☆獅子心王-ライオンと呼ばれた男③☆


light


責任。このことについて、私は考える。


この時代の私が背負っていた責任とは一体どういうものであったのか。

死んでも尚、この私を苦しめ続ける、この責任というもの。

あれは何だったのだろうか。


歴史の中、時代の流れの中で、個人の思惑を越えた力が働き、物語は進んでいく。


考えることがある。


自ら手を下していなくとも、自分の命令により人が死んだ時、そこにはどんな責任が伴うのだろうかと。どこまでが個人責任になるのであろうか。


戦争を、殺し合いを、止めることができる立場にいる時に、それをすることなく多くの命が奪われることになった時、そこにはどんな責任が伴うのだろうかと。


個人の責任。集団の責任。

全てはどう関わっているのだろうか。


私は自らが考える責任という概念の中、この渦の中にはまったまま、果てしなく長い時を過ごしてきた気がする。未だに私はこの時代を完全に呑み込めてはいない。


まわりには何も見えない。完全に独りきり。


かつて愛した者、憎んだ者、誰も何も見えないこの灰色の中、私は責任という概念に囚われている。

いつか光が指すのだろうか。この灰色の世界に。


いつか誰かがやって来てくれるのだろうか。私を救いだす為に?


いや、そうではない。私は誰かの救いを待っているわけではない。


私は自分が許せなかった。自分の行為を許すことができなかった。
そして神を許すことができなかった。

私を盲目にした神を許すことができなかった。


☆☆☆☆☆☆☆


キリスト教において人を殺すことは罪である。だが、十字軍として聖戦に参加する者は贖罪の機会を与えられると教皇は皆に説いていた。


これは多くの戦いを行ってきた我ら騎士において朗報であった。


この贖罪があったからこそ我らは戦いの罪を恐れることはなかった。


十字軍として戦うことは、神の栄光を称えることでもある。

私はそれを望んでいた。


私は神という名を掲げ、聖戦へと出向いたのだ。


高々と旗を掲げ、神の名を褒め称えた。


神の為だと皆が声高に戦った。

聖なる目的の為に、命を捧げることは名誉だと、我々は信じたのだ。



だが、その信仰を持ってしても神に触れることはできなかった。


剣を持った相手と向かい合う時、一瞬の恐怖を覚えたとしても、命を惜しいと思ったことはない。全ては高貴な目的の為だと信じていたからだ。


神の平和の為に、多くの血を流すことになった。

家族、友、女、子どもに至るまで、我々は犠牲を払った。


 

血が噴き出し、この世のものとは思えない痛たましい形相で死んでいく者たち。しまいには、敵だか見方だかわからなくなり、なりふり構わず、剣を持つものを片っ端から切りつけていく者たち。過去の屈辱を晴らそうと策略を練る者たち。報復に報復が続いていく。


あれが、聖戦というものだったのだ。


とても美しいものとは言えなかった。 



聖戦とは神の名を掲げた、殺戮、破壊であった。


私はその一派だったのだ。


私が求めていたものは、あんなものではなかったはず。



☆☆☆☆☆☆☆☆



しかし確かにそうだ。


「全てはつながっている」


宇宙の意志は、試しているのかもしれない。

様々なことを。



つづく