3日前、あるSNSにつないでみた。
最初は、特別違和感は覚えなかったのだが、
ふと、
「あれ・・?なんだかいつもとちょっと違う。」
と感じた。
少し注意深く見てみたところ、
友人の枠から、彼が消えていた。

ザザザーッと、寒気に近い感覚が走った。
「ここまでするか!」
私は気色ばんだ。

フォトアルバムに続いて、SNSの友人枠からの離脱。
彼は徹底的に私から離れるつもりなのだ。

おそらく「退会」したのだろうな、と想像しつつ、
私は一応彼の所在を調べてみた。
彼を「お気に入り」に登録してあった。
仮に、彼が私と「友人」のつながりを絶ったとしても、
在籍さえしているのならば、追うことができる。

案の定、「お気に入り」にも彼の存在はなかった。
代わりに「彼であったであろう」無記載の人物がいた。
私はそこをクリックしてみた。
表示されたのは
「このユーザーは既に退会しています」
という文字だった。
やはり。
彼は、SNS自体から消えていたのだ。

彼と連絡を取らなくなって、約4ヶ月、
また明確に別れてから、約1ヶ月。

辛くて辛くて大変だったが、なんとか乗り越えた。
それは、
「別れても、友人として付き合えるだろう。」
という希望があったからだ。
そのよすがとして、
フォトアルバムがあり、SNSがあった。
そこでは、彼と私は確かににつながっていたのだ。

しかし、相次ぐ私からの「逃避」。
本人にそのつもりはないのかもしれないが、
今の私にはそのようにしか映らない。


ショックではあったが、冷静に受け止めた。
しかし、どうしても一言言ってやりたくなった。
私は彼にメールを打った。


フォトアルバム消したんだね。
SNSからも退会したみたいだし。
やっぱり写真を送ってくれる気はないみたいね。

「ここまでする?」というのが正直な感想。
以前Sさんは、私に
「女性は、別れたらそれっきりにしたがるよね。」
と言ったけど、自分こそがそういう人だったのね。

どうやら
今の私は、Sさんにとって煩わしいだけの存在のようですね。
私も、疎まれてまでSさんとコンタクトを取ろうとは思いません。
勝手ながら、
別れても良い付き合いができる友人だと信じていたのですが、
ガッカリです。
別れた男を憎むという経験を初めてできそう。
嫌なものだね。


もうどう思われてもいいや、と思った。
返事も来なくてよかった。いや、おそらく来ないだろう。
とにかく今の正直な心境だけは伝えてやりたかった。
「あなたは、
私に憎まれてもしょうがないようなことをしているんだよ。」
と。

すると、予想に反して15分ほどで返事が返ってきた。
そこにはこう書いてあった。


相変わらずだね。
人の気持ち考えないのはお互い様って感じ。
勝手に憎んで。
さよなら。


これを読んで、
「この人なりに、何か他意があったのだろうな。」
という気持ちは感じた。
単なる「逃避」ではない、彼なりの辛さがにじんでいるような気がした。
しかし、彼はそれを説明しない。
「説明したくない」のかはわからないが。

考えてみれば、
結局「なぜ」私たちが別れなければならなかったのか、
その理由すら、最後まで彼は説明しなかった。


反射的に、私は、彼に返事をしようかと思った。
来ないだろうと思っていた彼からの返事に、若干驚いていた。
しかし、何を書いていいものか。


「人の気持ち考えない」と言われても、
そもそも私は、Sさんの気持ちを聞いていないよ。
私は、Sさんに自分の気持ちを説明してきた。
別れた直後は取り乱したし、重い内容のメールを送ったかもしれない。
それは反省するけど、でもあれはあのときの正直な気持ちだったし、
そういう風にしかできなかった。
今はもう立ち直ったし、友人としてやはり大事な人だから
これからも仲良くしていきたかったのに。
それが迷惑なら、ちゃんと伝えてほしかった。
逃げるように、私との関係を絶つのではなくて、
「今の俺には無理。」という風に、自分の気持ちとして伝えてほしかった。
それをしないで
「人の気持ち考えない」というのは、あまりに身勝手なのでは?



・・・しかし、何を言い返しても、泥仕合になる予感がした。
私は書くのをやめた。
向こうも、私のメール文のあまりの内容に
「着信拒否」しているかもしれない。
送っても届くかわからないのだ。


そして、私は思った。

好きだから、
理解したかった。
理解してほしかった。
説明してほしかった。
でも、無理だった。


結局、私は彼を美化していたのだ。
思えば、付き合っているときから似たようなことを繰り返していた。
言葉は足りていなかった。

一緒にいれば、満ち足りた。
喧嘩をしても、抱きしめてもらえれば幸せだった。
彼は、自分の言葉の未熟なところを、
実際に私に触れることで補っていたのだ。


多すぎる言葉は重要なものを見えにくくするが、
少なすぎる言葉は、誤解や邪推を生む。
彼は、必要なところでこそ、言葉が足りなくなる。
そういう人だった。

衝突したこともあった。
別れようと決心したこともあった。
・・・それでも好きだった。
喧嘩をしても、
会いに来てくれるのを待っていた。
会えば、仲直りできることを知っていたから。
早く謝ってほしかった。抱きしめてほしかった。
しかし、
顔を合わせることのできない彼とは、誤解を解くことができない。


私は、やっとそれを理解できた。

「諦めるしかないんだな。」

「そういうこと」を全部含めて
やはり彼とは合わなかったのだ。
「私は、言葉の足りない人とは、うまく付き合えないんだ。」
切ないけれど、それが目の前にあることだった。
ずいぶん時間を費やしたが、やっとやっとわかったのだ。


スッキリした。
これまで何度も何度も書いてきた、「スッキリした」が、
本当はスッキリしていなかったこともわかった。
今私は、
本当に解放されたのだ。

もう彼にメールすることはないだろう。
それは「友人として」も含めてだ。
彼と私の人生は、ほんの一時期交差しただけだったのだ。


もしかしたら、
何年か後に彼にメールをする日が来るかもしれない。
「私、結婚することになったの。」
そのときは、
「良かったね。おめでとう。」
彼もそういうメールを送ってくれるだろうか。

そんな日が来ることを夢見て、
私は生きていこうと思う。