ここのところ、休みのときには必ず誰かがいた。

G.W.前半は実家に帰っていたし、後半はチアキが遊びに来た。
その翌週はノリコが遊びに来たし、さらに翌週は母が遊びに来た。
全員、休みの間中一緒にいたわけではないが、
休日期間の半分くらいは一緒にいたのである。
そしてこの週末だ。
私は終日1人だった。

私は1人が苦痛でない。
たまに「寂しいなぁ。」と思うことがないわけではないが、
基本的には1人の時間を楽しめるタイプだ。
だから、誰かと一緒に過ごした週の翌週などは
「あぁ、今日は久しぶりに1人で過ごす週末だ。のんびりできる。」
などと、むしろホッとしたりしたものであった。

ところが、今週(便宜的にこう呼ぶことにする)の私は違った。
寂しいのだ。
1人でいることが、心もとないのだ。

考えたら、
先月末の彼との別れ以来、休日には必ず誰かと過ごしていたことになる。
別れたその週は、気持ちも混乱していたし、
ところ構わず涙が流れ出るような状態だったから、
むしろ1人でいられる空間は貴重だった。
「寂しい。」
という感情よりも、
「悲しい。泣きたい。」
という欲求の方が強かったのである。
そしてなんだかんだ言っているうちに、G.W.に突入。
私は嫌でも家族と過ごすことになる。
それから後は、先述の通りだ。

別に、急に休日の寂しさを感じることはないと思っていたが、
実はそうではなかったのだな、と感じた。
「誰かが遊びに来ていた」のではない。
「誰かがそばにいてくれた」のである。
これも私の背中の人の配慮なのだろうか。
別れた時期がG.W.の直前だったというのも、
偶然ではないのかもしれない。

寂しくなる度、チアキに電話した。
土日だけで3回か4回電話した。
彼女はその都度、私の気持ちを受け止めてくれた。
秋には、この街の近くに引っ越してきてくれるとすら言う。
とてもありがたい。感謝の気持ちでいっぱいだ。
私の1番の親友。彼女を愛している。

別れて以来、「初の」1人きりの週末を私は乗り越えた。
気持ちは寂しかったが、行いが乱れたわけでもない。
普段の休み通りに過ごした。
家事と、近所のスーパー銭湯と、少しの買い物と。
図らずも、イレギュラーに過ごしたここ数回の休みを、
レギュラーに過ごしたことで、
私はまた日常を取り戻したのかもしれなかった。

今朝、彼をまた1つ遠く感じた私がいた。
以前は会いたくて会いたくて仕方がなかった。
もしも会ったら、
「いけない。」
と思いつつも、おそらく抱きついてしまうであろう自分がいた。
しかし、今の私はそうはしない気がする。
・・・・実際に会った際の保証はないが。

「1ヶ月か・・・。」

そう思った。
忘れるのにちょうど1ヶ月かかった。
長かったのか、短かったのか。
今の私にはわからない。
さらに時が流れて、より客観的に自分を見つめ返すことができるようになったとき、この恋愛の評価が定まるのであろう。

「悪しき縁」だったとは思っていない。
しかし。
やはり、間違っていたのかもしれない。

それは彼も感じていることかもしれなかった。

それでもなおかつ、今の私に言えることがある。
「後悔はしない。」

これは「将来の私」も変わらず言えることであろう。

私が「本当に」立ち直るのは、もう少し先のことなのであろうな、と
正直に思えるようになった私がいた。
私は元気だ。

この日記で、ずーっと
「私は大丈夫だ。もう立ち直った。後悔しない。出会えて良かった。
彼には感謝している。またきっと会えるだろう。」
と毎日毎日、言葉を変えながら書いてきたが、
実際には、とても無理をしていたのだ、
ということが、今さらながらわかった。

今週の月曜日の「久しぶりの大波」で、
私はどっぷり落ち込み、しかし、チアキのおかげで立ち直った。
今度こそ「本当に」立ち直れたような気がしていたが、
「本当に」そうだったようだ。
なんだかスッキリしている。
気持ちが晴れやかだ。
本当の笑顔が出せるようになった気がする。

これは「別れて以降出せなかった笑顔」ということではなく、
「彼と付き合っていたときから」出せなかった笑顔が、
戻ったような気がしているのだ。
例えて言うなら、
憑依していた霊が除霊されたかのような気持ちだ。
(そんな経験はないが)

