママに泣きついていたであろう。
未練をつらつらと話つないだだろう。
・・・・・気持ちに一段落ついた頃にもらった電話。
これも誰かのきまぐれ的配慮だろうか。


しかし、偶然はそれだけではなかった。
それから1時間後、また私の携帯電話が鳴った。
それは、なんと。
パパからであった。

ほぼ1年前に、遠距離恋愛が苦になり、
私の方から、ほとんど一方的に連絡を絶ったパパ。
それから何度かメールのやり取りはあったものの、
ほぼ絶交状態が続いていた。
正月に
「仕事で都内に来るので、できれば会いたい。」
という連絡をもらった際も、結果的には無視してしまった私である。
・・・・なんという偶然だろうか。
レイコママの直後の電話。
懐かしさの一方、自戒の念も働き、私は久しぶりに電話を取った。

「もしもし。」
「僕です。・・・久しぶりやんね。」
「うん。パパ、ごぶさたやったわ。元気にしとる?」
「元気や。マキはどうや。変わらずか。」
「なーんも変わっとらん。」

「本当は」いろいろあった私だが、それは彼には言えない。
しかし、少なくとも「パパの目から見た私」は、
1年前と何も変わっていなかった。
いや、おかしなことに、図らずも「本来の姿」になっていた。
独身で、彼氏のいない私。
何も変わってはいない。

パパは、先日、自分の息子が結婚したのだ、と言った。
パパの息子さんは、私より4歳か5歳ほど年下のはずである。
確かに結婚してもおかしくない年齢である。
それにしても、時間の流れは速いものだ。
パパと別れてほんの1年の間に、人が1人結婚する。
そして、私はほかの人と別れた。

パパは私に彼ができたかどうか尋ねた。
「彼氏、できんわ。」
と私は言った。
「ウソ。なんでや。」
とパパは言う。
「なんでって言われても、できんもん。みんなダラばっかりや。」
と私は答えた。

ハハハ、とパパは笑い、こう言った。
「マキに会いたいわ。会いに行ってええか。」
私は半分冗談だと思い、こう答えた。
「おぉ、いいよ。
パパ、私に会いに来てくれるん。」
すると
「6月に入ったら、会いに行くわ。」
とパパは答えた。

私は少々驚いた。
パパは出不精な人である。
しかし、以前付き合っているときは、2人の中間地点の名古屋や
私の住む町までわざわざ出向いてくれた。
それはそれでありがたかったが、そういう生活は長くは続けられない。
全ての段取りをするのは私だったし、もちろん私は仕事もしていた。
先日別れた彼とも、同時進行で付き合っていた。
遠方から届く過剰な愛情と束縛は、私のストレスとなった。
結局、私はパパと別れた。

そういう経緯があったばかりに、私は返答に困った。
「羽田までは行けるわ。迎えに来てくれるか。」
「本当に来るん。遠いよ。」
「そういうバカがおっても、ええんやないか。」
と彼は言った。

確かに久しぶりにパパに会いたい気がした。
私は、以前の彼の
「私を呼び寄せよう。」
という姿勢に嫌気がさした部分があった。
ところが今回は、自分が東京まで来るという。
それなりの反省と覚悟があるのだろうと感じた。

しかし。
ここでまた会ってしまっていいのか。
ただ会って、食事をするだけならばいい。
しかし、東京まで来てしまったら、日帰りというわけにはいくまい。
我が家に泊まっていくことになろう。
そして、泊まるということは・・・?

「彼」と別れた直後だからこそ、パパと会いたい気もした。
しかし、やっとこさ苦悩を乗り越えた私が、
また同じことを繰り返していいのか。
相手を変えてはいても、結局は同じことである。
いや、相手を変えているからこそ、
このままずっと同じことを続けていってしまいそうな気がした。

パパのことは好きである。
しかし、また男女の仲になってしまってはいけない気が
とてもしていた。
こちらはそういうつもりでも、向こうがどうかはわからない。
急速な接近は、新たな軋轢を生むような予感もした。

「それは嬉しいけど、私、パパの熱い思いに応えられる自信がないんや。
急に接近しても、また嫌になってしまうかもしれんし。」
私は牽制した。
しかしパパは、
「また嫌になったら、そのときはそのときでええやろ。
・・・マキ、愛してる。」
と、とどめを刺した。

ともかく、
私が「禁止」にしていたメッセンジャーを再開通することだけは話がまとまった。


軽はずみに動くつもりはない。
せっかく手に入れた、穏やかな感情と時間を壊すつもりもない。
しかし、それにしてもこの展開はどうか。

「・・・ねぇ。
『楽しくなりたい』とは願ったけど、
もっと普通でいいよ。」

背中の人にやれやれと呼びかける私がいた。