世界一周ふらふら軌~5ヶ月目~
ツィンと分かれた後、俺たちには面倒くさい問題が一つ残っていた

それは例のオンボロバイクの処分である

正直約2万円で割り勘して1万だけ払ったバイクなんてそこら辺に捨てても良かったんだけど、まだ学生のレナちゃんにはそうもいかないらしく、一円でも多くのお金にかえたかったのだ

そこでまず俺たちはバイクショップにバイクを持っていったんだけど、買い取れないと

理由を聞くもベトナム語で全て返ってくるので理解できない

30分のジェスチャーのやり取りの末、フエで買ったバイク(フエのナンバープレートのついてるバイク)を買い取って売ることが出来ないから、買取不可能だというのだ

ためしに何件かバイクショップをまわって見たんだけど何処でも同じ回答

結局すったもんだの末、ホテルのフロントの婆の知り合いに3500円くらいで売る羽目になった

すったもんだの内容はおぞましくて思い出したくも無いから日記には書かないけど、これで丸一日が完全に潰れて、次の日ローカルバスでサイゴンに向う事にしたのだ


朝バス停に行くと、サイゴンのプレートを掲げた大型のバスが何台か止まっている

実はこのバス達、それぞれ会社が違って客の取り合いをしているのだ

最初のバスの婆に手招きをされ話を聞くと、サイゴンまで3000円

何時に出発して何時に着くか聞いても意味のわからない答えが返ってくる

最終的に10時発の6時着と言うのだが、午後か午前かもわからない

サイゴンまではここから800キロ近く離れているから、多分その日のうちにつくなんてありえない

だから次の日かと尋ねるも、意味のわからない数字どころか、値段と勘違いして何回も3000円だと紙に書いて見せてくる

俺が頭が悪すぎるのか、向うが頭悪すぎるのか、それはすぐにわかる

2台目のバスの運転手に訪ねると、値段は2500円で夕飯がつくとジェスチャーで説明してきた

時間を聞くと最初はさっきの婆と同じ事を言ってきたのだが、そのうち俺の言いたい事を理解したのか、俺の腕時計の一時の所に指を置き、それをなぞりながらぐるっと一回りさせてから5時の文字盤で指を止めた

つまり昼の13時に出発して、翌朝の午前5時に着くという意味だ

実にわかりやすいし、日にちを確認したらすぐに理解してわかりやすい様に、お前達はバスで寝るんだみたいなジェスチャーを交えながら、きっちりと出発と到着の日時をアラビア数字で伝えてきた

やはりさっきの婆が頭悪すぎるのだ、しかも3000円ってボッタクリ価格だし

すぐにディスカウント交渉をして2200円まで下げてもらいチケットを買った

そして時間通りにバスに乗り込むと、エンジンは既に掛かっているのに車内は蒸し風呂

一応エアコンは付いているのだがただの送風。これをエアコンバスと謳うにはおこがましいにも程がある

この日の気温は最高で35℃で車内温度は不明だが、確実に外より暑いとだけは言っておこう

あまりにも暑いので窓を開けようとすると、窓開きません。というか、はなから開くように造られていません。そんなバスはコリア製のヒュンダイ

30分遅れでバスは出発

バスも暑いのが苦手なのか、のろのろと走り出し一向に車内を冷やしてやろうという努力が感じられない

首筋を生ぬるい汗がそろそろとはっていくのを感じるやいなや、なんだか息苦しい・・・

走り始めて車内の前のドアが閉められて、定年退職前のエアコンでは十分な酸素を供給できず車内は酸欠状態

天井には小さなサンルーフがあり、走り始めて1時間くらいたってようやく空けてくれた

しかし一向に暑さは手を緩めず体は恋をしたように火照りっぱなし

暑くて酸素が少ない、これがどんなに苦しいかお分かりだろうか?日本にいる読者の皆様には、是非今から銭湯に行っていただいて、サウナに入ってドアの鍵をかけてもらって下さい。きっと理解できます

そしてバスは走り始めたかと思うとすぐに停止

なぜそんな事を繰り返してるのかと思ったら、このバスは交渉制の長距離バスらしく

予約をしなくても道路で拾え、値段は交渉で決めるようなのだ

だから途中で乗りたい人を見つけるたびに停止しては値段交渉してるのだ

こっちが蒸し鶏になりかけてるのも知らずに

そして招かれざる客がやってきた

バスがやたらに長い時間止まっているなと思った、こんな物を荷積みしていた


世界一周ふらふら軌~5ヶ月目~

これが何かお分かりだろうか?