報われない恋をしている女は、
そんな意識は全くなくても、どうしても暗い影を背負っている、
というような話をよく聞いた。
また自分でも
「確かに後ろめたい気持ちがないわけではないから、
そういうオーラは出ているかもね。」
とは思っていたが、まさかここまでだとは思っていなかった。
意識していなかったが、この3年間の私は、退廃的な雰囲気が漂っていたのに違いない。

自分では健康系だと思っていたのに、皆からは
「小悪魔系だ。」
と言われた。
それはそれでうれしかったが、
「そんなに小悪い女に見えるのかしら。」
と自意識とのギャップを感じたものだ。
しかし、全てが過ぎ去った今、過去の自分を振り返って、
改めてわかったことがある。
やはり私は、
「既婚者と付き合っている」
という、暗いオーラを背中から発していたのだ。

彼には
「無理に忘れない。ずっと大事だし、ずっと好きよ。」
とメールした。
その一方で、
「早く忘れたい。楽になりたい。」
と思ったりした。
そして
「あんなに好きだと言ってくれたのに、
どうして彼はこんなにもドライなのだろう。」
と少し恨めしく思ったりもした。

しかし、今私はわかった。
「忘れない」とか「忘れたい」じゃないのだ。
それは厳然たる事実で、その他多くの記憶とともに、
私の海馬に残されるのだ。
その記憶に対する感想や思い入れは様々であるとしても、
私の過ごしてきた時間の1ページとして、静かに永遠に残されるのだ。

もちろん、後悔はしない。
また出会えたことに感謝もしている。

しかし、過剰にロマンチックに、またドラマチックに美化することはないのだ。
私の恋愛履歴の1つなのだ。

今でも好きだ。
時間が過ぎても、きっと好きだろう。

でも、やはり私は、結ばれる可能性のある相手がいい。
心からの笑顔で付き合える人とめぐり会いたいものだ。
去年の9月、
某通信販売会社が企画している、毎月末に食品が届く商品を注文した。
冷凍パスタである。

私は今まで「おいしそうだなぁ。」と思っても、
この手の商品を注文したことはなかった。
1人ではもてあましてしまうのが目に見えていたからである。
しかし、彼の随一の好物がパスタなのである。
しかもこの商品は、冷凍だが「生パスタ」。
彼は生パスタが好きだった。
私は注文することに決めた。
2人で食べられるなら、楽しいに違いない。

しかし、この商品が届くようになってしばらくして、私たちのバランスは崩れていった。
というか、「私が」崩れただけかもしれない。
ともかく、なかなか会えなかったり、私が泣いたりしていた。


今年に入って、彼は我が家に来なくなった。
しかし、毎月末にパスタは届く。

私はそれが食べられなかった。
「近いうちにまた来るんじゃないかしら。
そのときのためにパスタをとっておかなくちゃ。」
彼がそれを望んでいるとは、決して思わなかった。
しかし、勝手な思いから、私はパスタをとっておいた。
いや、そうすることで、彼がまた来てくれると信じたかったのかもしれない。

来ない日が3ヶ月になった。
パスタは、毎月「2種×2食」、計4食が届く。
私の小さな冷凍庫はすぐ一杯になった。
私は「諦めて」1種×1食ずつ食べることにした。
こうすれば、なんとか全種類はとっておける。
2人で同時に同じパスタは食べられなくても、
彼が来たときに、望むパスタは作ってあげられる。

それでもやはり、
次から次へ届くパスタは、我が家の冷凍庫をすぐに一杯にした。


先月私たちは決定的に別れることになった。
結局、冷凍パスタが彼の口に入ることはなかった。


それから1ヶ月が過ぎた。
わかっていたこととは言え、私は、泣いた。
辛い時間を過ごした。


そして今、私はかなり立ち直りつつある。

今週くらいから、私はパスタを食べ始めた。
やっと「2食とも」食べられるようになった。
冷凍庫の中身が少しずつ減っていく。

昨日、今月分の冷凍パスタが届いた。

また少し狭くなった冷凍庫を覗きつつも、
「大丈夫。きっとすぐに食べるから。」
と笑う私がいた。
昨夜、想定外に彼からメールが来た。
その2日前に私が送ったメールに対する返事だった。

