時代とともに学校の目指すところが変わってきていると思う.
(1)1870年代
1872年(明治5年)学制・小学校スタート
(岩倉具視使節団が米国と英国視察,日本初の裁判所設置,初の全国戸籍調査(人口3300万人),国内初の新聞創刊,郵便施行,新潟で世直し一揆,初のガス灯,日本初の鉄道開業,富岡製糸場操業)
この時代,識字率は非常に低かった.
https://cice.hiroshima-u.ac.jp/wp-content/uploads/publications/15-1/15-1-04.pdf
上の論文の図1によれば,
1887年6歳以上で自分の姓名を自著可能な者の率は
滋賀県で男9割,女4割
岡山県で男7割,女4割
鹿児島県で男4割,女1割
であった.
その論文p3では,別の論文の引用から,
1870年頃には,男子の40-50%,女子の15%が日本語の読み書き算数を一応こなし,自国の歴史,地理を多少はわきまえていたとみなしてよさそうである
とする.
これは当時の読み書き普及率が現代の大抵の発展途上国よりかなり高く,当時の一部のヨーロッパ諸国に比べてもひけをとらなかった.
しかし,されど男子の過半数,女子の85%はこのレベルである.地域差も大きかった.
子どもだけでなく,一般の親たちがこのレベルである.
親が子どもに勉強を教えることなど不可能だ.
今は小学校から親が子の宿題の採点を頼んだりするが,この時代なら不可能だ.
全国に小学校をつくり,識字率を上げることには大きな意味があった.
それによって工場・軍隊で働く人間の質と量を向上させることが出来た.(過去記事1)に書いたように,工場は最初から男でなく女を工女・女工と呼び募集した.男子普通選挙法が成立するのは半世紀後の1925年(大正14)である.教育の向上失くして普通選挙はあり得なかった.
(2)
以上を見ると,学校が果たした役割は非常に大きいものであったことがわかる.
歴史的意義が高かった.
しかし,1872年から151年後の2023年現在はだいぶ事情が異なる.
日本の識字率はほぼ100%である.
2016年UNESCO調査では,世界の識字率は86%(男90%,女83%),15-24歳に限定すると91%(男93%,女90%)である.
最も低いニジェール共和国(2010-2016)は15%であった.
日本の就学率は統計が始まった1948年から99%台で推移し,2022年も99.96%である.
日本の識字率も就学率もほぼ100%である.
ここまでくるとむしろやりすぎ感すらある.人類の進化の多様性に反している.
また,現代では計算機もあるので,とめはねまでの正確な書き取りは必須ではなくなってきた.読みすら音声装置でサポートできる.学校内でだけ,読み書きが必須とされている.司法試験も手書きが廃止されワープロで論文を書くことになった(過去記事2).
つまり,今では学校へ行かずとも,読み書き学習の機会はふんだんにあり,更に読み書きの必要性も薄れてきていると言える.
昔はやらねばならなかった肉体労働の量が機械によって減ったのと同様,皆が共通にマスターしなければならない日常的に必要な知識や技能は計算機によって減ったわけである.これこそが文明の進歩と言える.
義務教育の法的根拠は(過去記事3)でも書いた.
憲法第26条第2項:すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
教育基本法第5条2項:義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
とし,
学校教育法第21条で普通教育は,1-10とあげているが,
下の国会答弁で安倍首相は2016年11月29日に,
「普通教育」とは、一般に、全国民に共通の一般的、基礎的な教育
と回答している.
機械の進歩によって,機械を使いこなすプロの技能の質と量は,単純に減るものではないが,
全国民に共通の一般的な能力は,機械・文明の進歩によって,減っていくべきものである.
もはやとめはねまで含めた正確な漢字書き取りを2136字もマスターして試験で問われる必要などない.
今は習う漢字の数は(2020年施行で)
小1:80字,小2:160字,小3:200字,小4:202字,小5:193字,小6:191字
中1ー中3:1110字.(中1:250-300,中2:300-350,中3:残りの大体)
(下のp42参照)
小学校指導要綱の第3・4・5・6学年では,
学年別漢字配当表の当該学年までに配当されている漢字を読むこと。また,当該学年の前の学年までに配当されている漢字を書き,文や文章の中で使うとともに,当該学年に配当されている漢字を漸次書き,文や文章の中で使うこと
読むのはまだ良いとしても,書くのまで要求されています.
そして,中学校指導要綱では,
中学校1年生で,
900字程度の漢字を書き,文や文章の中で使うこと。
と要求しています.
小6までに習う漢字1026字,小5までに習う漢字835字までなので,
小5までに習う漢字は義務教育期間で書けるように,ということなのでしょうが,
小5の漢字はすでに相当難しいです.
読むことはできても,全国民が共通しているべき技能として,900字を書くことまで試験で試されなければならないでしょうか?
私はもはや自分の氏名や住所のほかは手書きで書く事はほぼありません。こうやってブログを毎日書いていても手書きは必要ないです。
漢字を書くことが人生の目的ではありません.日常生活を円滑に行うことが目的です.
その目的のための手段は,文明の進歩とともに軽減されていくべきです.
(過去記事4)でも義務教育は短縮すべきだと書きました。
いや、もはや義務教育自体をなくすべきかもしれません。
もはや時代が違う。学習機会がなくて学力が無い人は殆どいない。
反対に教育虐待といって親が子供に勉強を強制することが問題視されている昨今である。この手の名作小説に、
翼の翼
がある、
中学受験の話で、私は興味深く読みました。
むしろ学校は人権侵害の温床となり、犯罪行為が横行している。
学校に通わない権利を認めるべきだと思う。
勉強に全く興味がない非行少年が非行グループを形成維持するために毎日学校へ通うという自体が義務教育はじまった時期からある深刻な人権問題である。
(過去記事1)
(過去記事2)
(過去記事3)
(過去記事4)