私は、いい歳をした大人なので、時に名は体を表さないことを、充分、心得ているつもりである。こう書き始めて、ふと、思った。政治の世界では、「時に」ではなく、往々にして、もしくは、大抵の場合、名は体を表さない。
穏やかな情景と社名しか出てこない広告がそうであるように、実態を詳(つまび)らかにするなと言わんばかりの名称が、政治の世界には溢れている。
1959年に公布された国民年金法の、法の目的が書かれている第1条には、公布された当時、「国民年金制度は、日本国憲法第25条第2項に規定する理念に基き、老齢、廃疾又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し・・・」と書かれていて、現在は、廃疾という語が、障害という語に置き換えられているが、それ以外の部分は変わらない。
厚生省(現・厚生労働省)は、「1985年の法改正(昭和60年法律第34号、翌年に施行)において、全国民共通に給付される基礎年金を創設した」と主張し、給付される年金の名称に、基礎という語を挿入し、名称を、老齢基礎年金、障害基礎年金、遺族基礎年金に、変更してみせた。
当時、「20歳以上60歳未満の日本在住の人」で、いわゆる専業主婦や専業主夫でなかった方は、1986年の大改正の前後で、何が変わって、何が変わらなかったかを、思い出していただきたい。「給付金の内訳」が変わっただけで、支払う保険料や掛金の金額も、将来、給付される給付金の金額も、変わらなかったはずだ。
例えば、厚生年金保険の被保険者の人は、「将来、給付される給付金の金額自体は変わらないから、心配しないで。ただ、内訳が変わり、厚生年金からの給付金と国民年金からの給付金を受け取る形になるよ」と、説明されたはずだ。
「共済組合という名称は、本当に、体を表さないな」と思い、書き始めたら、長々と横道に逸れてしまいました。厚生年金保険料率は、64年前、僅か3%だった。現在は16.766%であり、5年後に18.3%(事業主半額負担の仕組みは、まやかしである)になるまで上がり続けることは、既に法定されている。
この国の民間人向け公的年金制度は、もうとっくに破綻している。私は、そう認識している。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則