「お母さん、センスがいいんだな。
ところで、フォトアルバムに載せてる写真はどうする?
削除するには勿体ないぞ。」

彼のフォトアルバムには、まだ私の画像が残っていた。

「マキがファイルを持っているのならいいんだけど。
綺麗にとれているから、将来に使えるかも。」

正直、「将来に使える」類の写真でないことは確かなのだが、
別れた後も、そこに「私の」写真があることで、
私は彼とまだつながっているような気がしていたのだ。

「ファイルはないよ。
あれ、私のカメラで撮った画像じゃないもの。」

「それじゃ、時間を見て、メール添付で送るよ。」


私は確かめたかった。

「消しちゃうの?
差し支えなければ、あのままとっておいてよ。
そうしてくれると、うれしいなぁ。」

「いつ死んじゃうかわからないし。
マキのフォトアルバムにとっておきな。」


・・・どうしても「消したい」のだろうか。

「『消したい』の?
それならしょうがないけど。
私自身の画像を送ってもらってもなんだし、
それをとっておいてくれる人がいるなら、うれしい。」

「俺は要らない画像とは思えなかったから、一応本人に確認したまで。
じゃ、近いうちに削除しときますね。おやすみ。」

メールはそこで途切れた。


・・・どうしても「削除」するつもりなんだなぁ。
私は複雑な気持ちだった。
メールが来たこと、やり取りできたことはうれしかったけれど、
「お前の写真はもう要らない。」
と言われてしまったのだ。

もう彼の中では、
私は「画像」としても見たくないような存在なのだろうか。
それとも何か他意があるのか。


一昨日、感情の波が来て、泣いて、
しかし友人によって救われ、元気を取り戻したせいか、
私は比較的平常心でやり取りすることができた。
何気ないやりとりがいいだろう、と事情を知る人からは言われ、
自分でもそうした方がいいと思った。
だから、メール文もそのようにしたつもりだったのだが。

・・・うまく表現できなかったのか。
彼を不機嫌にさせたのか。
それとも、そういう問題ではないのか。


数日前の私ならば、もっと動揺してしまっていたかもしれない。
しかし、一度大波を乗り越えた私は、良くも悪くも平静だった。
もうどういう展開になっても仕方がないと思った。
・・・・こんなことは、
1月の時点から考えていることではあるのだが。


彼が撮ってくれたから嬉しかったし、
それを彼がとっておいてくれることに価値があると思った。
「彼の目に映る私」が大事だった。
それがもう「不要」ならば、そんなものにはもう意味がない。
いっそ「削除」してもらおう、とも思った。

・・・しかし、まだ強くなりきれない私がいる。
彼の撮ってくれた画像を、残しておきたい私がいる。
消すことは、いつでもできるから。。。


今朝、私は再びメールを送った。

「昨日の件ですが、もう一度考えました。
勝手ですが、やっぱり写真を送ってもらえませんか?
Sさんが撮ってくれたから嬉しかったし、
Sさんがとっておいてくれることに価値があると思ったけど、
Sさんにもうその気がないのならば、迷惑なだけだもんね。
『削除してもらってもいいな』とも考えたのだけど、
せっかくキレイに撮ってもらったし。
いろいろごめんなさいね。」

・・・彼が返事をくれるのか、
また私に写真を送ってくれるのか。

どういう判断をするのか、私はとくと見守りたいと思う。

ここからが、私と彼の新たな関係の始まりになるのだ。
昨日はなんだかマイナス思考だった。

御勝手の照明の件で、
「どうしようかな。」
と思いつつ、1ヶ月ぶりに彼にメールを送り、
「返事はきっとこないだろう。」
と想像しつつ、やはり返事が来なかったことも多分に影響していたのかもしれない。

夕方、私は珍しく気持ちが下向きだった。

「忘れたい。」
そう思った。

今まで私は、誰かと付き合って別れても
「早く忘れたい。」
なんて思ったことはなかった。
私から別れを切り出すことの方が多かったし、
そのときには次の彼が待っていることも多かった。
「嫌いになって」別れるというほどまではいかずとも、
大概は
「もういいやと思って」別れるパターンだった。
だから、未練を残すということがなかったのだ。

いや、正確に言えば、12年ぶりだ。
そのときは「別れた」のではなく、
「想いをよせている人が別の人と結婚した」のだったけれど。

話はそれるが、12年前にそれを経験したとき、私はまだ子供だった。
心も体も。
男女の愛憎なんて知らないかわりに、純粋だった。
傷つく度合いも大きかった。
しかしそのときは、相手が私を救ってくれた。
「結婚しても、また会える。」
彼はそう言った。

