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写真が伝える想い

北爪理乃ちゃんがジャッジの採点で順位が決まる競技会に出場したのは、今回が初めてだった。

7月17日、駒沢体育館で行われた
USA Jr.Challenge Competition2011
小学校1年生の理乃ちゃんは、柏市のチアダンスチーム“ゴールデンホークス”
の仲間たちとキッズ部門にエントリー。
練習の成果を詰め掛けた観客の前で堂々と披露した。

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「他のママたちは目に涙を浮かべて感動していらっしゃいましたが、
私は、練習の時の方がもっと揃っていたかな…なんて思いながら演技を見ていました。
大舞台できっと緊張していたのでしょうね。
でも、ここまで体を壊さずに大会に出ることができてホッとしています。」


スタンドで見守った母親の賢子さんは、本番の演技に厳しい言葉を投げかける。

「練習は、小学校1年生と2年生のキッズチームで毎週3回。大会前にはもっと増えます。
次の日、学校に行けないくらい疲れる時もありますけど、それでも本人がやりたいって言うので」


愛娘がこれだけキツイ練習を積んだことをよく理解している賢子さん。
その成果を最大限に生かして、
理乃ちゃんにとって納得のいく演技をしてほしいという思いがあったのだろう。


しかしながらこの大会での理乃ちゃんの演技が、
北爪さん母子に予想外の朗報をもたらすこととなる。

「この日の写真を主人に見せたんですよ。
日頃から“チアなんてやめろ!”と言っていた主人が、
それ以来“やめろ”とは言わなくなったんです。」


練習やイベントで家を空けることの多い理乃ちゃんと賢子さん。
娘が可愛くてしようがないお父さんからすれば、
親子でお出かけもしたいし、食事にも行きたい。
それができない不満もありチアに対して批判的になっていたのかもしれない。

そうは言っても理乃ちゃんが大好きなお父さん。
心からチアを楽しんでいる我が子の写真を目の当たりにして、
批判のトーンも弱まってきた。

「チアの写真を見て、やっぱり踊りが好きだということに気付いたみたいです。
今度はパパの方から“次のイベントはいつ?”って聞いてくれるようになると嬉しいですね」


5歳の時にチアを始めて、今年で2年になる理乃ちゃん。
ここまで二人三脚で頑張ってきた母親の賢子さんから見ても
娘の成長が良くわかるらしい。

「以前は友達と遊んでいても一人でどこかへ行っちゃう子だったんですけど、
周りに気を使える子になってきたんです」


娘にチアをやらせて本当によかったと微笑む賢子さんは今、
新たな目標に向かって動き出している。

それは、満面の笑みで踊る理乃ちゃんの姿をパパに見せること。

「イベントを生で見て、頑張ってる顔を見たらパパも何も言えなくなると思うんですよ。
写真を見て少しは興味を持ってくれたみたいですし、
会場の雰囲気を感じたら、もっと考えが変わると思うから」


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パパが会場へ足を運ぶ日は、近いうちに必ず訪れるであろう。
その日に向けて理乃ちゃんは練習漬けの日々を送る。

(文責:スポーツライター三浦)

「敗北から学んだこと」

7月3日に行われた全国小学生陸上競技交流大会の埼玉県予選会
小学校5年生の羽龍樹君は、
春日部陸友チームの第1走者として4×100mリレーに出場した。

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「ウチの子は背が小さいので、遠くから見てもすぐわかるんですよ。
周りにいる大きな子たちに勝てるのか、不安でした」

