さて、特許出願のための資料をまとめながらも、講座の方は2004年の3月からスタートしました。
最初はすでに教室を運営されている先生が多く、その先生方にレジンの扱い方や、ドライフラワー製法を覚えていただいて、それぞれの教室で展開していただく、という流れですね。
東京、名古屋、大阪の3か所で講座がはじまりました。
もちろんすべて私一人で全部回ったわけです。
講座での作品制作の様子
レジンとドライフラワーを並行してお教えするという、私の意に反して変則的な講座内容となってしまい、レジンだけを習いたい方、ドライフラワーだけを覚えたい方に対しましては、とても迷惑な講座内容だったと思います。
これは2つの技術を抱き合わせにした方が受講者が増えて、教材費も儲かる、という社長の思惑があったのでは? と、今では思っています。
たぶんそうでしょう。
講座のほかに、このドライフラワー製法を活用した教室、花卉生産者、JA、花の観光地、旅行代理店、ホテルなどの宿泊施設をリンクさせる大きなビジネスモデルを会社で構築したところ、あっという間に40社くらいが興味を示して集まってきて、そうした会社の代表者や担当者の前でプレゼンをさせられたり、と、講師以外の仕事もあって、月に何度かは会社に出向く生活でしたから、アメージングとの両立でとても多忙でした。
ちなみに私はこのビジネスモデルは、絶対にうまくいかないと思っていました。
物作りは机の上で図面を描くのとはわけが違い、思いどおりにはいきません。
ましてまだ講座が始まったばかりだというのに社内は浮足立って、社長や会長など経営陣の浮かれようは滑稽なくらいでした。
そうしたなかで、社長の仕事ぶりを見たり、講座を運営する講師からの社長に対する不評を耳にする機会がいくどもあり、徐々に社長に対して不信感を抱くようになっていきました。
一番気に入らなかったのは、認定講師や受講者からのクレームに対する社長の態度で
「材料が安く買えるだけでもありがたいのに、 文句を言うようなやつは認定を破棄して辞めさせろ」
そういう場面を何度か実際に見ました。
私は、自分自身がショップ出身ですし、ずっと販売にたずさわってきましたから、お客さんを一番大切に考えるのが当然だと思っています。
しかし、社長はそうではなかったのですね。
社長にとって受講者や、認定教室の運営者はお金を運んでくる道具であり、お金を集めるシステムにすぎなかったのだと思っています。
そうでなかったら上に書いたような、上から目線の言葉が口から出るはずがありませんからね。
そして、私が社長と決別が決定的となったのは、社長が見つけてきた、ドライフラワーをコーティングする素材でした。
ご存じのとおり、ドライフラワーは空気に接していますと、徐々に劣化していきます。
社長は以前からドライフラワーをコーティングして、密閉しなくてもアレンジできるようにしたいと考えていました。
レジンもその可能性のひとつでした。
それである時、「熊崎先生、すごい素材を見つけました。
これでドライフラワーをコーティングしますと、永久に劣化しないんです。これで密閉の呪縛からアレンジメントは解放されますよ」と、興奮した声音でそんなことを話していました。
私は物作りで生きてきた職人ですから、物作りに100%の完璧はない、ということを知っていましたから、「へぇ~、すごいですね」くらいの冷めた反応だったと思います。
社長はこの素材をドライフラワーの講座に取り入れて、さらにお金儲けができると、皮算用のそろばんをはじいていたのでしょう。
それでご自分の部下のような講師の先生に、サンプル制作を依頼しました。
ところが、その先生が実際に制作をしてみたところ、原因のわからない現象、失敗が発生して困った先生は私のところに画像を添付して、メールで助けを求めてきました。
私はその画像を見た瞬間に、その素材がどういったものであるかがわかり、作業時に注意しないと、健康を害したり、身に付けている貴金属や時計を傷める恐れがあることがわかったのです。
これはヘタをすると損害賠償訴訟に発展する恐れもあると考えたので、社長にその素材がどういうものであるか、その素材が硬化する際にどういった現象が起きるのか、そのためには作業時に注意すべきことがあるということをご説明して、受講される方にその点をちゃんと説明する必要がある、そうしないと問題が起きた場合に、会社としてリスクが発生する恐れがある、ということを事細かにご説明しました。
しかし社長の答えは
「メーカーが安全と言っているから問題ないです」
というものでした。
物作りにおいては、危険をともなうことも少なくありません。
ですから作業に際しての注意事項をご説明する必要、義務があるわけです。
