次に、小学校の学芸会衣装のことだ。今の時代、学校自体、

かなり窮屈な締め付けを受けていて、何をやるのでも上の
鼻息をお伺いしないとできない状況になっている。職員は

校長のご意向を、校長は教育委員会のご意向を、さらに、

その教育委員会も、市町村は都道府県の、県等は文部省の、

それぞれ上部機関(本来は上下関係ではないはずなのに)が

締め付けている。教職員同士の平等な会議なども今はない。

上から下への伝達会議が職員会議の名で残っているだけだ。

かつての学校は学校行事などもかなり自由に教員の発案で

できたのだろうと思う。学芸会など各学年で自由に決めて

うちは劇をやろう、とか合唱にしよう、などとしていた。

だから、劇の衣装なども、教員の発案で自由に決めていた。

たぶん私の学年では女性の先生(当時30代だった?)が

決めて、他の男性の先生二人がサポートしていたのだろう。

 

小学4年生男子に「タイツ」を穿かせて舞台に上げるなど
今の時代は絶対にできないと思う。どこかで誰かの反対に
遭って、再考を求める、とか言われて潰されるに違いない。

ところが、当時の時代的には、女の先生の発案が通った。

それをサポートした二人の男性教員は、二人とも最後には

校長職に昇進して退職しているから、学校内での発言力も

あったのに違いない。そうして野ネズミの劇が実施された。

 

タイツの時代と学校の自由度といろいろなことが重なって

学芸会が行われた。そして、私の野ネズミの子Cの衣装は

茶色のタイツに決定されて、その役を演じた私の心の中に

思い出ばかりでなく、何とも言えない不思議な影を残した。

 

具体的には、母の過保護的防寒意識も相俟って、その後の

学校生活に大きな変化をもたらした。それは学校のことに

留まらず、一生の嗜好に関わるような変化だったとも思う。

だって数年間の間、男の子の私がずっと半ズボンの下から

タイツを穿いた足を覗かせて過ごしていたのです。しかも

秋から春までの間ずっと。恥ずかしいではありませんか!

 

 

 

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「野ネズミの子C」で書いた学芸会は1960年代のことだ。

ここで書くのは、当時「タイツ」が衣装としてどのように
使われていたのか(映画やテレビのドラマなどを含めて)、
当時の「学芸会」ではどこまでが許容されていたのかです。

まず、50年代~70年代までのSF映画などを振り返って
みると、タイツは近未来的衣装には必ずといってよいほど

登場する。時代が遡れば遡るほどタイツの衣装は多くなる。

しかもその年代後半には、女性のミニ・スカートの流行が

あって、一般ファッションにおいてもカラータイツなどが

多く用いられているという香しい状況なども現出していた。

 

私はレトロ・SFのファンで、当時のテレビドラマなどの

DVDなどを買い集めていたりするが、その感興の何割か

タイツ衣装を愛でる心があるということを隠しません(;;

その手の映画の最高傑作と思うのが、ジェーンフォンダが

主演した「バーバレラ」だ。これは面白いだけではなくて、

ジェーンフォンダの若く健康的なお色気が発散されている。

しかも全体的デザインセンスが抜群で、もちろんタイツも
ふんだんに用いられているので、大好きな映画であります。

アメリカン・コミックのヒーロー「バッドマン」は現在も

新しいコンテンツが作られている人気キャラだが、当初の
オリジナルシリーズでは、主役バッドマンもロビン少年も
衣装はタイツだ。ロビン少年(Boy wonderと呼ばれる)は

しかも肌色タイツを着用している。今では、考えられない。

コミックの世界でも、巨匠手塚治虫先生の「リボンの騎士」
などでも、主人公のオーロラ姫は白いタイツ姿で描かれる。
そもそも少女コミックだから、少女の皆さんは反応せずに
スルーしていたろうけれど、タイツフェチに目覚めた後の

私などは、この衣装いいなぁなどと密かに思っていたのだ。

 

時代的には、タイツの衣装というものがあまり抵抗感なく

受け入れられていたものだったことをまず書いておきたい。

 

