☆獅子心王-ライオンと呼ばれた男④☆

                Richard the Lionheart

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人は精神的なものである。

暗闇の中、私を照らす光を感じる。声が聞こえる気がする。


☆☆☆☆☆☆☆☆



リチャード、私はあなたを憎んではいない。私はあなたを憎んではいない。

私が許せなかったもの、私が超えたかったもの、そう、それは、見かけの奥にあるもの。



私はあなたという存在を否定などしていない。



あなたは立派に生きた。



けれど、あなたの中に巣くっている、その闇はまた別の話。

その闇も、その傷も、あなたにはもう不要なもの。

その先にあるものを受け入れる為に、あなたはそれらを乗り越えていかなければいけない。


責任を取るということ。それは死でもって償うことではない。



人はやり直すことができる。



恐れないで。

今までの自分の概念を飛び越える勇気を持って。



あなたの中のその闇を、その傷を光へと変換して。そうすればあなたも光輝く。
自分が光であることを思い出す。



☆☆☆☆☆☆☆☆



そうだ。私が欲しかった力、求めていた剣の力とは、この闇を消し去る力だった。

大天使ミカエルの剣と同じ力だ。


私の使命は、闇の世界に光を伝えることであった。

光を呼び込むことであった。


私が剣に誓ったことは、光の道を歩むことであった。



私はずっと自分を許すことができずにいた。



光の道を歩むと誓ったはずが、多くの犠牲を払うことになったのだ。


その犠牲に対して、神の光の為だと理由付けることが正しいことなのか疑念があった。



この広い世界には善い者もいる。だがそれと同じくらい、悪しき心の者もいる。

悪しき心の者はいつも仲間を探し求めている。ほんのささいな弱みに付け込み、善き者の心臓を奪っていくのだ。


味方、敵に関係なく、善き者と悪しき心の者がいる。

私はそれをこの目で見てきた。法と秩序を無視する不届き者が、この世の調和を乱すのだ。




善き者とは誰を指し、悪しき心の者とはどんな者を指すのか。


その論議については、哲学者へと任せることにするが、人の上に立つ者は善き者であり、強き者であるべきだ。

その瞳の奥に魂の強さを読み取れる者であるべきだ。

そんな者が国の守護者である場合、敵味方に関係なく、人の尊厳を尊重することができるかもしれない。



どんな理想があろうと、一度地上に生れ出ると、色々な障害にぶつかる。

あらゆる思惑が渦めいており、自分が誰であり、何を求めて生まれてきたのかを忘れてしまう。



ああ、私は闇を切り裂く光がほしかった。闇を切り裂く光でありたかった。



☆☆☆☆☆☆☆☆




神よ、我に導きあれ。



私は負けぬ。

私はもう負けぬのだ。



この世には闇も光も存在している。これは全て在るべくして存在しているのだ。



受け入れよう、この事実を。



闇と戦うことをやめよう。

私はもう負けることはない。私はもう戦いを放棄するからだ。それは責任を放棄することではない。

戦いからは報復しか生まれない。



新たな道を探していこう。



暗闇の中、それでも確かな光を自分の中に持ち続けていく。

私は希望を、光を生み出していきたいのだ。


それが私の剣の誓いであったのだから。



神よ、今こそ道を開かれし。




我、獅子心王として今、皆の元へと帰り付こう。

☆獅子心王-ライオンと呼ばれた男③☆


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責任。このことについて、私は考える。


この時代の私が背負っていた責任とは一体どういうものであったのか。

死んでも尚、この私を苦しめ続ける、この責任というもの。

あれは何だったのだろうか。


歴史の中、時代の流れの中で、個人の思惑を越えた力が働き、物語は進んでいく。


考えることがある。


自ら手を下していなくとも、自分の命令により人が死んだ時、そこにはどんな責任が伴うのだろうかと。どこまでが個人責任になるのであろうか。


戦争を、殺し合いを、止めることができる立場にいる時に、それをすることなく多くの命が奪われることになった時、そこにはどんな責任が伴うのだろうかと。


個人の責任。集団の責任。

全てはどう関わっているのだろうか。


私は自らが考える責任という概念の中、この渦の中にはまったまま、果てしなく長い時を過ごしてきた気がする。未だに私はこの時代を完全に呑み込めてはいない。


まわりには何も見えない。完全に独りきり。


かつて愛した者、憎んだ者、誰も何も見えないこの灰色の中、私は責任という概念に囚われている。

いつか光が指すのだろうか。この灰色の世界に。


いつか誰かがやって来てくれるのだろうか。私を救いだす為に?