スタンドから熱い声援を送った父親の強さんは、しみじみと語る。

そんな強さんの不安をよそに、樹君は熊谷スポーツ公園のトラックを力強く疾走。
チームは予選レースをブッチギリで制し、決勝進出の切符を掴み取った

息子の頑張りを目の当たりにした強さんは、
喜びよりも驚きの方が先に立ったという。

「正直言って予選ですぐに負けちゃうと思っていたので。
期待していなかった分、すごく嬉しかったですよ」


予選全体の2位という好タイムで決勝に進出したこともあり、
樹君たちへの期待は俄然高まった。


続く決勝でも、第1走者として果敢にレースを引っ張った樹君

仲間の奮闘もあり、春日部陸友チームは
最後までデッドヒートを繰り広げ優勝争いに絡んだものの、
結果は惜しくも2位。
全国大会出場の夢は叶わなかった。

「予選の成績が良かったので、かなり期待しちゃいましたけどね。残念でした」

労いの言葉をかけようと樹君のもとに向かった強さん。
しかし、それは叶わなかったという。

「レース直後はかなり落ち込んでいたので会話はしませんでした。
そっとしておいた方がいいと思って」


父親の目から見ても樹君の落ち込み様は相当なもので、
言葉をかけるのもためらう程だったようだ。

しかしながら樹君にとって、この結果はむしろ歓迎すべきものだと、強さんは言葉を続ける。

「学校のレベルでは短距離でも長距離でも勝って当たり前みたいな雰囲気があったんですよ。
今回、負けた悔しさを味わったことは、樹にとって将来、絶対にプラスになると思います」



樹君は相当悔しかったのであろう。
強さんの思った通り、この日の敗北をきっかけに樹君の負けじ魂に完全に火がついた。

「全国大会に出られなくて、本当に悔しかった。
来年は絶対に出たいのでもっと上達できるように頑張る」


来年に向けて、気持ちを新たにトレーニングに励む樹君。
言葉の最後にお父さんへの思いを付け加えた。

「いつも、ボクを見てくれてありがとう」

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現在5年生の樹君。全国大会に挑戦できるのも来年が最後となる。
決戦の場所、横浜の日産スタジアムを目指し、樹君の挑戦はこれからも続く。

(文責:スポーツライター滝沢)


一度やると決めたから

太田裕二さんは20代の頃にマウンテンバイクを始め、44歳でトライアスロンに挑戦した。
現在は4年目になる。

スイム自転車ランの3種目をこなさなければならないので、練習も当然過酷だ。
朝5時に起床し、10㎞を走るというのが毎日の日課。
さらに週2回はスポーツジムで3㎞泳ぎ、週末は自転車に乗って100㎞のトレーニングを行っている。
もちろん仕事と並行しながら。 

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『第1回倉敷国際トライアスロン大会』は、出張が重なり満足に練習できない中での参加となった。

スタートは倉敷市の児島競艇場。そこでまずコース内を1.5㎞泳ぐ。
もともと泳ぎが苦手なうえに、トレーニング不足で体が重かった
太田さんは遅れを取ってしまう。

しかし次の自転車は、マウンテンバイクでならした腕前を披露できるところ。
上っては下るという起伏の大きい道中は、
上り坂ではじっくりと周りの様子をうかがい、下り坂で勝負をかけた。

ブレーキをほとんど使わず、インが空いているときは内側に突っ込み、
塞がっているときはハンドルさばきで外側へ持ち出し、40㎞の間に次々と追い抜いた

最後は10㎞のマラソン。
だが、ここが最大の難所だった。

平坦な道のりとはいえ、ベストコンディションではない体調に浴びせられる7月の太陽が、
太田さんの体力を着実に奪っていく。
どんどんペースが落ち、順位も下げていった。

いつもならしっかりと腕が振れるのにできない。
汗もいつも以上にかいていた。
今回の状態では最初から順位やタイムは期待していない。

だが完走はしないと。

それだけに集中して、ひたすらゴールの児島競艇場を目指した。


競艇場の敷地内に入ると観客席が見える。
そこからスタッフやボランティアの人たちが手を振ってくれた。

まるで自分を出迎えてくれているようで、過去のトライアスロンでは経験したことがなかった。
しかもゴールゲートは観客席の中にある。
太田さんは室内に入り、階段を駆け上って、彼らが待ちかまえる中でゴールインした。

うれしいけど恥ずかしい。
しかし、それ以上に疲れた。
コンディションが整わないときのレースが、こんなにもしんどいものかと初めて分かった。


トライアスロンは日々のトレーニングがものをいう。
次のレースはもう来年になる。
だからといって練習を休もうとは思わない。

「一瞬にしてさぼる理由は100ほどある。
しかし、やめる理由は一つもない。
なぜなら一度やると決めたから


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これは太田さんがくじけそうになったときに唱える言葉だ。
毎日のトレーニングを乗り越えてこそ、満足いくレースができる。

これこそがトライアスロンの醍醐味なのだ!