最初はずっとウインナーだと思ってたんだけど、実は唐辛子

トラックいっぱいの

世界一周ふらふら軌~5ヶ月目~
バスの乗客全員分の致死量の唐辛子である

一味唐辛子5万年分は作れそうな量

これを積み込むのに30分かかりようやく出発かと思いきや、もう一台たっぷりと唐辛子を積んだトラックが到着

荷室のスペースでは足りなくなり、バスのルーフに唐辛子を乗っけ始めた

そして唯一の酸素供給口のルーフが閉じられた

こうして約一時間後にバスは出発するのだあった


そして深夜過ぎに俺の隣のレナちゃからまた悲鳴が聞こえてきた

彼女の話によると、バス席の頭上にある荷置きスペースから、座席のパーツのヘッドの部分が落ちてきて、寝てるときに顔面に直撃したらしいのだ

こうして彼女の悲鳴を聞くのは何度目だろうか

一つ思ったのだが、彼女、何かに取り付かれてるのではないだろうか??

40席近くあるバスの席から、落下物が彼女をわざわざ選ぶだろうか??そんなはずはない

彼女に取り付いている何かが呼び寄せたのだ

しかも荷物が落ちてきたとかじゃなくて、椅子のパーツである

そんなものが積み込まれてる意味すら不明である

ダナンでは俺達5人いる中から一人だけ野良猫に噛まれ病院送りにされ

後に通ったサイゴンの病院では曝露後の治癒として注射を15本も打たれびっこを引きながら帰って来たし

ラオスではタイからの友人南京虫を連れてきて散々噛まれまくってたし

もしかしてバイクが壊れてのも彼女についている何かの・・・

とにかく不幸少女なのは間違いない

この世の全ての不幸をその背負うバックパックに詰めているのだろう

恐らく彼女のパックパックにはあの唐辛子を超える不幸が詰まっているに違いない

と言う事は、一緒にいる俺の不幸もバックパックの中に吸い取っていてくれたのかも知れない

彼女には感謝をしなくてはいけない

きっと彼女は世界中の不幸を集めるために旅をしているのだろう

まだ大学生だというのに、実に関心である。マザーテレサも自分以上の後継者の出現にあの世で感動して泣いているに違いない

次はどんな不幸を呼び寄せるのか、巻き添えを食わないように少し離れたところで見守りたいと思います







歴史を追う旅

ソンミ村(ミンライ)をご存知だろうか?

ベトナム戦争でアメリカ軍が数多くやった虐殺の中でも、取り分け残忍で歴史に残るような事件。それが行われた村である

簡単にいうと戦時中、アメリカ軍が非武装のソンミ村に進駐

非武装無抵抗の村人を一箇所に集めて銃殺、または井戸に子供を放り込んで手榴弾を放り込んで殺害

500人を超える村人を一方的に虐殺し、村を焼き払った

そんな凄惨な事件がソンミ村虐殺事件で

今でも多くの映画や小説の題材になっている

詳しくはwikiで

その村が今どうなっているのか気になって、バイクで南下していく途中に立ち寄れそうだったので、訪れることにしたのだ

もちろん村人一人を除いて全員がアメリカ軍に殺害されたのだから、村が復興してたりすることなんてありえない


世界一周ふらふら軌~4ヶ月目~

現在では村そのものがメモリアルパークとして残され、その中に当時の写真などを展示した博物館がある

博物館は小規模なもので、数十点の写真とちょっとした小物が展示されてるだけ

世界一周ふらふら軌~4ヶ月目~
世界一周ふらふら軌~4ヶ月目~
世界一周ふらふら軌~4ヶ月目~

ちなみにこの博物館の館長はソンミ村唯一の生き残り方がつとめてるらしい


世界一周ふらふら軌~4ヶ月目~
世界一周ふらふら軌~4ヶ月目~
世界一周ふらふら軌~4ヶ月目~

ここは当時の村をそのまま保存してるメモリアルパーク

アメリカ軍に焼き払われて土台だけを残した家の数々をこのような形で残している

この風景を眺めてると、ソンミ村は美しい緑と川に囲まれたのどかな村だったと言う事が容易に想像できる

アメリカ軍のお陰で今はメモリアルパークに姿を変えさせられてるけど


世界一周ふらふら軌~4ヶ月目~

日本の恥である

ベトナム戦争でアメリカを支援してた日本がこんなもの寄贈したところで形骸以外の何ものでもない


世界一周ふらふら軌~4ヶ月目~

靴と裸足の足跡

何か意味があると思うんだけど

ソンミ村の生活を蹂躙したアメリカ軍と村人という意味かな?


