不登校・家族のお悩み解消カウンセリング

不登校・家族のお悩み解消カウンセリング

娘の不登校からみえてきた自分のあり方や、日々の気づきを綴っています
不登校の問題は、親御さんの家族関係での行きづまり感や、生き辛さとリンクしていることがあります
自分の経験をふまえて、一つ一つ、紐解きながら、軽くなれる法則やあり方をお伝えします

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こんにちは

久々の投稿です


通信制高校に通っていた娘が

この度、卒業をしました


卒業式では卒業生を代表して

娘が答辞を読みました


その答辞の中に

保護者のみなさんへ向けて

謝意をあらわす一文があったのです


以下、抜粋

「『あなたはあなたのままでいい』

と言ってくれた言葉を胸に

今まで頑張ってこられました」


この言葉に私は

あー、そうなんだーと感慨深かったんです


実は、3年前

中学校の卒業式の時に

各自のクラスに入った後

生徒や先生や保護者の前で

保護者が一人ずつ前に出て

子供に向けて、今の心境を伝える

というレクがありまして


当時、不登校からフリースクールへ通い

ほとんど中学校の思い出がない娘に

何を伝えようか?と戸惑いながらも

率直に、感じていることを

発表しました


それが

「あなたはあなたのままで価値がある」

「誰かの真似をしなくてもいい」

だったのですね



その当時の想いを

ちゃんと受け取って

通信制高校の3年間

勉強やアルバイトや遊びや恋愛を

彼女の感じるまま

過ごしてこられたのだなーと

様々なシーンが思い浮かびました


これから

通信制大学に進学して

心理学を学ぶ娘


今も一番伝えたいのは

「あなたはあなたのままで価値がある」です


そして、これは

全ての人に通じる真理なのですね^^



読んでいただいて

ありがとうございました♡



こんにちは

あっというまに、年の瀬ですね

みなさんにとって

どんな一年でしたか?


人は、期待を上回った時に

喜んで

期待を下回った時に

落ち込んだり、怒ったりしますね


そもそもの期待値が

あってないようなものなのに


期待とか希望とか理想とか

未来に描く

「こうなるはず」「こうあるべき」って

まだ、起きていないことだから

不確実性が満々じゃないですか


なのに

頭の中では、確定したかのように

考えるものだから

下回った時のしんどさって

すごーくリアルなのですよね


「期待」そのものを

仕込むことなく

ただ、起きてくる現実と共にあれたら

ニュートラルなのですが


こんなことを書いているわたしも

上がったり

下がったり

またまた上がったり、の一年でした


ただ

「期待」を仕込んでいる「自分」に

気づきがある分

周りのせいにしたり

自己否定に没入する時間も短くなって

その分、楽ちんです




人生のストーリーは

解釈しだい


どうぞ

ご自身が楽であれる

解釈の選択を


よいお年をお迎えくださいね^^


読んでいただいて

ありがとうございました♡


こんにちは

毎度、同じことを繰り返します


私たちの自我って

回し車の中のハムスターみたいなんです


クルクルクルクルと

同じ所を走っている


だけど、ハムスターは

遠くまで走っていると感覚的に

勘違いをしているそうです




自我も本当に同じ

過去と未来という幻想に

目隠しをされて

いまここというポイントを忘れたまま

懸命に走っています


そして

ずいぶん遠くまで

走ったつもりになっているけれど

ふと気がつけば

やはり、いまここ


ここから一歩も出ていない


そして、人間がクルクル

回っているのは

仏教でいうところの

六道輪廻


この六道輪廻は

天上界‥達成したり獲得をした高揚感
    (でも、すぐに消える)

人間界‥特に悩みもないのに、モヤモヤする

修羅界‥勝組、負組のマウントの取り合い

畜生界‥上下関係に縛られた弱肉強食

餓鬼界‥不満足、欠乏感の飢え

地獄界‥苦しくて身動きが取れない

と、六つあります


そして

死後の世界で、どこかに輪廻するのではなく


この現世において

心の中が

めまぐるしく変化する様を

この六道輪廻は表現しています


その輪っかから

抜けることを「出世間」(悟り)と呼ぶ

のですが

やはり、大切なのは

幻想を幻想と見抜くこと


ただ

飽きるまで

輪っかの中を走り続けてもいいのです


あれこれ

興味のあることを

やってみたらいいのです


その内

実は、どこまでやっても同じことの

繰り返しだなぁって

気がつきますから


そしてね

輪っかを走ることも

誰かがやっているわけではなくて


ただただ、全体の中で

起きているのです

だから、どっちみち大丈夫


読んでいただいて

ありがとうございました♡




こんにちは



こんな話を聞きました



ある大学生カップルが


彼女の部屋で、ケンカになり


彼女が包丁を持ち出し


彼氏を殺す、と騒ぎ


果ては、自分の首に電気コードを巻いて


自分が自殺する、と騒ぎ


最後には警察沙汰になって


やっと彼女は落ち着いた様子だった、と



人生あるある、ですね



普通に生きていても



「死にたい」とか「殺したい」って


気持ちがわくことって、あるじゃないですか?