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)


いつか思い出してくれたら

山村さんの休日の楽しみといえば、
所属する会社の野球チームの試合に行くことだ。

普段はなかなか練習もできず、試合=練習のような状況ではあるが、
それでも頑張っているお父さんを応援するのが、家族みんなの楽しみになっていた。

そんなお父さんの姿を見て育った長男の大輝くんは、
山村さん夫妻が「野球をやってみる?」と尋ねたところ、
「やる!」と即答したという。

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大輝くんが通う幼児野球チームにはポジションもレギュラーもなかった。

「まずはみんなが試合に出て野球を楽しむ、そういう環境でした」

ボールを投げる、捕球する、そして打つ。
シンプルな練習ではあるが、この週一回の野球に大輝くんは熱中していた。

「プロ野球選手になりたいなんて言っていたこともあるんですが…
まあ子どもの言うことですから。
まずは野球をすることで体力をつけて、
それから礼儀正しい人間に育ってくれたら嬉しいですよね」

 
そんなある日のことだった。
「息子が通っているクラブチームを通してチラシをもらいまして」
横浜ベイスターズの野球教室の案内だった。

山村さんにとってベイスターズは、地元を大切にしてくれる大好きなチームである。

「息子のほうは、プロ野球選手に野球を教えてもらいたい、
というよりは会場にあるアスレチックで遊びたいというのが本音でしょうけどね(笑)」

山村さんは苦笑いする。


当日やってきた横浜ベイスターズの顔ぶれは豪華だった。
オリックスに移籍した寺原選手のほか、
急成長株の石川選手高森選手というメンツに興奮しているのは、
子供たちよりもむしろベイスターズファンの山村さんら保護者の面々だった。

そんなお父さんの前で、大輝くんは寺原選手にゴロの捕球の仕方を教えられ、
高森選手とキャッチボールをして、石川選手にバッティングの指導を受けていた。

子どもたちの数が多いためひとりひとりの時間は少なかったが、
普段はプレーを見ることしかできないプロ野球選手とふれあい
直々にコツを教えてもらえたことは、大輝くんにとって非常に貴重な経験になった。


「今はまだその価値がわからないと思うんです。
でもいつか、息子が大人になったときにこの写真を見て、
『俺はプロ野球選手に野球を教えてもらったことがあるんだ』
って自信に繋げてくれたら、参加させた親としても本望ですよね。」


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小学校に上がった今も、大輝くんの野球教室通いは続いている。

今はボールを追いかけることが楽しくて仕方ない大輝くんも、
いつか「野球」という競技の難しさにぶつかる時が来るかも知れない。

そんな時、今回の写真が、
プロ野球選手に野球を教わるという楽しく貴重な瞬間を思い起こさせ、
大輝くんの自信や野球の楽しさを再び蘇らせてくれるだろう。

(文責:スポーツライター金子塾 小林)

ヘルメットの中の笑顔

バイクレースのオフィシャルスタッフだったのりこさんが、
レーサーに転身したのは2年前。

モータースポーツ人口が減少していく中、
人気回復のきっかけとして女性ライダーの登場が求められ、
日頃バイクに乗っていたのりこさんが抜擢されたのだ。

しかし、女性限定というレースは無く、
男性ライダーに混ざって走るため、高順位を狙う事はなかなか難しい。
そこで、もう一人女性ライダーを起用し、
〝女性対決″というレースとはまた違った話題を提供しようという企画が持ちあがった。


