本日、6月19日は、太宰治が誕生した日の日付であり、また、梅雨時に増水した玉川上水で、入水自殺をした太宰の遺体が、発見された日の日付でもある。太宰の文章に初めて触れたのは、中学生のときだったと思う。今もそうなのだろうか、新潮文庫に収められている彼の著作の表紙は、モノクロで、独特の憂鬱さがあり、当時、持っていることを他人に気付かれないように、気を付けていた。
「生まれて、すみません」という太宰の言葉に関して、青木雨彦さんは、「わたしに言わせれば、そう思う心が優しさなのである」と、書かれた。自分が、生を享け生きていることに、心のどこかで、申し訳ないと思いながら生き続ける者達に対し、「それでいいのだ」と書かれているように、私は感じた。
青木雨彦さんは、昭和7年生まれで、昭和ヒトケタ世代。同じ昭和ヒトケタ世代の早乙女勝元さんや小田実さんの、東京大空襲、大阪大空襲に関する文章を、十代のころに読んだ。1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲以降、終戦まで、米軍は、非戦闘員を殺戮するための日本本土空襲を、継続して行った。当地、姫路においても、6月と7月に空襲があり、私が小学生のときの社会科の副読本に、焼け野原と化した姫路市街の中に、空襲を免れた姫路城が、ぽつんと立っている写真が、あった。
非戦闘員の殺戮を行って、日本に、敗戦の決断を迫る米国。非戦闘員を殺戮されても、敗戦を、なかなか決断できない日本。決断ができないということに着目すれば、本年3月11日以降も、似たようなものである。どの選挙においても、決断ができない者に投票をしてはならない。
兵庫県姫路市にて
佐藤 政則