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おてんば娘からアスリートへ

母をして「男の子みたい」と言わしめる絵梨さん。
これには小さい頃からおてんばだった以外に、
近所の男の子と駆けっこをして負けたことがない
という意味も含まれる。


そんな絵梨さんが陸上競技を始めたのは中学に入学してから。
自らやりたいと言ったわけではなく、
部活見学のときに学校を休んでしまい、
担任の先生が陸上部の顧問だったといういきさつで入部した。

娘が陸上を始めることについて母は賛成だった。
スポーツリハビリなどを行う整骨院で先生をしている母は、
娘のためにサポートできるのではないかと思ったからだ。

とはいえ、気ままにピョンピョン走っていた娘に、
スポーツ科学をもとにしたトレーニングを紹介しても、
最初はなかなか耳を貸してくれなかった。
「母の言うことではなく、
トレーナーの言うことだと思って聞いて

そう話して、理論に基づく練習法を何とか植え付けていった。

当初、絵梨さんの足の速さは短距離向きだと思われていた。
しかし、中学1年で校内マラソン大会の学校記録を打ち出したことから、
長距離により適性があることが分かった。

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中学2年になり、絵梨さんは昨年12月、
所沢シティマラソン大会に出場した。
エントリーは3km中学女子の部。
このレースには地域から実力のある子たちがたくさん集まる。

「焦らずペースを乱さないように、自分の走りに集中しよう」
絵梨さんはレース前、何度もそう唱えた。

スタートのピストルが鳴ると、
いつもなら中団からレースを進めるのに、なんと先頭集団についた

自分の走りと違うのではないか。そうではない。
絵梨さんのスピードが先頭集団のペースと一致しただけなのだ。

絵梨さんの特徴は、
最初から最後まで同じペースで走り続けられること。
他の選手がずるずる落ちていく中、ずっと先頭集団をキープした。

そしてレースは4人に絞られ、
ゴール地点の西武ドームまでもつれた。
4人の中の一人に、一度も勝ったことのないライバルがいる。
絵梨さんは彼女を振り切ってトップに立った。
差が開いていく。

「このままなら優勝だ」
そう思ったとき、後ろから足音が迫ってくるのが聞こえた。
他の2人だと瞬時に分かった。

絵梨さんは懸命に逃げた。
追い抜かれないように走った。

そして1着でゴール!
その瞬間、両手を高々と上げて喜びを表現した。

「いつも負けていた相手に勝てたし、
競り合いを制して優勝できたのがうれしかったです」


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絵梨さんには伸び悩んでいた時期があった。
しかし、このレースをきっかけに再び成長カーブを描き出した。
春休みには実力を伸ばすためにクロスカントリーのレースに出場する。
目標は優勝だ。

インタビューのあった日は強い雨が降りしきっていた。
それでも目標実現のため、絵梨さんは一人ランニングに出かけた。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

何でもコツコツ努力すること

バスケットボールを始めて僅か2年足らず。
これ程の短期間であっても、彼が持ち前の才能を
開花させるには充分だったということなのであろう。

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岐阜県高山市に暮らす中学2年生のN.D君は、
飛騨地区選抜のメンバーとして
第19回東海ジュニアバスケットボール大会に出場した。

普段とは勝手の違う大きな体育館でのリーグ戦。
真っ赤なユニフォームに13番を背負った小柄なフォワードは、
最大の武器であるスピードを生かして華麗にコートを駆け回った。