初めてレースに出場したとき、のりこさんはそのスピードの速さにおののいた。
そんな中でも奮闘した結果、ライバルに勝利し、充実感も味わった。
向こうはよほど悔しかったのか、レース後に挨拶へ行ったところ、
そっけない反応をされてしまった。
それが逆に彼女の心に火をつけ、次のレースでも勝利することができた。

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そして3度目のレースが『CLUBMAN ROAD RACE第1戦』だった。
しかしレース2カ月前、のりこさんのお父様が突然の病で倒れ、緊急入院する。

とてもじゃないが、レースに出られる心境ではなかった。
のりこさんはチームメイトに不参加を申し出た。
彼らも一度は了承したが、やがて「考え直してみてよ」と再考を促してきた。

せっかくレースの楽しさを知れた時期だけに…という想いがあったのだろう。
チームメイトと何度も話し合い、結局、のりこさんは出場を決めた。

だからといって、完全に吹っ切れたわけではなかった。
レース直前になってもお父様のことが頭から離れず、
間違っていることをしているのではないかと苛まれた。


レース中も悩んでいた。リタイアしようと何度も考えた。
しかし出た以上、ゴールを目指すべきという思いもあった。
棄権か完走か。モヤモヤしたままバイクに身を任せ、結果的にそのまま走り切った。
〝女性対決″は完敗だった。
ライバルの誇らしげな表情を見た時、
やはり出なければよかったと、のりこさんは後悔した。

1カ月が過ぎ、部屋の掃除をしていたらフォトクリエイトのチラシが出てきた。
サイトを見たら、なんと自分の写真があった。
 
ヘルメットの内側で笑っている。

父が倒れてから笑顔なんて忘れていたのに。
好きなことをしていると顔に出るんだ。
そう思ったら、出場機会をくれたチームメイトに感謝したくなった。
レースに出て、本当に良かったと思った。

このレース以来、気持ちが強くなった気がしていた。
悩んで、つらい思いをした分、心の幹が太くなったのだ。

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現在、お父さんは退院したが、引き続き自宅での看病は続いている。
だが、タフなハートを身に着け、次は〝女性対決″に勝つと力強く宣言してくれた!

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

自信がつく瞬間

自信がついたら100kmマラソンに出てみたい。

フルマラソンを6回経験している中で、
枝村 由紀さんは自然にそう思うようになっていた。
しかし疑問もあった。
                                   
「自信って、いつつくんだろう?」

42.195kmを走ることには慣れたけれど、
それが自信になっているのかといったら分からない。
そもそも初めてフルマラソンを走った時だって、
不安しかなかった。

「自信なんて一生つかないかもしれない。
だったら今しかないよね」

                               
東京に住む枝村さんは、
一泊で行ける範囲で100kmマラソンを探した。
『いわて銀河100kmチャレンジマラソン』
迷わず申し込んだ。これが、2010年の話である。
                                   
精も根も尽き果てたが、何とか完走できた。
90kmあたりから感極まり、ゴールした時には号泣した。

泣きながら、こんな苦しい思いをしたのに、
もう一度走りたいと思った。
この達成感をまた味わいたいと思ったのだ。


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そして、2011年のいわて銀河。

山をひとつ越えるイメージ。
ずっと上り坂が続いたかと思えば、
ある時から下り坂ばかりになる。
膝にはこの上なく負担がかかるコースだ。
                                   
コース中、枝村さんには勇気をもらえる場所というのがある。
カメラマンが待ち構えるスポットだ。

「苦しそうな顔で写真を撮られたくない」
そんな女性らしい思いが、辛い時の活力になった。

しかし、今回はそうもいかなかった。
65km付近で疲労してしまい、歩くことが多くなった。
それでも彼らの前では気丈に走った。
                                   
だが82kmまでが限界だった。
突然、膝に激痛が走ったのだ。

もはや走る気力はなかった。
痛みが出ないように峠道を歩いて下るしかなかった。
                                   
時にはガードレールに掴まりながら、ゆっくりと歩を進める。
すると、向こうのほうで折り畳みシートに座っている人が見えた。
「頑張ってください!」
そう言ってシャッターを切っている。
                                   
