昔から、試験が嫌いだった。より正確に申し上げれば、試験勉強と称して、試験の直前に、慌てて勉強とやらをすることが、嫌いだった。試験というものが、どれほどの情報、知識を有しているかを判定するための実験だとするならば、試験の直前に慌てて勉強をするのは、実験結果をねじ曲げているように思えてしかたなかった。
試験勉強は、「リトマス試験紙の上に乗ってください」と言われて、慌ててpH調整剤を飲み込んで、試験の結果を操作することに似ていると申し上げれば、いよいよ、失笑を買ってしまうだろうか。
選挙を試験に例えるなら、選挙は、候補者が有している情報の量を判定する試験ではなく、候補者の中で誰が最も信任するに値するかを判定する試験だろう。公職を担う者としての覚悟のほどや、見識が問われる。有している情報の量が問われている訳ではないので、選挙が公示、告示された時点で、結果は、ほぼ決まったようなものだろう。また、公示、告示から投票日までの十数日間は、いつもながらの光景が繰り広げられるだけで、言わば、お祭りの期間のようなものである。
そう申し上げれば、祭祀を主催される方々から、お叱りを受けるだろうか。余談だが、独特の口上で台湾バナナ(香蕉)を売る「バナナの叩き売り」の発祥の地とされる、九州の玄関口、門司港では、バナナの叩き売りは、多くある観光資源のうちの一つである。他の陣営に対し、「バナナの叩き売りだ」と言って批判するのは、「疑惑の総合商社だ」と言って批判するのと同じで、如何なものか。
何のために、公示、告示から投票日までの十数日間のみ、政治活動の自由を制限するのか。公職選挙法は、一体、誰の味方なのだろう。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則