「トイレの神様」なんて曲がはやっているから、というわけでもないんだろうけど、

トイレ掃除をしている夢をみた。


子どもの頃住んでいた、なつかしい家(今はない)の、昔ながらの和式トイレを、なんと便器まで取り外して、

徹底的にきれいにしている……という夢。


現実の私はそれほど勤勉ではないけれど、たとえ夢の中でも、すみずみまでピカピカに洗われたトイレは、

とても清々しかった。


一体なぜ、こんな夢をみたんだろう。


勢いよく水を流したときの、握ったホースの手触りや、ばしゃばしゃした時の水の感触まで覚えている。


普段の私の夢というのは、もっと現実的で、妙に理路整然としている。


たとえば図書館に行くと、ファストフード店が秋の読書週間に協賛していて、カフェテリアの前に無料提供された

ハンバーガーが並んでいた……というようなものが多い。


(夢なのに、話のつじつまがあっているところが可笑しい)


それに比べて、トイレ掃除の夢というのは、何だか精神的な修養っぽい含みがあって、意味深だ。


自分の無意識が作り出したものとはいえ、何とも不思議で、面白い。

いつも行く、近くの郵便局。


民営化して、ビジネスに目ざめたのか、先日とつぜん通販の商品をすすめられた。

「これ、おいしいんですよ~。砂糖は入ってないのに甘いんです」というのは、キロ売りの徳用梅干(紀州産)。


とっさの事態に対応するのが難しい私は、いきなりのセールストークにびっくりしてしまい、思わず、

「あ、そうですか……じゃ、持ち帰って検討します」

なんて口走ってしまった。


「持ち帰って検討」? 


国会答弁か何かじゃあるまいし、まったく。


普段はなるべく努力して、書き言葉でしゃべらないように気をつけているのに、突然話を振られた時など、

つい、妙に硬くてぎこちない、書き言葉ふうの表現になってしまう。


家に帰って、「持ち帰った」梅干のチラシを見つつ、つい苦笑……。

いつもお世話になっている手前、その場で断りにくくて焦ったからとはいえ、ヘンな返事で、郵便局の人を

ちょっとビックリさせてしまったかも。


ひきこもりエイリアンにも、たまに、講演会のご依頼などというものがくる。

この間は、なぜか一週間に2件も舞い込んできた。

ところが、両方みごとに同じ時期にかちあってしまっていたので、悩んだ末、公平に両方をお断りすることに。


ひと月に2つの講演会をするには無理がある、というのも理由のひとつだけど、実はまた別の理由もある。

要するに、「何を話したらいいか、わからない」のだ。


私のWebサイトには、「講演に関しましては、「自閉症を疑似体験するワークショップ」 といった趣旨の

ものを主におこなっています。体験談などがメインのお話は、原則としてお受けしておりません」と、

あらかじめ断り書きをしてある。


けれど、それにもかかわらず、たいていの講演依頼というのは、「体験をお聞かせください」というもの。


『僕の妻はエイリアン』の軽快な印象が強いせいか、「自分の発達障害をポジティブにとらえる」とか、

「日常の面白エピソード」「生活の工夫、配慮してほしいこと」といった内容が求められているようだ。


こういう場合、何を話したらいいかわからなくて、真剣に困ってしまう。


発達障害は個人差が大きいので、配慮してほしいことなどは、その人ごとにかなり違うはずだから、

私の場合の話をしても、あまり役に立つとは思えない。むしろ、「発達障害のある人は皆そうだ」

という、間違った思い込みにつながるかもしれないと思うと、不安になってしまう。

発達障害を持っていることで悩んだり困ったりしていることの程度も、やはり人それぞれだし、

問題が深刻な場合も多い。そう簡単に「ポジティブになりましょう」なんて、私にはとても言えない。


(これに関しては、私以外の人もプレッシャーを感じるらしく、「現実をリアルに伝えつつ、希望が持てる

ような内容にまとめるのは難しい……」、というような声を、複数の人から聞いたことがある)


さらに私の場合、面白エピソードや生活の工夫・アイデアなどは、『僕の妻は~』と、『エイリアンの

地球ライフ』の2冊に、もう全部書いてしまった。


夫がプライバシーを守ってほしいと希望しているために、普段の生活について、あまりセキララに語る

ことは自粛している、という事情もあって、新たなエピソードは、そう簡単には生まれない。


……こうやって、いろいろと考えているうちに、結局、何を話したらいいかわからなくなってしまうわけだ。


なので、せっかく、たまに講演会のご依頼をいただいても、ほとんどはやむなくお断りするはめになる。


(大変申し訳ないのだけれど)