私がこのコーティング素材を扱う際にご注意していただくこととしてあげたのは
・マスクをすること。
・指輪やプレスレット、腕時計、ネックレスを外すこと。
・換気をすること。
このたった3点でした。
とくにむずかしいことではありません。
しかし、社長はこの3点の説明を受講者さんにすることを拒み、「メーカーが安全と言っている」の一点張りで認めませんでした。
これが私がこの会社から去ることを決めた理由です。
物作りをしていれば、作業に際してこのような注意すべき点があるなんてことはある意味で当たり前のことで、それを認めない、説明を拒んだ理由が、私にはいまだに理解できません。
「お客様のことを第一に考えられない
社長とは一緒に仕事はできません」
そう申し上げて、講座の講師も、ドライフラワービジネスへの協力も拒否して、一切関係を解消する旨を通知しました。
その後、会長が社長をともなって拙宅に訪れ、謝罪した上で、慰留してほしいとおっしゃいましたが
「それではあの素材でのコーティングに際して
受講者さんに危険性についてご説明する
ということですね?」 とお聞きすると
「メーカーが安全だと言っていますから説明する必要はありません。そんなことを言えば受講者が減ります」
この期に及んでのこの答えにがっかりして、それでは続けられません、と、お断りしました。
その後
「契約期間内だから、講師を続ける義務がある。当社は講師として使う権利がある」
という内容の文書を送りつけてきました。
おそらく社長は
「これだけの製法をみすみす手放すわけがない。強気で押せば折れてくるだろう」
と、たかをくくっていたのでしょうね。
ところが私は曲がったことが大っ嫌いですから、これで完全に頭に来て、健康上の不安を理由に辞任する旨を通知し、未払いになっていた
資料やテキストの制作費を請求して、それを回収した上で、同社との関係を清算しました。
契約書などという紙切れよりも、人間の健康の方が法律上重視されるのですよ。
私はこうして自分で考案した製法を失いましたが
「レジン作家だからドライフラワーが作れなくてもぜんぜん困らないさ。それにまた別の製法を思いつくから問題ない」
そう思ってあっさりと講師職を辞めてしまいました。
社長にとっては大きな誤算だったでしょうね。
これが2005年の3月のことです。
下の画像は、特許庁の広報に公開されている、私達が申請した技術に関する結果です。
①出願日は2004年の3月11日
②は特許庁の広報に公開された日
2005年9月22日
③は最終的な出願者の対応です。
「未請求」 は簡単にご説明しますと、「途中であきらめた」 ということです。
この特許庁の広報記事に関しましては、近日中にアメージングスタイルドライフラワーのホームページでくわしくご説明します。
2005年の3月に同社と決別していますから、その後の 「意見書」 の提出などの手続きができず、「未請求」 ということになったわけです。
本当にバカなことだと思いますね。
ただ、お客様に安全についてご説明する、というこんな当たり前で簡単なことを拒んだがために、みすみす特許が取得できた機会を逃がし、「100億円規模にはなるね」 と、浮かれていたドライフラワービジネスも泡と消えてしまったんですからね。
その会社は数年前に、M&Aによって他社に吸収され、現在では消滅し、講座は買収した会社によって継続して運営されています。
旧経営陣は、現在は講座の運営からは退き、当時を知る者はいなくなりました。
しかし、最終的には私の希望通りになりました。
この技術の権利が、だれにもなくなったわけですからね。
もちろん考案した私にも権利はありません。
私はテキストと資材をお売りするだけ。
お求めいただいた方は、その技術をご自由にお使いいただくことができるわけです。
ご自身の教室でお教えすることも自由です。
すでに ② 2005年9月22日に特許庁の広報で公開されていますから、この技術は既出の技術となっていますので、だれが使っても、だれの権利も侵害しないのです。
私としましては、とても愉快です。
技術はだれのものでもないのです。
大勢の人と共有することで、その技術が人と人、世の中を結びつけるクサビとなって、さらに発展してより高みへと昇華されていく。
その過程で一人でも多くの方が、物作りをすることによって日々の生活が少しでも豊かなものになればいいな、と願っています。
レジンの技術をフリーで公開してきたのもそうした考えからなのです。
認定スクールではありません。
オリジナルのアメージングスタイルドライフラワー製法の
制作キット(テキスト付)の販売のみ行っております。