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母の日のプレゼント

今回は『USA Jr. All Star Nationals in Japan 2011』に出場した、
S.Aちゃんのエピソードをご紹介します。



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5月8日、千葉県の幕張メッセで開催されたチアダンスの全国大会、
USA Jr. All Star Nationals in Japan 2011。

「今日は母の日だから、ママにプレゼント贈るね」


小6の部に出場したS.Aちゃんは、そう言い残してステージへと向かって行った。
「小学校3年生の時にチアダンスを始めた頃は、
何をやっても“無理だよ”ってすぐに諦めてしまう子だったのに・・・」
観客席で見守る母親のS.Kさんは、我が子の成長を実感して目頭を熱くした。


S.Aちゃんが所属するSHOOTSは京都で活動しているチアダンスチーム。
1月に大阪で行われた関西地区予選を勝ち抜き、全国大会への切符を掴み取った名門クラブだ。


ここまで順調に来ていた彼女たちの活動に激震を及ぼしたのが、あの大震災。
晴れの舞台に向け、もう1度気合いを入れ直し練習に励んでいた時期だっただけに、
子供たちは激しく動揺し、大いに悩むこととなる。


「被災地の人たちのことを思うとダンスなんかやっていていいのだろうか、という気持ちと
折角ここまで頑張ってきたんだから全国大会で踊ってみたい、
という気持ちがぶつかってどうしたらいいのか決められない」
悩みに悩むSHOOTSのメンバーたち。

苦悩の日々を送る彼女たちを絶望の淵から救い出したのが、コーチの言葉だったという。


「チアは見ている人たちに元気を与えるスポーツ」


この言葉で吹っ切れたSHOOTSのメンバーたちは、東北の人たちにエールを送ろうという思いで再始動を決めた。


迎えた本番、観客席から声援を送るS.Kさんは、
今まで頑張ってきたS.Aちゃんの姿を思い起こし思わず涙が出て来たという。


「ウチの子は何か言われるとすぐにへこむタイプで、

1度落ち込むとなかなか這い上がってこれないんですけど、
友達が声をかけてくれたり手紙をくれたりして。それがすごく力になったそうです」


自分を励ましてくれた人たちのためにも、被災地の人たちにエールを送るためにも

S.Aちゃんはステージで躍動した。
その結果、手に入れたのが6位入賞という好成績だった。


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「本当に素晴らしいプレゼントだったわ」
大会を終えて戻ってきた愛娘をS.Kさんは心からの感謝の言葉で迎えた。


新チーム結成時、トップチームに抜擢されたS.Aちゃんは

嬉しさとともにプレッシャーを感じて押しつぶされそうになった。
そんな姿を見たS.Kさんは心配でたまらなかったという。


しかし娘は、親が知らないところで努力を重ね、親が思っている以上に成長していたのである。
「頑張っている娘の姿を見ると、私も頑張らなきゃっていう気持ちになるんですよ」


S.Kさんは今、この日のS.Aちゃんの姿を携帯電話の待ち受け画面に設定している。



(文責:スポーツライター金子塾 三浦)


お兄ちゃんの意地

今回は『第2回東日本極真空手道選手権大会』に出場した、
北條龍弥君のエピソードをご紹介します。


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やはり努力は嘘をつかなかった


2年間の厳しい稽古が、泣き虫の男の子を
勇敢な少年へと成長させたのだ。



4月17日、静岡県で行われた東日本極真空手道選手権大会。
北條龍弥君は2度目の出場ながら小4男子初級の部で
準優勝という輝かしい成績を納めた。


スタンドから熱い声援を送り続けた母親の舞さんは言う。
「決勝戦の後、息子に“負けちゃったけど、ボク、頑張れてたよね”

と涙をこらえながら言われた時には、こっちがウルウルきちゃいました」
今までなら悔し泣きするはずなのに・・・。

龍弥君の成長を目の当たりにした舞さんは、
空手をやらせて本当に良かったと実感したという。


年子の弟、龍馬君といっしょに千葉県流山市の
武颯会道場に通っている龍弥君。
空手を始めたのは小学校2年生の終わり頃だった。
一見ワンパクそうに見えるけれど、実は泣き虫の龍弥君のことが
心配だったお母さんは、気持ちが強くなってくれればと願って
息子を道場に通わせたということだった。