こういう戦争の傷跡や後遺症を残す意味って、同じ悲劇を繰り返さないようにって事なんだろうけど

アメリカ軍はイラクのファルージャでも同じ事を繰り返している

俺が思うに、戦争は一生無くならない

多分人間は戦闘民族

近かれ遠かれ大規模な戦争はまたいつか起るだろうし

似たような事を自分たちが滅ぶまで繰り返すに違いない

戦争があって始めて平和という概念が生きてくる

光があって始めて闇という概念があるように、平和の概念がある限り戦争は無くならない。表裏一体のものなのだ

自分がその戦争と戦争の狭間の平和という概念で自由に生きている今がどれだけ幸せかと

考えたことある人がどれだけいるだろうか??


水中からくぐもった月の光が揺らいでるのが見える

ツィンは既にアンダーパンツまで脱ぎ捨てて、全裸で月光を映し出してる海と戯れている

俺にも脱げと言って来るが、人間である証拠の最後の一枚を脱ぐわけにもいかず、断る俺

酔っ払ってフルムーンの夜に月光に照らされた海の中で、中国人と体を冷やした思い出は、旅が終わっても忘れることはないだろう

結局俺たちのバイクは再修理が終わった後は快調な走りを見せたが、途中で立ち寄ったガソリンスタンドで今度はタンクの蓋が開かなくなって再度の長時間立ち往生

たまたま隣が修理屋だったので、タンクを破壊してもらい、ガソリンを入れることは出来たのだが

俺は前回のトラブルの時に、ツィンにもう一回トラブルがバイクに起きたらリタイアすると言ってある

正直俺も度重なるトラブルに参っていたのは確かだし、ツィンの予定を俺たちの都合でこれ以上狂わせるわけにもいかないと思ったのだ

その上、このタイミングでレナちゃんの具合が悪くなり熱が出たのである

2人で相談した上、もはや選択の余地はなかった

俺はすぐにツィンにリタイアする旨を伝えた

レナちゃんとはここで別れて一人でツィンについていく事も考えたが

実は俺のビザも滞在期間が迫っていて、バイクの故障のせいで数日単位で旅程が狂うと、不法滞在者となってしまう

だから、ここで彼と別れる選択をした

ツィンは文句の一つも言わずに快く受け入れてくれた

結局トラブルに次ぐトラブルで、この日は予定の半分もこなせずに、ガソリンスタンドの店員が連れて行ってくれた、ソンミ村の近くの海沿いのモーテルで宿をとることにしたのである

次の日3人でソンミ村跡地を訪れて、クォンガイの街で別れる。そんな約束をした

俺が知らずに泊まった中国人宿がきっかけだった

前にオランダ人の友達に、なんでそんなに日本人を避けるの?って言われたことがある

別に避けてる訳じゃないけど、日本人宿はあまり泊まらないようにしている

少なくとも日本人宿ばかり泊まっていたら、ツィンも含めた今までの外国人達との出会いはきっと無かった

世界中どこに言っても日本人がいるならそれでもいいけど、これから行く所には日本人がいないとこなんて幾らでもある

だからいろんな国の人とコミュニケーションを取れる力が必要な気がする

とくに印象の悪かった中国人と旅を出来たのは、食わず嫌いを払拭するいいきっかけともなった

ツィン自身も、行くところ、所々でベトナム人の中国人に対する印象が悪いから、自分が中国人である事は黙ってて欲しいと言われたことがある

自分の祖国のお国柄のせいで、なんの理由もなく嫌われて苦労する

そんな礼儀正しい中国人の苦労や気持ちなんて俺たち日本人には到底理解できないだろう


世界一周ふらふら軌~4ヶ月目~

月の光を映し出した一本の光のラインが、ゆらゆらと揺れながら暗闇で見えなくなった地平線の彼方まで続いているような気がした