☆獅子心王-ライオンと呼ばれた男②☆
私は正義を信じていた。
正義は私にとって私が私として存在する意味であった。
だからこそやりきれないのだ。
正義はこの世の掟ではないのだと、私は私の人生から学んでしまった。
正義とは誰にとっての正義であるのかによって、見方は変わる。
法も掟も野蛮人の間では通用しない。
人には悪魔が宿っている。
それは、あの聖なる書に書かれた神が彼らに似せて人を創った時から始まっているのかもしれない。
この世の平安など誰が望むのであろうか。
皆はただ自由に、悪魔の心が潜む自由な心のままに、存在していたいようだ。
これを正そうとすることは本当に正義になるのだろうか。
自分の心に従うこと、過ちを犯したとしても、それを認め、改めようとする態度、それは全ての者に備わっている心持ではないのだ。
私は正義に従うことを望んでいた。
この世には正義が必要だと信じていたからだ。そして善があることを。
だが、恥を忍び、私が身を持ってそれを示しても、皆がそのように行動するとは限らない。
それを望むことは、それこそ人の自由意思に背くことになるのかもしれない。この態度こそ傲慢であるのかもしれない。
ここまできたらもう、何もする必要はないではないか。
自らを国に、民に捧げ、身を切り刻んでまで、奉仕の道を歩む理由などどこにもないではないか。
私は今までずっと神のみこころを聴こうとしてきたつもりでいた。
私の行動は全て、神の為であった。
だが今、ようやくわかったことがある。
神などいないのだ。
私が思い描いていた、私の想像上にいた神などいないのだ。
全ては人がおかしたことだ。
「人の思い」であったのだ。
私の神もそなたの神も遥か彼方の国の神も、全ては同じもの。
我らは皆同じものによって動かされていた。
「人の思い」によって。
神はいなかった。
少なくとも、私が思い描き、守ろうとしていた神はいなかった。
もし私の思い描いた神がいたのならば、私はあのような落胆を味わうことはなかったはずだ。神は完全なのだから。
だがそうではなかった。
私には多くの落胆があった。私の周りには多くの陰謀が取り巻いていた。
それがどれほど哀しいことであったことか。
あれほど多くの犠牲を伴ったことが、まるで無駄であったのだ。
そのことがどれほど胸を打つことであろうか。
それでも陽気さを忘れることなく、希望を、礼儀を失うことなく人生を全うした。
私は私を信じていたからだ。
私は私が歩んできた道を信じていたからだ。
「獅子心王」と呼ばれた私の道を信じてきた。
歴史は私のことを残虐な卑怯者であったと呼ぶことがある。
ああ、確かにそうだ。そういうこともあった。
自分の行動で恥ずべきこともある。
だが、私には信じることがあった。守ろうとしていたことがあった。
正義、法、掟に重きを置いていた。
私が城を取り戻したいと思っているか、そんなこと、私には答えることができない。
私は神の為に生きたかった。
だが私は神の僕であると同時に、イングランドの王でもあったのだ。
国に対しての責任があった。
神の為だけに生きることはできなかった。
王とは何と困難な職務であることか。
大変困難な道であった。
計り知れない犠牲を私は強いられた。
その犠牲に伴って、私はその報いを背負わなければいけないのだろうか。
神などいないではないか。
もし神がいるのならば、我々にこんな犠牲を強いることはないはずだ。
神がいるのならば、悪意のある心をそのままに放っておくわけはないではないか。
つづく