本人が楽しんでやってくれれば、試合の勝ち負けなんて
どうでもいい
と言い切る、母親の舞さん。


そう考えながらも毎年空手の大会に息子を送り出すのには理由がある。
「全然違う地域の子供たちと顔を合わせるのがいいんですよ。
大人になってから再会できたら楽しいだろうなぁと思って」


そんな親の気持ちを知ってか知らずか、龍弥君は頑張った。
そして勇敢に闘った。さぞやお母さんも鼻が高いことだろう。


トロフィーは持ち運べないんで、いつも写真を持っています。
親戚に写真を見せたら、みんなビックリしていました。
空手を始めたのは知っていましたけど、こんなに大きな大会で
準優勝する程だとは思ってなかったみたい」


親戚の人たちの驚き具合も相当なものだったというが、
お母さんを一番驚かせたのは、龍弥君の気持ちの変化だという。

「準優勝した時の周りからの声援がとてもうれしかったみたいで、
次も頑張ろうという気持ちが強くなったみたいです」


普段は弟の龍馬君に押され気味で、“ボク、お兄ちゃんなのにぃ”
という悔しい気持ちを抱くことが多いという龍弥君。
今回に関しては、1歳違いの弟に“お兄ちゃんの意地”
堂々と見せつけ、さぞや自信をつけたことであろう。


「弟の龍馬は小3の部でベスト8だったんですよ。
“ボクもトロフィー欲しい”って言ってたんで、来年が楽しみです」


龍弥君にとって最大のライバルは、
どうやら極めて近いところに潜んでいたようだ。


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兄の威厳を見せつけるためにも、来年こそは優勝するためにも、
龍弥くんの挑戦は続く。


(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

まだまだ発展途上

今回は『第19回選抜全国身体障害者野球大会』に出場した、
赤岡國男さんのエピソードをご紹介します。


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三歳のときに交通事故に遭い、
赤岡國男さんは左ひざの成長が遅れるという障害を負った。
その影響は年齢を追うごとに徐々に表れ、
今では足の長さに5cmほどの違いがある。
その不均等を調整するため、外出するときは靴底に
プレートを入れてバランスを取っているのだ。


赤岡さんは静岡ドリームスでキャッチャーをやっている。
それは健常者に混ざって小、中学と野球部に所属していたときに、
そのポジションを担っていたからだ。


「障害者野球って盗塁がないんです。
走者が出ても気にしなくていいというのは気持ち的に楽ですね」

しかし、タッチアップはある。体全体でぶつかってくるランナーもいるので、

激しい交錯プレーも珍しくないという。


キャッチャーといえば配球が醍醐味だ。
ピッチャーの良さを引き出すとともに、バッターの裏をかくという
インサイドワークに、赤岡さんはやりがいを感じている。


「うちのピッチャーは速い球を投げるんです。
だけど終盤に疲れから崩れることがあるんです。
本当はスタミナを計算して投げさせるのが、
うまいキャッチャーなんでしょうけど、私はまだまだですね」


第19回選抜全国身体障害者野球大会。
1回戦を突破した静岡ドリームスは群馬アトムと対戦した。


試合途中までは2-2と緊迫した投手戦を繰り広げていた。
しかし、ラン・エンド・ヒットを多用する相手の戦術によって、
ピッチャーが徐々に疲れて、後半に続けて
フォワボールのランナーを出してしまう。


ここで踏ん張れるかどうかは、まさにキャッチャーの腕次第。
ところがこの重要な場面で長打を食らい、そこから
どんどん失点を許してしまった。

結局、2-12と大敗した。


「私の力不足です。全国レベルはそつがないですね」


赤岡さんは今以上にリードの勉強にするようになった。
それと同時に打撃練習も重点的に行うようになった。


「もともとバッティングは得意じゃないんです。打順も9番ですから。
でも打たないと勝てないので、克服しないといけませんよね

チームが集合できるのは月に3、4回。
そのときは連携やサインプレーの練習に終始する。
従って、ちょっとした合間に監督や4番バッターからアドバイスをもらい、
自宅に戻ってバッティングセンターで改善するというやり方を取っている。


