大念佛寺の吉村長慶像(大阪市平野区) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

街中の小社など回ってますと、情報をくれはる方がおられます。

行ったことあるとこや、今後行こうと思ってたとこが多いのですが、それはそれで有難いことです。

調べたところでわかりようのないとこの情報がたまに舞い込んできたりします。

そんな奇特な情報を元に平野に行ってきたわけですが、目的の前に小社ひとつ回ってみようとJR平野駅の北東へ。

無くなってました。
新しいコーポ建ってたので、ちょっと前まであったのかな。

このような油断してると無くなってしまうのが、街角小社のせつないところ。

ま、今さらどうすることもできないので、気を取り直して大念佛寺へ。
今回は社ではないんですが、ちょっとええ感じのもん見にきました。

本堂は遠目に手を合わせて通りすぎる。

お気に入りのこちらもこの日はスルー。

目的は墓地にあり。

墓地内を散策しますが、お目当てのもんが見つかりません。

このあたりかな?
引退した墓石や石仏がたくさんありますが、ここではなさそうです。

だいぶ墓地を徘徊してましたが、見つからない。

諦めて帰ろうと墓地の入口付近に戻ってきたら、ありました。

吉村長慶さんの寿墓です。
寿墓とは、生前に建てるお墓だそうです。

実際のお墓は奈良にあるそうですが、吉村長慶さんは大念佛宗の熱心な信者だったことから、こちらに寿墓を造られたそうです。

長慶さん自ら刻んだ円柱の石碑。
ここで尼津彦痛恨のミスがありました。

円柱なのでちょっと横からぐらいでは気がつかなかったのですが、この裏に長慶像が刻まれていたようです。

やっちまいました。

でも後ろがすぐ他の家の墓石あるので、隠れてしまって気がつかなかったんやと思います。

円柱の文の内容は、吉村家が代々融通念佛宗の信徒だったこと、長慶自身が第59世法主管長山上戒全と親交を結んでいたことから、当寺に長慶ゆかりの石造物が建立されたことなんかが刻まれてます。

読んでないけど。

円柱の石像は見落としましたが、メインはこの石棺です。
穴空いてるでしょう。

覗くんです。
ライトつけましょね。

いきなりびっくりしますよね。
これも吉村長慶像です。

即身仏に見立てていると思われます。

このように小社でなくても、一風変わったもんとかも確認しに行きますので情報いただければ喜びます。