毎日スポーツ!毎日お祭り!毎日感動!フォトクリエイト社員、熱血ブログ!
  ある時は、東京都心で「東京マラソン」、ある時は北海道で「YOSAKOIソーラン」、幕張で「チアダンス」、東京ドームで「ジャイアンツカップ」、ある時は富士山で「自転車レース」、・・・・・                   
すべての感動の喜びとを皆様にお届けするために、我々は日本中を駈け回ってます!! そんなフォトクリエイト社員が、毎日感じたスポーツビジネスやイベントを通じた感動を綴る熱血ブログ!


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ブログ移行のお知らせ

いつも「フォトクリエイト社員、熱血ブログ」をご覧いただきありがとうございます。
この度、当ブログは以下のサイトへ移行いたしました。

「感動宅配便」
http://sole.photocreate.co.jp/

今後はこちらのサイトにて更新してまいりますので、
これからも何卒よろしくお願いいたします。

努力は必ず報われる

剣道を習い始めて2年。
6歳の川口桜輔君は、努力すれば結果がついてくることを
自らの竹刀で証明して見せた。



2月12日、千駄ヶ谷の霞ケ丘体育館で開催された
第32回ジャクパカップ剣道大会。
関東各地での予選を勝ち抜いた精鋭たちが集うこの大会で、
桜輔君は見事ベスト8にまで進出し、敢闘賞を受賞したのだ。

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「今日のオーちゃんは輝いて見えました。
剣道を始めた頃のことを思い出して、ジーンときちゃいました」


最愛の息子に応援席から熱い声援を送った母親の葉月さんは、
感極まった声でとつとつと語った。
ここまで桜輔君が歩んできた剣の道が平坦なものではなかっただけに、
葉月さんの喜びもひとしおだったことであろう。


桜輔君が剣道を始めたのは、彼が幼稚園の年中に進級した4歳の時。
園が実施しているクラブ活動を見学しに行ったことがきっかけだった。

「スポーツ系のクラブは、サッカーと剣道の2つがありました。
本人はサッカーがやりたかったみたいですけど、私が剣道を強く奨めました


高校と大学の7年間に渡って柔道を続けた葉月さんは、
マイペースな性格の桜輔君には是非とも武道を習わせたいと思っていたという。

「礼儀に厳しい武道の世界に入れて、
努力し続けることの大切さを知って欲しいと思ったというのが理由です」


仮入部の頃には、道場の厳かな空気に気圧されたのか、
泣きながら入部を嫌がった桜輔君。
“無理にやらせなくても・・・”という先生の言葉に、
火をつけられたのは葉月さんの方だった。

「剣道に慣れさせるために、毎日竹刀で素振りを100回やらせました。
体力をつけるために、幼稚園には自転車で通うのをやめて走って行かせました」



葉月さんが考案した愛情たっぷりの特訓が実を結ぶのは、その翌年。
桜輔君が年長組に進級していた2011年11月のこと。
ジャクパカップへの出場権を賭けた東京予選に勝ち残り、
念願だった大会への切符をつかみ取ったのである。


ジャクパカップでも腕自慢のチビッ子剣士相手に2勝を挙げ、
8位入賞を果たした桜輔君。
このような大きな大会に出場したことが初めてだったということを考えれば、
申し分のない成績だと言える。

しかしながら葉月さんとの稽古を通じて、
努力すれば成長できることを悟ったのであろう。
彼は試合後に悔しさを隠そうとはしなかった。

「次はメダルを獲るよ」

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表彰式でメダルを受け取るライバルたちを無念の表情で見つめた桜輔君。
目標達成のため、彼は4月からもう1つ別の道場にも通い、
稽古の量を倍増させている。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

10年連続出場という節目を迎えて

今から10年前、67歳のときに会社の非常勤となった小林恭二さん。
自由な時間ができたからといって持て余すのではなく、
積極的にいろいろなことをやってみようと思った。

そのために1日、1週間、1カ月、1年の大枠のスケジュールを作った。
毎日ラジオ体操に出かけること、
週に一度スポーツセンターで運動すること、といった具合だ。
そして年間の予定には、冬にスキーをすることを盛り込んだ。