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これからの目標はズバリ優勝することだ。


「選抜大会、中部・東海大会、ドリームカップなど、
いろんな大会に出場しているんですが、まだ優勝がないんです。
監督を胴上げしたいですよね」

その思いは選手全員が同じ。
カギを握るのは、チームの要でもあるキャッチャーの赤岡國男さんだ!


(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)





復活のバット

今回は『第19回選抜全国身体障害者野球大会』に出場した、
深牧栄一さんのエピソードをご紹介します。

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深牧栄一さんは子供の頃からずっと野球を続けてきた。
しかし4年前、人生をも変える大きな出来事が起こる。
脳内出血――
幸い自らが気づき、すぐに病院へ行ったことで命に別状はなかった。
その代り、左半身の自由を奪われた。

「なんで俺だけがこんな目に合わなくてはならないんだ」
深牧さんは絶望に打ちひしがれた。そんな彼を支えたのは家族だった。
まもなくリハビリが始まり、少しずつ歩けるようになった。
そして右手でボールを握ったとき、情熱が蘇った。

「また野球をやりたい」


障害者野球の存在は知っていた。
だが、具体的にどこでやっているのかは分からなかった。
インターネットで地元の関西圏で探したところ、
京都に全国レベルの強豪があった。京都ビアーフレンズ
彼は門を叩いた。それが昨年の春だった。

練習は深牧さんをイライラさせた。
どうしても以前の感覚で動こうとしてしまう。その結果、ミスをする。
だからとって、野球を投げ出そうとは思わなかった。
グラウンドのにおいが自分の居場所を示しているような気がしたから。

深牧さんは左バッターだった。麻痺した左手は使えないので、
ピッチャー側の右手でバットを持つこととなる。
これだとミートする分には良いのだが、打球を遠くへ飛ばすのが難しい。
実際、凡打ばかりだった。
そこで右打者になることを思いついた。
そうすれば右手はピッチャーから遠くの位置となり、
押し出すようにボールを飛ばすことができるかも知れない。
彼はバッティングセンターに通い続け、ひたすら打撃改造を試みた。
最初はまったくボールが当たらなかったが、
コツをつかむと徐々に強い打球を打てるようになった。

所属する京都ビアーフレンズは、
第19回選抜全国身体障害者野球大会に出場した。
球場はオリックス・バッファローズの準本拠地
ほっともっとフィールド神戸

去年は登録に間に合わず、試合に出られなかった深牧さんだが、
今年は3番指名打者だ。


「プロ選手と同じ舞台に立てるなんて夢みたいだ」

打席に入ったとき、今までのことを思い出し、感動がこみ上げてきた。
こういう形ではあったが、子供のときからの小さい願いが叶った気がした。
無心で振った打球はセカンドライナーだった。
アウトになったが、会心の一打だったと我ながら感心した。
その後はショートフライ、デッドボールだった。

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試合は1回戦で敗れた。
「負けたのは悔しいですけど、野球ができて幸せです。
まだまだ上手くなりたいですね」

秋にはまた大きい大会がある。
深牧さんは野球をできる喜びを感じながら、
秋に向かって日々バットを振り続ける。


(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)


マラソンでエールを

今回は『第6回掛川・新茶マラソン』に出場した、
近藤洋史さんのエピソードをご紹介します。

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近藤さんのもとに一通のメールが届いた。
掛川・新茶マラソン大会事務局からだった。
『マラソン大会を開催します』
4月17日に予定されていたものの、3月11日の大震災によって
自粛ムードが高まっていた中での連絡だった。