不思議なことだが、また勝手な解釈に過ぎないのだろうが、
その一言で私は、
「あぁ、この人は奥さんになる人のことだけでなく、
私のことをも大事に考えてくれているのだな。」
と感じた。

この人の、こんなところが好きだったんだ。
この人を、好きになって、よかった。

そう思えた。
その瞬間、辛くて辛くてしょうがなかった私の気持ちは昇華した。
「もしも連絡すれば、この人はいつでも会ってくれるだろう。」
そう思えた。
それ以降、彼とは二度と会っていない。
それでもう十分だったのだ。


そう思うと、
私は別れによって、真に辛い思いをしたことがなかったのだとわかった。
今の私は、現状を頭では理解しつつも、心が納得できていない状況だ。
「これが『失恋』なんだ。」
そう思った。
さみしかった。誰かに抱きしめてほしかった。

前は抱きしめてくれる腕があった。
それは「いつも」あるものではなかったが、
求めれば手に入らないものではなかった。

あの大きな腕が好きだった。
抱きしめられるのが、
キスしてもらうのが、
好きだった。

いや、今でも好きなのだ。


「辛い。辛いよ。
でも、この
『辛い。忘れたい。』
っていう気持ちを教えてくれたんだよね。
彼と付き合わなければ、
私はこんな感情を一生知ることはなかったかもしれない。」

そう思った。
必死で前向きにとらえようとした。
でもやはり辛かった。

久しぶりに涙を流した。

どうして今、私は1人なのだろう。
どうして、誰も抱きしめてくれないのだろう。
私はわがままなんだろうか。
愛されない人間なんだろうか。

「因果応報だ、っていうことはわかっているよ。
私の願いは叶えられているし、
別れることだってきっと本望だったに違いない。
でもやっぱり辛いの。
私を守ってくれている方々、
どうか
『ここを乗り越えれば、いいことがあるよ。』
と言って。
この辛さは必要なもので、いずれ明るい光が差し込むと教えて。
その日はいつ来るの?
明日なの?
来月なの?
誕生日なの?
それとも今年が終わる日?
・・・どうかどうか、この辛さを救って・・・。」

祈った。泣いた。

・・・次第に涙が収まってきた。
「なんとかがんばれそう。」
私は日常生活に戻った。

そのとき、チアキから電話がかかってきた。
彼女は疲れて、空腹だった。彼女も大変な環境で生活している。
私もその頃にはだいぶ回復していた。
わざわざ言わなくても平気だ、とも思った。
でも、せっかくなので、先ほどまでの自分の気持ちを素直に話した。

チアキはよくわかってくれた。
彼女とは元々1人の人間ではないかと思うくらい、思考が似ている。
これまでも、彼女は私の気持ちを十分に理解してくれた。
そして、今日もそうだった。

2人でゆっくり話した。
「お互い、現状に不満を抱くことはあるけれど、
基本的にはとても幸運で幸福な人生を送っていると
感謝しなくてはいけないよね。」
私は、自分に言い聞かせるように、彼女に話した。
「うん。そうだね。」
と彼女も言った。

スッと何かが流れていくのを感じた。
さみしい気持ちも一緒に消えたようだった。

私は見違えるように元気になった。
チアキは救世主だったのだ。

私があまりにも辛そうにしているので、
背中の人が助けてくれたのかもしれなかった。
「十分に苦しんでいる。」
と認めてもらえたのだろうか?

もちろん、チアキ本人には一番感謝しなくてはいけない。


今日の私は軽い気持ちだ。
さっきなどは鼻歌まで出た。


今度こそ、今度こそ、本当に、
私は救われたのかもしれない。

その結論を出すには、もう少し時間が必要だが、
少なくとも昨日の切なさを緩和してくれたことに対して、
私は感謝するし、乗り越えてみせようと誓うのだ。
母が来た。
そして、台所に座り、照明を見上げてこう言った。

「これ、どうしたの?買ってきたの?」


それは、彼が作ってくれたものだった。


「・・・これ、
本当は、ご飯にほこりがかぶらないように被せる傘なの。
友達が電球を併せて、こういう風に作ってくれたの。」

私は平静を装いつつも、ちょっとはにかみながら答える。


母は
「へぇ。
こういう風にするの、いいね。
100円ショップとかで売っていそう。」
と言った。


最後の「100円ショップ」というのは
傘のことなのか、電球部分なのか、それとも全体を指してのことなのかよくわからないが、
元々一言余計な人なので、彼女なりに誉めたのだろう。
・・・と、思うことにした。
きっと
「おおげさではない、さりげない感じがいいね。」
と言いたかった。
のだろう。



