この国の先人は、赤字国債を発行することなく、戦後の復興を成し遂げた。もちろん、「赤字国債を発行しようと思っても、信用力がないので、発行できなかったに過ぎない」と、おっしゃりたい方も、おられるかも知れない。が、この国の先人が、赤字国債の発行という、仁義にもとることをせずに、この国の今日の繁栄の礎を築かれたことは、紛れもない事実だ。
それとは対照的に、1975(昭和50)年度以降、今に至るまでずっと、赤字国債(特例公債)の残高を抱えている。直近の15年間は、右肩上がりで、その残高を増やしてきた。のめり込むように赤字国債を発行し、償還日が来る度に、特別会計に関する法律46条1項(*)に基づく借換国債を発行すれば、当然のことながら、雪だるま式に、残高が増えていく。
私は、日本国民の一人として、「今ここで、赤字国債の残高が増え続けていることに関し、犯人探しをしよう」とは、全く考えていない。この国は、国家主権が国民に存する国(憲法前文)、つまり、集合体としての国民が、国家を統治する権力を持つ国であり、そういう国の国民の一人として、私も、間違いなく、応分の責務を負うからだ。
犯人探しをするためではなく、財政赤字が累積した主因を探り、赤字国債の残高を0円にするための方策を練るために、私なりに、歴史を振り返った。その結果、「人口比において、中流層を可能な限り拡大させ、中流層の底上げを図ることこそが、政治の責務」と、思うに至った。
回り回って、政(まつりごと)の本質に戻ってきただけかも知れない。
(*)特別会計に関する法律46条1項
国債整理基金特別会計においては、各年度における国債の整理又は償還のために必要な金額を限度として、借換国債を発行することができる。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則