最近になって
「私は元気になった。」
と日記に書けるようになった。
昨日などは、帰宅した際に
「すがすがしい」気持ちすらしたものだ。
これまで私は毎日のように
「今日は連絡があるだろうか。明日は会えるだろうか。」
と気をもみ、
実際に会えたときには
嬉しさや楽しさと同時に、嫉妬心や、離れる切なさなどを感じ、
休む間もなく感情を揺らしてきた。
連絡が取れなくなってからは、
寂しさを感じる一方、結果的には辛抱強く「待ち」、
いずれなんとかなると自分の慰めた。
そんな3年間を私は過ごしてきたのだ。
しかし、昨日の私。
とても穏やかな気持ちだった。
何も心配することがない。
何にも縛られることがない。
私は自由で、安らかだった。
こんな気持ちは何年ぶりなのだろうと
本当にすがすがしく思った。
26歳や27歳の頃、きっと私はこれに近い感情で暮らしていた。
安定して付き合っている彼がいて、平穏な日々だった。
細々とした問題はあっても、
自分の身の上について、本質的に悩むことなどなかった。
しかし「穏やか」と「退屈」は表裏一体だ。
私は変化が欲しかった。日常に刺激を望んだ。
そして、それは叶えられた。
そこからはあっという間だった。
私はそれに慣れてしまっていたのだ。
私は空を仰ぎ見た。
数年ぶりに感じた平穏さ。
26歳や27歳のときと似た感情だろうと書いたが、おそらく同じではない。
あのときは当時の彼のことで、それなりにストレスも感じていた。
きっと、無意識に別れたかったのだ。
そういうことまで考慮すれば、今の私は「本当に」自由なのだと感じた。
本当に解放され、本当に安らかなのだ。
私はこんな気持ちを味わせてくれた背中の人に感謝した。
・・・と、それから1時間もしないうちに、携帯電話が鳴った。
それはレイコママからであった。
「どうやー。マキちゃん、元気か?」
と、数ヶ月ぶりのママは、変わらぬ調子で聞いてきた。
「それがママ、変わったわ。私、別れたんや。」
「え?」
「別れたんや。付き合っとった人と。」
「ええ?ホントか。」
私はママに簡単に事情を説明した。
ママは黙って聞いていたが、
「そうか。それはなんか寂しい話やな。」
と言った。
「ママ、でももう私、元気になったんや。
今はスッキリ、すがすがしい気持ちや。
これからええオトコ探すぞ~。」
と、おどけて私は言った。
しかし、それは本心だった。
「そうか。それならええけど。
ごめん、お客さんおるし、今日は切るぞ。またメールすっし。」
「はーい。またね、ママ。」
と言って、私たちは電話を切った。
この時期に電話をもらった奇遇さを感じた。
これが1ヶ月前だったら、
と思うと、私は不思議な感情にとらわれた。
・・・きっと私は、ママに泣きついていたであろう。
未練をつらつらと話つないだだろう。
・・・・・気持ちに一段落ついた頃にもらった電話。
これも誰かのきまぐれ的配慮だろうか。
しかし、偶然はそれだけではなかった。
それから1時間後、また私の携帯電話が鳴った。
それは、なんと。
パパからであった。
ほぼ1年前に、遠距離恋愛が苦になり、
私の方から、ほとんど一方的に連絡を絶ったパパ。
それから何度かメールのやり取りはあったものの、
ほぼ絶交状態が続いていた。
正月に
「仕事で都内に来るので、できれば会いたい。」
という連絡をもらった際も、結果的には無視してしまった私である。
・・・・なんという偶然だろうか。
レイコママの直後の電話。
懐かしさの一方、自戒の念も働き、私は久しぶりに電話を取った。
「もしもし。」
「僕です。・・・久しぶりやんね。」
「うん。パパ、ごぶさたやったわ。元気にしとる?」
「元気や。マキはどうや。変わらずか。」
「なーんも変わっとらん。」
「本当は」いろいろあった私だが、それは彼には言えない。
しかし、少なくとも「パパの目から見た私」は、
1年前と何も変わっていなかった。
いや、おかしなことに、図らずも「本来の姿」になっていた。
独身で、彼氏のいない私。
何も変わってはいない。
パパは、先日、自分の息子が結婚したのだ、と言った。
パパの息子さんは、私より4歳か5歳ほど年下のはずである。
確かに結婚してもおかしくない年齢である。
それにしても、時間の流れは速いものだ。
パパと別れてほんの1年の間に、人が1人結婚する。
そして、私はほかの人と別れた。
パパは私に彼ができたかどうか尋ねた。
「彼氏、できんわ。」
と私は言った。
「ウソ。なんでや。」
とパパは言う。
「なんでって言われても、できんもん。みんなダラばっかりや。」
と私は答えた。
ハハハ、とパパは笑い、こう言った。
「マキに会いたいわ。会いに行ってええか。」
私は半分冗談だと思い、こう答えた。
「おぉ、いいよ。
パパ、私に会いに来てくれるん。」
すると
「6月に入ったら、会いに行くわ。」
とパパは答えた。
私は少々驚いた。
パパは出不精な人である。
しかし、以前付き合っているときは、2人の中間地点の名古屋や
私の住む町までわざわざ出向いてくれた。
それはそれでありがたかったが、そういう生活は長くは続けられない。
全ての段取りをするのは私だったし、もちろん私は仕事もしていた。
先日別れた彼とも、同時進行で付き合っていた。
遠方から届く過剰な愛情と束縛は、私のストレスとなった。
結局、私はパパと別れた。
そういう経緯があったばかりに、私は返答に困った。
「羽田までは行けるわ。迎えに来てくれるか。」
「本当に来るん。遠いよ。」
「そういうバカがおっても、ええんやないか。」
と彼は言った。
確かに久しぶりにパパに会いたい気がした。
私は、以前の彼の
「私を呼び寄せよう。」
という姿勢に嫌気がさした部分があった。
ところが今回は、自分が東京まで来るという。
それなりの反省と覚悟があるのだろうと感じた。
しかし。
ここでまた会ってしまっていいのか。
ただ会って、食事をするだけならばいい。
しかし、東京まで来てしまったら、日帰りというわけにはいくまい。
我が家に泊まっていくことになろう。
そして、泊まるということは・・・?
