寺社ブログされてる方々は皆さんお気に入りの寺社があって、よく通われていたりしますよね。
なので、この人といえばこの寺社だとか、この霊場ならこの人とか、得意分野といいましょうか、代表的なものがありますよね。
本日ご紹介いたします東洋民俗博物館には、喜光寺の貴公子をお誘いして行ってまいりました。
部分的に書いていたら気持ちが乗ってきて書き上げてしまいましたので、今日も割り込み投稿です。
東洋民俗博物館は知る人ぞ知るパラダイス系の博物館なのですが、所蔵品の量が多すぎて、それらを一人でよく集めたものだと感心通り越して感服でした。
近鉄あやめ池駅の北にあります。

入りにくいですが、博物館前のベンチで館長さんが待っていてくださってたので安心してお邪魔しました。
こちらの博物館は事前予約制なのですが、日曜とかはだいたい待機されてるようでして当日予約できました。
玄関

全体像撮れてませんが、アールデコ調の建物で奈良県の有形文化財に指定されているそうです。
あやめ池遊園が出来た時のパビリオンのひとつだったそうです。
館内は建物同様に左右対称になってまして、玄関入って左の部屋から。

これらの展示棚は明治時代に作られたものでガラスが波打ってるのが特徴でして、こちらも有形文化財だそうです。
パラオ島の石のお金

昭和の始め頃まではまだ使われていたそうで、はじめ人間ギャートルズのように穴に棒をさして担いで運んでいたそうです。
豚20頭分ぐらいの価値があったそうです。
初代館長の九十九黄人氏のご子息の九十九弓彦さんが現在の館長でして、館長さんの説明が立板に水ですので写真を撮る間ががなかったのですが、一通り説明したら前半終了で休憩入れるので自由に見てくださいってことでしたので、後から撮ったため撮り忘れ多数です。
展示品は一万点以上だそうですので、気になったとこだけピンポイントで紹介していきますね。
パラオの木彫人形

舟の上でやってます。
パラオの海は穏やかなので、舟の上でやるのはわりと普通のことだっのでしょうかね。
踏絵

教科書とかでは見ましたけど、実物見るの初めてです。
隠れキリシタンの摘発に使ったなんて言われてますけど、ほんとの隠れキリシタンは踏絵を踏んでキリシタンじゃないよと証明して、なお隠れて信仰していたキリシタンだと思います。
そういえば近年は潜伏キリシタンと言うようになってるようでしたので調べててみましたら、禁教期に仏教徒などに見せかけてひそかにキリスト教を信仰した人々を潜伏キリシタンと呼び、明治に入り禁教が解けた後、多くはカトリックへ復帰しましたそうです。
一方、禁教後もカトリックに戻らず独自の信仰を続けた人々が隠れキリシタンだそうです。
写真撮れてませんが、踏絵の上にはマリア観音、下にはお坊さんが書いた『この人は仏教徒である』という証明書なんかもありました。
天下大将軍

韓国の魔除けです。

焼肉屋とかでたまに見かけますよね。
チベット仏教の仏像コーナーより。

ラマ教では、『生まれること』『死ぬこと』『子孫を残すこと』が大事とされているため、仏像も子孫を残す仕草をしているとか。
チベットの歓喜天もこのタイプありますよね。
こちらも正面座位

このタイプの小さな仏像欲しいんですが、高くて手が出ません。
これゴールデンカムイに出てきそうなやつ。

明治期の巡査の帽子だったかな。
他にも兜とかありました。
エロ系もそうでないものが交互に出てくるので、テンションの上下がおかしくなってきます。
エロだけでなく、貴重なものも多数ありますが、やはりインパクト弱いやね。
変わった絵馬も壁一面にあったのですが、写真撮り忘れてます。
纏足の靴

