女性が活躍する映画が好き(最近は) 前編 | 映画の楽しさ2300通り

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ある映画好きからすべての映画好きへの恋文
Love Letters to all the Movie Lovers From a Movie Lover

昨年観たうちで特に好きだった8本の映画がすべて女性が(事実上の)主役あるいは非常に重要かつ印象的な役柄であったことは「2023年の振り返り&おすすめ映画8」で書いた通りです。

週に一本ペースの今とは違い毎日のように映画を観ていた学生時代、観る映画と言えばほとんど男性が主役として活躍する作品でした。
次に観る映画を選ぶときにも、主演女優よりは主演男優で作品を選ぶことが圧倒的に多かったのです。
当時ビデオやDVDがない中でも、例えばバート・ランカスターの映画は追っかけて観ていたのに、オードリー・ヘプバーンの「パリの恋人」「緑の館」「尼僧物語」「パリで一緒に」「いつも2人で」は観ていませんでした(そしてちょっぴり後悔しています)。

なぜそうだったのか、それは多分以下のような理由によります。

■そもそも女性が主役の映画が少なかった

好きな映画が西部劇やアクション多めのクライムストーリーだったから、ということもありますが、女性は強いというよりはきれいという基準でキャスティングされることが多かったように思います。

日本では「緋牡丹博徒」の藤純子(富司純子)や「女必殺拳」の志穂美悦子など、身体的な意味でも闘う女性がむしろ欧米より早くから銀幕を賑わせていましたが、大抵後ろには高倉健千葉真一といった強力助っ人が控えていて、なかなか自己完結ができていませんでした。

■女性が主役の映画はジャンルが狭かった

女性が主役の映画は昔からありますが、大抵は恋愛映画か悲劇。今は知らず、昔は特に好んで観たジャンルではありませんでした。
たまに観ることはあっても(子供の頃の)僕が好きなハッピーエンドで終わる恋愛映画は男優とのW主役で、女性がメインの主役といえば「アンナ・カレーニナ」や「哀愁」のような悲恋ものと相場が決まっていました。

深夜の告白」などフィルムノワール/クライムサスペンスでファムファタールとしてストーリーの中心となる女性はいますが、ビデオが普及する前でDVDなど当然ない当時は、あまり観る機会もなかったように思います。

■プロフェッショナルなキャラクターが少なかった

映画のキャラクターに限った話ではありませんが、一昔前の女性の職業は男性のそれに比べ幅が狭めでした。
例えば刑事、弁護士、検察官、新聞記者、消防士、医師、船乗りという冒険/アクション/クライムストーリーの主役になるような職業についている女性はまだまだ少なかったし、プロフェッショナルな職業と言えば看護師、秘書、タイピストといったサポート的な役割が多く、あとは教師、女優(あと違法なところで娼婦)という感じ。

これは映画製作者たちのせいばかりではなく、長い間そうした社会であったことの反映に過ぎないとも言えますが、娯楽映画というフィクションの世界で活躍するキャラクターとしては物足りなさがありました。

というように、僕が一番映画を観ていた70年代までは、女性がヒーローとして活躍する映画は少なかったのです。

とはいえひとつだけ(僕が観た限りで、ですが)女性が、プロフェッショナルではないにも関わらず、恋愛ものでも悲劇でもない物語の主人公として、強く逞しく活躍する映画がありました。

風と共に去りぬ」。以前"愛する映画"のひとつとしてこのブログで紹介したとき、"女同士のバディムービー"と書きましたがまさにそれ。
宣伝ビジュアルこそスカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)レット・バトラー(クラーク・ゲイブル)のロマンスを全面に押し出していますが、内容はその名の通り火の玉のようなヒロイン(ヒーロー)スカーレットと、そのアンチテーゼでありながら心強い味方であり友であるメラニー・ウィルクス(オリヴィア・デ・ハヴィランド)が、南北戦争の戦中戦後を力強く生きぬく姿がメイン。

よくよく見てみるとレットもアシュレー(・ウィルクス。レスリー・ハワード)もスカーレットの父親も男どもはなんだか内戦という未曽有の困難に直面して地に足がついていないフワフワした感じ、少々辛めに言うと役立たずなのです。

第二次大戦を経て女性の社会進出が急激に拡大したとされる米国において、戦前(1939年)に「風と共に去りぬ」のような女性ヒーローを描いた映画が作られたことは驚くべき、また喜ぶべきことですし、今観れば人種差別的な表現があるとして批判されるとしても、現在に及ぶまで並ぶもののない"女性が活躍する映画"の名作であると思います。

この項続きます。

 

※写真は「風と共に去りぬ」(映画はカラーです)。

 

ブロトピ:2024/02/05