次に、小学校の学芸会衣装のことだ。今の時代、学校自体、
かなり窮屈な締め付けを受けていて、何をやるのでも上の
鼻息をお伺いしないとできない状況になっている。職員は
校長のご意向を、校長は教育委員会のご意向を、さらに、
その教育委員会も、市町村は都道府県の、県等は文部省の、
それぞれ上部機関(本来は上下関係ではないはずなのに)が
締め付けている。教職員同士の平等な会議なども今はない。
上から下への伝達会議が職員会議の名で残っているだけだ。
かつての学校は学校行事などもかなり自由に教員の発案で
できたのだろうと思う。学芸会など各学年で自由に決めて
うちは劇をやろう、とか合唱にしよう、などとしていた。
だから、劇の衣装なども、教員の発案で自由に決めていた。
たぶん私の学年では女性の先生(当時30代だった?)が
決めて、他の男性の先生二人がサポートしていたのだろう。
小学4年生男子に「タイツ」を穿かせて舞台に上げるなど
今の時代は絶対にできないと思う。どこかで誰かの反対に
遭って、再考を求める、とか言われて潰されるに違いない。
ところが、当時の時代的には、女の先生の発案が通った。
それをサポートした二人の男性教員は、二人とも最後には
校長職に昇進して退職しているから、学校内での発言力も
あったのに違いない。そうして野ネズミの劇が実施された。
タイツの時代と学校の自由度といろいろなことが重なって
学芸会が行われた。そして、私の野ネズミの子Cの衣装は
茶色のタイツに決定されて、その役を演じた私の心の中に
思い出ばかりでなく、何とも言えない不思議な影を残した。
具体的には、母の過保護的防寒意識も相俟って、その後の
学校生活に大きな変化をもたらした。それは学校のことに
留まらず、一生の嗜好に関わるような変化だったとも思う。
だって数年間の間、男の子の私がずっと半ズボンの下から
タイツを穿いた足を覗かせて過ごしていたのです。しかも
秋から春までの間ずっと。恥ずかしいではありませんか!
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