いや、そうではない。私は誰かの救いを待っているわけではない。


私は自分が許せなかった。自分の行為を許すことができなかった。
そして神を許すことができなかった。

私を盲目にした神を許すことができなかった。


☆☆☆☆☆☆☆


キリスト教において人を殺すことは罪である。だが、十字軍として聖戦に参加する者は贖罪の機会を与えられると教皇は皆に説いていた。


これは多くの戦いを行ってきた我ら騎士において朗報であった。


この贖罪があったからこそ我らは戦いの罪を恐れることはなかった。


十字軍として戦うことは、神の栄光を称えることでもある。

私はそれを望んでいた。


私は神という名を掲げ、聖戦へと出向いたのだ。


高々と旗を掲げ、神の名を褒め称えた。


神の為だと皆が声高に戦った。

聖なる目的の為に、命を捧げることは名誉だと、我々は信じたのだ。



だが、その信仰を持ってしても神に触れることはできなかった。


剣を持った相手と向かい合う時、一瞬の恐怖を覚えたとしても、命を惜しいと思ったことはない。全ては高貴な目的の為だと信じていたからだ。


神の平和の為に、多くの血を流すことになった。

家族、友、女、子どもに至るまで、我々は犠牲を払った。


 

血が噴き出し、この世のものとは思えない痛たましい形相で死んでいく者たち。しまいには、敵だか見方だかわからなくなり、なりふり構わず、剣を持つものを片っ端から切りつけていく者たち。過去の屈辱を晴らそうと策略を練る者たち。報復に報復が続いていく。