試合当日の12月17日、
「上手い子に混ざってプレーするのがすごく楽しみ」
と言い放って元気いっぱいに家を出たN.D君。

しかし息子の勇姿をスタンドで見守った母親のN.Mさんにとって、
試合前の彼の表情は、言葉とは真逆のものに見えたという。

「寒かったのもあるかも知れないけど顔が引きつっていたし、
緊張しているのがわかって見ていられませんでした」


試合が始まる前、我が子を見てそう感じていた
N.Mさんの心配を吹き飛ばしたのは、
コートで躍動するN.D君のプレーだった。

「シュートが決まった時は、我が子ながらカッコイイと思いました。
出場時間は短かったのですが、シュートフォームもきれいで、
スター選手のように見えました



中学入学と同時にバスケ部に入ったN.D君。
当初は小学校の時からミニバスをやっていた
チームメイトに技術では歯が立たず、
弱音を吐くこともあったという。

その時期に諦めることなく基礎練習を積み重ねた成果が今、
花開いたのであった。

「私は何でもコツコツと努力して、
とにかく一生懸命やることが大事
だと思っているんですよ」


そう訴える母親の考えが正しいと証明したのは、
家では甘えん坊でやんちゃな次男のN.D君だった。

 「結構頑張れたし、自分なりには満足している」
帰宅したN.D君は、家族の“どうだった?”という問いに
笑顔でそう答えたという。

選抜チームのメンバーに決まった時は
“嬉しいよりも、ついていけるか心配”
と不安ばかりを口にしていた息子が
短期間で大きく成長したことがN.Mさんは嬉しかった。

しかしながら母親をさらに喜ばせてくれたのは、
N.D君が何気なく口にした、それに続く言葉の方だった。

「中学ではいつも当たり前に試合に出られるけど、
選抜チームではベンチに座っている時間が長くて、
試合に出られない子の気持ちがよく分かったし、初心を思い出した


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高校に行ってもバスケを続けたいと思っているN.D君。
岐阜が誇るスピード派のポイントゲッターは、
母親の大好きな“何でもコツコツと努力すること”
という言葉を胸に刻み、
これからも更なるステップアップに励むことであろう。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

つながる思い

中学1年生の李吉永(リー・キリョン)ちゃんが
昨年の10月31日に披露した一世一代の舞い
それは、永遠に忘れられない記憶として自らの心に残るものとなった。

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1年に1度、芸術分野のクラブに所属する生徒たちが
練習の成果を競い合う“在日朝鮮学生中央芸術競演大会”

北九州市の九州朝鮮中高級学校に通うキリョンちゃんは、
結果的には、朝鮮舞踊の群舞に出場した。
“結果的には”と断ったのは、出場を決断するまでの苦悩が
13歳の女の子にはあまりにも過酷すぎるものだった
からである。

その理由・・・。
開催地・大阪に向かう前日の10月29日、
大好きなおじいちゃんが永眠したのである。

激しく動揺するキリョンちゃん。
彼女が、間近に迫ったコンクールに出るどころではないと
考えても何ら不思議ではない状況だった。

しかし、母親の金辰恵(キン・タツエ)さんは、
悩みに悩んだ末、愛娘に仰天の意見を提示した。
それは、大好きなおじいちゃんの葬式よりも
コンクールへの参加を勧めるというものだった。

「群舞って、だいたい15人ぐらいで踊るんですが、
ウチの娘は脇役で、主役を引きたてる役なんです。
でも、本番直前でメンバーが抜けてしまうと
全体の組み立てが成り立たなくなってしまうので・・・」


母親に指示されたとはいえ、
やはりキリョンちゃんにとっては苦渋の決断だったのであろう。
この期に及んで自分が抜けるわけにはいかないという責任感もあって、
出発の直前まで大いに悩んだ末、
彼女は大阪行きのバスに乗ったという。

「学校に行く前には必ずおじいちゃんに挨拶していたし、
帰ってきた時も最初におじいちゃんの顔を見に行く子だったんです。
夜行バスの中では泣き通しだったそうですよ」



10月31日、大阪朝鮮文化会館のステージで
キリョンちゃんはおじいちゃんへの弔いの意味も込めて華麗に舞い踊った。

孫の踊りを見るのが大好きだったおじいちゃん。
もしご健在であったなら、“頑張って来い”
笑顔でキリョンちゃんを送り出してくれたことであろう。


今回、娘の晴れ舞台を生で見ることができなかったタツエさんは、
後日、フォトクリエイトのサイトで娘の晴れ姿を発見した。
その写真には、脇役だと思っていた我が子が、
まるで主役のように写真の中央に納まっていた。