纏足というものを初めて知ったのは高校時代の書道の先生の話でした。
この先生は中国マニアでしたけど、記紀の話も好きだったょうですが『古事記はエロすぎて素面では言えない』とか言ってました。
今の僕なら酒の相手しながら盛り上がれたことでしょう。
纏足の話に戻しまして、纏足とはなんぞやってことから説明しますね。
纏足は、幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、唐の末期から辛亥革命ごろまで中国で女性に対して行われていた風習のことです。
なんかさらっとした説明ですけど、詳しく説明していくとどんどん気分が悪くなってきますので、耐えれるとこまで続き書きますね。
足の小さな女性は美しいとされていてたとかで、貧しい家の女の子は纏足で足を小さいままにして、お金持ちの家に嫁げるように親が施していたそうです。
足が極端に小さなわけですから、歩行が困難でよちよち歩きになるそうで、それがかわいかったという意見もありますが、バランスをとるために力が入るため、アソコの締まりがよくなるという意見もあります。
さらに走れませんから、逃げることができないので、金持ちの家に嫁いでも、性奴隷のような扱いだったのかも知れません。
さて、纏足のやり方ですが、幼い女の子の足の親指を片手で固定し、もう一方の手で残った四本の指を足の裏側に根元から一気に。。。。
ここまでにしときましょう。
近代化につれて廃止になりましたが、100年前まではまだ風習は残っていたそうです。
気分を変えて次行きます。
アルヴァの神とインド少女の貞操帯

アルヴァの神という言い方は初めて聞きましたが、リンガ・ヨーニですよね。
リンガは男根、ヨーニは女陰を表していて、子宮内からみた性交の様子であるとも言われています。
これの横に貞操帯があるのが笑えましたけど、こんな貞操帯で操が守れるのかってほうが気になりました。
着用させた人しかわからないような結び方とかして、不貞の有無を判断したのかも知れませんね。
纏足にしても貞操帯にしても、近年ではそんなものなかったかのように誰も触れませんけど、女性を所有物のように扱っていた証拠となる負の遺産と言えるでしょう。
初代館長の九十九黄人氏の写真

本名は九十九豊勝さんで、自身が認めるエロい人ということで、エロマン→エローマン→イエローマン→黄人というのが由来だそうです。
エロと言ってますが、ほんと真面目なエロですわ。
アメリカの人類学者であったフレデリック・スタール博士の通訳兼助手として共に世界中を旅しながら集めてきた品を展示しているというわけです。
テレビかなんかの取材で、金さん銀さんと同年代の黄人氏に『金さんと銀さんのどちらが好みですか?』という質問があったそうです。
答えは、『あんなんあかん、宮沢りえがいい』
現役ですね。
喜光寺の貴公子曰く、探偵ナイトスクープで放送された時に出演されてて、かなりのインパクトがあったようです。
御存命中にお会いしたかったとは思いますが、勇気がいりますね。
右側の部屋に行きます。
鴟尾

唐招提寺の鴟尾のレプリカです。
ミイラのチンコ

いくら僕のブログで男根がやたら出てくるとはいえ、『チンコ』とは書いたことほとんとないですよ。
あ、『ちんちん』とは書いてましたけど。
でも『チンコ』って書いてあるんだから仕方ないので、『チンコ』で続けます。
リマの博物館を訪れた時、博物館所有のミイラを一体もらえることになったそうですが、持ち帰るのが困難なので、チンコだけ切り取って持って帰ってきたんだそうです。
なんでそこ選んで切り取るかなぁってことよりも、ミイラもらえるってどういう状況やったかよほうが気になります。
牛のチンコ

芯棒を入れて杖にしていたそうです。
ミイラのチンコと牛のチンコの横の棚に菊の御紋があるのはわざとか。

菊の御紋は肛門の隠語ということを意識してかどうかはわかりませんが。
これは偽物でして、黄人氏は車の運転が下手だったため、他の車が避けてくれるように貼り付けていたそうです。
その下のは、昭和天皇が使われたお箸たそうですが、本物かどうかはわからんとのことでした。
マノフィク

ブラジルの原住民が作った魔除けです。
フィグサインとも言われ、世界的に見ても女性器を表していて、現代では、中指を立てるのと同様に相手を侮蔑するハンドサインとなっています。
天津泥人形

