先日、近所のスナックで、水道配管業・塗装業・電気工事業の人がカウンターに座っていた。それぞれ顔なじみではあるけれど、別々に来ている人たちだ。

石油の話になった。まず塗装業の人が、石油不足でペンキの溶剤が入って来ないので先の仕事が受けられないと愚痴り出した。今やっている仕事も止まりそうだという。仕事が終わらないとお金が入らない。でも、従業員の給料は出ていく。2~3か月すると体力の弱い会社からバタバタと潰れていくだろう。すると、水道業の人が続ける。材料のパイプが入ってこない。石油原料はまず医療とかが優先されるから、材料が水道屋に回ってくるのは一番最後になる。コロナの時みたいに補助金なり助成金なりを行政から出してもらわないと、とても年内はもたない、と頭を抱える。電気業も、工事が止まれば、電気屋だって干上がっちゃうから、同じですよ。と、現場仕事の切実さを口々に言う。

タカイチは石油はあると言う。しかし、経産省の公表数値だけを見ても、6月に日本は詰んでいると発言している人がいる。タカイチの提灯持ちは、首相があるというんだからあるんです、とワケのわからないことを言う。ガソリンの問題だけではなくて、石油を原材料にしている製品は山ほどあるのだ。現場での悲鳴を吸い上げて聞いてやろうという人は政府にはいないのだろう。現場が困っていようが何だろうが、官僚は無事に給料が出る。切実さはわからないのだ。まして、戦争をする国に作り変えたいタカイチなどには、市井の人々の生活などどうでもよい。

トランプによる暴挙は、極東の島国にも容赦なく影響を及ぼす。きゃ~トランプさま~などと、浮かれて抱きついて媚びを売れば外交が上手くいくワケでもない。この国はどうなってしまうのでしょうか…。しがない鍵盤弾きにはよくわかりませんけれど。



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今、ジャズの古いスタンダード曲に日本語の訳詞を付けて、歌謡曲のように歌ってみたい、というテーマでやっていたりします。少しずつ、訳詞をためています。

その昔、クラシックばかりを聴いていたころ、ふと、ショパンのピアノ・コンチェルト(ホ短調)が歌謡曲のように聞こえてきたのです。同じようにモーツァルトの20番(ニ短調)のコンチェルトも、やっぱ歌謡曲だよね~と思っていて、所謂通俗名曲と呼ばれる曲たちが(グリーグのイ短調とかも)鼻歌で歌える感じになって、一気にクラシックが身近なものになった経験があります。『歌謡曲』という言い方が悪ければ、自分の身近な音楽、とでも言い換えればいいのかなぁ。

ちなみに、グリーグのコンチェルトは少し練習して、私は鍵盤で和音で上がって行くグリッサードが好みで多用していますが(すみません、『音楽』を壊してまで使っています(笑;;)、それの元はそのイ短調協奏曲です。最初は、右手・オクターブ下から左手、オクターブ上の右手・左手、という感じで重く弾いていましたが、今は右手だけで軽めに使うことが多いです。和音中に9度音なども混ぜながらバリエーションしていますけれど。

ともかく、曲が『歌謡曲』に聴こえてくれば、ある意味で自分のものにした感じがして、クラシックそのものとは離れても、少なくとも自分の応用範囲には入ったので、別の曲にもそれが使えるようになるのです。ジャズ・スタンダードの歌謡曲、レパートリーに増やしていきたいです。



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日本人女性ボサノバ・シンガーの最高峰に位置するのは小野リサさんだと思いますけれど、私は吉田慶子さんの大ファンなのです。お得意は、ボサノバ、サンバカンソンなどブラジル系音楽、。今回はメキシカン・ボレロなるものも歌っていらした。独特のウィスパーボイス。囁くような歌声。ちょー個性ある人柄。ちょっと現代日本人のセンスと微妙に違う味わいを漂わせている人です。見た目は普通の穏やかでかわいらしい小柄な女性です。でも、中に秘めているものは、ちょっと私など『一般人』には測り知れないものがある。

勝手に写真をホームページから借りて貼り付けますが、怒られるかな(笑;;

笹子重治さんのギター伴奏でのライブ、行ってきました。楽しかったです。ポルトガル語の歌はどれもすごくよかったけれど、一曲だけ歌った日本語の「異邦人」もすごかった。確かに、久保田早紀さんの「異邦人」なのですが、彼女が歌うと彼女の歌になる。何でだろう?歌の情景が見える。歌の主人公が恋をして、でも受け入れられなくて自分を異邦人のように感じるというストーリーが声で、声でしかないのに目に見える。不思議です。
すごい人がたくさんいらして、上手な歌を歌っている。しかも、ちょーメジャーではないのに、こんなすごい人がいる。ホント、私などが歌の真似事をするなんて、オコガマしいと思い知らされるのです。鍵盤も満足に弾けないのに…と



