☆獅子心王-ライオンと呼ばれた男☆
これは1157年~1199年、十字軍の時代に生きた一人のイングランド王のお話です。
お話というよりも、彼の独り言のような感じなので、共感する場合のみ耳を傾けていただけたら幸いです。
彼は、第3回十字軍で活躍した人物であり、中世騎士道において英雄とされている人物です。ですが、感情の起伏が激しく、様々なスキャンダルを起こしてもいます。
それでも彼が本心(魂)で目指していたのは、”異なる考えを持つように見える者の間に平和の橋をかける”ということだったと思います。
現在彼は、”世界に希望の種を植える”という目的のもと、32人の記憶の中で生きているようです。
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私は城を取り戻したいのだろうか。
私が君主として統治する城を取り戻したいのだろうか。
私は王として誇りを持っていただろうか。
王であることを誇りに思っていただろうか。
私にとってパワーとは何だったのか。
はじめから、私の命は私のものであって、私のものではなかった。
私の命は国の為、権力を持つ者によって、握られていた。
一人特定するならば、私には「母」という怪物がいた。
彼女は私にとって絶大なパワーを持っていた。
ある時は神の名を使い、ある時は泣き落しをし、ある時は怒りを使い、私を戦いの道へと駆り立てた。
陰謀。陰謀。陰謀。
彼女を表す言葉は、その一言に尽きる。はたして、私を表す言葉は何だろうか。
だが結局、私は「母」を頼っていた。「母」の力を認めていた。
私には「母」が持っていたようなパワーがあっただろうか。
権力を知らぬ者たちにはそう見えたかもしれない。だが私は自分のパワーを信じてはいなかった。
私はいつも母の影のようであった。
私には自分の望むように生きる自由などなかったのだ。
心を覗いて見てみれば、私の中には芸術に対する敬愛があった。
私は絵を描くことが好きだった。美しいものが好きだった。
私は穏やかに生きていきたかった。
争いなどは好きではなかった。
愛する者が私にもいた。
心を近づけたかった者が、そばに寄り添っていたかった者がいた。
だがそんな個人の感情など、国の前では無意味だ。
多くの者に対して特権を持つ者は、まず、国の為に自分を捧げなければならない。
国の前では人の命など儚いものだ。
一人の人間が生きるか死ぬか、そんなことに一喜一憂などしてはいられない。
そんな時代を生きたのだ。
私が城を取り戻したいと思っているかだと?
憎んでいた。
あんな城の前では、生命などただの駒にしかすぎないのだ。
それでも哀しいのは、身に着くものなのだ。
一度味わった権力の甘い汁は、忘れることができなくなる。
加えて、激しい体験は、魂に深く刻み込まれる。
未練を伴う激しく強い思いが再び、魂をその場へと結びつけてしまう。輪廻の渦が続いていく。
そういうものなのだ。そういうものだった。少なくとも、私にとっては。
私のことは何とでも呼べばいい。
誰が何と言おうと私は私でしかなかった。
それは変わることはないのだから。
歴史に名をはせる者どもが、全て正しく記載されているわけではない。
事実になど基づいてはいないのだ。
そんな歴史の中でどう語られようと、私の名誉が傷つくことも、魂を汚されることもない。
それとこれとは違うものだ。
歴史の中で私がどう語られようと気にはしない。
しかし本当の自分、そんなものがあるとしたら、私は自分のことをこう語りたい。
私は穏やかな芸術家であったと。
だが時代は、激しかった。
その激しさの中で、私もそうあることを求められていた。剣は常に私のそばにあった。英雄であることを求められた。
神に?いや、権力に。
だがよく考えてみよう。穏やかさを求めているように思えたが、実際私は剣の道に長けていた。
騎士道を心から崇拝していた。
これは私の魂に刻まれている一つのクセのようなものだろう。そんな私はやはり、自らこの時代に生きることを選んだのだ。
きっと、これも全て私の意志だった。
ここから私は何を得ることができるのだろうか。
この時代に生まれることを選んだのは私であった。
この人生を生きると決めた時には、私には崇高な目的があったはず。
生まれる前に決めた予定は狂うものだということを、人はよく忘れてしまう。
一度この地上世界に生まれ出ると、あらゆる制約を受けることになる。
自分を取り巻く環境や状況の干渉を受けるのだ。
自分の意志だけではどうにもならないことが起きてくる。
それを乗り越え、本来の目的を遂行していくことこそが人生だと思うだろうか。
肉体を持ち生きてみればわかること。
実際は、そんなに簡単なものではない。
この時代の空気は重かった。厚く、とても重い空気が流れていた。
様々な情緒が行き交っていた。
あちらの勢力、こちらの勢力、あの神に、この神に。あいつを出し抜くこと、こいつより偉大であること。生存に関わる原始的な本能が渦巻いていた。
それを払いのけることはできなかった。
私は甘く見ていたのかもしれない。
肉体を持たぬスピリットとして存在する時には、地上の重さが見えないのだ。地上での挑戦に自分は立ち向かえると簡単に思い込んでしまう。
この世界には、あらゆる力が働いている。
自分の心を一点に集中できなければ、あらゆる誘惑に踊らされてしまう。
生まれる前に決めてきた予定の半分も実行することなく、終わってしまうことさえある。
大きな挑戦を受けて立つ時に重要なことがある。
心を一点に集中することだ。
しかしそれは、簡単そうで至難の業。
宇宙は言う。
「全てはなるようになっている。煩うことなかれ」
哀しいことを哀しいと言っていい。
嬉しいことを嬉しいと言っていい。
辛いことを辛いと言っていい。
楽しいことを楽しいと言っていい。
人は、人の魂は、生の経験を通してこれらのことを学んでいきたいようだ。
つづく