いつもならここでパワーアップするのだが、何も反応できない。
「こんな状態なら撮影しなくてもいいのに・・・」
気が滅入った。しかし、同時に違った感情も湧いた。

「向こうだって走れない人間なんて撮りたくないはず。
それでも撮影するんだからプロだよ」

カメラマンの仕事ぶりに感動した。
                                   
枝村さんは下を向きながら歩くのをやめた。
歩くにしても背筋を伸ばしていたい。
アマチュアでもプロらしく頑張りたいと思った。
そして13時間23分かけて、やっとゴールした。
                                   
充実感があったかといえば、
去年よりはなかったというのが本音だ。

しかし、駄目だと思ったところから這い上がった
という思いが自信になった。


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自信は一生つかないと思っていたが、それは間違いだ。

諦めない気持ちは自信になる。
彼女は身を持って経験したのだ。
                                   
(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

夢舞台で掴んだもの

6人で声をかけ合って1つのボールを追うのが楽しい。
更に、人数が少ないからサッカーよりもたくさんボールに触れる。
これが6年生の比嘉蓮君がバレーボールに熱中している理由である。


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6月26日、町田市立総合体育館で行われた東京都バレーボール小学生大会
多摩地区の強豪「FUSSA JVC」のセッターとして、
小学生バレーボーラーの夢舞台に出場した蓮くんは、
勝利のために必死でトスを上げ、大きな声でチームを鼓舞し続けた。


「ポジション的にもチームをコントロールする立場だし、
ウチの子が緊張しているとチームの歯車が狂っちゃうでしょ。
まあ、落ち着いてよく頑張っていたと思います」


スタンドから声が枯れる程の声援を送った父親の充吉さんは、蓮君のプレーについて、そう語った。


1年生の時に、たまたまお姉ちゃんのバレーボール教室について行ったのがきっかけで、

このスポーツと出会った蓮君。
直後に起きたある出来事によって、彼はバレーボールにのめり込むことになる。


「男子バレーって、どこも人数が少なくて、常に部員を募集しているような状況なんです。
そんな理由もあって、蓮は1年生の時に都大会に出してもらえたんですよ。

ピンチサーバーでしたけど」

大きいお兄ちゃんたちに混じって、ひたむきにプレーするチビッ子。
蓮君はスタンドの歓声を一身に浴び、バレーボールの魅力にとりつかれてしまったという。


その日以来、再び都大会に出場することを夢見る蓮君の前に、予想外の強敵が出現した。
「いっしょに都大会に出場した先輩たちが卒業した後、何だか少しヤル気がなくなってしまって・・・」


人数不足などもあり、大好きなバレーボールを精一杯プレーすることができずに悩んでいた蓮君は、
思い切ってライバルチームでもあった「FUSSA JVC」に移籍する。


「折角始めたんですから、なんとか6年間続けさせたいと思って。

蓮と話し合って、移籍させることにしました」

父親の充吉さんは、当時を振り返って言う。


4年生の時に入部したFUSSAには、同級生に決定力のあるアタッカーがいた。
「彼も1年生の時に都大会でプレーしているんです。

今では彼と蓮が中心になって、チームを引っ張っていますよ


今大会、FUSSAは、蓮君の奮闘も虚しく2回戦で敗退した。


「相手チームは優勝したチームだし、強いチームとやれたことは良かったです」

とは言うものの、相当悔しかったのであろう。

蓮君は目を真っ赤にして、しかし、涙を必死にこらえながら語った


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「でも、次は絶対に勝ちたいから、もっと練習しなくちゃ」


5年ぶりの夢舞台で蓮君が掴み取ったモノ。

それは勝利への渇望だった。


(文責:スポーツライター金子塾 三浦)


定年退職しても成長できる!