「前にフォトクリエイトのホームページを見た時に、
カメラマンのコメントが載っていて、
脇役でも主役のように撮ることをいつも心掛けていると書いてあって。

その時は、へぇーと思っただけだったんですけど・・・。
今回娘の写真を見つけた時にはすごく嬉しくなりました。
こんな写真は2度とないと思って買ってしまいました


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写真がつなぐ心温まるエピソード。
カメラマンの思いが、そして、キリョンちゃんの舞が、
もしかしたら新たな出会いへの出発点になるのかも知れない。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)

決断

マスターズ・バレーボールの強豪、
山口県の防府クラブに所属する岡本さん。
190cmという長身を生かして、
ブロックや速攻の要となるセンタープレーヤーを務めていた。

チームは全国大会の常連。今回も県予選を予定どおりに勝ち抜いた。
一昨年はベスト4、去年はベスト16。
今年は一昨年と同じ、もしくはそれ以上の成績を目指していた。

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日本スポーツマスターズ2011石川大会バレーボール競技。
まずはグループ予選が実施される。
対戦チームは滋賀県のGREBES
強いが、ストレートで勝たなければならない相手だ。

ところが、第1セットを奪われてしまう。
いきなり出鼻をくじかれた。

バレーボールはムードのスポーツとも言われる。
このまま相手を乗せては絶対にいけない。
すぐに気持ちを切り替え、第2、第3セットを奪って逆転勝利した。
これにより、防府クラブは決勝トーナメント進出を決めた。


次の相手は三重県の三重選抜Special
まとまりのある粘り強いチームという印象だ。

しかし、ウォーミングアップ中に岡本さんにアクシデントが襲う。
腰を痛めてしまったのだ。

監督にそのことを伝えたものの、
190cmという背の高さはやはり魅力だったのだろう、
出てほしいと告げられた。

強行出場となったが、案の定、満足のいくプレーができず、
チームも失点を重ねてしまう。
第1セットを取られてしまった。

第2セットも精彩を欠き、
岡本さんも腰痛のためにブロックのタイミングが遅れて、
スパイクを決められてしまう。

防府クラブは敗れてしまった。
目標に達するどころか、昨年の成績にも届くことができなかった。


今大会では、2試合とも常に先行される苦しい展開だった。
なぜそうなってしまったのか…。


試合終了直後、悩み抜いた岡本さんはついに決断をした。

引退――

昨年は大会中に膝を痛めてしまい、
テーピングで固定しながらプレーした。
その故障を今も引きずっている。
そして今年は腰痛。

「もうこれ以上、チームに迷惑はかけられない」

岡本さんは監督のもとへと向かい、決意を伝えた。
最初は急なことで驚いていたが、
正直な胸の内を明かすうちに、最後には納得してくれた。

その後、チームメイトにも話した。
「40歳以上のマスターズとはいえ、
自分よりも若くて実力のある人間が控えている。
ケガを2カ所も抱えた48歳ではもう限界なんだ」
と。

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岡本さんは選手生活に別れを告げた。
だが、完全にバレーボールと縁を切ったわけではない。

現在、西京倶楽部という一般のクラブで、週に1度練習の手伝いをしている。
ここはマスターズバレーをやる前に39歳まで所属し、
全国大会で優勝も経験した古巣だ。

そこで後輩たちの活躍を見ながら、今もバレーボールと関わり続けている。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

人一倍頑張って一人前

由紀恵さんは子供の頃からぜんそくで、
大人になっても運動とかけ離れた生活をしていた。
そんな彼女が昨年、下関海響フルマラソンに出場した。

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「そもそものきっかけは、
知的発達障害者の子供たちが挑戦した2kmのファンランでした。
私はスペシャルオリンピックス日本という
NPO法人で働いているのですが、子供たちが走るにあたって
大人の引率が必要で、一緒に走りたいと思ったんです」


ジョギングを始めたとき、
すぐ肺が苦しくなり、50mも走れなかった。
しかし、子供たちがやるのだから弱音は吐けない。
その気持ちだけで練習に打ち込み、見事ファンランを走り切った。