講演会について、何かアイデアがありましたら、どうぞ教えてください。


いや、もちろん、活字は読めます。本や新聞なら、まったく問題ない。


それどころか、活字だったら、たとえ読めない文字(キリル文字とかギリシャ文字とか、デーヴァナガーリー

文字とか)でさえ、ついつい、じーっと見つめて、目で追ってしまう。


幼児期すでに、父親が勉強していた英語の本を、いつまでもじーっと眺めていたぐらいだし……。


そんな風なので、ごく最近まで気づいていなかったのだけれど、どうも私、手書き文字があまり読めないらしい。


活字のようにはっきり楷書で書いてあれば、大丈夫。ところが行書や草書になると、もう、どうしようもない。

知り合いに書道の先生がいて、いつも達筆でお葉書などいただくのだけれど、長~い時間にらめっこしないと

何が書いてあるか、さっぱりわからない。(それに、たとえ時間をかけても、全部は判読できていない)


もっとひどいのは、走り書きの文字。人によってまったく崩し方が違うから厄介だ。


走り書きしたものは、自分の字ですら判読できないので、できる限りいつも、丁寧に楷書で書いている。

当然、他人の話を聞きながらささっとメモをとったりするような、スピード感の必要なことは、まったくできない。


本を作るときには、編集者の方からよく、原稿(ワープロソフトで書いたもののプリントアウト)の上にいろいろ

メモを書いたものが送られてくるけれど、他人の走り書きとなると、まったくお手上げで、なんにも読めない。

相手は、「わざわざ書いて送ったのに……」と思っているから、話はややこしくなる一方だ。


編集者さんとの食い違いがあまりにひどかったので、やっと自分が手書き文字を読めていないことに気づいた。

そして、他の人には、たとえ走り書きでも、もっと読めているということも。


本の校正をする時は、赤ペンで原稿を手書き修正するのだけれど、「ものすごく丁寧に書いていますね!」と、

編集者さんに驚かれたのだ。


普通は、ささっと走り書き程度で直すものらしい。


私は他人の走り書きが読めないので、当然、自分の走り書きも他人には読めないものと思っていたから、

きっちり楷書で書いていた。(当然、遅くて時間ばかりかかるので、迷惑だ)


しかし、たいていの人は手書き文字がちゃんと読めるし、特に編集者というのは、いろいろな人の手書き文字を

見慣れているから、かなりささっと書いても、問題なく読めるらしい。


極端に読めないのが自分だけだなんて、知らなかった……このトシになるまで、全然知らなかった……。

ウチからほど近い通りに、しゃべる自動販売機がある。

なぜかよく売れていて、一日中しゃべり声が聞こえてくるのだけれど、そのおしゃべりの内容がハンパじゃない。


朝は、「おはようございます♪」(萌え声で)

飲み物がゴトっと出る音がした後は、「ありがとうございます♪ 今日も一日、お仕事がんばってください!」

これが昼から午後にかけては、「こんにちわ♪」「午後もお仕事、がんばってください!」となる。


けれど、まあ、これだけなら、そんなに驚くほどのことはない。


寒い時期の基本のあいさつは、「いらっしゃいませ♪ あたたかいお飲み物はいかがですか?」

これが暑い時期になると、「いらっしゃいませ♪ 冷たいお飲み物はいかがですか?」


となる。それでもまだ、仰天するほどのことはない。


ところが、最近になって、

「いらっしゃいませ♪ 今日も暑いですね~」

と言い出した。


これにはびっくり!


時間に応じてあいさつが変わるのは、時計が内蔵されているからだろう。季節に応じてあいさつが変わるのは、

人間が切り替えてるんだろうと思っていた。しかし……気温に応じて、しゃべる内容が変わるって?!


外気温センサーも内蔵???


こういう小技をきかせた機械を考えるのって、実に日本的だと思う。しゃべる自動販売機なんて、日本ぐらいだ。


でも実は、自動販売機のおしゃべりよりも、もっとびっくりなのは、お客さんの反応のほう。

何たって、自動販売機が「おはようございます♪」と言うと、

「はいはい、おはようございます」って感じで、律儀にあいさつを返す人が、けっこう、いる。


相手が機械とわかっていても、女性の甘い声であいさつされるとまんざらでもなく、つい返事をするのだろうか?

(自動販売機でわざわざ、割高な飲み物を買うのは、どちらかというと男性の方が多そうな気がするし)


機械もすごいが、人間って、それ以上に面白い。