私は照明を見上げ、
これを彼が作ってくれたときのことを思い出した。

あの時間はもう戻って来ない。

しかしそれでも、
心温かくなった。


なんだかとてもうれしかった。
この週末で、母が初めて私の現住所を訪れた。

母は悪い人ではないのだが、発想が独特で、過剰にマイペースで、
また表現の仕方がよくないので、私は付き合いづらい。
子供の頃は、そんなに強くそれを感じたことはなかったのだが、
社会人になってから実感するようになった。

市の職員ということで、どうしても殿様感覚が抜けないせいなのか、
それとも単に田舎の人だからそうなのかはわからないが、
人との約束というものに無頓着だ。

私は以前、石川県に住んでいたときに彼女と待ち合わせをして、
とんでもない目に遭ったことがある。
自分の親だから会いには行ったが、
親が自分にした仕打ちかと思うと、
切なくて、情けなくて、頭に来て、涙が出た。
その話をすると、友人たちみんなに
「よく会いに行って『あげた』ね。」
と驚かれる。
私自身もあれを許すことはできない。
それ以降、彼女と
「二度と外では会わない」
という誓いを立てた。
それだけ不条理な待ち合わせだったのである。

結局、その一件以来、彼女とは実家以外の場所では会っていなかったのだが、
今回伊豆に登山に行くついでに私の元へ立ち寄りたいと言う。
「なにしに来るの。」
私は率直に聞いた。

我が家は
「娘かわいや。会いたや。」
という家庭ではない。良くも悪くも。
寂しい一面もあるが、向こうの干渉もない分、こちらも情をかけずに済むのが良い。
クールに自分のことだけをこなしていれば良いのだ。
つまらないことで、またお互いの感情を害するのだけは避けたかった。
分かり合えない親子なら、それは仕方がないが、せめて衝突せずに暮らしていきたい。余計な触れ合いを望んだばかりに、仲たがいが起こるのは本末転倒である。

「いいの。『行きたい』の。」
と母は相変わらず「自分の」主張をする。
「外」で待ち合わせをするのはまっぴらだが、私の住む所まで来るというのだから、しょうがない。
私は受け入れることにした。

石川の一件で激しく私に抗議され、少しは反省したのか、
母は母なりに気を使っている様子であった。
到着の時間などを細かく連絡してきた。
金曜日の深夜に最寄り駅に到着した後、ビールとつまみを買って自宅に戻った。
そこで思わぬ長話が始まった。

主には妹の話である。
私には2人の妹がいるが、正直どちらも一人立ちしきれていない。
「そういうつもり」がないわけではないのだろうが、
まだまだ力が足りないのだ。
母はそんな妹たちを
「不本意ではあるが、まぁしょうがない。」
という表現をした。


私は厳しく育てられた。
親の要求を100%叶えてきたわけではないが、私なりに努力はしたし、
少なくとも80%くらいは叶えてきたつもりだ。
しかし、親はそんな私を認めなかった。
やってもやっても
「まだ上がある。もっと頑張れ。」
と叱咤され、
受験校を変えると
「お前は努力することを諦め、志望校を落とした。」
と誹謗された。
こんな私が、一刻も早く実家を出たいを思ったことに無理はあるまい。
それでも私は、親に迷惑をかけないことを第一と考え、なんとか学生生活を全うしたのだ。
そして今、私は、どうにか自立して暮らしている。

しかし現状はどうか。
こう言ってはなんだが、出来の悪い妹には父も母も甘い。
私に
「医者になれ。弁護士になれ。
間違っても市役所の臨時職員にだけはなるな。」
と言い続けた父が、妹には
「スーパーのパート職員でかまわない。」
と言う。
私のやってきたことはなんだったのか。
虚しさに襲われた。

今さらこんなことを言ってもしょうがないことはわかっている。
具体的にどうしてほしいという要望もない。
しかし、私は母に言った。

あなたたちは、私が要求に応えてきたということをわかっていない。
もちろん経済的苦痛を味わうことなく養育してもらい、
十分な教育を受けさせてもらったことには感謝している。
しかしながら、同時に私は親を憎んでいるのだと。