2004年、定年退職してすぐに、

『彩の国まごころ国体』開催のために熊谷スポーツ文化公園が改築され、
新たに約5kmのジョギングコースが作られた。
鎌本定雄さんはそれを機にウォーキングを始めた。


最初は普通に歩いているだけだったが、

あるとき、自分を追い越す人たちにご年配の方が多いことに気づいた。

歩いている自分の横を颯爽と走り抜ける姿に刺激を受けた鎌本さんは、ふと走ってみた。
すると、学生のとき以来だったにも関わらず、思っていた以上に体が動いた。


このささいなきっかけによって、鎌本さんの中にやりがいが生まれた。


鎌本さんは4年前からマラソン大会に参加している。
最初の年と2年目は5km、昨年は10kmを走り、今年は初めてハーフを走る決意をした。
そうして見つけ出したのが5月22日の『軽井沢ハーフマラソン』だった。



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レース当日、鎌本さんはローカル線と新幹線を乗り継いで、朝の8時に軽井沢へとやって来た。
午前9時のレース開始だったので、1時間の余裕を持って現地入りすることができた。


コースは、一見平坦に見えるが、緩やかな上り坂がずっと続いたかと思うと、

今度はゆったりとした下り坂が続くようなところだった。

たやすいだろうと思っていたが、走ってみると意外としんどい。
徐々にスタミナを奪われ、15km地点でヘトヘトになってしまった。


完走できるだろうか。


そんな不安が頭の中を支配した。

そのとき。

ポツリとが落ちてきた。

それがやがてザーという音とともに強くなり、67歳の体をずぶ濡れにした。
疲労した肉体に追い打ちをかけるのか。見ている人にはそう映った。


ところが、このドシャ降りがほてった体を冷やし、体力を回復させるという効果を生んだ。

まさに恵みの雨になったのだ。
鎌本さんは再びペースを上げて、残り5kmを走り続けた。


あと100mぐらいのところまで来ると、みんながハイタッチで迎えてくれた。
まさに苦難を乗り越えた者だけに許される祝福だった。

雨もいつの間にかやんでいた。


ゴールイン!


鎌本さんは脇にそれて、前かがみで膝に手を置き、思いっきり肩で息をした。


「やればできるよ。俺だってまだまだ成長している」


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心の中で何度も繰り返した。

呼吸が整ったあとに待っていたのは、何事にも代えがたい充実感だった。


このハーフマラソン完走がステップとなり、次なる目標ができた。
12月にホノルルで42.195kmに挑戦する。


(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

「5月3日はアメフトの日」

ここ数年、原吉孝さんにとって5月3日は特別な日になっている。


「何せ、1年に1回ですからね。是が非でも都合をつけて参加したいと思っています」


46歳の“イイ大人”をここまで熱くするモノ、それはアンカーボウル
大阪府内の高校でアメフトをやっていた元選手と兵庫県内の高校アメフト経験者が熱き闘いを繰り広げるボウルゲームである。

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今年で7回目を迎えるアンカーボウルは、毎年祝日の5月3日に開催される。