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「新潟生まれなので、子どもの頃からスキーを楽しんでいました。
でもこの年になると、ゲレンデスキーは転んだときに危ないですからね。
クロスカントリーなら安全ですし、
全身運動なので健康には良いだろう
と思ったんです」


山道をジョギングするように走るこのタイプのスキーは、
生涯初めての経験だった。

小林さんのスキースケジュールはというと、
2月に札幌国際スキーマラソン大会に出場し、
3、4月に福島の裏磐梯で自由にクロスカントリーを楽しむというもの。

しかし、いきなり現地へ行って滑るというのは体力的にきつい。
従って、オフシーズンにノルディックウォーキングという
ストックを使って歩くことを開始した。


「札幌国際に出ようと思ったきっかけは、
北海道にいる友人に会いに行けるし、
さっぽろ雪祭りのシーズンでちょうど良いなと思ったからです。
3つの楽しみが一気にできるということなんです」


大会は競うためではなく、あくまで楽しむために出場する。
このスタンスは10年経った今でも変わらない。
エントリーも一貫して『歩くスキー5km』の部だ。

「小学生や中学生といっしょに走るので清々しいですね。
時には立ち止まって景色を写真に収めたりもするんです。
出場10年という節目の今回もそんな感じでした。
50分かけて自分のペースで完走しました


初めて出場したときから10年間は続けようと思っていた。
そして今年ついにその目標を達成したのだ。

「当初はレンタルスキーでやっていたんですよ。
それが一式揃えるようになり、毎年ほぼ同じタイムで走ることができて、
うれしい気持ちでいっぱいです。

来年ですか。参加はしないのですが、毎年妻も同行していましてね。
今回が一区切りだと伝えていたので、相談してみないと」


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現在、77歳であっても地域ボランティアに参加したり、
文学座の演劇を観たり、大学のオープンカレッジで勉強したり、
充実した日々を過ごしている。

たとえクロスカントリースキーを卒業したとしても、
また心から興じることができるスポーツを探し出すだろう。

「生き甲斐はたくさんあったほうがいい」
これが小林さんの人生のテーマだからだ。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

目標に向かって努力する6歳プレーヤー

園児のサッカーというと、
みんながボールに群がるイメージがあるかもしれない。
しかし昨今は、FCバルセロナの活躍で、
子どもでもパスをつなぐことを意識するようになったのだ。

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そんな中、後藤幸羽(ごとうこう)君のチームでの役割はというと、
引いた位置から相手のボールを奪い、しっかり味方につなげること。
つまりディフェンダーだ。

「控えめですが、忍耐強いというか。
幸羽はそういう性格なので、
守るポジションが本人に合っていると思います

とお母さんは話す。

とはいえ、ただゴール前に張り付いているだけでないのが幸羽君だ。
機を見て、ドリブルで上がっていくような判断力も持っている。
さらにゴールを決めることもできる。

2012年に入ってすぐの1月14日、
日産スタジアムにおいて『神奈川県幼稚園サッカー冬大会』が行われた。
4チームによる1dayリーグ戦だ。

幸羽君の一番の持ち味は、相手にかわされず、
ついて行くことができる粘り強さ。

それを可能にしているのが誰にも負けないスタミナである。

ある時「一番最後まで走ることができる選手がカッコ良いんだよ」
とお母さんが言ったところ、
家から約1.5km離れた幼稚園までの距離を、
お母さんが乗る自転車のあとを走りながら登園するようになった

という。これによって体力がついたのだ。

しかし、大会当日は風邪が治ったばかりで体調が良くなかった。
相手をブロックすることはできても、
自ら上がって攻撃参加することは難しかった。

大会前は「得点を決めたい」と言っていた幸羽君だったが、
ゴールを奪うことはできず、さらには得点に絡むようなプレーもできなかった。

チームは2勝1敗という好成績をおさめることができたにも関わらず、
幸羽君は悔しさでいっぱいだった。
性格は控えめだが、心の中には熱いものを持っているのだ。

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幸羽君は4月から小学校へと上がり、
U-6からU-8というカテゴリーへ進んだ。
上級生に混ざって堂々とプレーしているというから、先が楽しみだ。
とはいえ、この世代は公式戦が少ないというので、
そこだけが心配だとお母さんは言う。