マラソン歴25年の近藤さんは、「完走できればいい」というスタンスから、
今まで他の人よりものんびりとしたジョガーだった。
しかし、"アラフィフ"という年齢もあり、昨年から健康のために
毎朝走ることにした。そのかいあって、体重が8㎏程度絞れた。
"肉体改造"後の初マラソン。
内心、走りたい気持ちが強かったが、今のタイミングでは
無理かも知れない、と半分諦めていた。
そんな状況にあっての決行だった。
「ありがたいなあ」
近藤さんは素直にそう感じた。

大会には『復興支援 頑張ろう東日本』というスローガンが掲げられた。
運営スタッフやボランティアの人たちからは
「絶対に成功させてやろう」という並々ならぬエネルギーを感じた。
近藤さんは走ることのできる喜びを噛みしめながら、
アップダウンが連続する茶畑の道を駆け抜けた。
今までにない快調なペースだった。

この大会の最大の特徴は、フルーツステーションという
休憩所があることだ。
コース中に点在し、イチゴ、メロン、キウイ、オレンジなどが
振る舞われる。とはいえ、無限にあるわけではない。
毎年参加しながらも、いつも最後方を走っている近藤さんは、
到着するとフルーツが少ないとぼやくこともあった。
今年は真ん中あたりの順位につけていたので、
食べ損ねる心配をしなくていい。
そんな安心感があることを気づかせてくれた。
「当たり前のようにある果物だけど、
すべて地元の方々のご厚意なんだよなあ」

日本各地では"食料買い占め"問題が起きていた。
そんなときにあっても変わらず提供してくれる。胸が熱くなった。

ありがとうの言葉をステーションの人たちに伝えてコースに戻ると、
工場のような大きな建物が見えた。浜岡原発だった。皮肉だと思った。
このときはまだ稼働中で、複雑な思いが頭を駆けめぐったという。

ゴールタイムは3時間45分。いつも5時間スレスレだったから、
この記録には自分自身が一番驚いた。自己ベストを大幅に更新したのだ。

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だけど記録よりも大切なことがある。
誰もが微力であっても被災者の力になりたいと思っていた。
ランナーもスタッフもボランティアも
全員が一体感になっていたような気がした。
もちろん設置箱に募金もした。

遠く静岡からでもエールを送れたこと。
それは近藤さんにとってかけがえのない貴重な体験となった。


(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

車椅子の青年のために

今回は『第5回ふかやシティハーフマラソン』に出場した、
Mさんのエピソードをご紹介します。

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Mさんは昨年ダイエット目的のために、
とあるスポーツクラブに入った。
しかし入ったはいいが、なかなか痩せない。
おまけにジムに通うのも億劫になってきた。

そんな時にふと目に入ったのが、
マラソン大会のランナー募集のポスターだった。
マラソンランナーには痩せているイメージがあったし、
目標を体重減に置くよりもマラソン大会出場に置けば、
結果的に痩せるのではないか?と思った。
そして迷わず所属するジムで、10kmマラソンにエントリーした。

しかしマラソンは高校の体育の授業以来、
それも5kmまでしか経験がない。
もう27年間も走っていないのだ。
「自分に10kmも走れるだろうか・・・」

足切り条件も不安だった。
5kmを40分以内、10kmを1時間20分以内に越えなければ失格。
マラソンをまともに走ったことのないMさんにとっては、
かなり高いハードルだった。

「でもチャレンジだ!」
Mさんの意志は固かった。

早速、次の日からランニングマシンで走ったが、
少し走っただけでゼェーゼェー言ってしまう。
週に3日ほど、少しずつ距離を伸ばしながら走った。
それでも10kmは走れない。
せいぜいゆっくり走って8kmがやっとだった。

そうしている間に、大会当日が来てしまった。
10kmの参加者は1,500人ほど。
スタートの合図が鳴るが、これだけ大勢の人がいると
なかなか前に進めない。

ようやく混雑がなくなり、集団に合わせて走り始めたものの、
周りのペースはとても速い。
勢いと気合いで合わせて走るのも、2kmが限界だった。
徐々にペースダウンし、
途中で靴紐がほどけるというハプニングまで。

「5kmまで来たが、もう駄目か・・・」
そんな想いが頭をかすめた時に、
1人の車椅子に乗った青年が
必死に我々ランナーを応援していた。
その姿を目にした瞬間、Mさんの気持ちに変化が訪れた。