 
 
プロレスは、ブック(筋書き)のあるエンターテイメントには違いないけれど、興行である以上、筋書きは仕方がないのかなと思う。セメント(筋書きなし)では怪我をするリスクが半端ないし、毎日の試合には堪えられない。相撲だってそうだ。貴乃花に言わせれば、昔の横綱だってみんなやっていた、みたいな話になる。父の貴ノ花から聞いていたそうだ。筋書きがないと大技なんて決まりませんよ、ということらしい。私は、貴乃花という人間を全然信じていないので、彼が何を言っていようが関係ないのだけれど、『興行』の宿命のような一面はあるだろうと思う。

不思議に思うことがあって、セメント試合などやったことがなくサブミッション技術も持っていない鶴田が最強だとか言っている人は何をもって最強と言うのだろう?いつも謎に思うのだ。セメント試合のことで思い出すのは、アンドレ・ザ・ジャイアントという223cm236㎏の大巨人レスラーがいて、それが前田日明にセメントをしかけた。たぶん猪木も知っていての所業だっただろう。あいつは生意気過ぎる、ということだったらしい。ところが、実際にはアンドレのスピードでは前田を掴まえられなかった。距離を取っての強烈なキックで逆襲され戦意喪失、リングの上に大の字に寝転がって試合は無効試合になった。セメントには体力よりも絶対的スピードの方が重要だということを思い知らされた。毒蛇とマングースの闘いを見ていても、毒蛇のスピードではマングースを捉えられない。ひ弱に見えるマングースが圧勝する。それと同じだと思った。

タイガーマスク(佐山サトル)がUWFを立ち上げてセメント売りの興行をやったことがあったが、やはり怪我や観客へのアピール力の問題で興行としては不成功に終わった。観客の目だって、様々だ。アメリカのように単純さを喜ぶ観客が多いところもあるし、日本人はかなりマニアックな目の肥えたファンが多いのだけれど、あまり目の肥えたファンばかりを意識してもダメなのだろうと思う。眼力の弱い一般ファンの方が圧倒的に多いのだから。何か、選挙も同じだなぁと思う。サナエちゃ~ん、とか言っている人たちに向かって民主憲法の大切さを説いても戦争への道の危惧を説いても、所詮無駄なことなのだろう。

自分的には、それなりに真剣にプロレスを見ていた時代が懐かしい。そして、今、手に汗を握って見ている大相撲が好きだ。




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私は、今はかなり、ピアノを弾いたり歌を歌ったりしなら外に出ているのですが、小さなユニットで楽しんだりもしています。レギュラーでは隔週で歌伴の仕事もしていたり(あまりお金にはならないので『仕事』は言い過ぎか?(笑;;)、小説がものになりそうもないので、音楽をする楽しみが一番大きいです。

ところが、2年程前から左手中指の第一関節の痛みが出てきていて、レントゲンを撮ると関節が摩耗してなくなっている状態で困っているのです。鍵盤を弾かないというワケにもいかず、今は左手中指を湿布薬とバンテージで固めて演奏しています。そんな状況でのことです。

左手の中指は、良くなるどころかますます酷くて、昨日とある人に、弾くからいけない、左腕がないものとしてピアノに向かえばよい、とか言われて、そりゃ弾かないのが一番だろうけれどなぁと苦笑しながらお話を拝聴していました。

ラヴェルに「左手のための協奏曲」があって、戦争で右腕を失ったピアニストに依頼で作られた名曲は、左手一本の演奏で豊かな音が醸し出されるという例もあるにはあるのですが、まぁ私の技術ではそうはできず、ラヴェルの天才の1000歩手前にいたとしても、そんな曲が作れるはずもなく、中指をバンテージで固めて誤魔化してくしかないという・・・。

先日、愛の賛歌の伴奏をさせてもらっている時に、後半、左手でアルペジオを弾き始めてしまったのです。音を出してから、あちゃ、と思いましたが、さすがに指4本のアルペジオはきつくて、でも音を飛ばさない(3度を重ねる狭い範囲のアルペジオ)なら大丈夫かと頭を切り替えて、音楽を止めずに無事に終えることができましたが、音楽に入るとどうしても昔やった音が思い出されて、弾いてしまうのですよね。歌ってくださっていたN山さんは美しいソプラノだから、邪魔をしないように必死で勤めましたけれども(;^ω^)

さて、どーするかなぁ、別の医者にかかるしかないかと思案しています。ピアノ弾きとしてはもう無理だ、とある種の諦めがあるので、少し歌を強化して総合力を上げなくては?とか思っている今日この頃なのであります。合掌。ち~ん。
 
 
 
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