これが自信となって、フルマラソンを走りたいという目標ができたのだ。

しかも、この練習によって肺が強くなったためか、
なんと>ぜんそくが感じられない状態にまでなっており、
それがまた彼女の背中を後押しした。


だがトレーニングを始めると、
今まで本格的な運動をしてこなかったために、故障が発生する。

「私は“人一倍頑張って一人前”だと思っているんです。
無理した結果、膝、アキレス腱、右足の甲をケガして、走れない日が続きました」


そんな時間を支えてくれたのが仲間たちだった。

「ランニング好きが集まるサイトがあるんですが、
そこで自分のブログを作って、書いていくうちに仲間ができたんです。
一緒に練習したり、コメント欄でアドバイスを
いただいたりして勇気づけられました



そして下関海響マラソン当日がやって来た。

最も心配だったのが関門でした。
腕にテープを巻き、そこに10カ所ある関門の
制限時間を書いて意識するようにしました」


スタートして10km過ぎ、由紀恵さんにアクシデントが襲う。
股関節が痛み出したのだ。

「痛み止めを飲んで対応しました。
沿道で仲間や職場の人たちが応援してくれるので、
棄権なんて考えもしませんでしたね。
頑張ろうってそれだけです」


由紀恵さんは、当初思い描いていたよりも
順調なペースで関門を突破した。

「走っているといろんな人たちが声をかけてくれるので、
力が出るんですよね。でも、30kmを過ぎると本当にきつかったです。
いつゴールに着くんだろうって感じでした」



スタミナが限界に達する中、ついにゴールの瞬間が訪れる。
角を曲がるとゲートが現れた。

「仲間たちが先回りして待っていたんです。
すごく感動的でした。ゴールしたときは自然と涙が出ていました


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“人一倍頑張って一人前”。
そんな努力が実を結んだ結果だった。

「みんなの支えがなかったらマラソンなんて無理でした」

そんな謙虚な姿勢だからこそ、周囲の人々も応援したくなるのだろう。

由紀恵さんのマラソン人生は、今ついに始まった!

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)

痛みに打ち勝ったフルマラソンデビュー!

斎藤奈美さんにとっての初フルマラソン
『大阪マラソン2011』だった。

体力作りや健康増進のために始めたジョギングだったが、
同年2月、同僚の応援で『東京マラソン』に行ったとき、
走る人の迫力や大会の熱気に感動して
レースに出場してみたいと思った。

それから練習を積み、
10kmマラソンに参加して実力をつけていった。
しかしケガをした影響もあり、
結局、20km以上を走る経験もなく本番を迎えてしまう。

そもそも秋田に住む斎藤さんが、
なぜ大阪という遠い地を選んだかといえば、
自身のフルマラソン参加も、
大会自体も第1回
だったことに加え、
一度も訪れたことのない大都市を走ってみたいと思ったからだ。

だが、10kmまでのイメージはできても、
その後、どのくらいのスタミナが残っていて、
どうペースを守っていいのかまったく想像ができなかった。

「制限時間内に完走できればいいか」

持ち前のポジティブ志向で、斎藤さんはスタートを切った。


開始から15km地点までは、
御堂筋や大阪城の景色を見ながら楽しんで走ることができた。

ところが、段々と左足につるような痛みを感じ始める。
そうなると、せっかくの大阪の街も目に飛び込んでこない。
左足ばかりが気になって仕方がないのだ。

斎藤さんは途中で歩いたり、また走ったりして、
何とか前へ進んでいった。

痛みはどんどん強まり、
終いには足の感覚がマヒして力が入らなくなってしまった。

「棄権なんかするもんか。痛みなんてへっちゃら。大丈夫!」

斎藤さんは心の中で何度も呟いた。
とはいえ体は正直で、自然と表情は険しくなる。

そんなとき、

「お姉ちゃん、ファイト」

沿道にいるおばちゃんたちが声をかけてくれた。
みんな笑顔で拍手してくれる。
子供たちも「頑張れー」と声援を送ってくれた。

「頑張るぞ!」

斎藤さんは浪花っ子たちからパワーをもらった気分だった。

ゴール付近に近づくと、
すでに完走して帰宅するランナーたちと
ガードレールを挟んですれ違う。

「あと少しだからね」

“同志”とも言える人たちが勇気を与えてくれる。

いよいよゴールゲートが見えてきた。
最後は直線を進むのみ。
一歩一歩かみしめるたびに、
42.195kmが走馬灯のように蘇る。

楽しめていた序盤、辛かった中盤以降。
終盤は枯れ果てそうだった。
そのすべてが終わる。

ゴールイン!