これって、結局のところ


「自我のプログラム」を


「終わらせたい」っていう勘違い


のことなのです



「自我」とは


身体と思考と感情の集積による


「私」という感覚のことです



そして「自我プログラム」」とは


「私」をよりよく生存させ


「世界」の中でサバイバルを


生き抜くために、マインドセットされた


「もっと、もっと」という感覚のことです



なぜ


自殺や他殺が「自我プログラム」


を終わらせる勘違いを


起こすことになるのか、といいますと



そもそも「苦しみ」の正体が


この「自我プログラム」に


あるからなのです



「自我プログラム」とは


いまが充分じゃない「不足感」


このままじゃダメだ「欠乏感」


私には何もない「無力感」


などなど、きりがないくらいの


「恐怖」が原動力になっている感情ですね



だから


自分や相手にきりがなく


求めて、求めて、求めて


苦しむ、苦しむ、苦しむ


という構造になっているのです



ところが、やっかいなことに


「勘違い」と書いた通り



「自我」にはこの「自我プログラム」を


終了させることができません



何故かといいますと


どちらも「幻想」だからです



そもそも論


「自我」から出てくる「私」


という感覚が、実体のない幻想なので


「自我プログラム」も幻想なのです



じゃあ、どうしたらいいのか?


この質問がやっかいです



どうすることもできないから



ただ、「気づき」と共にあるしかない


または、「いまここ」にあるしかない



「幻想」を「幻想」と


見抜くしかないのです




くれぐれも


「自我プログラム」に抵抗しないように



なぜなら


「誰か」がやってることじゃないので


「自我プログラム」に抵抗すればするほど


逆襲にあいます



ただ「不足感」があるんだなー


「欠乏感」があるんだなー


だから「悲しい」んだなーと


気づきと共にある



被害者意識や加害者意識は


表裏一体です



どちらも「幻想」だから



ただ、その瞬間わいてきた


思考や感情を


ながめる気づきと共にある


流れていくのを待つ


言葉で伝えるのは


このくらいが限界ですね



ま、気楽にいきましょう


どっちみち、幻想だから




読んでいただいて


ありがとうございました♡






こんにちは



毎度、毎度


同じことを繰り返して


つぶやいています



過去も未来も、幻想ですよーって


だって、真理って、実在って、いまここの


リアルにしかないから


それなのに、すぐに忘れてしまう


仕組みになっているから



過去が幻想って言われても


どういうこと???


頭で理解しようと思っても


難しいと思います



なぜなら、頭の中の思考は


過去をありありとイメージさせる


記憶装着そのものだから



ただ、過去が幻想だ、と


頭で理解しようとするのではなくて


シンプルに見抜くことが


できますよ、という提案なのです



例えば、今


過去にあった出来事の中で


ちょっと幸せを感じたことを


思い出してみてください



旅行の思い出でもいいですし


美味しいものを食べた思い出でもいいです



ありありと


思い浮かべましたか?



さて、いま、そのイメージに


実体はありますか?



旅先の景色を思い浮かべたとして


いま、その景色のイメージに


実体はないですよね



なぜなら、あなたはいま、ここにいて


いつかのどこかの旅先には


いませんから



それに、美味しいご飯をイメージしたとして


それを、いま、味わうことは


できないですよね



なぜなら、いつかのどこかで


味わったご飯は、いまにはなくて


その記憶のイメージが浮かんでいる


だけだから



そして


その記憶という名のイメージそのものを


よーく観察してくださいね



さて、それを掴むことはできますか?


できないですよね



むしろ、観察すればするほど


無色透明で


まるで、かげろうのようではないですか?



だから、幻想ですよ、というのです



だけど、旅先の写真や記録や


レシートがあるのに


幻想だなんて思えないかもしれませんね



ただ、それらの写真や記録は


いまここに、リアルとして


あるのです



つまり、過去があるのではなくて


それらが、まさに、いま起きている


ということなのです




そしてね、未来も全く一緒です


近い未来をイメージした、として


そのイメージは


無色透明で、実体がありません



だから、予測は


そのイメージに近いこともあるし


全く、的はずれなこともあります



私たちは、一瞬前にも


一瞬先にも存在できないから



いま、今ですよね?



その刹那、刹那のあらわれ


なのです



ですから、古くから


一期一会、と言われているのですね



読んでいただいて


ありがとうございました♡