神社ぢからと寺ごころ

神社ぢからと寺ごころ

寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

日中は外に出たらあかんぐらいの高温のため、少し外出しただけで汗だくになりますよね。

磐座とか行きまくってた時は、五月ぐらいで真っ黒に日焼けしてましたけど、今年なんかは7月にやっと周囲から『焼けた?』って言われるようになりました。

夏祭のシーズンも日中より夜に行けるところを探すようになりつつありまして、7月31日に大阪市西淀川区の野里住吉神社の夏祭に来ました。

宵宮です。

阪神の姫島駅から徒歩10分ちょっとの野里住吉神社に向かいましたら、地車が来てました。

境内の規模に対して露店の数が多く賑わっていました。
そういえば、露店とか屋台とか言い方ありますけど、うちらの地元では皆、夜店と呼んでましたね。

境内からも地車囃子が聞こえてたので行ってみますと、龍踊りやってました。

龍踊りというと、女性が踊ってるとこが絵になるのですが、熟練された踊り手さんの踊りも見応えあります。
無駄な動きがなく非常になめらか。

しばらく見学して、ここからさらに北に15分ほど歩いて、JR塚本駅前へ向かいました。

今回のお目当ては塚本駅からスタートしますので。

南口のロータリーでは地車が来てました。

でも、この日のお目当ては地車ではなく、こちらです。

枕太鼓ですよ。

枕太鼓は、大阪の夏祭りを中心に登場する伝統的な太鼓台(山車)の一種です。

願人(がんじ)と呼ばれる叩き手が乗り込んで威勢よく太鼓を打ち鳴らします。
赤い頭巾は、忍び装束を表してると言われています。

屋根や四隅の柱がなく、太鼓の前後に『枕』と呼ばれる大きな筒状の飾りがついているのが特徴です。


ついて行きます。

野里住吉神社の太鼓台は、元々は背の高い『布団太鼓』として巡行していましたが、明治末期頃に街中に電線が張り巡らされたことで高さが制限され、屋根のない現在の『枕太鼓』の形態へと姿を変えたんだそうです。

御祝儀をいただいたお店の前では、大阪締めが行われます。

しばらく着いていって、ルートの予想がついたところで、メインの演技が行われる場所に移動して待ってますと、やってきました。
野里住吉神社の夏祭りには、1基の枕太鼓と3台の地車が共演します。

枕太鼓は、北之町が運行します。

時間になりますと、地車もやってきました。

前下げ(正式名称不明)

そのまま回転させる、ぶん回し。
回転しながら上では大工方による手拭い撒きが始まりました。

この場所を動きたくないので手拭い撒きには参加しませんでしたが、かなりの量を撒いていたため、何もしなくても飛んでくるので、ひとつ拾いましたよ。

3基の地車は、中神車、西之町、東之町の運行で、これは東之町です。

西之町も来ました。

2基が向かいあって大阪締め。

ここからが最大の見どころで、地車が激しく追いかけっこをする野里名物『追い合い』です。

交互に何セットか追いかけ合います。

枕太鼓も動き出しました。

追い合いは地車だけでなく、枕太鼓も参加するのですよ。

枕太鼓のスピードどうなんやろと思ってたのですが、心配無用で、競争したら地車より速いかも。
枕太鼓といえば、生國魂神社の夏祭りなとが特に有名で、激しく練り歩いたり回転させたりする勇壮なパフォーマンスが披露されます。

野里のはそのようなパフォーマンスよりも機動性重視のような気がします。
枕太鼓の起源に、豊臣秀吉が戦場で軍勢の進退や合図を送るために打ち鳴らした陣太鼓に行き着くという伝承があります。

戦場を機敏に移動しやすくするため、余計な屋根や装飾を省いて小型化した太鼓台が作られ、これが江戸時代中期以降に民間へ伝わり、お祭りの枕太鼓へと発展したと言われています。

したがって、野里住吉神社の枕太鼓がコンパクトで激しい動きに対応できる構造になっているのも、この戦場由来の機動性がベースにあるためだとも言われています。

もうひとつの由来である布団太鼓からの変化が近年ですから、元々は太鼓台だったものに布団太鼓の要素である枕をつけた太鼓台として融合されたのかも知れませんね。

個人的な感想ですが、地車や神輿よりもダントツに枕太鼓好みかも。

枕太鼓は神輿の要素もあって、担ぐこともできます。

差し上げ
なんかええとこどりでオールマイティー感じがします。

来年はちゃんと生国魂神社のほうも見に行こうと強く思いました。

これにて野里住吉神社の夏祭の宵宮の見学はおしまいとしますが、夏の祭はまだ続きます。