自分が歩けないにも関わらず、
なぜ他人をこんなに応援してくれるんだろう。
私には考えられない。
車椅子に乗るくらいだから、相当大きな怪我なのかもしれない。
普通ならば、腐ったりすねたり、
ネガティブになってもおかしくないのに。

彼の純粋でひたむきな姿に心打たれた。
Mさんは彼のために走ろうと思った。

幾度も幾度もつらいところがあった。
しかし車椅子に乗って一生懸命に応援するあの青年の姿を
頭に思い浮かべながら、Mさんは彼のために走った。

そして完走。55分48秒。

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「やったぜ!」
つらかった分だけその充実感は何とも言えないものがあった。
完走賞は今までもらった賞状の中で一番嬉しかった。

そして何より車椅子の青年のために走り切れたことが嬉しかった
「ありがとう、車椅子の青年。こんなに感動を与えてくれて・・・

マラソンの思わぬ魅力を知ったMさんの挑戦は
まだまだ始まったばかりだ。

(文責:オールスポーツ編集担当)

東京再発見

今回は『東京マラソン2011』に出場した、
峯村 玲さんのエピソードをご紹介します。
                                  
約10倍という倍率を突破して送られてきた当選メール。
峯村さんは5回目の応募で、
念願の“『東京マラソン』出場権”を手にした。
嬉しくて職場の人たちに話すと、
「頑張ってね!」
「観てるからテレビに映ってよ」

と、さまざまな応援の声を寄せてくれた。
                                   
スタートは都庁前である。
峯村さんは生まれも育ちも神奈川県。
東京とは隣同士だし、新宿は電車で1本なので、
子どもの頃からよく訪れていたところだ。
だが、大会当日はそんな新宿がまるで違った都市に見えた。
車が通っておらず、都庁の一角だけにものすごく人が集中している。
しかも歩道より車道のほうに、人が溢れかえっているのだ。
                                   
大都会を変貌させたマラソン大会は、
走り出してからもさらに峯村さんを驚かせた。
彼女は過去3度、フルマラソンへの出場経験がある。
他の大会では応援する人たちが、あるところでは大勢いても、
あるところでは誰もいないということがあった。
しかし東京マラソンでは、沿道が応援の人々で埋め尽くされ、
途切れることなく連なっている。圧巻の光景だった。
                                   
東京の街についてもいろんな発見があった。
思いのほか、車道が広いんだなと感じた。
裏を返せば、道路が常に車で埋め尽くされていることを意味した。
                                   
そして、街と街が意外と近いことにも気づいた。
たとえば、上品な雰囲気が漂う“銀座”と、
人情味溢れる“浅草”は、すごく遠いように感じていたが、
実際に走ってみるとそうでもないと気づいた。
また、東京スカイツリーの近くを通った時は、
首がきつくなるほど見上げた。
                                   
知っていると思っていたけれど、知らないことだらけの東京。
それは人に対してもそうだった。
隣県民にとって、東京人は“冷たい、怖い”という
イメージが少なからずあった。
しかし、沿道の人たちはみんながみんな
「頑張れ、頑張れ!」
と見知らぬ自分に声をかけてくれる。
途中で膝が痛くなって歩いた時には、
「もう少しだよ!」
と励ましてくれる人がいた。
走りながら見つけた新たな東京。
何だかすごく新鮮な気持ちになった。
                                   
実は、東京マラソンに出場が決まってから、
急に仕事が忙しくなり、十分な練習ができなかった。
内心、不安だらけで挑んだレースだった。
けれども終わってみれば、
“疲労感”よりも“爽快感”に包まれていた。
                                  
翌日、職場の仲間にレースのことを訊ねた。
「目立つ服を着てないと誰が誰だか分からないよ」
と言われた。
「次はそうするね」
と峯村さんは笑顔で答えた。
6時間39分1秒というタイムは、お世辞にも良いとは言えない。
けれど、新しい東京を発見するために
彼女はまた応募したいと思っている。
                                   