母はわかっていると言った。
確かに私には厳しく当たったし、
また、私がそれに応える能力を持っていたがために、
要求の高慢さと、それが叶う幸運に気づかなかったのだ、
と言った。
妹を見て、それに初めて気づいたのだ、とも。
それについて母は
「反省している。」
とコメントした。

正直、
私は意外だった。

母は時として、必要以上に意地の悪いことを言う性向がある。
それに私は過去何度か傷つけられたし、今もその傷が残っている部分もある。
だから、母が素直に自分の非を認めるとは思わなかったのだ。
しかし、今、彼女は自分の振る舞いについて少なからず
「反省している」
とコメントしたのだ。

しょうがないな、と私は思った。
この言葉を聞くために、私は30年生きてきたのかもしれない、と思った。

もちろん、彼女の振る舞いには他にも問題がある部分はあるし、事実私は傷つけられたり振り回されたりしているが、
それでもこの一言で、
私は救われたのだ。
このために、私を守る人たちが、今日彼女をここに呼んだのかもしれないと思った。

私は彼女を深く憎んではいるが、同時に感謝もしている。
そして、なんと言っても親子なのだ。
彼女の血が私に流れている限り、縁を断つわけにはいかないのだ。
親子というのはこういうものなのかもしれない。

短い滞在期間の短い会話の中ではあったが、
ほんの少し母親を理解し、また許せた気がした。
昨日は北海道に出張だった。
旅のお相手はIさん。
彼は年齢は私より3歳年上だが、社歴は私の方が長い。

彼はいい人だ。
一見、とっつきにくそうにも見えるが、親しくなればなかなか話しやすい。
ソフトに見えつつも、厳しい目を持っているし、
けれども立場をわきまえた発言をする。
我慢強く、心配りもある。仕事もできる。
趣味も悪くないだろう。
・・・こう考えたら、
「私はIさんと付き合えるだろうな。」
と思った。

ただ、Iさんは数年前に若くして奥さんを亡くしているので、
きっとその傷は深いだろうし、
そうそう別の女性と付き合おうというような気にはならないだろう。

まぁしかし、そういうバックグラウンドを除いて客観的に考えた場合、
私は彼と付き合えるだろうし、
きっと彼も私のことが嫌いではないだろう。

・・・・なぜ私は、Iさんを「仕事仲間」としてだけ捕らえているのだろうか。
ふと考えた。

アプローチが有る・無いだけの差か?
そう思えた。
もしも私とIさんがとても自由な状況で出会っていて、
例えば彼が私を気に入ったとする。
デートに誘ったとする。
楽しく過ごせたとする。
また一緒にデートしたとする。
こういうことを繰り返しているうちには、
私たちはきっと恋人同士になっただろう。

しかし、様々な事情の中、彼は私をデートには誘わないし、
私も彼をデートには誘わない。
2人の関係は、仕事仲間以上には深まらない。

・・・ただそれだけのような気がしてしまった。


・・・私は、
「好き」と言ってくれる人がいて、
その人とデートしてみて、
それなりに気が合ったら、
好きになって、そのまま恋人になってしまうのだろうか??

でもそれは真実のような気がした。
これまでお付き合いをした男性というのは、ほとんどがそのパターンだった。

結局、私って、実は誰でもいいんじゃないのかしら。
「心からすごく好き」
なんて思える人なんていなくて、
アプローチしてくれた人で、それなりの人なら、それでいいんじゃ。
私は、
私を
「好き」
と言ってくれる人が好きなのかしら。


・・・ここまで考えて、ふと考え直した。
Kはどうなるのだろう。
あんなに
「好き」と言われても、心動かない。

やっぱりそれだけではないんだな。
人と人との縁というのは、
何か見えない力が働いているんだ。

なんとなく、ほっとした気持ちを覚えた私であった。
昨日のKとのやりとりのせいか、今日の私は
「やや高飛車モード」である。

男に対して、
「あなたには愛を告げる資格もないのよ」的オーラを放つ。
なかなか嫌な女である。

つい一昨日までは
「敗北モード」であったくせに。
女というのはこうも気持ちの波があるものか。

私は、精神的に比較的安定している人間だと自負していたが、
そんなことはないのかもしれない。
ちょっとしたことで気分が左右されているのだ。
「うっとおしい」と思うKのおかげで、立ち直らせてもらっているのだ。
勝手なものである。