好きな選手はFCバルセロナのリオネル・メッシ。
彼のようにチームに欠かせない選手になるのが幸羽君の目標だ。

さらに、将来はメッシと同じチームでプレーしたいと子どもらしい夢も語る。
そんな壮大な思いに一歩でも近づけるように、
今は毎日ボールを蹴って、サッカーを存分に楽しんでほしい。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

妻に『頑張れ!』を伝えたい

出産を控えた妻に頑張る姿を見せて励ましたい。
そんな熱い思いで、清水優樹さんは『第31回横浜マラソン』に臨んだ。

「自己記録更新を狙うからね」
妻に声をかけると笑顔で応えてくれた。

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マラソンを始めて6年。
その中で今回は最も練習をこなしてきたという自負があった。
不安があるとすれば、今回のレースに出場するのが初めてということ。

とはいえ、21kmのハーフでもあるし、
湾岸を走るコースなので道のりは平坦。
しかも普段から通っている道路だったので、
「いける!」という印象を持っていた。

しかし盲点があった。
『横浜マラソン』は非常に人気の高いレースで、
参加者も大勢いたということだ。

「僕のスタート位置が後ろのほうになってしまったんです。
ピストルの合図が鳴っても、
スタートラインを超えるのに5分も費やしてしまいました


さらに、混雑を抜けてペースを上げられるようになるには、
なんと10km地点まで待たなくてはならなかった。

「前に出ようとしても出られない。
まずい、まずい。心の中はそればかりでした」


10kmを過ぎ、ランナーが少なくなると、猛然と駆け始めた。
時計を見ると、清水さんが考えていた予定通過タイムよりも10分遅れていた。

「正直、もう無理だという気持ちがよぎりました。
でも、妻に『頑張れ』というメッセージを伝えるには
諦めるわけにはいきませんから


水分補給にも目をくれず、ハイスピードで湾岸道路を走った。
残り2km地点にさしかかったとき、
大きいお腹を抱えながら手を振って応援する妻の姿を見つけた。

「ちょうど疲労を感じていたときでしたから、力が沸いてきましたよね。
でも励ますつもりが逆に応援されて、申し訳ない気持ちもありました

妻からの声援を受けて、清水さんはさらに加速した。


そして山下ふ頭に入り、ついにゴールイン! 
時計を見るとタイムは1時間34分だった。
自己ベストの1時間30分には4分ほど届かなかった…。

「宣言どおりにはいきませんでしたが、
力を出し切ったという満足感はありました。
でも、やっぱり反省ですね。
スタート地点があんなに混むなんて勉強不足です。
妻は『次、頑張って』と笑って言ってくれましたけど」

夫人のこの表情こそが、清水さんのエールが届いた証拠だった。

清水さんが全力を出し切ったのは真実だ。
いや、出しすぎた。
なぜならこのレースで膝を痛め、完治まで2カ月を要したのだから。

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『横浜マラソン』のあった月末、子どもが無事生まれた。
そして新しい家族ができたとき、新しい目標もできた。

「今度は娘の前で一生懸命走る父親の姿を見せたいです」
(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

「継続は力なり」

小学生らしからぬ冷静沈着な戦いぶりで、
松本拓也君はベスト8に勝ち進んだ。

続くベスト4進出をかけた一戦。
彼特有のカウンタースタイルに拘ったことが仇となったのであろう。
拓也君の戦いは延長戦の末、
惜しくも準々決勝でピリオドを打つこととなった。

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「技を出す時に迷ってしまい、
そのスキに相手に決められて負けたんです。
必要以上に慎重になり過ぎました


11月27日、藤沢市の秋葉台文化体育館で行われた
第17回神奈川県青少年空手道選手権大会。
拓也君にとっては小学校生活最後の大会だったこともあり、
彼の落胆は想像以上に大きかった。


空手を始めて今年で8年目に突入した拓也君。
そのきっかけを作ったのは、他ならぬ母親の敦子さんだったそうだ。

「以前、同じマンションに空手を習っている男の子がいて、
その子がすごく礼儀正しくて好感を持っていたんです。
是非自分の子どもにもやらせたいと思って、
道場に見学に連れて行ったら、本人もやりたいと言うので・・・」