あれが、聖戦というものだったのだ。


とても美しいものとは言えなかった。 



聖戦とは神の名を掲げた、殺戮、破壊であった。


私はその一派だったのだ。


私が求めていたものは、あんなものではなかったはず。



☆☆☆☆☆☆☆☆



しかし確かにそうだ。


「全てはつながっている」


宇宙の意志は、試しているのかもしれない。

様々なことを。



つづく

☆獅子心王-ライオンと呼ばれた男②☆


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私は正義を信じていた。


正義は私にとって私が私として存在する意味であった。


だからこそやりきれないのだ。


正義はこの世の掟ではないのだと、私は私の人生から学んでしまった。


正義とは誰にとっての正義であるのかによって、見方は変わる。


法も掟も野蛮人の間では通用しない。


人には悪魔が宿っている。

それは、あの聖なる書に書かれた神が彼らに似せて人を創った時から始まっているのかもしれない。


この世の平安など誰が望むのであろうか。


皆はただ自由に、悪魔の心が潜む自由な心のままに、存在していたいようだ。


これを正そうとすることは本当に正義になるのだろうか。

自分の心に従うこと、過ちを犯したとしても、それを認め、改めようとする態度、それは全ての者に備わっている心持ではないのだ。


私は正義に従うことを望んでいた。

この世には正義が必要だと信じていたからだ。そして善があることを。


だが、恥を忍び、私が身を持ってそれを示しても、皆がそのように行動するとは限らない。


それを望むことは、それこそ人の自由意思に背くことになるのかもしれない。この態度こそ傲慢であるのかもしれない。


ここまできたらもう、何もする必要はないではないか。


自らを国に、民に捧げ、身を切り刻んでまで、奉仕の道を歩む理由などどこにもないではないか。


私は今までずっと神のみこころを聴こうとしてきたつもりでいた。

私の行動は全て、神の為であった。

だが今、ようやくわかったことがある。


神などいないのだ。


私が思い描いていた、私の想像上にいた神などいないのだ。


全ては人がおかしたことだ。

「人の思い」であったのだ。


私の神もそなたの神も遥か彼方の国の神も、全ては同じもの。


我らは皆同じものによって動かされていた。


「人の思い」によって。


神はいなかった。

少なくとも、私が思い描き、守ろうとしていた神はいなかった。

もし私の思い描いた神がいたのならば、私はあのような落胆を味わうことはなかったはずだ。神は完全なのだから。

だがそうではなかった。

私には多くの落胆があった。私の周りには多くの陰謀が取り巻いていた。


それがどれほど哀しいことであったことか。


あれほど多くの犠牲を伴ったことが、まるで無駄であったのだ。

そのことがどれほど胸を打つことであろうか。


それでも陽気さを忘れることなく、希望を、礼儀を失うことなく人生を全うした。

私は私を信じていたからだ。

私は私が歩んできた道を信じていたからだ。


「獅子心王」と呼ばれた私の道を信じてきた。


歴史は私のことを残虐な卑怯者であったと呼ぶことがある。


ああ、確かにそうだ。そういうこともあった。

自分の行動で恥ずべきこともある。


だが、私には信じることがあった。守ろうとしていたことがあった。

正義、法、掟に重きを置いていた。


私が城を取り戻したいと思っているか、そんなこと、私には答えることができない。


私は神の為に生きたかった。


だが私は神の僕であると同時に、イングランドの王でもあったのだ。

国に対しての責任があった。

神の為だけに生きることはできなかった。

王とは何と困難な職務であることか。


大変困難な道であった。


計り知れない犠牲を私は強いられた。

その犠牲に伴って、私はその報いを背負わなければいけないのだろうか。


神などいないではないか。


もし神がいるのならば、我々にこんな犠牲を強いることはないはずだ。


神がいるのならば、悪意のある心をそのままに放っておくわけはないではないか。



つづく

☆獅子心王-ライオンと呼ばれた男☆


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これは1157年~1199年十字軍の時代に生きた一人のイングランド王のお話です。

お話というよりも、彼の独り言のような感じなので、共感する場合のみ耳を傾けていただけたら幸いです。
彼は、第3回十字軍で活躍した人物であり、中世騎士道において英雄とされている人物です。ですが、感情の起伏が激しく、様々なスキャンダルを起こしてもいます。

それでも彼が本心(魂)で目指していたのは、”異なる考えを持つように見える者の間に平和の橋をかける”ということだったと思います。


現在彼は、”世界に希望の種を植える”という目的のもと、32人の記憶の中で生きているようです。


☆☆☆☆☆☆☆☆


私は城を取り戻したいのだろうか。


私が君主として統治する城を取り戻したいのだろうか。


私は王として誇りを持っていただろうか。


王であることを誇りに思っていただろうか。


私にとってパワーとは何だったのか。


はじめから、私の命は私のものであって、私のものではなかった。

私の命は国の為、権力を持つ者によって、握られていた。

一人特定するならば、私には「母」という怪物がいた。


彼女は私にとって絶大なパワーを持っていた。


ある時は神の名を使い、ある時は泣き落しをし、ある時は怒りを使い、私を戦いの道へと駆り立てた。


陰謀。陰謀。陰謀。


彼女を表す言葉は、その一言に尽きる。はたして、私を表す言葉は何だろうか。

だが結局、私は「母」を頼っていた。「母」の力を認めていた。


私には「母」が持っていたようなパワーがあっただろうか。

権力を知らぬ者たちにはそう見えたかもしれない。だが私は自分のパワーを信じてはいなかった。


私はいつも母の影のようであった。


私には自分の望むように生きる自由などなかったのだ。


心を覗いて見てみれば、私の中には芸術に対する敬愛があった。

私は絵を描くことが好きだった。美しいものが好きだった。


私は穏やかに生きていきたかった。

争いなどは好きではなかった。


愛する者が私にもいた。


心を近づけたかった者が、そばに寄り添っていたかった者がいた。

だがそんな個人の感情など、国の前では無意味だ。


多くの者に対して特権を持つ者は、まず、国の為に自分を捧げなければならない。



国の前では人の命など儚いものだ。

一人の人間が生きるか死ぬか、そんなことに一喜一憂などしてはいられない。


そんな時代を生きたのだ。



私が城を取り戻したいと思っているかだと?

憎んでいた。

あんな城の前では、生命などただの駒にしかすぎないのだ。

それでも哀しいのは、身に着くものなのだ。


一度味わった権力の甘い汁は、忘れることができなくなる。

加えて、激しい体験は、魂に深く刻み込まれる。

未練を伴う激しく強い思いが再び、魂をその場へと結びつけてしまう。輪廻の渦が続いていく。



そういうものなのだ。そういうものだった。少なくとも、私にとっては。


私のことは何とでも呼べばいい。

誰が何と言おうと私は私でしかなかった。

それは変わることはないのだから。


歴史に名をはせる者どもが、全て正しく記載されているわけではない。

事実になど基づいてはいないのだ。

そんな歴史の中でどう語られようと、私の名誉が傷つくことも、魂を汚されることもない。

それとこれとは違うものだ。


歴史の中で私がどう語られようと気にはしない。


しかし本当の自分、そんなものがあるとしたら、私は自分のことをこう語りたい。



私は穏やかな芸術家であったと。

 

だが時代は、激しかった。


その激しさの中で、私もそうあることを求められていた。剣は常に私のそばにあった。英雄であることを求められた。


神に?いや、権力に。

だがよく考えてみよう。穏やかさを求めているように思えたが、実際私は剣の道に長けていた。

騎士道を心から崇拝していた。


これは私の魂に刻まれている一つのクセのようなものだろう。そんな私はやはり、自らこの時代に生きることを選んだのだ。

きっと、これも全て私の意志だった。

 