博多人形の原型になったとも言われていまして、台座の下に鏡が仕込んであります。
丸見えです。

直接見せずにひと工夫してあるところが遊び心です。
温泉とかで昔売っていた湯呑みとかと同じようなお遊びです。
改めて考えたら、昭和ってすごい時代だったのがわかります。
現在、エロはネットにはびこってますけど、テレビとかだとかなり制限されてますよね。
コンプライアンスなんてなかった時代ですし、セクハラなんて言う人もいなかった。
数十年で全く違う国のように変わりましたね。
まぁ、こちらの博物館は昭和以前の民俗遺産のようなものですので、昭和を行きた我々からするとなんか懐かしい時代であったと思えますが、それらを知らない若い方々には刺激が強いかも知れませんね。
蘇民将来

蘇民将来のこの符は男根を表しているという説があります。
こけしも男根を表しているので、少女が大事に抱きかかえているのだというのが黄人氏の説だそうです。

僕もそれ思ってたんですけど、これまてあえて言わなかったんですよ。
自主規制です。
前半終了でしばし自由見学しまして、ほどよい頃を見計らって館長さん再び登場いたしまして、奥の部屋へご案内いただきます。
右から読んで森羅萬象窟と名付けられた部屋へ。

ここからが真骨頂なのですが、撮影禁止のため写真はございません。
性に特化した部屋ですけど、撮影禁止のこの部屋の展示品と同等の写真を、普段このブログで上げてるので問題ないように思えました。
内容としては大半がすごい数の書物でして、性信仰の本やら春画やらですが、なんでそんなものあるのって思ったのが、阿部定事件(男性器をちょん切った事件)や大正時代の姦通罪事件(当時の女性の浮気)の裁判の調書がありました。
『あまとりあ』という文化的性風俗雑誌も全巻揃ってるとのことです。
黄人氏は戦時中にも関わらず、このようなことをやってましたので、警察にも捕まったことがあるようです。
こちらの部屋でひとつ見覚えのある品がありましてね。
金色の小さな男根なんですけど、館長さんはペンダントトップじゃないかと説明されてたのうですが、名古屋の桃厳寺でもらった御守りの中ブツと同じものでしたので報告しておきまして。
もしかしたら今後説明が変わるかもです。
なんにせよ、こちらにある書物がかなり魅力的なものばかりでして、生殖器崇拝とか塞の神の本もあったように思いますので、再訪の折には本だけ読ましてもらえないか交渉してみたいと思っています。
これにて館内は終了でして、いつもなら最初に説明するのかも知れませんが、この日は前後逆になったのか、庭のこちらの説明を聞きます。

『口』を共有したクイズに出てきそうな図案は、吾唯足知(われただたるをしる)は、釈迦が説いた教えで、自分は満ち足りているということだけを知っているという意味だそうです。
ひっくり返すと、『舌吸足知』となります。

意味はあえていませんが、ご想像の通りです。
知識無いと作れない洒落ですよね。
その横のこちらは、こけし、法輪、石敢當、蘇民将来。

これらについては説明ありませんでしたが、共通するものを無理やり見つけるなら男根でしょうね。
スタール博士の胸像

スタール博士はシカゴ大学の人類学者だった頃に、どこだったかの万博で世界の原住民とかを集めるという企画があり、スタール博士はそれの日本担当で、アイヌ人四家族を連れて行ったそうです。
今だと人権問題として大問題になりますが、当時は欧米人からしたら当たり前のことだったのでしょう。
その後、日本が好きになり15回も日本を訪れていて、神社仏閣が好きで、お札を集めたり千社札を貼りまくっていたそうで『お札博士』と親しみをこめて呼ばれていたそうです。
千社札は『壽多有』となってるようですので、古い寺社には残ってるかも知れませんので、探してみたいと思います。
かなり話が多数脱線しましたので、どこまでが館長さんのお話で、どこからが僕の話なのかわかりにくくなってまいましたので、是非ご自身でご見学されてお楽しみいただければと思います。
なんか一つのことに注ぐ労力とお金の使い方を想像したら、方向性は全く違いますが、大三島の耕三寺を造った耕三寺耕三さんを思い出してしまいました。
性信仰ですから、もちろんこちらにもリンクしておきます。