5歳の時から泊親会川崎道場で鍛錬を重ねた拓也君は、
4年生の時に念願の黒帯を取得。
それ以来、週に6日、
毎回3時間の激しい稽古に耐え、空手の腕を磨き続けた。

普段はマイペースで、
空手の有段者に見られることなど皆無に近い拓也君。
そんな彼に変化が見られるようになってきたのも、
ちょうど黒帯を締め始めた頃からだった
という。

「大きな声を出して周りの子たちをまとめたり、
応援団をやったりと少しずつ積極性が出てきました」


黒帯を取得したことで、子どもながらに自信がついてきたのであろう。
拓也君が礼儀正しい子として、
近所の親御さんたちの評判になった
のもこの頃のことである。

空手をやらせて本当によかったと思っています。
幼稚園の頃からずっと続けてきたことで、
辛抱や我慢などを覚えて、空手以外の面でも大きく成長しましたから」


そんな母親の思いを知ってか知らずか、
拓也君は中学生になっても泊親会川崎道場で空手を続けるという。

「小学生の時みたいに多くは通えないかもしれないけど、
一生懸命稽古して、全国大会に出場できるように頑張ります


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最愛の我が子にかける言葉として、
“もうちょっと勉強の方も・・・”
というフレーズをグッと飲みこんで、
“継続は力なり”を挙げた母親。

この言葉の意味は、拓也君自身が一番よくわかっている筈だ。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

悔しさだけが残ったロードサイクル

岡研一さんは30歳のときに大病を患い、
リハビリの一環として自転車を始めた。

最初は一般用の折りたたみ式に乗っていたが、
ウォーキングよりも長い距離を走れるというのが楽しくて、
どんどんのめり込むようになった。


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「それからロードレーサーがほしくなって買いましたね。
自分で修理したり、いじるのがおもしろいなと思いました。
走る距離もさらに伸びて、
60km、80kmというサイクリングが可能になりました



そんな自転車ライフを送っていれば
レースに出たいと思うのは当然の成り行き。

岡さんは一昨年、『ツール・ド・ちば』に参加した。
この大会はスピード競技というより、
交通法規を守りながら完走を目指すというもの。
初心者にはピッタリだった。

「1日目だけの参加でしたが、のんびりした快適なイベントでした。
風景を見ながら走るのも良いのですが、
そうしたら競技志向のものにも参加したくなりますよね



そんな思いから岡さんは昨年11月、
『セオサイクル サイクルフェスティバル』に出場した。
下総フレンドリーパークを周回するレースで、真剣勝負そのもの

「大会にはいろんなクラスがあって、
僕は7周するカテゴリーにエントリーしました。
目標はリタイアしないこと。
だけど、思っていた以上に他の人のレベルが高くてビックリしましたね」


スタートから実力のある人たちは前の集団でレースを進め、
岡さんは中団グループを追走した。

「団子状態になって進んでいくんですよね。
誰か一人が先頭を走るというのではなく、
暗黙の了解で順位は常に変わっていくんです。
空気抵抗があるから。
人の後ろにいると本当にスムーズに走ることができるんですよ。
こんな経験初めてでした


だけど岡さんはついて行くのがやっとで、
みんなのように先頭に立って集団を引っ張ることができなかった。

そのとき。
突然、岡さんの横の選手が転倒した。
ハンドルが左右に動いてしまい、他の人に接触したのだ。
それに巻き込まれて、何人もが横転する。
岡さんは倒れはしなかったが、コースを外れてしまった。

「木が生い茂ったところに突っ込んでしまい、
そのとき枝がヘルメットとサングラスの間に入って、
まぶたを切ってしまったんですよね。
出血して視界が悪くなってしまいました」

すぐにコースに戻ったが、
張り詰めていた緊張が切れて、力が出なくなってしまった。

「だけど完走はしようと思いましたね」

その言葉どおり、片目が塞がりながらも何とかゴールした。
だけど悔しくてたまらなかった。


ケガでベストを尽くせなかったというのもあったが、
そもそも基礎体力で負けていると感じたからだ。

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「みんな筋肉が引き締まっていました。
それに比べて僕はたるんだ体。
今まで土日しか練習していませんでしたが、
平日も時間を見つけてトレーニングしないと駄目ですね」


