土のにおい1~木花咲耶姫からのメッセージ再び の続きです。
いつの頃からか、キーワードやメッセージを受け取る度に、言葉やメッセージを深掘りすることを 「前提として」 メッセージを投げかけられているな…と思わずにはいられなくなりました。
過去ブログの内容に絶妙に繋がって来たり、深掘りすることでメッセージ自体がさらに奥行きや深さを伴い、より立体的に捉えることが出来ますので。
これは私自身に対する ”多角的な捉え方” のトレーニングでもあり、それをそのまま開示することで、どういうプロセスを辿って受け取っているのか?深掘りしているのか?ということを、記録することにもなっています。
そして、そのプロセス自体をブログを通して開示することが、それを一つの方法・サンプルとして、他人事ではなく ”自分事” として捉えて、受け取った人がそれぞれのフィールドに還元したり活かすことを望んでも居るんだと思うのよね。
日本語の表現
慣用句なども含みますが、日本語の表現って、実に情緒的だと常々思っています。
表現自体に色 (彩) があるといいますか、五感を通して共有しやすい言語なんだろうなと感じています。
そもそもの日本人自体が、DNAレベルでその五感に溢れた感覚を内在しているということでもありますし、言語が纏っているエネルギーであったり波動を捉えることに長けても居るからこそ、でもあるんですけどね。
今回も土の匂いを感知したと同時に、脳内に浮かんできたのは 「土臭い」 とか 「泥臭い」 という言葉とイメージでした。
「雨に濡れた土の匂い」 として感じたわけですから、水氣を多分に含んでいる土なので、泥の匂いにも重なる感じでしたので。
「土臭い」 も 「泥臭い」 も、意味合いとしてはとても似ていまして、どちらの言葉も本来は食べ物について使われる言葉です。
畑から掘り出したままの大根…のようなイメージでしょうか。←個人的には、こういうお野菜の方が信用できる…笑
※葉っぱ付きのものは、さらに嬉しくなっちゃう笑
そこから派生して、粗野だったり野暮ったい様子であったり、垢ぬけていない・洗練されていないさまを表わす言葉になっています。
つまりもう一つのメッセージとしては、「泥臭い・土臭いこと、してる?」 という問いかけでもあります。
洗練するその前に
これは別に、「洗練せずに、野暮ったく在りなさい」 ということをお伝えしたいわけではありません。
野暮ったかったり粗野だったりしても、「実」 が伴っていれば何の問題もないと、私個人は思っています。
この場合の実とは、「虚」 の対義語としての 「実」 です。
前出の大根の例えでいうと、別に土のついたまんまの大根でも ”美味しかったら” 何の問題もありませんよね?
だからこそ、見た目云々・見せ方云々のその前に。
肝心の ”味” は問題ないんですよね?そこはしっかり押さえていますよね?という確認でもあります。
これは物事の 「本質」 を掴んでいますか?という問いかけでもありますし、本質を磨いたり研いだりすることを自分自身に対してしていますか?という投げかけでもあります。
少々乱暴な表現をすると、
「きれいごとばっかり言ってんじゃねーよ、やることやれよ。」 という感じでしょうか。
泥付き大根も、味はバッチリ!問題がないのであれば、しっかり本質を掴んで汲み取ってくれる人は、見つけてくれます。
だけどね、見つけてくれる人の数って、決して多くはありません。
だからもし、認知してほしいのであれば、泥を丁寧に洗い流して、手に取って貰えるような、「あら?なんだか美味しそうね」 と感じてもらえるように、ととのえていくことをすればいい。
だけどいくら外側や外堀をキレイに見せたって、肝心のお味がいま一つ・二つだったら、次に手に取って貰えることはまずない。
だけど逆の場合は、また手に取って貰えるんですよ。
美味しかったら、土がついたまんまでも買ってもらえるし、それを必要なタイミングで、丁寧にととのえた状態で手渡してもらえるんだったら、尚更リピートしたくもなりませんか?^^
大根の味は ”本質” であり、丁寧にととのえることは ”表面的なこと” とも言えます。
もちろん、表面的な部分をととのえることも大切ですが、そのためには同時に、中身である本質も問われるということを忘れちゃならんのよ。
ハリボテで中身のないスッカスカな状態には、だれも見向きはしませんし、一瞬は興味を持ってもらったとしても長続きはしないんですもん。※「実」 がないから飽きるんですよ。
実と虚って、充実と空虚でもありますし、真実と虚偽でもあります。
自分の在り方と生き方について、実を求めるのか?虚を求めるのか?という問いかけにもなっているようです。
同時に、その実と虚の違いを感じ取れる状態にありますか?ということも問うているということですね。
表現する側としての自分自身と、表現を受け取る側としての自分自身と、その両方について。
うん、なかなかにハードル高いのよ…汗
在り方としての ”精神性の高さ” を求められている…ってことでもあるから。
根性論ではないですよ?
時代は令和ですからね、今ここで昭和世代の根性論を持ち出すつもりは毛頭ないのですが、もしかするとそんな風に感じる方もいらっしゃるでしょうね。
表面的なことをととのえること・魅せる状態にすることを、責めてもいませんし、その手順も同じくらいに必要になります。
ですが今は、魅せることにばかり囚われて、実を伴っていないのではないか?という 「正しく疑う」 視点で、一度自らを振り返ってみてほしいようです。
冥王星と土星が逆行している期間でもありますので、流れ的にも過去の振り返りも兼ねているのだと思います。
土臭い・泥臭い、実を・本質を求めることは、表現を換えると 「徹底した行動への覚悟」 でもあります。
「やることやってんの?」 という問いに対する、「当ったり前じゃん!やることやってるよ!」 という答えです笑
ここで氣を付けなくちゃいけないのは、「やることやってる ”つもり” です!」 という言葉の場合です。
うん、その言葉ね。
自らの言葉で 「つもりでしか やってない」 と宣言しているのと一緒ですから。
ほんの少しの違いですが、その差はかなり大きい。
その違い、分かりますよね?^^
その辺りも含めての ”覚悟” を、いま改めて問われているんじゃないかしらねぇ。
「土のにおい3~地球とリンク」 へと続く
※相変わらず、耳の痛いお話でございます。メッセージとして私が受取っている時点で、誰よりもその事を意識しなさいね…って言われているのは私ですもん^^; もちろんそうじゃないこともありますが、「他人事」と思った瞬間に必ず確認が入りますからね。「それ、本当に?(≒他人ごとなのか?)」って。神仏や宇宙って、愛はたっぷりあるけど、だからこそ甘やかしはいたしません…笑
いつも最後までお読みくださり、ありがとうございます。
どなた様も日々の生活をイキイキと、心穏やかにお過ごしくださいますように…☆
【まとめ】 過去のメッセージ・リンク集
■ ひと言メッセージ (678件)
■ チャネリングメッセージ (423件)
■ (オラクル)カード・メッセージ (196件)
■ 新月・満月のメッセージ (40件)
※各件数は、2022年1月1日現在参考。
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