完全燃焼した疲労感の中に、波紋のように広がる達成感
この心地よさを感じたとき、
マラソンがやみつきになる人の気持ちが分かった。

「練習不足がなければもっとラクに走れたのかな」

斎藤さんの課題ははっきりしていた。
だからこそ次走の『東京マラソン2012』は
きっちり体を仕上げて臨みたいと思っている。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)


自然の猛威に耐えながら

マラソンを始めて以来、
7年間ずっと出場している『田沢湖マラソン』

昨年9月に行われたレースは、鈴木孝友さんにとって
過去最高と言ってもいいくらい辛い大会だった。

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もともとコースはアップダウンが厳しく、
35km地点の上り坂がもっともきつい。
「足がちぎれる」と言われるほどなのだ。

鈴木さんは自己ベスト3時間2分49秒
更新を狙うべく大会に臨んだ。

狙うは3時間を切るタイム。
練習も予定どおりにこなすことができ、
密かに自信を持っていた。


レース前半は今までにないほど快調で、
ハーフの21km地点で1時間30分をゆうに上回るペースだった。
その後もすこぶる調子が良かった。

しかし30km地点に差し掛かった時、事態は一変した。

30km付近からバケツをひっくり返したような大雨が降り出す。
それだけにとどまらず、強い風も吹き荒れた。
コースは田沢湖をぐるっと1周する山の中。
自然の猛威が鈴木さんに襲いかかってきたのだ。

9月のレースで雨が降れば、
普通ならほてった体を心地よく冷やしてくれる。
しかし土砂降りと強風はそのレベルをはるかに超え、
体が震えるぐらいの寒さを与えた。

体温は急激に低下し、その影響は
鈴木さんの右足太ももを直撃した。

ピンとつるような感覚に見舞われ、一旦走りを止める。
ストレッチで筋肉を伸ばし、また走り始めた。
しかしどんどん悪化していく。

35km地点には最大の上り坂が待ちかまえている。
ここから約2kmはずっと山道を登って行かなくてはならない。

「あんなに調子が良かったのに…」
一変してしまった自分の体調に情けなさを感じた。

それでも右足を引きずりながら、諦めることなく坂を進み続ける。
顔に当たる横殴りの雨がときに痛かった。

登り切ると、今度は下り坂だ。
太ももだけでなく膝にも負担がのし掛かる。
これ以上、走るのは無理だった。
鈴木さんは洪水のように水が流れる坂を歩いて下った。

「這ってでも完走したい」

頭の中にはそれしかなかった。

坂を下りきると暴れていた雨や風が弱まり、
カッパを着た応援の人たちが沿道に見えた。

この悪天候の中、ずっと待っていてくれたのだろうか。
みんな「頑張れ」と言ってくれる。
その声に励まされ、鈴木さんは再び走り始めた。

そして右足を引きずりながらゴールイン!

苦しかったからこそ、やり切ったという気持ちが大きかった。

しかし喜びもつかの間。
次第に悔しさがこみ上げてきた。
目標タイムよりも40分近くオーバーしていたからだ。

正直、このレースは鈴木さんにとって苦い経験だった。
しかし、だからこそこの悔しさをバネにするしかないと思った。

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チャンスはまだやってくる。

次こそ自己ベストを出すため、
鈴木さんは今日も時間の許す限りトレーニングに没頭している。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)


成長を感じた71.5km

5年前から出場し続けている
『日本山岳耐久レース(24時間以内)~長谷川恒男CUP』
平井さんは昨年の2011年、
16歳となり出場年齢に達した長男と親子出場を果たした。

