薔薇だけが







あたたかいライトの下に

僕らの影はひとつになっていた

君がいったあとでは

影すら失われてしまった




窓にしずくが落ちた

換気扇が唸っている

月が出ているみたいだ

世界はくぐもっていて僕には見えない




頬骨のまつ毛の光

深いチークの影

君じゃなくて、誰なんだ

薔薇の香りだけが







あたたかい肌の下に

僕らは確かめ合うものがあった

髪をかきわけた首には

薔薇と汗が雑じった




窓にしずくが落ちた

換気扇が唸っている

月が出ているみたいだ

世界はくぐもっていて僕には見えない




頬骨のまつ毛の光

深いチークの影

君じゃなくて、誰なんだ

薔薇の香りだけが






ワタナベタケヒロさんへ

2011/11/30

作詞 本田ケンジ











 小学生の頃、言われた。透かし文字とか仕込んであるのかと、頁をライトに当てて見た。ホントに難しいことを教えられたと思う。禅問答みたいな。
 小学生の頃、森鴎外、志賀直哉の文庫本を渡され、
「行間を読みなさい」
小学生の僕は悩んだ。悩み続けた。行間って何?
 今だって、森鴎外の文章の行間を読めと言われても、
「行間…」
遠くに目がいってしまう。考えていると、心の中心に積年の恨みが集ってきて、じゃあ積極的に行間を読めたからといって何かいいことがあるのか、と開き直り、すっかり嫌疑的になっている。
 ある文章を読む。明晰で滞りがない。美しい。そして違う世界につれていかれる。千尋の光景が涌きたつ。情景が甦る、いや想像によるものか。読み終わり、いつもの世界に帰ると、なにか大切なものが心に残っている。そういう小説を読んだことがあるし、大切にしている。
 逆説的だが書くようになってわかったこともある。書くときは、筆がすべる。パソコンを使っても誤字脱字だらけで、誤用は日常茶飯事だ。間違えた認識を書いてしまうこともあるし、その上、だいたい書き過ぎ。饒舌ならまだましで、同じことを繰り返したり、余計な説明が多い。だから推敲は、とにかく『トル』作業が多いのです。もう、トルトルトルトル!
 出来上がりの文章は、あくまで僕の場合ですが、初稿よりも簡潔になっている。推敲の段階で、言い足りなくて文章を加えるというのは、まずない。誰かに読んでいただくときに、消失した文章…行間?を推察して欲しいかというと……やめてくださいませ。
 論理的で明晰な文章か、美しさはあるか、余計なこと書いていないか、楽しんでもらえるか、少しは実用性があるか、あるいは読んでくださる方に連想してもらえるか、と気になる。 
 行間ある文章が書けないからわからないのか? 
 小学生から成長しておらず本が読めないのか? 
 文豪と呼ばれる作家の文章には、秘めやかな物語が行間に埋もれているということなのか。大人になっても、書くようになっても、理解できない。なんなんだ、行間。


 新人賞投稿目的に、今日も小説を書いています。儚い夢に向かって、キーボードをパタパタとたたく毎日です。
 モチーフがあり、これを書くんだ! という思い込みだけは強い僕なのですが、どうやって書けばいいの? という技術的な問題にぶち当たります。それも小説を書く上での構造の問題、人称の問題です。基本なんだけどな。
 3人称の方が、世界は広くて、自由で、自然な気もするのですが、実際に書いてみると、なんか薄っぺらい文章になってしまう。
 1人称は、視野が狭くて、不自由なんですが、キャラの主観を語らせるにはこれ以上の構造はない!! でも1人称1視点だと、僕の一人語りになり、下手をすると、自己陶酔系の駄文に終わる危険性が高い。村上春樹は遥か遠い……紙の無駄だ、いや、メモリーの無駄か……。
 いいとこどりで、1人称多視点でいくか! うわわわ、危険な小説だ。あーあ、また、書き直しかなあ。
 とほほ。