プロレスは、ブック(筋書き)のあるエンターテイメントには違いないけれど、興行である以上、筋書きは仕方がないのかなと思う。セメント(筋書きなし)では怪我をするリスクが半端ないし、毎日の試合には堪えられない。相撲だってそうだ。貴乃花に言わせれば、昔の横綱だってみんなやっていた、みたいな話になる。父の貴ノ花から聞いていたそうだ。筋書きがないと大技なんて決まりませんよ、ということらしい。私は、貴乃花という人間を全然信じていないので、彼が何を言っていようが関係ないのだけれど、『興行』の宿命のような一面はあるだろうと思う。
不思議に思うことがあって、セメント試合などやったことがなくサブミッション技術も持っていない鶴田が最強だとか言っている人は何をもって最強と言うのだろう?いつも謎に思うのだ。セメント試合のことで思い出すのは、アンドレ・ザ・ジャイアントという223cm236㎏の大巨人レスラーがいて、それが前田日明にセメントをしかけた。たぶん猪木も知っていての所業だっただろう。あいつは生意気過ぎる、ということだったらしい。ところが、実際にはアンドレのスピードでは前田を掴まえられなかった。距離を取っての強烈なキックで逆襲され戦意喪失、リングの上に大の字に寝転がって試合は無効試合になった。セメントには体力よりも絶対的スピードの方が重要だということを思い知らされた。毒蛇とマングースの闘いを見ていても、毒蛇のスピードではマングースを捉えられない。ひ弱に見えるマングースが圧勝する。それと同じだと思った。
タイガーマスク(佐山サトル)がUWFを立ち上げてセメント売りの興行をやったことがあったが、やはり怪我や観客へのアピール力の問題で興行としては不成功に終わった。観客の目だって、様々だ。アメリカのように単純さを喜ぶ観客が多いところもあるし、日本人はかなりマニアックな目の肥えたファンが多いのだけれど、あまり目の肥えたファンばかりを意識してもダメなのだろうと思う。眼力の弱い一般ファンの方が圧倒的に多いのだから。何か、選挙も同じだなぁと思う。サナエちゃ~ん、とか言っている人たちに向かって民主憲法の大切さを説いても戦争への道の危惧を説いても、所詮無駄なことなのだろう。
自分的には、それなりに真剣にプロレスを見ていた時代が懐かしい。そして、今、手に汗を握って見ている大相撲が好きだ。
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