「彼」と別れた直後だからこそ、パパと会いたい気もした。
しかし、やっとこさ苦悩を乗り越えた私が、
また同じことを繰り返していいのか。
相手を変えてはいても、結局は同じことである。
いや、相手を変えているからこそ、
このままずっと同じことを続けていってしまいそうな気がした。
パパのことは好きである。
しかし、また男女の仲になってしまってはいけない気が
とてもしていた。
こちらはそういうつもりでも、向こうがどうかはわからない。
急速な接近は、新たな軋轢を生むような予感もした。
「それは嬉しいけど、私、パパの熱い思いに応えられる自信がないんや。
急に接近しても、また嫌になってしまうかもしれんし。」
私は牽制した。
しかしパパは、
「また嫌になったら、そのときはそのときでええやろ。
・・・マキ、愛してる。」
と、とどめを刺した。
ともかく、
私が「禁止」にしていたメッセンジャーを再開通することだけは話がまとまった。
軽はずみに動くつもりはない。
せっかく手に入れた、穏やかな感情と時間を壊すつもりもない。
しかし、それにしてもこの展開はどうか。
「・・・ねぇ。
『楽しくなりたい』とは願ったけど、
もっと普通でいいよ。」
背中の人にやれやれと呼びかける私がいた。
「私は元気になった。」
と日記に書けるようになった。
昨日などは、帰宅した際に
「すがすがしい」気持ちすらしたものだ。
これまで私は毎日のように
「今日は連絡があるだろうか。明日は会えるだろうか。」
と気をもみ、
実際に会えたときには
嬉しさや楽しさと同時に、嫉妬心や、離れる切なさなどを感じ、
休む間もなく感情を揺らしてきた。
連絡が取れなくなってからは、
寂しさを感じる一方、結果的には辛抱強く「待ち」、
いずれなんとかなると自分の慰めた。
そんな3年間を私は過ごしてきたのだ。
しかし、昨日の私。
とても穏やかな気持ちだった。
何も心配することがない。
何にも縛られることがない。
私は自由で、安らかだった。
こんな気持ちは何年ぶりなのだろうと
本当にすがすがしく思った。
26歳や27歳の頃、きっと私はこれに近い感情で暮らしていた。
安定して付き合っている彼がいて、平穏な日々だった。
細々とした問題はあっても、
自分の身の上について、本質的に悩むことなどなかった。
しかし「穏やか」と「退屈」は表裏一体だ。
私は変化が欲しかった。日常に刺激を望んだ。
そして、それは叶えられた。
そこからはあっという間だった。
私はそれに慣れてしまっていたのだ。
私は空を仰ぎ見た。
数年ぶりに感じた平穏さ。
26歳や27歳のときと似た感情だろうと書いたが、おそらく同じではない。
あのときは当時の彼のことで、それなりにストレスも感じていた。
きっと、無意識に別れたかったのだ。
そういうことまで考慮すれば、今の私は「本当に」自由なのだと感じた。
本当に解放され、本当に安らかなのだ。
私はこんな気持ちを味わせてくれた背中の人に感謝した。
・・・と、それから1時間もしないうちに、携帯電話が鳴った。
それはレイコママからであった。
「どうやー。マキちゃん、元気か?」
と、数ヶ月ぶりのママは、変わらぬ調子で聞いてきた。
「それがママ、変わったわ。私、別れたんや。」
「え?」
「別れたんや。付き合っとった人と。」
「ええ?ホントか。」
私はママに簡単に事情を説明した。
ママは黙って聞いていたが、
「そうか。それはなんか寂しい話やな。」
と言った。
「ママ、でももう私、元気になったんや。
今はスッキリ、すがすがしい気持ちや。
これからええオトコ探すぞ~。」
と、おどけて私は言った。
しかし、それは本心だった。
「そうか。それならええけど。
ごめん、お客さんおるし、今日は切るぞ。またメールすっし。」
「はーい。またね、ママ。」
と言って、私たちは電話を切った。
この時期に電話をもらった奇遇さを感じた。
これが1ヶ月前だったら、
と思うと、私は不思議な感情にとらわれた。
・・・きっと私は、ママに泣きついていたであろう。
未練をつらつらと話つないだだろう。
・・・・・気持ちに一段落ついた頃にもらった電話。
これも誰かのきまぐれ的配慮だろうか。
しかし、偶然はそれだけではなかった。
それから1時間後、また私の携帯電話が鳴った。
それは、なんと。