(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

お祭りとしてのマラソン大会を

今回は『第1回 なにわ淀川ハーフマラソン』に出場した、
平石さんのエピソードをご紹介します。

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ホノルルマラソンのスタートは、まだ空も暗い時間だった。
突如として花火が打ち上げられて、
どうやらそれがスタートのようだった。
ものすごい数の参加者がいて、スタートラインらしきものに
たどり着くだけで10分以上が過ぎていた。
参加者の中には小さい子供からお年寄りもいて、
なぜか乳母車を押しているご婦人まで走っている。
沿道では誰が流すのか音楽までかかっていて、何時間もかけて
ゴールまでの道のりを楽しむ様は、もはやお祭りだった。
「マラソンってこんなに楽しんでやるものだったのか」
水泳部だった学生時代からのベテランアスリートだった
平石さんにとって、この時の体験は
今までのスポーツ観を変える大きな出来事だった。

今でも定期的にマラソン大会に出場したり、
バイアスロンにも挑戦している。
制限時間や、それに付随するレース中の「足切り」でゴールできず
バスで搬送される悔しさを何度も味わったこともある。
幾度も挑戦し、ついにゴールできたときの喜びも知っている。
それでもホノルルでの経験以来、記録とは関係の無い
喜びを求める気持ちも否定できないものだった。
今年新設されたなにわ淀川ハーフマラソンは「制限時間なし」
という画期的な大会で、平石さんは即座に参加を決める。
平石さんの期待通りの大会になった。

ほどよく晴れた4月だった。
15kmを過ぎて「足に来てしまった」平石さんが河原に視線をやると、
少年たちが野球をしている。監督たちと談笑し、また走っていると、
今度は大学のボート部が練習をしている。
沿道の人たちとの会話もまた楽しい。
コース中に写真撮影をしているカメラマンがいた。
気持ちが高揚していた平石さんは、まるでゴールを迎えようと
しているかのように両手を広げた姿でシャッターをきられていた。
つってしまった足と相談しながら、そうやってゴールまで走り終えた。
タイムは2時間45分、今までのワースト記録だったが、
本当に楽しい大会だった。

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マラソンを通じた出会いを求め、平石さんはこれからも
各地で行われるマラソン大会に出場したいと計画を立てている。
神戸のマラソン大会ではおいしいスイーツがふるまわれる
という噂だし、はるか南の島、宮古島まで飛んで走るのもいい。
そしていつの日か、もう一回くらいはホノルルで走りたい。
平石さんの最終的な目標である。


(文責:スポーツライター金子塾 小林)

今だからこそのファミリーラン

今回は『東京マラソンファミリーラン2011』に出場した、
橋本さんのエピソードをご紹介します。

小さい頃は親とばかり遊んでいた子供も、
いずれ親離れしていく。
橋本家でも小学6年生になったお兄ちゃんは、
親といるよりも友だちと遊ぶようになった。
小学3年生の妹も、これからどんどん親から離れていくことだろう。

そんな橋本家では年に数回、家族で
マラソン大会に出場することにしている。
それは4年前からランニングを始めたお母さんの考えだった。
「小さい頃から習慣づけておけば、
大きくなってからも家族いっしょに走ることも
自然に受け入れてくれる
じゃないですか」

インターネットでマラソン大会を検索し、
家族全員が参加できる大会に勝手にエントリーする。
お父さんもお兄ちゃんも妹も、みんな揃って出場する。
お兄ちゃんが、一番遅い妹にぶつくさ言いながらも
ペースを合わせて一緒に走る。
日ごろ運動不足のお父さんが肉離れを起こしたりもする。
一つ一つが大切な思い出になる。
そのなかでも東京マラソンはやはり特別だった。

去年はお兄ちゃんとお父さんだけが抽選に当たった
東京マラソンに、今年は家族4人全員が当選したのだ。
ファミリーランは一般の部が終わってから始まる。
集合時間にはだいぶ間があったのだが、
それでも早く着いた会場では何万人なのか、
数えきれない人たちが闊歩していた。
3万人を越えるランナーたちがいて、一斉にスタートを切る。
2時間が過ぎ、3時間が過ぎ、徐々にランナーが戻ってきて、
ゴールシーンが繰り返される熱気に、
子供たちもワクワクしているようだ。

