青木雨彦さんの『優しくなければ…』で、思い出したこと | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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 昨年の10月19日の早朝に発生した自宅アパートの火災で、自室は全焼し、自室内に置いていた物も全て、燃えましたが、その数日後、焼け跡を掘り返したら、少し原形が残っている物が、数点、出てきました。
書籍では、横浜の保土ヶ谷出身のコラムニスト、故・青木雨彦さんの『優しくなければ・・・』、これ一冊だけが、原形を残していました。

 奇跡と言えば、言い過ぎですが、少し驚きました。ほとんど手に取らない書類や書籍は、しまい込んでいて、必然的に、下へ奥へと移動し、ときどき手に取る書類や書籍は、上へ手前へと移動します。この『優しくなければ・・・』は、真っ先に燃えてしまっても不思議ではないような位置に置いてあったと思うのですが、なぜか、書籍では、この一冊だけが、原形をとどめていました。

 昭和7年生まれ、昭和一桁世代の青木雨彦さんの文章を読んで、青空教室や、墨塗り教科書や、パンパンという言葉を、知った。また、戦中や戦後の混乱期に、密造酒が流行り、工業用メチルアルコールで作ったものまで出回り、多くの人が亡くなったことも、知った。

 国税庁のウェブサイト(クリックして、"PDFの50-52頁"を参照)に載せられている文献によれば、当時、神奈川県内にある、1000人くらいの朝鮮人集落で、大々的に酒類の密造が行われていて、税務職員と警察官及び米兵で、取り締まりを実施したそうです。その取り締まりに従事した端山豊蔵・神奈川税務署間税課長が、その夜、帰宅途中に、暴漢に襲われ、3日後の6月26日に、亡くなられた。

 殉職された端山豊蔵氏の顕彰碑が、ひっそりと、東京国税局川崎南税務署に置かれています。無念のまま亡くなられた方の鎮魂や慰霊のための碑は、大抵の場合、この様に、然るべき場所にひっそりと置かれる。

 わざわざ、何のゆかりもない、人通りが多い場所に、これ見よがしに置かれた碑があるとすれば、それは、単なる広告塔、あるいは、前衛芸術家の作品に過ぎないので、政治的に論評する必要は、全くないと思います。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則