パパからであった。
ほぼ1年前に、遠距離恋愛が苦になり、
私の方から、ほとんど一方的に連絡を絶ったパパ。
それから何度かメールのやり取りはあったものの、
ほぼ絶交状態が続いていた。
正月に
「仕事で都内に来るので、できれば会いたい。」
という連絡をもらった際も、結果的には無視してしまった私である。
・・・・なんという偶然だろうか。
レイコママの直後の電話。
懐かしさの一方、自戒の念も働き、私は久しぶりに電話を取った。
「もしもし。」
「僕です。・・・久しぶりやんね。」
「うん。パパ、ごぶさたやったわ。元気にしとる?」
「元気や。マキはどうや。変わらずか。」
「なーんも変わっとらん。」
「本当は」いろいろあった私だが、それは彼には言えない。
しかし、少なくとも「パパの目から見た私」は、
1年前と何も変わっていなかった。
いや、おかしなことに、図らずも「本来の姿」になっていた。
独身で、彼氏のいない私。
何も変わってはいない。
パパは、先日、自分の息子が結婚したのだ、と言った。
パパの息子さんは、私より4歳か5歳ほど年下のはずである。
確かに結婚してもおかしくない年齢である。
それにしても、時間の流れは速いものだ。
パパと別れてほんの1年の間に、人が1人結婚する。
そして、私はほかの人と別れた。
パパは私に彼ができたかどうか尋ねた。
「彼氏、できんわ。」
と私は言った。
「ウソ。なんでや。」
とパパは言う。
「なんでって言われても、できんもん。みんなダラばっかりや。」
と私は答えた。
ハハハ、とパパは笑い、こう言った。
「マキに会いたいわ。会いに行ってええか。」
私は半分冗談だと思い、こう答えた。
「おぉ、いいよ。
パパ、私に会いに来てくれるん。」
すると
「6月に入ったら、会いに行くわ。」
とパパは答えた。
私は少々驚いた。
パパは出不精な人である。
しかし、以前付き合っているときは、2人の中間地点の名古屋や
私の住む町までわざわざ出向いてくれた。
それはそれでありがたかったが、そういう生活は長くは続けられない。
全ての段取りをするのは私だったし、もちろん私は仕事もしていた。
先日別れた彼とも、同時進行で付き合っていた。
遠方から届く過剰な愛情と束縛は、私のストレスとなった。
結局、私はパパと別れた。
そういう経緯があったばかりに、私は返答に困った。
「羽田までは行けるわ。迎えに来てくれるか。」
「本当に来るん。遠いよ。」
「そういうバカがおっても、ええんやないか。」
と彼は言った。
確かに久しぶりにパパに会いたい気がした。
私は、以前の彼の
「私を呼び寄せよう。」
という姿勢に嫌気がさした部分があった。
ところが今回は、自分が東京まで来るという。
それなりの反省と覚悟があるのだろうと感じた。
しかし。
ここでまた会ってしまっていいのか。
ただ会って、食事をするだけならばいい。
しかし、東京まで来てしまったら、日帰りというわけにはいくまい。
我が家に泊まっていくことになろう。
そして、泊まるということは・・・?
「彼」と別れた直後だからこそ、パパと会いたい気もした。
しかし、やっとこさ苦悩を乗り越えた私が、
また同じことを繰り返していいのか。
相手を変えてはいても、結局は同じことである。
いや、相手を変えているからこそ、
このままずっと同じことを続けていってしまいそうな気がした。
パパのことは好きである。
しかし、また男女の仲になってしまってはいけない気が
とてもしていた。
こちらはそういうつもりでも、向こうがどうかはわからない。
急速な接近は、新たな軋轢を生むような予感もした。
「それは嬉しいけど、私、パパの熱い思いに応えられる自信がないんや。
急に接近しても、また嫌になってしまうかもしれんし。」
私は牽制した。
しかしパパは、
「また嫌になったら、そのときはそのときでええやろ。
・・・マキ、愛してる。」
と、とどめを刺した。
ともかく、
私が「禁止」にしていたメッセンジャーを再開通することだけは話がまとまった。
軽はずみに動くつもりはない。
せっかく手に入れた、穏やかな感情と時間を壊すつもりもない。
しかし、それにしてもこの展開はどうか。
「・・・ねぇ。
『楽しくなりたい』とは願ったけど、
もっと普通でいいよ。」
背中の人にやれやれと呼びかける私がいた。