安楽死を決めるのは・・・ | 【鹿児島⭐︎動物病院から】飼い主さんとペットの絆を深める心の持ち方接し方を提案 獣医師 浜崎菜央

【鹿児島⭐︎動物病院から】飼い主さんとペットの絆を深める心の持ち方接し方を提案 獣医師 浜崎菜央

鹿児島で動物病院を経営しつつ、飼い主さんがペットに1つでも多くできることを提案できる場として、ペット関連のイベントや講演をしています。
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『安楽死』に関しては、いろんな意見があると思います。

 

 

ただし

 

動物となると、

 

本人に意思を確認できないだけに

 

獣医師の提案と

 

飼い主さんが決めるのみ。

 

 

 

例えば・・・

 

発作が続いて苦しくて苦しくて・・・

 

どうにも止めることができなくて、ずっと戦っていて・・・

 

という状況であれば、

 

『安楽死』を選択してあげたほうが楽になれるのだろうか

 

と考える飼い主さんもいるでしょう。

 

私もそう考えると思います。

 

 

考える中でもいろんな葛藤があると思います。

 

私もそう考えました。

 

 

私がそう思ったときの記事は


末っ子の病気のこと

 
 
もう少しだけ治療を頑張ったら

 

もう少しだけ発作を止めてあげたら

 

もうこんなにひどい発作がなく、ハッピーな生活に戻れるんじゃないか

 

それなら、『安楽死』してしまうのは早く命を閉ざしてしまうことになるのでは・・・

 

 

とか

 

 

でもやっぱり苦しんでいるのはこれ以上見れない

 

だから『安楽死』してあげたほうがいいのかも・・・

 

 

とか

 

 

 

 

どちらを選んだとしても、

 

飼い主さんの考えが正解となり、

 

その考えにペットも寄りそうものです。

 

 

 

 

 

ただ・・・

 

獣医師が『安楽死』を提案する中でも、

 

いろんな考えやケースがあると思うのです。

 

 


こんなケースならだけれど、

 

中には『安楽死』の提案が早くないか?

 

というケースもあります。

 

 

 

交通事故にあった猫のお話。



 

保護した方は、動物病院に行き、診察をしてもらったそうです。

 

 

「助かる見込みはない。

 

あと数日中に亡くなる。

 

安楽死すべき。」

 

 

 

 

そう言われた方は、諦めがつかず、翌日病院へいらっしゃいました。

 

 

「とりあえず2、3日だけ時間をください。

 

2、3日様子を見て、見込みがなさそうなら、考えませんか?」

 

とお伝えし、入院の運びとなりました。

 

 

治療をしつつ、本人の様子と相談しながらリハビリをしつつ・・・

 

 

1日後・・・

 

しっかり顔をあげれるように。

 

2日後・・・

 

自力でご飯を食べるように。

 

3日後・・・

 

ふらつきや傾きがあるものの、歩けるように。






 

 

 この様子を見て、保護した方の頭からは、


『安楽死』の考えが消え去っていました。

 

ただひたすら、

 

「あのとき諦めなくてよかった」

 

と口にされていました。

 

 


もしも諦めていたら、


命は消えてしまっていたのだから…


ほんの数日踏みとどまったことで、


運命はガラッと変わることもあるのです。



 

 

可能性があるものを

 

『ゼロ』にしてしまうのも、

 

『無限大』にしてしまうのも、

 

私たちにかかっているのだな

 

と思った瞬間でした。

 

 

 

今や、もうすっかり普通の猫ちゃんへ戻ってしまって・・・

 

とても『安楽死』の提案をされた子とは思えない姿となっています。

 

 

 



それから…


ずーっと前に記事にしたことがありましたが、

 

シニアの寝たきりの子を初診で診た先生から

 

『安楽死』を提案されてショックだったというお話。

 

 

「寝たきりになって、楽しいことなんてないよ。

 

死んだ方がいいと思ってるはず。」

 

と言われた飼い主さんは、ショックで悩み、眠れなかったそう。

 

 

 

飼い主さんにとっては、介護をしあわせな時間だと思って、

 

残された二人の時間をゆっくり過ごしている方もいらっしゃいます。

 

 

その貴重な時間を『安楽死』という言葉で止めようとするのだとしたら・・・

 

ショックですよね。

 

 

 

 

シニアになれば、

 

立てなくなったり・・・

 

寝たきりになってしまったり・・・

 

介護が必要になったり・・・

 

 

その時間を

 

『つらい』ととるか

 

『いとおしい』ととるか

 

飼い主さんの受け取り方次第だと思うのです。

 

 

 

シニアになって、できることが減っていくのを

 

『かわいそう』ととるのか

 

『愛情を感じれてしあわせそう』ととるのか

 

それも、飼い主さんの受け取り方次第だと思うのです。

 

 

 

受け取り方を正すためにも、私たちの存在はあるのだと思っています。

 

 

 

寝たきりだった子が『リハビリ』で歩けるようになることだってあるし

 

マッサージしてあげて血流がよくなって、食欲が増えることだってある。

 

 

飼い主さんのほんの少しのサポートで

 

いい兆しが現れることだって少なくないのです。

 

 

 

それを試すことなく、

 

最初から閉ざしてしまうのは、

 

やっぱり残念なこと。

 

 

 

今まで一緒に連れ添ってきた子を

 

できる範囲でサポートしてあげる

 

限界が来て、どうしても苦しんで止まないときは『安楽死』を選択する

 

それに寄り添うのが、私たちの存在であるべきだと思っています。

 

 

 

まだまだ元気になれるのに、

 

丸投げしてしまうことや『安楽死』を選択してしまうことは

 

本当に正しいかどうか・・・

 

 



本人には選択できないのだとしたら

 

提案する側も決定する側も

 

きちんと見極める必要があるのだろうな

 

と思います。

 

 

 



寝たきりで大変だから『安楽死』を・・・

 

介護が大変だから『殺処分場』へ・・・

 

 

そんな考えになる前に、

 

私たちに出会い、少しだけ模索してほしいのです。

 

 

もしかしたら、

 

最期まで『しあわせ』なときを過ごせる方法があるかもしれないから。