次は納得いくレースをするために、
岡さんは今、肉体改造に努めている。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

順位より大切なもの

親御さんたちの予想に反して、
向原幼稚園は堂々とした戦いぶりで予選リーグを突破した。

1月14日に川崎市のとどろきアリーナで行われた
第10回BSC幼稚園ドッジボール大会。

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獅子奮迅の活躍で、
チームを決勝トーナメントへと導いたのが中根慶一朗君だ。

「私も含め親たちは、誰一人として
決勝トーナメントまで勝ち残るなんて思っていなくて・・・。
1回でも勝てればいいねって、言っていたんですよ」


慶一朗君の母親、由紀子さんは
試合の日を振り返り、嬉しそうに話す。

「でも今考えてみると、かなり練習をしてきたので、
子どもたちの努力に対するご褒美を貰えたのかなとも感じています」


その言葉通り、“チーム向原”の練習量は特筆に値する。
大会出場が決まった昨年の秋頃から毎週2回、
水曜と土曜に2時間ずつ、
本番直前まで特訓を積み重ねたのである。

「先生が毎回熱心に指導してくれたおかげで、
始めた頃と比べると子どもたちは見違えるほど上手になりました。
慶一朗も練習の日を毎回、楽しみにしていました」


慶一朗君たちがベスト8まで進出できた裏には、
ひた向きな努力という確かな拠り所が存在していたのである。

「でも、ね・・・」
由紀子さんは、慎重に言葉を選びながら話を続けた。

一番感謝したいのは、
まとめ役を務めてくれた親御さんたち
です。
毎週2回、2時間の練習を設定してくれたり、
毎回連絡を回してくれたり・・・。
みなさんの努力があったから、ベスト8まで進めたんです


そんな親御さんたちの思いに応え、
向原幼稚園の子どもたちは必死にボールに食らいつき、
夢中でボールを投げた。


慶一朗君も大柄な体格を活かし、最後まで勇敢に闘い続けた。

コートサイドから声援を送っていた由紀子さんは、
真剣勝負の中、我が子の表情が強く印象に残っているという。

「試合中、慶一朗は相手チームの子と仲良さそうに話をしているんです。
会話の内容は聞こえないけど、すごく楽しそうにしていて・・・。
見ている私まで、楽しくなっちゃいました


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毎回の練習を含め、
慶一朗君のドッジボール生活を支えた由紀子さん。
彼女にとって最も嬉しかったのは、
チームがベスト8まで勝ち進んだことよりも、
可愛い6歳の息子が最後まで楽しそうな表情で
ドッジボールに取り組んでいた
こと
なのかもしれない。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

着ぐるみで初マラソン!

“やったことのないことをやってみたい”

これが石田さんの信念だ。
それゆえに、フルマラソンに挑戦しようという意欲を持った。

“だけど人と同じじゃつまらない”
そんな発想をするのも、また彼女のオリジナリティでもある。

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『奈良マラソン2011』は石田さんの初マラソンとなった。
しかも着ぐるみを着ながらという、ビギナーには無謀とも言えるチャレンジだ。

「せっかく市をあげてのお祭りなのだから、
楽しもうという気持ちはありました。
だから、着ぐるみで参加しようと思ったんですが、
そんな人が棄権したらものすごくかっこ悪いじゃないですか。
本番で失笑されないように、練習は一生懸命やりましたよ」


とはいっても、普段から着ぐるみで練習することはできない。
これは当日、友人、知人、沿道の人たちを楽しませるための
サプライズとして取っておかなくてはならないのだ。

「当日、会場まで持って行くときは、頭の部分はバックに入らないので、
別の大きい袋に入れて運びました。
控え室でパンダに変身したら、その途端、まわりから
『かわいい』って声が聞こえてきて、モチベーションが上がりましたね」