 

 

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小学5年生の冬、白いタイツを穿かされて、伯母の家に
行ったことを書いた。白いタイツは従姉の亜紀ちゃんの

少し古い新品のお下がりだったことも書いているとおり。

 

伯母の住まいの高層マンションは港区にあって、当時の
私の家と比較すると、都心のとてもお洒落な場所だった。

母は私に、『よそ行き』を着せた。比較的きれいな服で、

白いタイツもここが使い時だと判断したのだろうと思う。

薄いタイツは足元が冷えたが、あまり気にならなかった。

 

 

実は、今回書きたいのは、屋上で出会った少女 のことだ。

半世紀以上前のことなのに少女の印象は強く残っている。

ベルベットの紺色ワンピースドレス。エンジの色タイツ。

そして、ポニーテールにまとめた長い髪。上品な感じだ。

できることなら時間を巻き戻してもう一度会ってみたい。

 

もちろん小学生の私がその少女に話しかけることなどは

なかったし、十数メートル離れた位置から見ているだけ
だったけれども、高層ビルから見る珍しい都会の景色に

負けないくらいインパクトがあって少女を盗み見ていた。

同じ学年かな、背はぼくより大きいな、どんな声だろう。
などなど、健全な少年の私は想像をたくましくしていた。

 

ポニーテールの髪型は当時の流行りだったのだろうか?

長い髪を後ろで1本にまとめて馬の尻尾のように垂らす。

それが似合う人とそうではない人がいるのだろうけれど

彼女にはとても似合って、清楚な印象を醸し出していた。

そして、紺色の服に合わせたタイツ。少し厚地だった。

同級生には、ああいうエンジ色のタイツを穿いた少女は

いなかったから、よけい鮮烈な印象を残しているようだ。

 

帰宅してしばらくの間、その少女のことを空想していた。

もしも親しくなれたとしたらどんな話をしたのだろうか?

学校のこと?自分の親のこと?それとも、遊びや運動の
ことも話したのかな。遠い、見果てぬ過去の憧れだった。

 

 

 

 

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どうもウィルス性の風邪らしい。なかなか治りません。
喉炎症から気管支に来て鼻水はだいぶ減りましたが、
まだ歌える状況まで戻っていません。困った(;^ω^)

頼まれピアノの仕事に行ったら、そのライブハウスの
オーナーママさんから、言われてしまいました。
 「毎日、ロクなもの食べていないからじゃないの?」
まぁ確かにそういうことはあるかもしれませんけれど
そんな はっきり言われても、私だって傷つきます(笑;;


料理は、できませんw フライパンで焼くこと、お鍋で
煮ることだけです。他人様には食べさせられなくても
自分で食べる分にはそれで充分です。冷凍食品も
今は美味しくなっていて、ご飯も麺類も美味しいです。

でもまぁ、ロクでもない物を多く食べているというのは
反論できないのが情けないというか…何と言うか…。

 

 

 

 

 

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旅に行ってきました。気分転換にはなりました。ずっと電車に乗って車窓を眺めているだけの2泊3日の旅です。長野県南部から豊橋に抜ける秘境駅満載の鈍行列車を乗り継ぐ旅。

 

日常の時間が一度遮断されるのと、ずっと自分の空想と向き合っていられるのでそれが魅力かも?生活路線として高校生の通学の足を支えている鉄道。田植えが終わった水田、まだのところ、休耕地。山間に並ぶ民家の数々。何もない駅前にお酒を飲ませるスナックだけはあったりして人間てすごいなと妙に感心したり…。

 

豊橋駅にはストリートピアノが置いてあって、2~3曲ずつ3回ほど弾いてきました。時々聞いてくれる人や声を掛けてくれる人がいたりして、まぁ誰に聞かせるでもなく好きで弾いている身としては反応をいただけただけ嬉しかったかも(;;


どこへ行っても取り敢えずビールを飲んで、というパターンは変らずに時間を過ごしていて、旅で贅沢はしていないけれども時間の使い方が一番の贅沢です。

 

 

 

 

 

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