関西地区の高校アメフトを発展させるため、
若手からベテランまで数多くのOBが集う親睦会的な意味合いで創設されたイベントである。


そうは言っても、試合が始まれば全力でプレーするのがスポーツマンの性。
次の日に筋肉痛に悩まされることなど、もちろん覚悟の上だ。


「みんな古傷もあるし、歳をとって走るのもシンドいけど、
年に1度素晴らしい仲間と会えることが本当にうれしいんですよ」


大阪チームのランニングバックとして参加した原さんは、
高校生の頃に戦ったライバルたちと旧交を温める目的から、
4年連続で5月3日を“アメフトの日”としている。


今や常連となっている原さんをしても、

今年のアンカーボウルは一生忘れることができない特別な試合だったという。


「4歳下の弟がいるんですけど、17年ぶり兄弟でコンビを組んでプレーできたんですよ。
わずか2、3プレーでしたけど、すごく楽しかった」


大学卒業後、クラブチームでプレーしていた時に、

短期間ながら一緒にやった経験はあるものの、
40歳を過ぎてからの兄弟コンビ結成には感慨深いものがあったそうだ。

その上、原さんにとっての思い出に残る出来事は、これ一つだけではなかった。


二人の娘が初めて見に来てくれたんですよ。
試合前に“頑張って、負けないで”って言ってくれて、

試合後に、見てくれた?って聞いたら、笑顔で“うん”って」


誰もが原さんのように楽しい思いができるからであろう。
参加者は年々増え、7回目の今年は両軍合わせて100人以上の出場申し込みがあった。
往年の名選手の参加もあり、試合は大盛況。
結果的には大阪チームが20点以上の大差で勝利したものの、

そんなことにこだわる人は誰もいなかったと原さんは言う。


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5月3日が待ち遠しい人は多いし、試合が終わった直後から来年の話を始める人もいますよ。
もう私も来年頑張りたい気持ちになってきてますよ


来年も5月3日に予定されているアンカーボウル出場を目指し、

原吉孝さんは今日も職場で不屈の前進を続ける。


(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

真っ白なページに刻む第一歩

特に意識したわけではなかったけど、大塚晶乙(あきと)さんの初めてのマラソンは、
偶然にも〝第1回″の冠が付いた『高橋尚子杯ぎふ清流マラソン』ハーフコースだった。



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彼女が参加を決めたのは、大会に出たいと思っていた時期に、たまたまこのレースがあったから。


住まいのある千葉から岐阜へは、前日に単身でのりこんだ。
一度も行ったことのない場所なので、右も左も分からない。


だからこそ、着いた瞬間から楽しもう思い、見知らぬ街をぶらぶら歩いた。
夕食も「ご当地ものを食べなきゃ損!」とばかりに、地元ならではの炉端焼き屋に入り、
そこで知り合った方々と賑やかな時間を過ごした。


前日にあまりにも楽しんだせいか、

当日はその反動ですごく緊張するのではないかと思った。
しかしそんな気配はまるでない。

むしろわくわく感のほうが大きかった。


レースはJR岐阜駅前をスタートしてから長良川を上流へと向かい、
途中で橋を渡って、また戻ってくるというコースで行われた。


大塚さんは「ジョギングを継続できる秘訣は?」と人から訊ねられると、
走っているときに感じる街のにおいが好きだから

答えている。

花のにおい、飲食店からもれるにおい、排気ガスですら、気分を高めてくれるのだ。
長良川の空気の香りは聡明で、鼻から息を吸うたびに、血液が浄化されていくような感覚があった。
身体がどんどん軽くなり、ペースは上がっていった。

大塚さんは8000番台のゼッケンをつけていた。それはスタート地点が後ろのほうを意味する。
それなのに、10km過ぎたあたりでは6000番台前半の選手たちに混ざって走っていた。

ごぼう抜き状態だったのだ。


残り1kmというところまでたどり着いたとき「あきとー、がんばれ!」という大きな声が聞こえた。
思わず声のほうを向いたら沿道で姉らしき人が手を振っていた。

千葉で見送ってくれたはずなのに、なんで岐阜に。

そっくりさん?

いや、あの声は姉っぽい。あっ、本当に姉だ!
大塚さんは感激した。無意識に加速していた。


ゴール後、姉に聞くと、初めてのマラソンが心配になって始発で岐阜までやって来たという。
それを聞いたら「子供じゃないんだから」と呆れつつも、その優しさに泣けてきた。


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順位は女性全体で6位だった。

こんな好成績が出るなんて想像もしていなかった彼女は、喜ぶ以前にビックリした。


第1回″という何色でもない真っ白な大会が、自身の初マラソンとなった大塚さん。
これを第一歩として、いろんなレースに出場したいという。同時に新たな野望もできた。


この大会がある限り皆勤賞を狙う。


大塚さんのマラソンライフはぎふ清流マラソンとともにある。


(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)