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きっかけはささいなことだった。
たまたま手にした本でこの大会の存在を知り、
読み終えた時には、挑戦することを決意していた。
不況で社会的に厳しい今の時代。
過酷な耐久レースを乗り越えることができれば、
心が強くなれそうな気がしたのだ。

初レースは、山岳道の険しい道のりによって途中で膝を痛めてしまう。
71.5kmという距離が果てしないものだと感じた。
「もう二度と出たくない。だからこそ完走してやる」
心に誓いながら走った。

ところが、苦しんだ末にゴールにたどり着くと、
すべてを忘れたかのように「また走りたい」という欲求に駆られた。

そうして毎年出場していく中で、長男も父親の影響を受け、
この大会に出たいと思うようになった。


陸上部に所属する長男は、すでに基礎体力はできている。
あえてアドバイスするなら、谷底に落ちないように、
常に山側へと重心を置いて走ること。
この大会はそれほど危険と隣り合わせなのだ。

大会当日、前日の大雨のせいで道はぬかるんでいた。
しかし雨の中を走るよりはマシである。
13時ジャストのピストルとともに親子はスタートを切った。

息子は初参加とは思えないぐらい力強い走りを見せていた。
これには平井さんも驚いた。
しかし40km以上を走ったことがない彼は、
この地点を過ぎたあたりから膝に痛みを覚え、ペースダウンしてしまう。

『長谷川恒男CUP』には一つのルールがある。
手助けは一切禁止。
つまり、息子の手を引っ張ったり、肩を抱えたりしてはいけないのだ。

しかし、できることはあった。
励ましの声をかけ続けること。
そうしながら2人は足下の悪い山道を進んでいった。

日が落ちるとまわりは暗闇だ。
そんなときはライトを持った平井さんが誘導するように前を行く。

息子は辛いはずなのに、決して根を上げない。
「立派な男に成長したなあ」と父親として感慨深い思いだった。

実は平井さんは2年前から、東京から愛媛へ単身赴任しており、
家族と会えない日々を過ごしている。
だからこそ子供の成長を余計に実感できた。

ゴールした時にはすでに日が変わり、朝7時になろうとしていた。
2人とも疲労困ぱいだった。
だが平井さんは、疲労感と共に息子の成長を喜ぶ爽快感を感じていた。

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親子の走りに最も感動したのが11歳の次男だった。
5年後は親子3人で走ろう。そんな計画が持ち上がると、
平井さんはますますトレーニングに身が入った。
そして父親としてもっと強くありたいと願った。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)


「挑戦はやる気になればいつでもできる」

山下健雄さんがマラソンを始めるきっかけとなったのは
60歳で発症した糖尿病だった。

「血糖値を安定させるには、薬を飲むよりも運動のほうが良い」

そう担当医から言われ、まずはスロージョギングから始めた。

毎朝実践して、3㎞、5㎞と走る距離が伸びると、
それと同時に走るペースもどんどん速くなっていった。

病気の予防のつもりで始めたジョギングだったが、
走りは日を追うごとに成長カーブを描いていく。

自分の中の「若さ」を発見した山下さんは、
ジョギングにのめり込んでいった。


初マラソンは翌年、2010年1月の『ひらかたハーフマラソン』だった。
1時間47分という納得のタイムが出たことで、
今度はフルマラソンに挑戦してみようと思った。

そして11月に開催された『大阪・淀川市民マラソン』
3時間51分で走り切った。


2011年は大阪に住むランナーにとっては記念の年である。
ついに『大阪マラソン』が開催されたのだ。

山下さんももちろん応募したが、高い倍率のため、抽選で漏れてしまった。
気持ちを切り替え、その翌週に行われる
『大阪・淀川市民マラソン』にエントリーを完了した。

ところが、なんと後日『大阪マラソン』の追加抽選枠に
見事当選してしまった
のである。

当然、家族は心配した。
なにせ63歳という年齢で2週連続フルマラソンを走るのだから。
しかし「この際やってみよう」と山下さんは決心した。


『大阪マラソン』は3日間かけてコースの下見をし、イメージを作り上げた。

「大きくはないが、アップダウンがあるので、前半は抑え気味に入ろう」
山下さんはそんなプランを練った。
だが実際本番を向かえてみると、慎重になりすぎセーブしてしまう自分がいた。