ここから私は何を得ることができるのだろうか。

この時代に生まれることを選んだのは私であった。

この人生を生きると決めた時には、私には崇高な目的があったはず。



生まれる前に決めた予定は狂うものだということを、人はよく忘れてしまう。

一度この地上世界に生まれ出ると、あらゆる制約を受けることになる。

自分を取り巻く環境や状況の干渉を受けるのだ。

自分の意志だけではどうにもならないことが起きてくる。



それを乗り越え、本来の目的を遂行していくことこそが人生だと思うだろうか。

肉体を持ち生きてみればわかること。

実際は、そんなに簡単なものではない。



この時代の空気は重かった。厚く、とても重い空気が流れていた。

様々な情緒が行き交っていた。

あちらの勢力、こちらの勢力、あの神に、この神に。あいつを出し抜くこと、こいつより偉大であること。生存に関わる原始的な本能が渦巻いていた。


それを払いのけることはできなかった。

私は甘く見ていたのかもしれない。


肉体を持たぬスピリットとして存在する時には、地上の重さが見えないのだ。地上での挑戦に自分は立ち向かえると簡単に思い込んでしまう。

 

この世界には、あらゆる力が働いている。

自分の心を一点に集中できなければ、あらゆる誘惑に踊らされてしまう。

生まれる前に決めてきた予定の半分も実行することなく、終わってしまうことさえある。


大きな挑戦を受けて立つ時に重要なことがある

心を一点に集中することだ。

しかしそれは、簡単そうで至難の業。



宇宙は言う。


「全てはなるようになっている。煩うことなかれ」



哀しいことを哀しいと言っていい。

嬉しいことを嬉しいと言っていい。

辛いことを辛いと言っていい。

楽しいことを楽しいと言っていい。

 

人は、人の魂は、生の経験を通してこれらのことを学んでいきたいようだ。


つづく

☆あなたの中のクリスタル☆



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あなた自身が一番あなたを知っていると耳にする。

それはつまりどういうことか。



あなたの中には、あなたの全ての情報を記録しているクリスタルが埋め込まれている。それは物理的に存在する。そのクリスタルは、あなたの全ての情報を記録しているだけではなく、宇宙の記憶にアクセスする為のコードとしての役割を持つ。

この表現もその人物、時や場合によって相違はあるが。



宇宙は広大だ。多次元領域だ。通常の人間の意識を越えている。宇宙の全てを理解しようとすることは、夜空の星をひとつひとつ数えていくようなもの。



最も重要なこと―今ここに生きる自分の情報に繋がるということ。

過去も未来も全ては今存在している。

毛糸玉のように絡み合い、全てが同じ一つの中に存在している。

その情報に繋がることが重要なのは、今ここに生きるあなたが、過去にも未来にも囚われず、今ここに存在することを、純粋に体験する為。



過去に囚われるのでもなく、未来に囚われるのでもない。つまり、カルマに囚われるのではなく、本来の純粋無垢なエネルギーを取り戻す為。



多くの転生の中で、生命はあらゆるものを携える。

死ぬ時に人は何も持っていくことはできないと言われるが、人はその生きた人生の全てを、命という光の中に記憶し、持ち越していく。だからこそ、何を体験し、どう生きたかが重要となる。



持ち越すものは、物質的なものではない。

物質を生み出す、引き付ける、エネルギーだ。その中には、能力も含まれている。なぜならその能力もやはり、ある一定のエネルギー振動を持つからだ。魂が持ち越したエネルギー振動と、肉体の持つエネルギー振動が一致した時、天賦の才と言われる。魂のエネルギーと肉体のエネルギーの条件が整うことで、最高の状態を発揮する。



何事も無駄なことはない。

全てが自分のもとへと還って来る。これがカルマの法則だ。だが、それがいつ還って来るかはわからない。次の人生のこともあれば、もっと先のこともある。

カルマというシステムが作られたのは、公正をもたらす為だった。

この地球は、あらゆる惑星の歴史の学びを生かそうと計画が練られた。



それはそれとして、今この時代で重要なこと―そのカルマから抜け出す必要のある者がいるということ。



人は皆、同じように生きてはいない。

それぞれが独自の学びを生きている。その中で、全てのものが同じように行動する必要はない。

それぞれには個性があり、生まれてきた目的、系統、出身地も違うもの。



それは尊重されるべきことであり、敬意を払うべきことだ。