着替えが終わると、控え室からスタートラインまでは歩いて移動した。

「このときは違和感もなかったし、十分いけると思いましたね。
だけど、スタートしたら走りづらいのなんのって。
足同士がぶつかるし、頭は重いし、これはしんどいと感じました」

万が一、着ぐるみを脱ぎたくなっても良いように、
インナーには通常のランニングウェアを着込んでおいた。
必要とあれば“脱皮”もやむなしと石田さんはあらかじめ考えていたのだ。


着ぐるみ姿は道中でも人気だった。
沿道の人たちや同じランナーからもたくさん声をかけてもらった。

「友人と2人で同じパンダの格好をして併走していたので
『双子や~』とか『カンカンとランランみたい』って
応援の人たちからは言われました。
ランナーからは『しんどくないか』『頑張れよ』
励ましの言葉をいただきました。
皆さんのおかげでずっと笑顔で走ることができました



ゴールはもちろん2人並んで仲良く
まわりからは拍手がわき起こった。

「練習してきたおかげで膝が痛くなることもなく、
無事走り切ることができてうれしかったです。
いや、ホッとしたというのが正直なところでしたね。
顔は笑っていても心のどこかで、棄権したらあかんと緊張していたので


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これで完走したとなると、
次回も着ぐるみランナーとしての参加となりそうだ。

「パンダかどうかは分かりませんけどね」

石田さんはチャレンジ精神溢れる性格の持ち主
もしかしたら新しいアイディアで、
また『奈良マラソン』を盛り上げてくれるかも知れない。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

一家団欒の秘訣

中学校3年生の青木優真君がテニスを始めたのは小学校3年生の頃
と言っても、テニスに強い興味を持っていたという理由からではない。
むしろ、大好きなお母さんと一緒にいたかったというのが本当のところだ。

「その当時、私はテニススクールに通っていたんです。
息子を家に置いていくわけにはいかないので
連れて行ったらコーチが遊んでくれて。
それで私と一緒にテニスを習うようになりました」


母親の美智子さんは、その頃のことを思い出しながら言う。

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4年後、大阪の常翔啓光学園中等部に入学した優真君は、
経験者ということもあり、迷うことなくテニス部に入部した。
入部当初から期待されていた彼は中学校1年生の時、
初めて出場した大会でテニスにのめり込む劇的な体験をする。

「部の中で一番仲が良い子と組んで出場した大会で準優勝したんです。
勝つ喜びと負ける悔しさの両方を知って、
もっとうまくなりたい気持ちが強くなりました
ね」


その日を境に、優真君の生活はテニス一色になった。
テレビでテニスの放送があれば必ず録画し、
世界ランク1位のジョコビッチ選手に憧れ、休みの日も練習に励んだという。


昨年の11月13日に行われた
“第13回大阪私立中学校テニス大会”は、
3年生になってキャプテンに就任した彼にとって中学生最後の大会。

結果は思うようにはならず、3回戦進出までとなったが、
スタンドで観戦した美智子さんは、必死にボールに食らいつく
我が子のプレーを見て胸がいっぱいになった
という。

「小学生の時にはルールも全然わからなかった子が、
ここまでできるようになったんだなぁって感動しました」


試合を見に行く時は写真を撮らず、
成長した息子のプレーを直に目に焼き付けている美智子さん。
彼女には、後に息子の奮闘を確認するための武器がある。
それは、フォトクリエイトのHPである。

「いつもカッコよく撮ってくれるのが嬉しいらしくて、
優真は自分の試合の写真を集めてアルバムを作っているんですよ。
私が撮ってもブレて、キチンと撮れませんから」


最近では父親の隆弥さんがテニスに夢中になっていることもあり、
青木家ではテニスの話題で盛り上がる機会も増えて来たらしい。

「やっぱり男同士がいいんですかね。
二人でお風呂に入った時なんか、ずっとテニスの写真について話してますよ


1枚の写真・・・。“たかが写真”かも知れない。
しかしながら、1枚の写真が取り持つ一家団欒も
間違いなく存在している
のである。

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高校に進学してからもテニス部に入部するという優真君。
彼がテニスを続ける限り、アルバムのページは増え続ける。
そして、青木家の食卓にテニスの話題は上り続ける。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)
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