後半はペースをあげて盛り返したが、
目標タイムの3時間45分には10分及ばなかった。

記念すべき第1回目の『大阪マラソン』だったが、
充実感よりも悔しさが先立つ結果となってしまった。


しかし後悔を引きずってはいられない。
次はすぐにやって来るのだ。

「マラソンでの借りはマラソンでしか返せない」

山下さんの心の炎はかつてないほど燃えていた。

そんな気持ちで走った結果、山下さんは最高のランを見せた。
目標タイムを大きく上回り、3時間32分で完走した。

本来の自分はこっちなんだと言わんばかりにガッツポーズを取った。

山下さんは翌日もいつもどおりに朝3時半に起き、
4時に朝食を取るとジョギングに出かけた。

病気が連れてきた思わぬプレゼント。
走ることの喜びを教えてくれた糖尿病は、
まさに「災い転じて福となす」と言えるかもしれない。

次の大会を目指し、山下さんは今日も走り続ける。

(文責:スポーツライター金子塾 滝沢)


念願のゴール

小学校1年生の時、FCバルセロナの試合を生で観戦した時から、
高橋悠君の目標はメッシになった。
日本人と変わらない小柄な体型でゴールを量産する背番号10に、
彼は自分の未来を重ね合わせたのだった。

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そんな悠君がサッカーと出会ったのは幼稚園に通っていた5歳の時。
たまたま抽選に当たってFC東京の
サッカークリニックに参加したのがきっかけだった。

「元々サッカーに興味は持っていたみたいでした。
当時、4歳上の兄がサッカーをやっていましたので」


父親の稔さんは、その頃のことを懐かしそうに思い出しながら語る。

こんな素敵な偶然もあり、
サッカーの魅力に取りつかれた悠君は
FC東京ジュニアに入部した。

サッカーボールを蹴り続ける毎日を期待していた彼ではあったが、
ここでの練習は毎週水曜日だけ。
週イチでは物足りないという思いから、
2年生の12月に悠君は自宅近くの旭少年サッカークラブにも入部する。

「サッカーに関しての情熱はもの凄くて、
たとえ雨が降っても、コーチから中止と言われない限り
絶対に練習に行くと言うんですよ。
自分の中で、サボるなんて有り得ないと決めているみたいです」



2つのクラブでサッカーに没頭した悠君は、
9月11日、世田谷区民体育大会に臨んだ。

今シーズン、公式戦では1勝はおろか、
1ゴールも挙げていない旭SCの選手たちにとって、
待ちに待った腕試しの場だった。

この日、FWで先発出場した悠君は1点を先制された後、
ゴール前で右足を鋭く振り抜いた。

ゴール!

チーム今季初ゴールとなる悠君の一撃で
旭FCは1対1の同点に追いついた。


ベンチの後ろで息子の雄姿を目の当たりにした母親の真弓さんは、
嬉しさと驚きから飛び上がって喜んだという。

「ボクは仕事で見に行けなかったんですけど、
後で聞いて本当に後悔しました。
そのゴールを見れなかったことは、今年1番の後悔です


そう言って悔しがる稔さんも悠君の成長の話になると、
一転言葉を弾ませた。

「あの日以来、プレー中にも積極的に声を出すようになったし、
サッカーに対する情熱が以前とは違った形で表れるようになりました。
たった1点かも知れないけど、すごく意味のある1点だったと思います」


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最終的にはPK戦の末に敗れた旭FC。
念願のゴールを決めた悠君とチームの仲間たちにとって、
公式戦初勝利はお預けとなった。

次の公式戦は来年の3月。

待望の初勝利を掴み取るために
目標のメッシに一歩でも近づくために、
悠君は今日もサッカー漬けの日々を送る。

(文責:スポーツライター金子塾 三浦)