昨夜、ニュース番組の特集で
「ジャガー横田夫妻 不妊治療から自然妊娠までの軌跡」
を見た。
44歳で自然妊娠する可能性は5%以下だという。

「望まない中授かる人もいるし、簡単なことだという風潮もあるけれども、
高齢の私が妊娠しようということは、とても大変なことだ。
私はすごいことに挑もうとしている。
しかし、必ずやりとげてみせるという気持ちで一杯だ。」
と妊娠前にジャガー横田は言っていた。

これを見て、自分はどうだろうかとふと考えた。

このまま44歳になってしまったら・・・・。

「本当に」子供を産まないまま、人生を終えることになるかもしれない。

今まで漠然と思い浮かべていたことを、初めて現実的な可能性として考えた。

「今まで好きなことをやって生きてきたのだから、
これから妊娠しようとするために、苦しい思いをするのは仕方がない。」
とジャガーは言っていたが、
果たして私が同じ年になったとき、同じように思えるだろうか。

・・・とても「そんな生き方」ができる自信はない。


やはり、子供は産んでおきたい。


あと10年の間には、いい男をみつけて、
子孫を残さなくてはならない。
そうでなくては、「産めなく」なる。

しかし、そもそも
「子孫を残したい」
と思える男でなくてはいけないのだ。


そこだけは譲れないと思う私なのである。
さっき仕事をしながら、ずっと後輩のKとメッセンジャーをしていた。
彼は私のことが好きなのだと言う。
もう1年以上も前に言われた。
しかし、私はそれに応えることはできない。
なぜなら、彼は既に結婚しているから。

いや、それは正確な表現ではない。
私は結婚している人と付き合ったことがある。
それを理由に、彼との付き合いを断るのは、
「公的には」正しくても、
「私の中では」明確な矛盾がある。


つまり、
彼は私の好みではないのだ。


しかし後輩としては信頼しているし、好きなのだ、本当に。
でも、そんなリスクを犯してまで
「付き合いたいか?」
と問われると、
そんなことは全く思わない。
むしろ、彼が結婚してくれていて良かったとすら思う。
断る正当な理由があるからだ。

ともあれ、Kは熱心に口説いてくる。
故意犯なのかわからないが、
「あなたの彼になれないのは仕方がない。
でも、大切な人になりたい。」
というようなことを飽くなく書いてくる。

好みの男なら心揺れることもあろうが、
そうでないのならば、正直うっとおしい。
好いてくれること自体は大変有り難いが、愛情の押し売りは迷惑だ。
私は軽くあしらってしまう。

こういう話をすると、大概険悪になる。
ケンカというわけではないのだが、楽しくない。
私も大人なのだから、いちいちそういう話をしなければいいのだが、
彼の反応が面白いので、つい話をふってしまうところがある。
後々面倒になることはわかっているのに。

今日も軽く「嫌に」なってしまった。
そうなると、私はもう面倒くさい。
そっけない態度をとってしまった。

Kは謝ってくる。
「あなたのことを知りたいんだ。」と。

その真偽はわからないが、過剰な愛情表現は苦痛に過ぎない。
「もうこういう話はしない。」
と、すげなく返事をした。
「申し訳ないけれど、あなたとわかりあうつもりはないんだ。」と。

Kをうっとおしく思いながらも、私は考える。
あぁ。
「彼」にもこんな風に振る舞えたら。

「もう。めんどくさいわね。
『好き好き』言ったって、
あなたには私にそんなこと言う資格はないんだって。
告白する権利すら、持っていないんだよ。」


「彼」のことも、そう思っていた時期があった。
しかし時は流れ、
今はむしろ反対の心理的立場にいる私である。


「あなたもワガママね。
気持ちは有り難いけど、『今の』あなたの状況で、
『私にとって唯一無二の存在になろう』っていうのは
無理な話でしょ。」

Kにそう書いた。

Kは
「そうだけど。」
と書きつつ、
「でも、やっぱり特別な人として見られたいんだ。」
と答える。


やれやれ。。。

でもね。
あなたと同じ立場だけど、
『私にとって唯一無二の存在』になってしまった人もいるんだよ。
立場の問題じゃない、
・・・やっぱりあなた、私の好みじゃないんだなぁ。


書けないけれども、
無情にそう思う私がいた。