そしてそのゴールショーが一段落した後、
親子ペアによるファミリーランがスタートする。
お母さんといっしょに走るのは、妹のほうだった。
「絶対一番になるからねって宣言していたんですよ」
普段は器械体操の教室に通っていて、妹らしく負けず嫌いな
性格をしている娘の熱い誓いだったが、長くはなかった。
「もうつかれたー、つかれたーって」
小学3年生には1kmも短い距離ではない。
なんとか元気づけながらゴールまでたどり着いた橋本さん親子だった。
ゴールの付近で、家族4人全員で写してもらった写真は、
大切な東京マラソンの記念だ。
いつか大人になっても、こうやって家族で走った大会の数々が
記憶に残って欲しいとお母さんは思っている。


お兄ちゃんは来年から中学生になるので、
小学生が対象の東京マラソンのファミリーランにはもう出場できない。
妹が中学生になるまであと3年ある。
「4年後、妹も出場できなくなったら、フルマラソンに出場したいですね」
これからも、家族ぐるみでのファンランだけではない、
新しい目標ももつ橋本さんだった。


(文責:スポーツライター金子塾 小林)

マラソンは楽しい!

今回は『第65回 香川丸亀国際ハーフマラソン大会』
に出場した、T.Mさんのエピソードをご紹介します。

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T.Mさんの初マラソンは2カ月前に突然決まった。
通っているスポーツジムのスタッフから
「今度のハーフマラソンにみんなで出場するので、
一緒に走りましょう」

と声をかけられたのがきっかけだった。
今まで5㎞以上走ったことがなかったし、そもそもそんなつもりで
入会したわけではないので、最初は断ろうと思った。
しかしメンバーたちが熱心に誘うので、
押し切られる形で承諾してしまった。
当然、心の中は不安でいっぱいだった

T.Mさんはレース前に21㎞を走ってみたいとトレーナーに相談した。
ところが返ってきた返答は、
「この時点で長い距離を走るとかえって疲労が溜まるから、
ちょっとずつ距離を伸ばす練習をしましょう」

それはぶっつけ本番を意味した。ますます気が重くなった。
その代わりに特別メニューを作ってくれた。
メンバーたちも練習後に「今日の走りよかったね」
「スタミナついてきたんじゃない」と励ましてくれた。

そうして向かえた香川丸亀ハーフマラソン。
準備運動が終わりスタート目前になると、
緊張のあまり喉がカラカラになった。
順位や時間より、とにかく完走したい。頭の中はそれだけだった。

ピストルが鳴らされ、1万人以上のランナーが
1つの生き物のように動き出す。
後方からスタートとなったT.Mさんもゆっくりと走り始めた。
序盤はペースを守ることに集中しようと思った。
しかし、そんなことを忘れさせるような出来事が次々に起こる。
ゲスト参加の高橋尚子さんが後ろからやって来て、
いろんな人を励ましながら、スーと行ってしまった。
思わず見とれてしまった。
その後、戦隊モノの着ぐるみを着た5人組が楽しそうに走っていたり、
髪型をビシッと固めたスーツ姿の人が、
鞄を持ちながら猛然と走り去っていくシーンを目撃した。
沿道からはいろんな人が応援してくれるし、
折り返し地点から戻ってきた仲間たちが声をかけてくれる。
マラソンにはつらいイメージがあったが、まったくそんな感じがない。
むしろ、楽しい気分になってきた。

気がつけば、どんどんペースが上がっていき、
最後の15~20㎞のタイムが一番良かった。

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T.Mさんは振り返る。
「仲間に支えられ、沿道の人に励まされ、
ランナーたちに勇気をもらった21㎞でした。
完走できたのもみなさんのおかげ。走って良かったです」


マラソンは楽しむものだと知ったT.Mさん。
今後は、4時間耐久のリレーマラソンや
小豆島オリーブハーフマラソンにトライするという。
    

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)